2年前の事故
捜査課では大橋署長が資料を握りしめていた。それはRキット社からサバイバルゲームの道具を送られた人の名簿だった。それはRキット社の開発部が送ろうとピックアップした人たちではなかった。途中で名簿が書き換えられ、しかもまだ社の決済が下りないうちにモニターとして送られていたのだ。担当者の上野順一も2週間前から不在で詳しいことはわかっていない。
「確かにそうだ。間違いない! 2年前の関係者だ!」
大橋署長は断言した。もしそうであればこの事件の犯人へとつながる手がかりになる。
「署長! 彼らは何の事件の関係者なのですか?」
荒木警部が改めて聞いた。
「事件ではない。事故だ。あれは不幸な事故だった・・・」
大橋署長はそう答えると記憶をたどるかのように目を閉じた。しばらくして目を開き、ゆっくりと話し始めた。
「あれは2年前だった。湖国の改装前。私は滋賀県警に招かれていた。そこであの事故が起こった・・・」
―――――――――――――――――――――――
それは今日と同じ、霧の深い日だった。それに空はどんより曇り、波は高かったが、長浜港から大津港までの連絡船は欠航にならなかった。冬のピンと冷えた空気と凍るような湖面を切り裂くように第11おうみ丸は出航していった。
乗客は30名少し。他の船が欠航している中で、この船のみが出航することになった。ツアー客で満員、いやそれを越えて乗せていた。そのため客室はいっぱいになった。加えて振り替え輸送となった別のツアー客が加わり、あふれた乗客は寒い中をデッキに出ていた。
それにこの日、船の舵を握ったのはまだキャリアの浅い船長の吉村良樹だった。押し寄せる波に船のコントロールがうまくいかず、通常の航路を外れてどんどん岸の方に流された。
以上の様々な要因が重なった結果だろうが、そこに悲劇が生まれてしまった。その時、デッキにはあるツアーの男性客が出ていた、そこに親子連れが風に当たろうと外に出てきた。千葉良成、祥子夫婦に3歳になる娘の美湖だった。祥子が腕に抱いた美湖に言った。
「ほら! 岸が見えるよ」
「うわあ! 雲に浮かんでいるみたい!」
白い霧の中に町がぼんやり見えていた。それほど船は岸近くを通っていたのだ。だがその幻想的な景色は悪夢の始まりだった。
いきなり船に大きな衝撃が走り、激しく揺れた。おうみ丸が座礁してしまったのだ。そしてそのはずみで乗客の一人が海に落ちた。それは千葉美湖だった。祥子の腕から離れてしまったのだ。
「美湖!」
祥子が船の上から叫んだ。隣にいた良成がすぐに飛び込んだ。冷たい湖の中を娘を助けようとして必死に泳いだ。
「誰か助けてください! 娘と夫が落ちたんです!」
祥子は周りの人に訴えかけた。だがデッキにいる乗客はこんなことに関わりたくないと見て見ぬふりをした。凍てつく湖に飛び込む勇気はない。誰かが何とかするだろうと・・・。良成はようやく娘を抱きかかえた。だが船に上がる手段がない。寒さで体が言うことを聞かなくなってきていたのだ。
「助けてください! 助けてください!」
祥子は叫び続けたが、それでも誰も見ているだけで何もしようとしなかった。祥子はすぐ近くにあったロープのついた浮輪があるのに気付き、それを湖に投げた。それに良成がしっかりつかまった。祥子は持ち上げようとしたが女一人の力ではどうにもできない。そのうち力尽きたのか、良成は浮き輪を放して湖に消えていった。だが美湖だけは何とか浮き輪にしがみついていた。だがその浮き輪もロープが外れ、波によって流されていった。
「美湖! 美湖!」
祥子は叫び続けた。その騒ぎにやっと吉村船長がその場に駆け付けた。
「これは大変だ!」
落ちた乗客の姿は見えない。吉村船長は衛星電話で助けを呼ぼうと110番通報した。だが・・・湖でおぼれた人を救助するのにはその時の体制では時間がかかりすぎた。関係各所に連絡が回り、救助のための警備艇が出港したのは30分を経過していた。もちろん間に合うわけがなかった。数日後、良成と美湖の遺体が引き上げられた・・・。
第11おうみ丸を運行する滋賀水上交通の橋本社長は謝罪もそこそこに雲隠れしてしまった。船長の吉村は取り調べを受けたが、起訴されずそのまま放免となった。
祥子は娘と夫を失い、憔悴していた。そして恨み言を遺書にしたためて自殺してしまった。そこには天候の悪い中を無理に出港した船会社、未熟な操船をした船長、何もしてくれなかった乗客、そして警察に対して非難する言葉が並んでいた。
その後、自殺した祥子の父が滋賀水上交通と吉村船長を相手に民事裁判を起こしたが、敗訴になった。もちろん見て見ぬふりをした乗客や救助まで時間がかかった警察に責任を問うことはできなかった。
――――――――――――――――
その後、その滋賀水上交通は倒産し、橋本社長や吉村船長の行方は分からなくなっていた。
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