襲撃されたボート

 遺体を乗せたボートが後部扉から発進していった。乗っていくのは警護課の田中巡査長と渡辺巡査だった。通常の制服に足元だけ防水ブーツといういで立ちだった。もちろん腰には拳銃を下げているが、それは一般的な回転式拳銃ではない。水にぬれても水中でも撃てるように防水使用となっている。

 船外機付きボートは、スピードはそれほどでもないが、輸送には適していた。毛布に包んだ遺体の上にビニールシートをかけて載せている。迎えの車が来る草津港まではすぐのはずだった。

 だが前に乗る渡辺巡査が湖の異変に気付いた。波が立ってボートが揺れ、前方に白い航跡を引く、盛り上がった波が見えた。


「何かいるようです!」

「何だ?」


 後方の船外機の舵を握る田中巡査長も前方を見た。大きく盛り上がった波がこっちに向かってきていた。それはまるで人喰いサメが水中から近づいているように思えた。2人は緊張して湖面をじっと見ていた。すると急に波の間から「プシュッ!」と音を立てて棒のようなものが飛び出してきた。


「うわっ!」


 前に乗っていた渡辺巡査が声を上げた。彼は胸を押さえ、そのまま後ろ向きに仰向けに倒れた。


「渡辺!」


 田中巡査長が叫んだ。渡辺巡査の胸には、水中銃から発射したと思われる矢のような弾が突き刺さっていた。その傷からどくどくと血が流れている。彼は大きく目を見開いて動かなかった。すでに絶命していた。


(水中から狙われている!)


 田中巡査長はすぐに身を伏せた。するとその上を弾が飛んでいった。


(危なかった・・・。一体どんな奴が・・・)


 田中巡査長が湖面をのぞこうとしたが、また弾が飛んできた。これだけ狙われると顔を出して相手を確かめることはできない。彼は腰から拳銃を抜いた。その間にも矢のような弾を何発も撃ってきていた。


(これでは無理だ。岸まで行けば逃れられるかも。水中からなので身を低くしていれば何とか避けられるだろう)


 田中巡査長はそう思った。しかし今度はボートが振動した。水中銃でボートの底を撃ってきたようだ。よく見るとヒビができて浸水してきている。このままでは船体に穴が開いて沈没するかもしれない。そうでなくてもこれでは岸まで持たない・・・彼はそう判断した。それで左肩につけた無線機マイクを口に寄せた。


「湖国、応答願います! こちら田中。遺体を輸送中、何者かに水中から銃で襲撃されています。渡辺がやられました。船底も撃たれ船体に穴が・・・もう浸水が始まっています!」



 その通信をブリッジの中野警部補が聞いていた。彼女は目を剥いて驚くと、すぐに無線機のマイクを取った。


「すぐに湖国に戻りなさい! すぐに!」

「了解! すぐに引き返します」


 田中巡査長の緊張と恐怖が混じった声が聞こえた。


「何が起こったんだ!」


 ブリッジ内はざわめき、急に緊迫感に包まれた。ブリッジの署員は急な事態にかなり動揺していた。だが大橋署長は一つ息を吐いて落ち着くと、すぐに椅子から立ち上がって指示を与えた。


「機関始動! すぐに錨上げろ! ボートの方に向けて出発する!」


 湖国はボートを救出するために進み出した。辺りはまだ霧が深かった。


 ◇


 田中巡査長はすぐに舵を切った。だが船底にはまだ水中銃の弾が当たっているようだ。穴があけられていく。彼が身を低くして後ろを見ると、大きく波を盛りあげて何かが迫ってきている。


「そこで停止しろ! 警告だ! 無視するなら撃つぞ!」


 彼は右手に持った拳銃を「バーン!」と空に向けて威嚇射撃した。だが追ってくるものは止まろうとしない。一定の距離を開けて追いかけてくる。


(こうなったら!)


 田中巡査長は拳銃で追ってくる波に狙いをつけて、「バーン!」と発砲した。だが何も変わらなかった。姿の見えない何者かがしつこくボートの後をついてくる。


(このままでは沈められてしまう!)


 船底からの浸水は多くなり、ボートの中に水があふれてきていた。彼は恐怖に駆られて続いて何発も発砲した。轟音が霧の湖に響き渡った。


「これでどうだ!」


 田中巡査長は顔を少し上げて湖面を見た。だが波の動きは変わらない。彼を追い詰めるかのようについてきている。彼はまた拳銃を撃とうとした。だが「カチャ! カチャ!」と乾いた音がするだけだった。すべて打ち尽くしてしまったのだ。


「も、もうだめだ! 来るな! 来るな!」


 田中巡査長はパニックを起こして大声を上げていた。自分はもう助からないと・・・その大きな恐怖が彼を飲み込んでいた。

 その時だった。ボートの進行方向に湖国が見えてきた。そして無線連絡が入った。


「後部ドアを開けるからそこから入りなさい!」


 中野警部補の声がイヤホンに聞こえた。それで田中巡査長は少し、落ち着きを取り戻した。



 後部ドアの付近には捜査課や警護課の署員が拳銃を構えて待ち受けていた。正体の分からないものに攻撃を受けている・・・それを聞いて駆けつけたのだ。その後方で荒木警部が双眼鏡で湖の方を見ている。

 やがて後部ドアが開いた。その前方には田中巡査長の乗ったボートが見えた。もう少しで湖国にたどり着くことができる。だが・・・。


「後ろから何かが追ってきています!」


 飯塚刑事が叫んだ。確かに盛り上がった大きな波がボートに近づいてきていた。


「あれが犯人だ! 撃て!」


 荒木警部の指示で佐川刑事たちが拳銃を発射した。辺りに硝煙の煙がいくつも立った。すると後ろから追いかけてくる波が沈んだように見えた。


「今だ! ボートを回収しろ!」


 荒木警部が大声で指示した。透明のシールドを持った水野巡査たち航行課の職員が、後扉ぎりぎりまで近づいてボートにロープを投げた。それを田中巡査長がボートに括りつけた。これが牽引されれば湖国に収容される。


「助かった・・・」


 ほっとした田中巡査長はほっとして身を起こした。すると後ろの波の中から「ビュッ!」と長い弾が飛んできた。


「ぐわあっ!」


 田中巡査長が叫び声を上げた。その弾は彼の背後から胸を貫いたのだ。


「田中!」


 見ていた中野警部補は叫び、すぐにそこに飛び出そうとした。


「危険です!」


 佐川刑事は中野警部補を捕まえて必死に止めた。撃ち抜かれた田中巡査長はそのまま目を見開いたままうつぶせに倒れた。だがボートは牽引され、湖国の中に入った。


「後部扉を閉めろ! 急げ!」


 荒木警部の声が飛んだ。後部ドアは水をかき分けてゆっくりと閉まった。そこに拳銃を持った職員が進み、盛り上がった波に向かって何発も拳銃を撃った。だが何の動きもないまま、その波は引いていった。


「逃げられたか・・・一体、何だったのか・・・」


 荒木警部がつぶやいた。後に残されたのは穴が開いたボートと警官2人の死体・・・完全に正体不明のものにやられた感じだった。

 だが一瞬だが、佐川刑事には波の間に確かに撃ってきたものの影を見た。


「あれは・・・もしかすると・・・」


 佐川は嫌な予感がしていた。

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