第8話 私たちの推理


 チィィィン


 グラウンドで舞台背面を構成する巨大な壁――建築用足場の後方に固まって、私たちは待機している。此処ここからは舞台はほぼ見えない。足場裏の人の動きはよく分かる。


 舞台脇のテントにいるタイムキーパーがベルを鳴らすと同時、足場のすぐ裏で控えていたトランプ兵たちとチャイナドレス男子が足場の影から表に飛び出して行った。行列で私たちの前方を歩いていたクラスだ。次に鳴るベルまで30分。


 そしたら私たちの劇がはじまる。


 邪魔にならない程度に足場に近寄ると、隙間から大勢の観客の様子が少しだけ窺える。

 グラウンド全体に大きな歓声が上がった。トランプ兵たちが何かアクロバットな技をやったみたい。こちら側からはほとんど見えなかった。


 時間が正確に1秒ずつ1分ずつ迫ってきている。当たり前だ。


「左織が劇見れるといいねえ」

 誰もが思っているけどあえて口にしなかったことを「迷い」が楽しそうに言ったので、みんなは声を殺して笑った。彼女のそういうところがみんなに好かれる理由だと思うな。けど心配性なので、顔はひどく青ざめている。


 足場の隙間からこそっと覗くと、高3生に用意された最前列の座席で腹の辺りをごそごそしているTシャツメンバーの一人と、面白いなあ楽しいなという顔をしながら周囲に異変がないか密かに探る監視役の一人が見える。膝に抱えているのは、バレないように巧妙にタオルでくるんだ飯田のスマホである。撮影の準備は整っている。


 トランプ兵たちの劇が終わったら、演者の全員が舞台から去るのを合図にして撮影を開始する手筈になっている。撮影がバレると劇が中断されるかもしれないし、計画は台無しになる。飯田のインスタで配信が開始されるまで――トランプ兵たちの劇が終わるまで、まだもう少し。


「充電100パーにして待機してるさ」

 漆黒のテールコートの「絶望」が爽やかに笑った。昨日は闇に落ちかけていたが、本来、どんなに衣装が暑くても顔に出さない男である。


 拍手がグラウンドに鳴り響く――トランプ兵たちの劇が終わった。

 足場の影に潜んでいた者たちも舞台に走ってゆく。


 チャイナドレス男子も全身迷彩服女子も裏方も、全員手をつないでカーテンコールだ。


 もうすぐ。


 やがて、深くお辞儀してから観客に大きく手を振って舞台の者たちが足場に戻ってくる。


 最前列の二人が頷くのが見えた。


 配信開始――



 チィィィン


 開始のベルが鳴って、私は一人でゆっくり歩いてゆく。舞台は広い、当たり前だ。

 一人きり、舞台中央で立ち止まる。胸の中でカウントダウンが終わり、私は顔を上げた。



 ――うるさいから黙ってって、そう言ったのは嘘です

 ――見せたくなかっただけ、笑った顔で思い出してね



 潤いのある透きとおった声で歌いはじめた。伴奏のない公女プリンセスだけのはじまりだ。よく通る声なので、スピーカーからは音はほとんど出ずに、舞台の中央から声が響いている。

 

 誰だ? と戸惑う観客。 


 声は左織だが、見たこともない代役だ。

 ああそっか、事前に録音したのを流してるんだと納得する観客の様子が此処ここからだと見える。

  


 ――私の顔は綺麗だけど、笑うと幼く見えるでしょ

 ――あなたの顔は変、見たら吹き出しそうになるよ



「録音じゃない?」「スピーカー鳴ってないよね?」

 ひそひそと話すのも分かる。



 ――片方脱げちゃったから、残ってた靴は投げ捨てたけど

 ――私が通ったの黙ってて、靴は拾って巣穴に隠しといて

 ――破れてもドレスは綺麗でしょ、私は幼く見えるかしら



「歌ってるよねえ、あれ……」「どうやってるんだろう」


 観客が呆然とする中で、パイプオルガンの重厚な音が鳴り響いた。


 胸の内で私は密かに笑う。

 左織は私の声――右夏ゆうかに似た声で聞きたかっただろうね。

 でもねえ、聞かせてやらない。聞かせてやんないね。


 悲壮感の漂うメロディがグラウンドをつつんでいる。

 メイン曲が流れる間に、足場からばっと出てきた二人が、私をはさむようにして立つ。


「日が暮れれば獣が出るぞ、はあ? 私は親切に教えてやっているのだが」


 「絶望」が高貴ゆえの傲慢さを帯びた台詞を言うと女子たちの歓声が上がる。元々の彼のファンと、仮装行列で生じた新勢力である。身体にぴったりした生地に生じたや皺は、ギリシャ彫刻みたいに荘厳な雰囲気を帯びている。黒ベロアで正解だよ、衣装チーフ。


