第10話 推理したら踊ってよ


 舞台の上でみんな呆然としている。

 くたっと座りこんでしまった者もいて、じっと地面を見つめている。


 私たちの劇は終わった。


 でもすんなりと舞台を去ることもできずにいる。やがて、何人かが視線を飯田に送った。

 大きな頷きが返される。

 え。まだ? 終幕のベルは鳴ったのに。

 気力を取り戻して立ち上がった者も、どうするべきか分からずに再び立ちすくんだ。

 時間が過ぎたのに演者が舞台に残り続けているので観客が騒ぎはじめる。私たちは昼前の最後の上演だったので、観客は舞台が完全に終わるのを待っている。私たちも観客も全員が戸惑って眼を左右に泳がせているうち。


 舞台の中央で、不死身の王子は、ふらーと身体を傾かせている。


 ――意識を失いかけている。


 私が動く瞬間――


「朱背! 走って!」


 公女プリンセス――左織の声がスピーカーから発された。


 足場から飛び出した私は両手を伸ばして滑り込むように彼の身体を受け止める。

 背中に手を遣って支えながらも私は地面に座りこんだので、ふくらんだ象牙色のドレスのスカート部分にゆっくり沈み込むように彼の身体は横たわる。


 薄れる意識の中で王子は左織の名を呼んだ。右夏ゆうかじゃない。

 背中と胸に腕をまわして抱く、彼の身体は意外とやわらかく、あたたかい。

 感触を確かめながらぼうっとしているうち。


 舞台脇で飯田がパソコンを両手で持ったまま走り出した。

 追っているのは実行委員会の者たちだ。


「音響はまだ私が制御してる、まだ! まだつながってるから」


 AirPodsから届く飯田の声。

 舞台際の最前列にまわりこんだ飯田を実行委員たちが追う。


 飯田が走り過ぎた直後、のそっと座席から立ち上がったのは降秋くんだ。

 奴は彼女の背中を見送ると追っ手の前に立ち塞がる。

 身体を低く落として左手を脇腹、右手はすっと地面に流すように伸ばされた。横綱が土俵入りするポーズである。実行委員たちは不気味な降秋くんにおののいて立ち止まる。

 すぐ後ろ、ひな壇状の観覧席から走ってきたスーツの女性は、立ちすくむ実行委員を押し退けて前に出る。降秋くんは物怖じせず、姿勢を低く構えたまま、脇腹の左手も地面に向かって流して伸ばし、横綱が通せんぼする体勢となった。

 しかし、相手はきっと「泉沢会」の人だ。逆らうのは止めておけ、と思念を送るうちに、女性はカツカツとヒールの音を立てて降秋くんに近づく。ごく近い距離まで身体を寄せ、長く細い腕を素早く伸ばして奴のベルトをがっちり握ると左右に振るような動きを見せる――安定を崩された瞬間、降秋くんの身体は舞台の方に投げ飛ばされた。

 見事な上手投げ、相撲大会の経験者に違いない。素人とは思えない豪快な技を決めて、こちらに進んで来る「泉沢会」の女性、多分幹部。

 

 みんなは彼女に道を開けた。

 

 舞台中央で座りこんだ私たちのところまで来ると、春雨の腕を肩に回して担ぎ上げた。

 私も反対側の肩を支える。


「このまま医務室運びます! 舞台の生徒はすぐに撤収、実行委員会は午後の準備を整えて」


 明確な指示を出された。偉い人なんだろう。私たち二人は校舎の方に春雨を運んでゆく。

 凄い人なんだろうな。でも、何かこう……声が若いな。

 横に眼を遣ると、ジャケットの胸部は開いて黒いインナーが見えている、襟は身体から浮くぐらい湾曲してるのに腰回りではぴったりとしている。艶やかな大人のデザイン。これは既製品ではなくオーダーメイドされたものだ。「絶望」のテールコート班の一員である私には分かった。

 黒縁の眼鏡をかけた横顔をじっと眺める。


 あ。


 左織じゃん。


 「泉沢会」の偉い人に成りすまして、声も変えているが、間違いない、左織である。


 **

 

 ユリノキの葉っぱがさやさやと鳴るのが聞こえる。

 陽が真南に上っても、大階段はひんやりと涼しいままだ。


 医務室でなく旧校舎に至り、踊り場に辿りつくと、やたらと暑い黒ローブを脱がせてTシャツ姿にした春雨の露出した肌に濡れたハンカチ――彼女はいつも真っ白で大きなハンカチを持ち歩いている。私は両手をパタパタとさせて風を送っている。


 むくりと起き上がった彼に左織は幾つか質問をした。生年月日は? 名前はいえる?

