第8話 彼女に捧げる変なもの

「春に返しただけだからな、俺は」


 こっちのはもらう、と言いたげな降秋くんが、春雨の膝から一つを取ろうとするが、既に2匹とも身体に付いた金箔はすっかり落ちているので、どっちがどっちだという感じでにらめっこになった。 


「俺は右夏ゆうかの家を出たらすぐ、袋の端をちょっと破いて中身を見た。でも、自分ん家に着いて見たら中身はおんなじだったけど袋の破れはなかったし、確かめたら右夏ゆうかが袋に書いた印も変わってた。多分、帰り道に春と相撲した時に取り違いになったんだろ」


 家に帰ってから袋を開けろ。人との約束を容易に破るなバカ! と罵倒したかったが奴とは話したくないので黙っておいた。


 その後の降秋くんの話は歯切れが悪くなる。

 右夏ゆうかが事故に遭って、春雨はようやく学校に出てきたが、ぬいぐるみを抱えて様子がおかしく、話ができる感じではなかったらしい。


 当時と比べればすっかり元気になった春雨は今はぐったりしている。体力なさすぎではないか? ちゃんと水飲んだか?


 左織からもらった塩飴をもう一つ彼にやって舐めさせた。

 まだ返してなかった春雨のハンカチを唐突に思い出す。運動部の階段ダッシュ的に2階に駆け上ってすぐに戻ってきた。そして、水場で濡らして絞ったものを彼の顔にふわっと掛ける。


「ぅあー、ぅあー」


 吸気に引き寄せられた布が口に張り付いて春雨はひとり騒いでいたが、やがて落ち着く。


 上向きの顔にはハンカチが乗っかって表情は見えない。

 バリッ、と奥歯で飴を齧る音だけがする。


「だから、春に元のやつを返しただけだ」


 降秋くんはさっきの主張を繰り返した。奴はまだ二匹とのにらめっこをつづけている。

 


 じゃあ金箔はなんだったんだ?


 うっかり降秋くんに問いかける感じになった。


 奴は二匹を春雨の膝にとりあえず戻す。ハンカチで見えないはずだが、春雨は膝のぬいぐるみを両腕で抱きかかえた。


 あぐらをかいた脇に置いてあった学ランをとって手探る降秋くんが何かをつかみ、こっちに視線をよこす。

 久しぶりに真っすぐに奴の顔を見た気がする。力んだ硬い表情。


 すっと差し出された何か光るもの。古風な趣のある落ち着いた光沢である。


 なんだこれ?


 盾――敵の攻撃から身を守るための板状の防具である。


 彼の手のひらに乗るものには、火を噴くドラゴンが横向きに飛びかかろうとする紋章風の浮彫が施されている。

 金色の盾である。偽物ではなく本物の金が使われていることが分かる、I県民なので。


「小学生の俺には、凹凸を隙間なく埋める技術がまだなかった」


 掌にのるドラゴンの盾。精緻な浮彫には隙間なく輝いて、箔ではなくて盾自体が純金であるようにも見える。


 接着剤を薄くまんべんなく塗ったり、金箔何枚かで板状の立体物を包むようにしてから優しく撫でてぴったりと貼り付けてゆくのは難しい工程だ。


 振秋くんが大きな手で細かな作業をしているのを想像すると笑ってしまいそうになったが留めた。


 ――降秋くんは右夏ゆうかドラゴンの盾を贈ったのだ。


 眼の前のものみたいには綺麗じゃなくて、ところどころ剥げているか皺になっているやつを。


 あれ? 贈ったものを明かさない約束ではなかったか?


「そろそろ言ってもいい、来年じゃ遅すぎるだろ」


 卒業したら会うこともないのだから今日言うべき、と奴は主張する。右夏ゆうかがそう言ってる、みたいな確信した顔。


 勝手なこと言うんじゃない。秘密を明かしたら、左織が……。


 姿勢よく手すり近くで立った彼女は優しく微笑んでいるようで感情は読み取れない。

 急速に思考を進め、私は4人の贈り合ったものを頭の中で整理した。

 

 春雨  持っているもの ぬいぐるみ  贈ったもの  ●●

 左織  持っているもの ■■     贈ったもの  ◆◆

 降秋  持っているもの ぬいぐるみ  贈ったもの  盾

 右夏  持っているもの ??     贈ったもの  ??

 

 ドラゴンの盾を贈るのは降秋くん以外には考えられない。左織が持ってるのが盾なら……。そうじゃないことを私は願った。


 左織は大事にしてるんだ。春雨が縫丸ヌイマルを大事にしてるみたいに。


 降秋くん、君にはそういう気持ちはないのか?

 自分に贈られたのだって、右夏ゆうかが贈ったものって思わないのか?