「今なら引き返せば森を抜けられます。逃げるなんて全然姫様らしくない。国王様の毒殺を図ったなどという濡れ衣、正々堂々と晴らせばよいのです」


 ピエロみたいな装飾過多の「迷い」はもう緊張を乗り越えている。いざとなったら暴れる公女プリンセスを担いで戻ろうか探る気配を放っている。心配性の彼女は、いざって時にこういう胆力を見せる。


 3人の言い合いが続く。

 観客は公女プリンセスが左織じゃないことを大しては気にしていない。あらじめ録音したものを流してるわけじゃないのも気づいている。


 言い負かした二人――「絶望」と「迷い」を連れて進むが、森は深く険しい。地べたに座る公女プリンセスの膝に、二人は頭を乗せて身体を横たえる。私も首をかしげ、うとうとする。


 急に音楽は軽やかに変わり、ドレス女子たちが足場から一斉に出てきて舞台に散らばった。


 公女プリンセスの夢の中での回想――舞踏会シーンだ。


 女子勢が踊りながら配置につく寸前。


「AirPods接続してる」


 淡々とした飯田の声が片耳に届く――

 

 新たに生まれた緊張を隠して私たちは自分の位置に立った。


 左織はやっぱり見てくれていた。

 配信直後、「左織AirPods付けろ」のメッセージが何度か送られている。配信自体は見ようと思えば誰でも見られるので視聴者の中に左織がいるかどうか分からなかった。アイコン「左」のアカウントが現れたら、飯田がみんなに知らせることになっている。


 公女プリンセスがくるくる回転しながら舞台を横切って歌う。

 王子の言葉を一つ一つ思い出しながら感謝を述べる。誰にも伝わらない気持ちばかりだ。


「左アイコンでの視聴開始」


 別のアカウントでこっそり見てたのを本アカウントに切り替えたのだ。

 そして、彼女が付けたAirPodsは仮装行列の時と同じ方法で飯田のパソコンに接続されている。どこにいるかさっぱり分からないが、彼女は今は息を殺している。でも声を発したらすかさずグラウンドのスピーカーに流すのだ。そうすれば……。


 私たちは一緒に野外劇をやることにこだわることにしたのだ――


 まだ創立祭の実行委員や教師陣には気付かれていない。

 最前列にはカメラ役、横の監視役が周囲に気を配っている。

 逃げながらでも撮影を最後まで続行するって二人は言ってた。大丈夫、やれる。


 私たちは劇を続ける。


 婚約者であった王子と交わした僅かな言葉を思い出して、当時は言えなかった思いを歌う。

 まあでも、公女プリンセスの盛大な独り言か妄想なので王子には届かない。


 大道具班が足場の外に集まりはじめる。もうすぐ夜がくる。

 足場の左右端――最も広がった両端には金属の輪が固定されている。一方の輪に結ばれたロープが足場上部を這うように伸びて、もう一方の輪に通されている。


 合図


 ロープが全力で引かれて、舞台の空中に現れたロープはすぐにピンと張りつめた。

 同時に幕――農業用遮光シートで代用した幕がロープを伝って広がり、足場の囲む舞台内部は隠されて見えなくなってゆく。


 公女プリンセスは大きく手を振った後、仲間たちと――「絶望」やら「迷い」と一緒に幕の内側に入る。夜の闇に紛れて隣国へ立ったのだ。


『バイバイ王子様!』


 幕の中で、観客に向けて叫ぶ。声は切なく響いた――



 そよそよと風が遮光シートを揺らしている。



「え、これで終わりなん?」「早くない?」 


 そんな騒めきが起きる寸前、音楽が再び流れだし、ロープと一緒に幕は地面に落ちた。

 畝となった幕を走りながら高く飛び越え、観客の間際まで出てきた演者たちが踊りはじめる。


 公女プリンセスだけいない。

 観客が眼を左右させて公女プリンセスの姿を探す中で。


『バイバイ王子様!』


 私は足場の裏で叫ぶ。声は明るく響いた――


 -27:02・324


 時間どおり。3分弱は残ってる。


 あとは春雨、君次第だ――

  

 黒ローブの男がすたすたと、空いた舞台中央に歩いて行って立ち止まった――

 

 ひねくれ公女プリンセスは本音を言えずに逃げているだけ。


 さあ、私たちの推理を証明してくれ――

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