第3話 なめらかな手触りです

 人形劇部には部員は私しかいない。

 でも2週に一回ぐらいのペースで、土曜日の午後、保育園に行って上演会を続けていた。土日も保育園で過ごす子どもはたくさんいるのだ。

 園児の頃にお世話になった先生の口聞きで、最近は他の保育園でも上演会ができるようになっている。劇を見たいって子どもが言うから土曜日に預ける親御さんもいるらしい。

 人形劇部には部員は私しかいない。

 なので、私は地元のK大に進学し、何食わぬ顔で今やっている上演会を、K大学人形劇部上演会にさらっと移行させようと企てている。調べてみたらK大学には人形劇部はないみたいだけど、むしろ好都合だ。一人でやればいいことだし。


 大雪が積もってゆく2月の土曜日。

 上演会に付いて来たいと降秋くんは言うので、手伝ってもらうことにした。

 奴は人を警戒させないオーラを全身から滲ませているので、子どもたちは遊具の一つみたいにして肩や首を掴んで登りはじめた。奴は身体をぶるぶるとしたら、なおさら子どもは喜んで落とされまいとしがみつく。


 騒がしい雰囲気で人形劇が始まる。

 どうにかいつもの調子でろうとしたけど全然うまくゆかずに劇は終わる。

 後片づけをしていると、子どもたちはまた降秋くんにぶらさがって遊ぼうとする。

 奴は床に落ちていた怪獣の人形――園児たち共通の遊び道具の一つを持って、奇声を上げて子どもを追っ払った。


 何度か繰り返した後、降秋くんは怪獣になって子どもたちを追い回すことにしたみたい。

 

 喜ばれてるからいいんだ。

 自分の劇がよくなかったせいだから仕方ないね。


 人形劇の台座を仕舞い終えると、走り回っていた降秋くんがこっちまで来て、私の右手からパペタ氏を取った。


 奴は怪獣とパペタ氏を戦わせはじめる。


 止めて


 怪獣に蹴りを入れられたパペタ氏。長い技の名前みたいなのを叫びながらパペタ氏を使って怪獣に頭突きする。


 止めて


 子どもたちは戦いを見て笑っている。


「止めて!」


 思わず最大の声量で叫んだので、全員の動きが止まった。やがて子どもたちの泣き声が重なってゆく。


 帰り道、交際の終わりを告げた。


 パペタ氏の持つ紳士的ステッキが折れたことを彼は謝った。 

 ううん。ステッキは直せるし、新しく作ってもいい。


 別の何かを私は許せない。


 **


「我が校での決闘の方式は相撲とされています」


 左織の澄んだ声が、校則の「8 交友等について」の一部分に言及した。


 考えごとをしてた私には、発言の経緯はよく分からない。


 降秋くんと春雨は石碑の前で対峙している。

 何を争っているんだ。暑いのに、熱中症警戒レベルが君たちだけ最大だ。

 生徒間暴力行為(喧嘩)は校則で禁じられているだろう。さっきも言わなかったか?


 左織に聞いたら、じゃんけんの3回勝負に負けた降秋くんが別の勝負をしようと言い出し、突っぱねた春雨と取っ組み合いになりかけたそうだ。


 バカだな、想像以上に。

 

「だからね、さっさと勝負をつけてしまうのが早いと思って」


 彼女はそう言って、曲線美を潜めた短パンの後ろポケットから軍手を取り出した。

 うむ、という感じで降秋くんが受け取って、丸まっていたのをほどいてから一つを投げようと構える。


 春雨との距離がやや近すぎるので、3歩ぐらい後ろずさってから投げられる。

 少し顔を傾けただけで、春雨は石碑前で動かず、肩と胸の間ぐらいに軍手は当たって地面の草の上に落ちた。


 ――武力で勝負を決すべきという止むを得ないときの方式は相撲による。


 校則にはそう定めてあるだけで、手袋を投げつけるという中世ヨーロッパ貴族的な一連の行為は省略しても良かったのではないか。そもそも、方式は相撲なんだし。軍手だし。


 そして彼らは服を脱ぎはじめた。

 

 毎年5月、高校相撲の地方大会が白山山系――4県にまたがる縦に伸びる連峰の麓に位置する相撲場で開催される。

 泉沢高校の新1年生は入学後まもなく全員が観戦にゆくという伝統があるのだ。

 なぜかこの時だけ、応援団なるものが半強制的に組織されて、戦前から伝わるという巨大な応援旗を振る。古式ゆかしい応援を見るのは当然初めてだが、選抜された団員自身も応援は初めてである。腰から下げたホルダー、旗の付いたポールの根本はこの専用具に突き刺すように装着されてようやく捧げ持つことができる。何となく卑猥にも情けなくも見える専用具を使って振り続ける応援団。ぶつかり合う力士。


