第6話 バイバイの前に

 野外劇は3年生のクラス劇である。

 高3の10クラスが順番にするので、公演の持ち時間は30分。短いようで長い。

 左織が書いた脚本は『バイバイ王子様』というミュージカル風の劇だ。

 

 ――思えば、自己紹介の時から、私がやりますという宣言をしていたに近い。

 

 国王の毒殺を図ったという濡れ衣を着せられた公女プリンセスが、婚約者の王子と決別して隣国に逃げるという単純なストーリーである。

 見どころは、王子が一切出てこない代わりに、「絶望」とか「迷い」をどんどん仲間にして、最後はみんな一緒で踊るという豪快なところじゃないかな。

 ちなみに、「希望」という役もあるが、彼には一切セリフがなく、公女プリンセスが問いかけるといつも笑顔で頷いてくれる。

 春雨と私は、政敵の放った刺客の二人組で、公女プリンセスと追い駆けっこをするが毎回うまく撒かれる。私たちに伴うパペタ氏と縫丸ヌイマルが目立たないようにという演出意図だろうか、ビッグシルエット的な黒いローブが早々に用意された。


「……というわけなんだ」


 聞きながら考えごとをしていたが、春雨の説明した内容を要約すれば、つまり。


「通し稽古はじまっちゃうから、フィナーレの後でババンと出てゆくってことかな」


 じゃあ、水をたくさん飲んでおけ。

 ほれ、左織がくれた塩飴もひとつやるよ。

 足場にもたれて地べたに座った彼は、バリっ、と音を立て与えられた飴を噛み砕いた。

  

 **


 稽古初日なので、歌も踊りも、うろ覚えどころかさっぱりだが、なんせ主演が左織なんで、プリンセス性を発揮した彼女の歌声を聞くだけでうっとりした心地になる。

 ダンスと歌唱は、何人か演劇ガチ勢が散らばって素人を促しているようだが、ところどころ、左織が視線や手ぶりで直し、こうだよねって諭してゆくスタイル。


 やっぱり公女プリンセスは面倒だ。追っ手Bが私にはちょうどいいな。


 本番30分を実際に体験してゴールを共感するというのが稽古の目的なので、セリフが飛んでも劇は進行してゆく。


 私と春雨はセリフはなく、ステージ――といってもグラウンドで観客とは観念的に区切られた空間を縦横無尽に走り回る。暑い。公女プリンセスがしゃがんだり背を向けたりしただけで私たちは彼女を見失って通り過ぎてしまう。追っ手としての職業的資質に疑いのある二人組である。


 足が遅い春雨はドタバタとした大きなフォームで必死に私に付いてくる。

 コミカルな役どころを見事に演じ切っているわけではなく、素材を活かした配役の妙だ。

 物理的に私を追い駆けながら、幕が閉じたら、何をどう言おうか考えているのかもしれない。

  

 幕だ。


 野外劇において、劇場的な幕はない。

 だから、左織は足場の両端をロープでつなぎ、幕を垂らした。

 軽量な農業用の遮光シートが幕の素材とされている。


 婚約者であった王子と過去に交わした僅かな言葉を思い出して、当時は言えなかった思いを歌う。

 まあでも、いわば公女プリンセスの盛大な独り言なので王子には届かない。

 ひとしきり回想した公女プリンセスは大きく手を振った後、仲間たち――「絶望」やら「悩み」と一緒に幕の内側に入る。夜の闇に紛れて隣国へ立ったのだ。


 バイバイ王子様! ――姿の見えない公女プリンセスの声が切なく響いた。


 そして無音、風の音が耳で鳴っている。


 え、これで終わりなん。


 と思うような間を置いてから音楽が流れ出し、ロープと一緒に幕は地面に落ちる。

 畝となった幕を走って飛び越えて観客との観念的境界間際まで出てきた登場人物がみんなで踊る。


 公女プリンセスの姿だけがない――


 バイバイ王子様! ――明るい声がもう一度響いて劇は終わる。

 

 完成度は10パーセント以下なのに、なぜかみんなは満足げな顔を見せ合う。

 とにかく左織の歌声には、霊峰白山的にありがたい気持ちにさせる効果があるのだ。だが次の瞬間、劇の余韻は吹き飛ぶ。


「言っておきたいことがある」


 まるで劇が続いているような感じで春雨は切り出した――


 足場をなぎ倒してでも、みたいな気配を放ちながら観客に背を向けて立ち尽くしている。

 何が起こっているのか分からず、「絶望」や「希望」たちは戸惑いの顔で見つめ合っている。


 まさか……この場で言うのか?

 足場の影でぜえぜえしながら宣言していたとおりの行動だが、思ったより格好いいじゃないか。

 でも、足場を睨みつける春雨の背中はいつもと違う気配、何かに怒っているみたい。腕に抱く縫丸ヌイマルも、近づけば威嚇しそうな顔をしている。


 夜を表していた幕が、今は地面で長い畝になっている。

 足場に垂れ下げられていた背景絵と遮光シートも落とされ、足場は今、コンパネ――建築用の丈夫な板の本来のオレンジ、というか黄土色の壁が3面に現れ、ベッドから起き上がって登校しなくちゃ間に合わないなという朝の気配を帯びている。


 追っ手を装って王子自身が探していたのか?

 それとも婚約者の出奔に気付いた王子が王城のバルコニーから叫んでいるようにも見える。

 でも公女プリンセスは夜のうちに国境を越えている。王子が言うのは結局のところ盛大な独り言なのかもしれない。


 ――いや別に劇の続きをやってるわけじゃない。


「勝手にぃ!」

 声が掠れている。もしかして泣いているのか? 背中を見つめても答えはでない。



「勝手に、どっか行くなよおぉ」


 そう言ってうな垂れた。実に春雨らしい王子――劇の続きとすればそうとしかみえない。

 腕を顔に当てて横に引き抜くように擦り、彼は汗を拭った。

 正確に言うなら、公女プリンセスはともかく左織は約束を履行しただけなので「勝手に」ではないのだが……。しかし勢いはある。劇の続きみたいにして言いたいことを言ってしまえ。


「置いてかないでくれ」


 情けない独り言を言う王子。もう言えるだけ吐き出しておけ。 


「もう暗いから……」 


 真昼に何言ってんだ、と思ったら足場の奥から覗かせる左織の顔が驚きに変わった。

 次の瞬間、彼女がすごい勢いで飛び出してきたと思ったら、春雨はふらーと身体を傾かせている。


 ――意識を失いかけてる。

  

 固い地面に打ち付ける寸前、信じがたい速度で駆け寄って伸ばした両手に受け止められた。

 咄嗟に走り出していた私の眼の前で、公女プリンセスが瀕死の王子を抱っこするような姿勢をとる。

 

「……もう、ゆ……から」

 

 うなされるようにつぶやく春雨を抱き、公女プリンセスが一瞬だけ嬉しそうな表情をしたのを、多分、一緒に駆け寄って近くにいた私だけが見た。


 無駄に重たそうな身体をだらんと預ける春雨。顔がいいだけで許されるか? 分からん。

 誰に抱っこされているのか彼は分かっているのだろうか?


 あ、春雨の奴、まだ好きって言えてないじゃないか。

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