第5話 もう一人の探偵さん

 足場に垂れ下げる背景には、遠くそびえる王城が描かれている。

 模造紙を使えば安く済むが、ガサガサしたり破れたりと扱いが難しいので、うちのクラスは継ぎいだ巨大な布を足場の数だけ用意した。今は、上に重ねられていた遮光シートと一緒に地面に落ちてうず高く積もっていたが、回収されてロールに巻きなおされてゆく。


 グラウンドからの撤収準備が進む中で、追っ手AB――私と春雨は左織に付いてクロマツゾーンの石碑のところまで戻った。


 緊張が急に解かれて春雨はぼんやりしている。彼は、言おうとしていた気持ちをまだ心にこだまさせているのだろうか。

 宙釣りのまま不安げな偽縫丸ヌイマルを手から取った。どうしようかなと迷ったが、とりあえず左織に手渡す。


「ちょっと座って休んだら? ……そうだね、衣装も脱いだ方がいいね」


 ごろん、と上半身裸の春雨が石碑の前の草むらに横になった。

 無造作に脇に置いた衣装――黒いローブは汗が染みてくたっとしている。

 縫い目が解れそうだから洗濯機でガンガン回したらダメだよ、って言ったら、さっぱり何言ってるか分からん、の顔をする春雨。だーかーらー。


「秋くーん、こっちこっち」


 春雨の洗濯機への信仰を打ち砕こうと私が苦心しているうちに、お茶会が催される花園で、迷った令嬢を呼ぶような雰囲気で左織は言った。


 むくり、とグラウンドから起き上がってこっちに向かってくる奴。あーあ。 

 春雨の真横に横になって半裸の男たちが二人になった。

 奴を呼ぶ必要あったか? まあ、放っておいたら熱中症になるかもしれんから此処ここに転がしておこう。


 二人が寝転ぶのを満足げに見下ろす左織の瞳が少し遠くなる。


「じゃあ、はじめようよ」


 何かの開始を彼女は告げる――


 **


「応答せよ、こちら左織」


 なんかはじまった。

 口元に持っていった拳を受信器? みたいにして誰かと話しているふう。


「左織より、縫丸ヌイマルへ、応答せよ……」


 縫丸ヌイマルとの交信を試みているのか? そういう寸劇か? 

 好きだよそういうの、まぜて欲しいね。


「うん分かった、代わりに話せばいいんだね」


 縫丸ヌイマルとの交信が成功した様子。

 とろりと虚無った瞳をした左織は、高い声音で。


「石に置かれたら、大きな手に掴まれてな、別んとこにおるんやけどおぉ、どこやろうねえ此処ここ、左織ぃ、ちょっと探してみてくれんけぇ?」


 100年前の村人みたいな訛り方だ。

 イメージと少し違ったが、左織が言うんだからまあそうなんだろうか。


 あ。

 

 昨日、私が縫丸ヌイマルの声を当てた時には、春雨はすぐに否定したのに……。左織がやったら何も言わないのかよ。なんか悔しいので。


 ――違うね、縫丸ヌイマルは喋らないからそんなこと言えないね


 春雨の声音で言ってやろうかとしたが胸の内で念じるだけに留めた。

 なぜなら、男どもは前腕を顔面に当てて顔を隠しており、浜辺に打ち上げられたクジラ2頭が動けず、たとえ戻っても群れからは遥かに離れすぎ、遠ざかってゆく引き潮を見つめるしかないような悲しい気持ちになったからだ。


「なんてね、縫丸ヌイマルは喋らないから、そんなの言わないよね」


 朱背の真似を一度してみたかっただけ――そう言う彼女は私の友達か問題だ。いつもの笑い方をするのをじっと眺めるうち。

 

 じゃあ、後はよろしく、という感じで左織は頷いた。

 

 そういうことか。じゃあやります。


 ずっと背中に隠していた右手を出した。

 降秋くんが近くにいるからって、私が我慢するのは馬鹿げてるじゃないか。


『推理は、このパペタにお任せください、左織くんから頼まれたら断れませんね』


 シロクマ執事は右手を内側に曲げつつ頭を下げる紳士的なお辞儀をしながら言った。

 

 パペタ氏、左織に言われたからって別に断ってもいいんじゃよ、彼女に幻想を抱きすぎじゃないだろうか。単に、美人で賢く行動力のある公女プリンセスなだけだよ。

 

 **

 

縫丸ヌイマルは偽物といつすり替わったのか、ということが一つ目の謎です。昨日の昼間に取った画像と違うわけですから、それ以降、発覚した稽古前までの間ということになりますが……』


 クジラ化していた降秋くんが体勢を変えないまま、ぴくり、とだけしたがパペタ氏は構わず続ける。


『春雨くんが抱きかかえている時に縫丸ヌイマルをすり替えるのは可能でしょうか?』


 空いた左手で左織の抱く偽縫丸ヌイマルを引っ張ったが、抗われて抜き取ることができない。


『今、朱背くんがやってみたとおり、できませんね……はい、しかし分かり切ったことからスタートするものです』


 当たり前じゃないかという口出しをパペタ氏は制したが、左織が返す。


「昨日、旧校舎で春くんが寝てた時、写真撮った後で目覚める前か……、それとも帰った後に春くんの家に忍び込むのもありだね」

 

『春雨くんが手に持っていない時という条件だけなら、左織くんが上げた二つの時もあり得ます。しかし、偽縫丸ヌイマルの顔に張り付いていた金箔は風に吹かれて来たんでしょうか? K市ならよくあることでしたっけ? ……そうですね、そんな事象は聞いたことありません』


 面倒になってきたなあ。

 もっと、さくさくっと進めてくれないか。

 そう言うと、パペタ氏はボタンの両眼をぎらりとさせて。


『では、ひとまず置いておきましょう。はい、御覧ください!』

 盛大に声を上げてから、囁くような雰囲気で

『左織くん、大きな声で呼んでください』

 指示を出した。


 そう? という顔をした左織が、偽縫丸ヌイマルを石碑に戻してから、息を吸った。


 あ、ヤバい


 と思った瞬間。


縫丸ヌイマル! 隠れてないで出ておいで!」


 ガラスが震えるような声が響きわたる。

 

 バタン、ドンン、ギイイイィ 

 

 雑多な物音と、ざわつく生徒たちが教室の窓を開けてこちらを覗き、南向きに教室が配された新校舎の外側、各階のベランダに人が溢れ出す。

  

「委員長、投げてもいいの?」

「いいよ!」


 誰かの問いかけに左織は即答した。


 ふわっと宙に浮かんだ薄茶色くやわらかなもの。


 左織が高く上げた両手が、空から降ってきたのを受け止めた。


 縫丸ヌイマルは、左織の腕の中で気持ちよさそうにしている――

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