 なんだか分からないものばかりの観戦を経た生徒の多くは、校則に奇妙に納得する。


 ――どうしようもないときは相撲、まあそれでもいいかもね。 

 

 見た目だけはいい二人の男子が揃った。

 上半身の筋肉。帰宅部の春雨は特に鍛えることもしてないはずなのに降秋くんに負けず隆々としている。内面の魂はともかく、筋肉には伏流水の神聖な力がこもっていそうである。


 睨み合った二人は小さく頷く。

 勝負を付けようとグラウンドに身体を向けて歩を進める瞬間。


「残念、私たちは稽古に戻らないといけないから、降秋くん、勝負はまた今度にしよう」

「そんなわけあるか、俺らは今から……」


 冷たい視線に気づいて奴は言葉を切らす。

 

「稽古に戻る前に、謎も一つ解かなきゃいけないようだし」


 なんの話だっけ。

 

 半裸の男たちの前を横切る。

 石碑の土台に鎮座するのを手に取って、猫と同時に彼女は顔をこちらに向けた。


 腕の中で、縫丸ヌイマル(仮)の虚無った瞳が深みを増す。



 降秋くんが来る前に、私たちは3人で縫丸ヌイマル(仮)を眺めて、普段と大きく変わったところがないことは確かめている。


 いつもより白いと春雨は言ってたけど、私には違ってるようには見えない。


 ただ、これが縫丸ヌイマルであると証明する方法ってあるのか。

 話は変わるが、私が岩井朱背だと証明する方法ってあるのか。よく似た別人と入れ替わった時に私は自分という証はどこにあるのだろう。

 

 パペタ氏に任せたい気持ちを堪えた。

 降秋くんの前で出したくない。


 奥歯を噛みながら思考する。

 

 左織にやさしく抱かれた縫丸ヌイマル(仮)。

 

 暑い……。ローブを着ているからだ。真夏に黒服は、発火の可能性ない? 下の体操服を脱ぐか。


 どうにかできるかと、ごそごそとローブの下をまさぐるうち、四角く平たいものが手に触れた。


「じゃあはじめよう」

 

 短パンのポケットにあるスマホを握りしめながら、私は謎解きの開始を宣言した――


 **


「耳が少し垂れてる。うん、そうだね。難しい表情をしている……確かに」

「形状を比較するなら同じ角度で見るほうがいいね」


 左織の提案に従って、グラウンドに仰向けに寝転がった春雨は空を見つめて眩しそうに眼を細めた。真砂土の上で背中が焦げるのを堪える表情かもしれない。

 彼の腹の上にそっと縫丸ヌイマル(仮)を置くと、昨日と同じ体勢――めまいで倒れかけた春雨を介抱する左織の図になった。今、彼の背中は焼けているけど。


 昨日撮った画像と同じになったのを同じアングルで見て比較するうち、肩が触れそうな距離にいる半裸の男――降秋くんに気付く。


 離れろ、半径10メートル以内に近づくな。


 と言わなかったが、嫌な顔には気づいたのか彼は距離を取った。そうだ、服も着ろ。


 縫丸ヌイマル(仮)は強い日差しを受けてうんざりした表情を浮かべている。


 色の比較はできない。


 スマホをピンチアウトしてみる。

 今まで気づかなかったが拡大しても画像は精細なままでぼやけることはない。さほど使っていないというのに、iPhoneを買え与えてくれた親に感謝だ。

 パペタ氏も言っていたが、私は何不自由なくのびのびと育った人見知りなのだ、自覚はある。

 

 あ。


 指で画像を指し示しながら、腹の上の縫丸ヌイマル(仮)に眼を凝らす。


「そうだね、違うみたいだね」


 意見を求めると、左織も同意を示した。


 ヒゲはこげ茶色の糸でステッチされている。

 画像では、右ひげの根本の1か所だけ、糸が少しはみ出てループ状――タオル生地のパイルみたいになっている。


 春雨の腹の上で、縫丸ヌイマル(仮)は難しい表情を浮かべた。

 右ヒゲ根本はループ状になってはいない。


 私たちが昨日見ていたものと眼の前のは違う。


 縫丸ヌイマル(仮)よ、お前は誰だ?

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