第3話 まあ一応ありがとう

「人形劇ってどうやるの?」


 黙々と作業に打ち込んで、模造紙で作ったテールコートは完成した。サイズを合わすことが目的なので装飾は付いてない。ペンギンみたいな姿勢をさせた「絶望」の両腕にゆっくりと袖を通してゆく。襟部分を掴んで背中まで引き上げた時に破ける音がしたが羽織ることができた。

「絶望」には腕をやや広げた状態を保持してもらって両脇の糊付けが剥がれた箇所を確認する。ちょっとだけだし布なら伸縮するので大丈夫だろって意味で声枯れメンバーと頷き合う。


 衣装チーフが点検してGOサインが出る。


 作業再開の前、みんなでベロア生地の滑らかな触り心地を確かめたり頬ずりして楽しんでいると、インスタ女子こと、実は音響チーフの飯田が私に人形劇について尋ねてきた。


「はい、パペタ氏――この白クマ執事のパペタ氏と私の二人でお話するのです」


 人形劇は保育園を巡っていて校内ではやってないことを言おうとしたが、うまく言葉にならなかったので諦めた。


「始業式の時の自己紹介の時にちょっと見たよ、声が変わるのすごいね」

「はい、ありがとうございます」

「もう一度見てみたいなあ、どう?」

「はい、分かりました、このように」


 私は右手を挙げてパペタ氏と眼を合わす。

 パペタ氏はいつも人形劇の司会進行もするのだが、今は私から声を掛けた。

 

「パペタ氏、私たちの劇を見たいっていう方がいるよ、私は『おさかな食べたい』のお話をしたいけど、どう思う?」


 パペタ氏の両眼のボタンは穏やかな光を湛えている。



「考えこんでいるのかな、別のお話でもいいよ」


 パペタ氏が何も言ってくれないので私は急に苦しくなってきたのを表に出さないようにする。

 左手につかんでいるベロア生地を使うわけにはいかないので、顔を隠すとしたら借りたまままだ返してない春雨のハンカチだな。昨日一度は返したのだけど、直後に転んで出血したのでまた借りたのだ。


「劇はしたくない? 今日は調子が悪いかな?」


 このままだと劇にならないので、私はとりあえずパペタ氏の口元に耳を近づけて見せて。


「どうやら塩飴をなめているので今は喋れないそうです。美味しいですよね」


 誤魔化した。次は……次は……。


「わ、私は弟子なので、パペタ氏には及びませんが声真似ができます、例えば……」


『おはよう、朱背』


 今朝に聞いた春雨の台詞をそのまま再現した。


 歓声とともにパチパチと拍手が起きる。


「このような感じで人形劇をやります」


 違う。本当はパペタ氏が声真似するんだ。

 

 「絶望」のテールコート製作メンバーや飯田だけじゃなく、近くにいた者たちも視線をこちらに向けている。


「何かやってるの」「春雨の真似だって」「今のそっくりだったねえ」


 人形劇は終わりにしたいのに、寄せられた期待が高まってゆく。パペタ氏が喋らないから続けるのはもう無理だ。


 笑みを崩しそうになったので左手でポケットから春雨のハンカチを出して自分の顔を全部隠した。急だし、いかにも変わり者みたいになってしまうが仕方ない。

 

 今日の劇はおしまいです、みんなまたねー。

 

 そう言って終わろうとした時。


 ガラァラーー


 ハンカチ越しに薄っすら見える、勢いよくスライドする教室の扉。


 のっそり入ってきたのは降秋くんだ。存在が暑苦しいから分かる。


 ** 


「他の教室に入る時には挨拶ぐらいするものじゃない? 秋くん」


 左織の声が奴の歩みを止める。

 そうだ、そうだ。

 胸の内で同意しながら、突然に現れた彼にみんなの視線が移ったので私は安堵している。

 ハンカチが顔に貼り付いたまま。前髪と触角――頬部分まで垂れた両サイドの髪一房になんかうまいこと挟まって手を放してもハンカチは顔面をおおってくれている。視界ははっきりしないのだが、降秋くんはきょろきょろとしている気配。存分に誰かと勝負していって欲しいね、今は!

 私は自分の気配を消しながら、そっと教室の隅っこに移動した。


「こんにちは」


 左織に怒られた降秋くんの慣れない挨拶が面白くて吹き出しそうになるが、すんでのところで留めて顔に貼り付いたハンカチのズレを元に戻した。


「こんにちは」


 繰り返すんじゃないよ。昨日の春雨との相撲対決で負けたからって教室まで乗り込んでくるって……。まあ、降秋くんらしいね。

 春雨を探すと、すぐ隣にいて驚いた。奴も気配を消すことに慣れた「忍びの者」なのだ。

 

「こんにちは」


 春雨、返事してやれよ。でも相撲取るんだったら外でやってね。邪魔だから。

 

「挨拶は、朱背に言ってるんだと思うよ」


 私と勝負する気か、嫌だね……。なんだなんだ、私は相撲は取らないよ。


 ずんずんと近づいてくる降秋くんから距離を取ろうとするが、教室の窓際片隅に移動していたため、既に逃げ道はなくなっている。


 あと一歩近づいて来たら体当たりして逃げようと心に決めた。体格差の優位に相手は油断している。


 肩先に力をこめてこっそり身構えたところに差し出される手のひら。


 ハンカチを顔に貼り付けてなかったら噛みついていたかもしれん。

 ふぅーと息を吹いてハンカチをふわふわさせて顔からどかし、ひらひらした隙間から覗き見ると何か光るものが見える。


 細い棒の先端は湾曲しており、バールのような形になっている

 バール? 違う。


 ステッキ、金箔を貼ったステッキだ。


「こんにちは」


 どうやら、受け取って欲しいと言いたいらしい。

 以前壊したパペタ氏のステッキの代わりに? 奴なりのお詫びのつもりか?


 ふう。


 過去の出来事を思い出すと、ひらひらしたハンカチの隙間からステッキがキラキラと光って見える。


 降秋くんの袖――彼が年中来ている学ランの袖には、金のステッキを作る時に付いたのか金箔の欠片が付いていた。


 受け取ったら、彼を許したことになるのだろうか。

 私は彼を許しているのか、許していいのか? 昨日までは顔も見たくなかったが、今はそうでもない。まあどうしたって、降秋くんが私の彼氏に戻るわけじゃない。


「いいステッキだね、ありがとう」


 私は受け取ることにした。

 

 満足げに教室から去ってゆく降秋くんを見送った後、金のステッキをパペタ氏に持たせてみる。


『紳士に相応しい輝きですな』


 低い声音で言ったみたけど、パペタ氏が喋ったわけじゃない。

 声真似をしただけだ。

 

 違う、そうじゃなくて。 


 隣にいる春雨がじっとこちらを見ているのが、ハンカチ越しにも分かった。


 なんでパペタ氏が喋ってくれてたのか今はもう分からない――

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