 どうやら、彼の意識は、終幕のベルが鳴った時から途切れている。

 

 しばらく横になっていた方がいいというススメに応じて彼はごろんと横になった。

 下敷きがあればいいがないので、私たちは二人で両手をパタパタして風を送っていると、春雨は寝息を立てはじめた。

 

 さてと。

 じゃあ、謎解きでもする?


「春雨に好きって言えないから逃げたんじゃないの?」


 素直に聞いてみた。

 一度は諦めた説だが、左織が此処ここに現れたのだから、結局、こじつけの推理が合ってたんじゃないかな。


「違う。私は春くんの恋を見守ろうとしたんだ。春くんは勘違いしてるみたいだし」


 左織が好きって春雨はちゃんと言ったじゃないか。白鳥路でホタル探す時に耳に水でも入ったか? 片足立ちでぴょんぴょん飛び跳ねてみる? 私の提案を左織は無視して。


「春くんは朱背と結ばれるのが自然な気がしてならないので、そうなるかどうか試した。春くんが倒れそうで、うっかり声を出して試みが台無しになったから悔やんでるところ」


 つまり、左織は……。


「春雨に好きって言えないから逃げたんじゃないの?」

「違うって」


 よく分からないな。


「春雨は私が好きだと思い込んでるだけなんだよ」

「バカだね、左織」

「朱背だってそうだよ」

「なんだよ、私が何だって言うんだ」

「春くんを好きなんじゃないかな?」


 入り組んだ試みは潰えたので、彼女はストレートにバカなことを言うことにしたようだ。


「さっき、倒れた春くんを抱きとめた時、朱背は嬉しそうに見えたよ」


 あー。あれ?


「恋敵とは友達にはなれないね」


 今、「恋」って言った。彼女のひねくれは多少ましになっている。

 恋敵とは友達になれない……。なんでかさっぱり分からないけど、左織が言いたいことは分かるような気もするよ。いや、やっぱり分かんないけど。

 

「私は友達のままでいる」


 窓際、腰壁のもたれて座るパペタ氏に眼を遣ると、彼の両眼のボタンがぎらりと光る。パペタ氏は一瞬、喋りだしそうな気配を放ったが、時が来ていないという感じで話すのを止めた。ううん、パペタ氏、大丈夫だから。

 パペットの魂の国から、彼は長いテレスコープで私を見守ってくれている。

 大丈夫だよ、パペタ氏、私はもう大丈夫なんだよ。ありがとう。

 パぺタ氏の隣に座る縫丸ヌイマルは、左織をじっと眺めており、やれやれ、という顔をしている。本当にやれやれだよ。


 私がもってる春雨への気持ちを、左織は「好き」って呼んだ。

 彼女が言うなら本当かもね、そう呼んでもいいものかもしれない。

 でも私の心の底は静かなまま。私は二人が結ばれるのを心から祝福できる。


「私のことはともかく、クラスのみんなに謝ったほうが良くない?」

「色んな意味で合わせる顔がない」

「一緒に謝ってあげるよ」

「取り返しがつかないことをした、ちゃんと分かってる」


 ひねくれてるなあ。


 私はじっと観察した。色合、素材、生地の編み厚み、襟ぐりの形と巾。うん、そうだ。

 似合うね、そういうデザイン。艶やかな大人な感じのジャケットなのでぱっと見た目は分からないけど、ジャケットの下に来てるのは、よく見れば『バイバイ王子様』Tシャツである。

 背中にタイトルロゴが入ってるので文字は見えないけど、分かる。


 着る資格ないって言いながら迷って、でも着たんだ。彼女はひねくれ者なのだ。


「左織、みんなが待ってる」

 

 ひねくれ者だってみんな知ってるからね、きっと大丈夫だよ。


 ようやく彼女は頷いた。ひねくれは多少ましになっているのだ。

 にっ、と笑ってから心を定めて言う。


「みんなに謝るよ、許してもらえなくてもそうする」


 私は片耳に付けたAirPodsに向けて言う。


「だってさ、どうする?」

 

 正門扉がバーンと勢いよく開け放たれた。


 みんなが大階段を走って上って来る――





(第4篇 推理したら踊ってよ 了)


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推理したら踊ってよ 尚乃 @green_wood

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