怪物
堀野刑事
滋賀県警捜査1課は湖上署からの連絡を受けて捜査を開始していた。だが捜査1課は今、大きな事件を抱えていた。そのため堀野刑事を主任とした数名の捜査員しか琵琶湖の事件に割けなかった。
通常なら所轄署に捜査本部を置くのだが、湖上署は警察船「湖国」にあって琵琶湖を航行しており、それはできない。堀野刑事たちは湖国と連絡の取りやすい、近江八幡市にある八幡署に移り、その会議室を使うことになった。その入り口の看板は、
「琵琶湖サバイバルゲーム殺人事件」
と仰々しい戒名で書かれているが、それはA3のコピー用紙の急ごしらえのこじんまりしたものだった。
堀野刑事たちは捜査1課の大きな事件から急遽、外されて、この事件を担当することになった。だが事件は湖の上で起こっており、陸上にいる彼らには今のところ、何もできない。だが湖上署からの連絡では状況はますます悪くなっているようだった。彼らが最初に聞いたのは、
「水中銃で殺人事件が起こった。サバイバルゲームをしていた男が撃たれた。容疑者と思われる男を確保している」
ということだったが、事件は思わぬ方向に広がって来た。湖上署から
「確保した男は犯人ではなかった。犯人は水中に潜んでいて、そこから水中銃で狙っている。その正体は不明。遺体をボートで搬送しようとしたがそれに阻まれた。署員2人が撃たれて死亡」
との連絡が入ったのだ。警察官が殺される事態に発展していた。堀野刑事は
(これは大事件だ! 捜査1課を上げて対処すべきだ!)
と考えて、上司の山上管理官に連絡を入れた。
「・・・という事態です。我々だけでは手薄です。捜査員をもっと増やして本腰を入れて捜査をすべきではないでしょうか?」
だが山上管理官の反応は薄かった。
「確かに大事件だ。しかしすべて湖の上で起こっている。ここは湖上署の連中に任せた方がいい。奴らでも大丈夫だ」
いつもなら所轄など鼻も引っ掛けない山上管理官であるが、今、抱えている大きな事件の捜査からこれ以上の人員を割きたくないためにそういう言い方をした。
「しかし・・・」
「君たちは湖上署の捜査を監督しているだけでいい。連絡を密に取ってな。では切るぞ」
それで電話が切れた。捜査1課からはこれ以上の助力は得られそうにない。それならばと、堀野刑事はすぐにでも湖国に乗船して捜査をしたかったが、その正体不明のものがいる以上、船で向かうわけにはいかない。湖上署からの連絡を待つしかなかった。
しばらくしてまた湖上署の捜査課から連絡が入った。電話の相手は佐川刑事だった。彼は堀野刑事の警察学校の同期で、捜査の協力を頼んだことがいくつかあった。その佐川刑事の声はいつになく緊張していた。
「堀野か? 事態は深刻だ。もう10人、いやそれ以上、殺されているかもしれない」
「なんだって!」
堀野刑事は驚いた。それほどの大量殺人が今現在、琵琶湖で起こっているとは・・・。
「どういうことなんだ?」
「サバイバルゲームで撃たれて脱落した人が水中で撃たれて殺された。だがそれだけじゃない。一般の釣り客も水中銃で撃たれている」
「それはどういうことだ? 脱落したものだけが狙われるんじゃなかったのか?」
「いや、そうではないらしい。サバイバルゲームの参加者で生き残っている者だけが逃れられるらしい。確かにこちらの署員の乗ったボートが襲われたしな」
堀野刑事は思わぬ事態にどう手を打つべきかがわからなかった。
「こちらのタブレットでは、近江八幡のヨシの群生地のところに赤い点がいくつかある。多分、サバイバルゲームの参加者が撃たれたり、失格したりしたのだろう。彼らを保護してくれ。陸上に近いからこちらからは手が出せない」
「わかった。八幡署と協力して何とかする。また連絡をくれ」
堀野刑事は数人の部下とともに現場に向かった。すでに連絡を受けた八幡署の捜査員が到着して辺りを捜索していた。黄色のバリケードテープをくぐって、近くにいた八幡署の捜査員に尋ねた。
「県警捜査1課の堀野です。見つかりましたか?」
「はい。しかしそれが・・・」
その捜査員は顔を少し先に向けた。そこにはブルーシートのかぶせられたものがいくつかあった。それは被害者の遺体だった。
「来た時にはもう死んでいました。ゴムボートの上で胸から血を流して死亡していました。矢のようなものに貫かれています」
堀野刑事は両手を合わせてからビニールシートをめくった。胸を長い矢のような弾丸が貫いている。被害者は目を大きく見開いており、恐怖のうちにそのまま絶命したようだ。
「身元は分かりましたか?」
「ゴムボートに乗った被害者は身元を示す物は持っておりません。指紋を照合しています」
堀野刑事はブルーシートを戻した。彼はため息をつきながら並べられた遺体を眺めた。
(一体、どういうわけだ。この死のサバイバルゲームは何なんだ・・・)
謎はまだまだ多かった。いやわからないことだらけだった。
(とにかく被害者の身元を同定しなければ・・・。それがこの事件の動機がわかるかもしれないし、事件の解決に近づくかもしれない)
堀野刑事にできることはそれだけだった。後は湖上署の佐川たちに期待するだけだ。
(なんとしても琵琶湖にいる人たちを救ってくれ。このままでは全員が水中銃で殺されてしまうだろう)
そう祈る堀野刑事は、同時に不吉な予感を覚えていた。
(被害者は増えるかもしれない。この琵琶湖にもっと血が流れるかもしれない・・・)
彼が眺める琵琶湖は朝からの霧でぼんやりかすんでいた。ここにいる者は先の見えない中でもがくしかないように思われた。
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