 

 ぬいぐるみが二つ、盾が一つ。

 左織が贈った◆◆がぬいぐるみじゃなければ、四つのプレゼントが彼女の心の中で明らかになった。


 自分の持ってるのが盾だったら、右夏ゆうかから贈られたものじゃないことが分かる。

 そして、盾じゃなかったら、自分の贈った◆◆は右夏ゆうかには届いていない。


 どうしよっかな、と軽く迷ってから左織は思い切った感じで言う。


「秋くん、あなたが贈ったものは、ちゃんと届いて右夏ゆうかは喜んだと思うよ」


 多分、左織が持っているのは盾じゃないのだ。

 拙い細工の盾を右夏ゆうかは喜んだだろうか?

 

 想像の右夏ゆうかが、にっ、と笑う。

 なぜか、私の想像する彼女は、幼い左織の顔をしている。


 すっごく嬉しいよ、と彼女は本当にそう思っている。


「だから、作り直す必要もない。あの時に贈ったのが一番いいと思うな」


 もしかして奴も悩んでいたのだろうか。そんなタイプに見えないが。

 

 ナニコレ変な盾だね、しわしわだし剥がれてるし、全然要らない――そんなこと右夏ゆうかは思うはずないじゃない。


 でも、金の盾を握ったままの降秋くんは、修行僧みたいな顔に戻っている。


 自分が贈ったのが右夏に届かない方がいいとか思ってたのか。

 金の盾が左織の方に届いてると確かめたかったのかな。


 もう届けることのできない贈り物を新しく作り直して……、他にも幾つも奴の部屋には盾があって、今日は一番うまくできたのを持ってきた。 

 

 ドラゴンの盾は完璧に輝いている。

 

 盾の守りが事故を防げなかったとでも思っているのか。


 もしかして、降秋くんの部屋は金箔だらけなんじゃないだろうか?

 やたらと沢山ある金箔の一枚がエアコンの風にふわっと飛んで、偽縫丸ヌイマルの顔に貼り付く。奴はそれをずっとそのままにしてたんじゃないか……。自分に贈られたものは手元になくて春雨が持っている。


 家まで袋を開けないという右夏ゆうかとの約束を破ったことを悔いていたのか。言いたくても明かせなかったのか? 奴を良くとらえすぎている。そんな奴ではない。

 でも、贈ったものが右夏ゆうかを失望させなかったとかは、確かめようのない心残りだったのかもしれない。


 思考してるうちにいつの間にか、降秋くんはどこかから取り出した自分のハンカチを仰向けの顔に乗せて、春雨と同じような姿になっている。


 はぐれクジラたちが潤んだ瞳で遠ざかる波打ち際を見つめている気配がした。消えてしまった仲間に会いたくてヒレを震わせている。

 

「朱背はどう思う?」

 左織から急に振られて私は焦って少し考えた後。


「はい、一生懸命作ったものですから、何でも嬉しいです、はい」

 緊張して丁寧になってしまった。


 男たちが静かに吐いた息が、顔の上に置かれたハンカチを揺らす。


 さてと、という感じで左織が二匹をぬいぐるみを春雨の腕から取り上げた。

 並べて見比べ、一方のヒゲの根本で指を遣ってつねる。


 気付いた私が覗き込むと、縫丸ヌイマルと偽縫丸ヌイマルを見分ける唯一の箇所――ヒゲの刺繍のループ部分がなくなっている。


「もうどっちか分かんないんだから、どっちかを自分で選んだらどうかな?」


 そう言いながら、左織は2匹を私に手渡した。


 ハンカチを取り去った男たちはそれぞれ、自分に近い方のぬいぐるみを取った。

 多分、選んだのを自分のだと信じることにしたんだと思う。



 何だかぼんやりとしていると左織が提案する。


「じゃあ、外で相撲の勝負を付けたら、教室に戻ろうか」


 驚いた男たちと一緒に私も彼女を見た。正直忘れてたし、いいんじゃない? 暑いし。


「でも、もう手袋投げちゃったでしょ」


 彼女は決して忘れたりしないのだ。

 春雨は縫丸ヌイマル――確かに縫丸ヌイマルで間違いないぬいぐるみを肘に抱えて立ち上がる。


「降秋くん、さっさと立って、速やかに勝負を付けなさいよ」


 声音は変えてないけど、左織みたいな口調で言ってやった。

 もう階段の下りる際のところまで来ているのに、まだ壁際でぼんやりしてる奴に向けて。


 別に奴を許したわけじゃない。

 何も許したわけじゃないが、私が避けたり気を遣ったりするはもう止めることにしたのだ。


 降秋くんがのそっと立ち上がる。

 右夏ゆうかの誕生日に負けるわけにいかねえ、奴の思考が私には分かる気がした。





(第2篇 彼女に捧げる変なもの 了)

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