第4話 一人きりでも大丈夫

「秋くん、グラウンドの真ん中あたりに座って観客役してくれないかな」


 新たなロール――観客役がたった今、創設された。

 言い方は問いかけであったが、降秋くんの返事を待たずに、左織は取り出したスマホを操作して。


「2組には、借りとくって連絡しといたから、その格好でいい、あのへんで」


 彼女が指差す場所には陽炎が燃えている。

 

 テストを繰り返していた音響が止まって静寂が続いている。

 私たちが加わるのを待っているのだ。降秋くんがのそりと歩いてゆく。

 

 起き上がった春雨。

(仮)じゃなく、縫丸ヌイマルでもないことも分かった今、彼の抱くぬいぐるみを何と呼べばいいんだろう。世界猫シリーズの何か。偽縫丸ヌイマル


 降秋くんはどかっと地面にあぐらをかいて座ったのが小さく見えた。


 もう稽古がはじまる。


 **


 公女プリンセスが、くるくる回転しながら舞台を横切って歌う。

 王子の言葉を一つ一つ思い出しながら感謝を述べた。

 

 既に仲間となった「絶望」や「迷い」たちは、公女プリンセスにかなり合わせてきている。家に帰ってからも自主練したのかもしれない。


 昨日はだらんと緩んでいた幕はぴんと張られて、元の素材が農業用の遮光シートとは思わせない。


 もうすぐ夜がくる。



 公女プリンセスは大きく手を振って仲間たちと幕の内側に消えた。


 バイバイ王子様! 


 一度目の切ない声だ。

 やがて、音楽が流れて、足場の端っこを結ぶロープと一緒に幕は地面に落ちた。

 畝となった幕を走って飛び越える登場人物たちは、観客に笑顔を見せる余裕がある。

 たった一人の観客――降秋くんは微動だにせずじっと見ている。


 バイバイ王子様! 


 姿を見せずにもう一度、明るい声で別れを告げた。


 なんかいい感じに思える。

 公女のレベルに及ばなくても、受験勉強の中でここまでできたら十分じゃないか。残り5日で仕上げたら、きっと見た人に楽しんでもらえるはずだ。

 焦りが消えて、みんなに安堵の表情が浮かぶ。

 

 動きを止めて、みんなの気配が唯一の観客に飛んだ。

 降秋くんはどう反応するのか……。ゆらっと陽炎みたいに彼は立ち上がった。次の瞬間。


「言っておきたいことがある」


 春雨が鋭く声を上げた。


 横顔は火照っているが、昨日みたいじゃない。

 冷静な思考の末に彼は声を響かせている。

 足場の向こうにいる公女プリンセスが聞き漏らすことのない声音で。

  

 そっと振り返ったら、降秋くんは同じ位置で立ったままだ。



「勝手にぃ!」

 声が掠れている。もしかして泣いているのか? と思ったが、彼の目は冷たい光を湛えている。


「勝手に、どっか行くなよおぉ」


 ここで気づいたが、昨日と同じセリフだ。

 でも雰囲気は違って、何かが違う……。

 婚約者を守ることができなかった王子。公女プリンセスが逃げ出すのを予期できず、一人になった孤独を悲しむような情けないものではない。


 春雨は、左織がいなくなるのを知っている――


 何かを続けようとして彼は口をつぐんだ。

 今は心の中でもう一度、言葉を確かめている。


 偽縫丸ヌイマルは彼と手をつないでぶらんと下がっている。

 

 唇が小さく動く。彼は音を立てず、「左織」と名を呼んだようにも見えた。


 左織がほとんど学校に来なくなるのをまだ知らないと私は思っていた。左織は言ってない――確かめたわけじゃないけど彼女は絶対に言ってない。


 だけど春雨はきっと分かって言っている。

 

 宙釣りの偽縫丸ヌイマルがぶるっとした。

 春雨の身体の震えが伝わったのだ。

 

 心の中にはもう形を取っている言葉を彼はまだ発することができずにいる。


 言って!


 今の彼の傍に縫丸ヌイマルはいない。

 一人でも彼は言おうとしているのか。


 言って!


 喉元までふくらむ気持ちは好きって言葉なのか?

 正確には合ってないし、完全に相応しくないのかもしれない。

 

 でもいいよ、言って!


 もう右夏はいない。

 好きじゃなくても何でもいい、左織に気持ちを伝えてくれ。


 言って!


 春雨が息を大きく吸って、黒ローブの胸がふくらむのが分かる。次の瞬間。


「うぉぉぉぉおおおおお」


 急な叫び声に誰もが振り返る。

 

「おおおおおおおぉぉぉ」


 身体を折って声を張り上げる降秋くん。うるせえ。


 スタンディングオベイションか? 拍手してないが。邪魔すんなバカ。


 劇はまだ完全には終わっていないのに? うるせえ。一体いつまで叫ぶつもりだ。


 息を全て吐き出した奴は地面にうずくまる。

 

 意味の分からない降秋くんの咆哮の後、足場の影からすたすた歩いてきた左織が。


「暑いから戻ろう」


 爽やかな声で劇の終わりを告げた―― 

 

 みんなが撤収準備に入ったのを見届けてから、彼女は私に手招きした。いや、春雨に向けてだ。


 私の隣で、彼は突っ立ったままでいる。

 もうちょっとだったのに、降秋くんのせいで台無しだ。


 乱れ飛ぶみぞれの中で私はまたバス停を探している――

 

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