琵琶湖の危機

 大橋署長はブリッジに戻った。貨物船の重大な事故かもしれず、荒木警部と佐川も同行した。連絡を受けたブリッジの署員が大橋署長に報告した。


「貨物船『第53ひえい丸』です。沖の白石付近で波に襲われて座礁。機関が止まり動けないようです」

「どうしてそんなところにいるんだ。出港見合わせと湖に出ている船は報告するように伝達したはずだが」

「守られなかったようです」

「しかし困ったな。湖国は動けないし、警備艇も損傷して救助に向かえない。モーターボートも出払っている」


 その時、無線連絡が入った。


「第53ひえい丸です。責任者と話したいそうです」

「わかった」


 大橋船長が無線席まで来てマイクを握った。


「こちら湖国。湖上署署長の大橋です」

「私は第53ひえい丸に荷物の運送を依頼している者です。この荷物が湖に沈めば重大な事態となる。すぐに救助をお願いしたい」


 相手は船長ではなく、荷主だった。あまりにもおかしいので大橋署長は言った。


「船長を出していただきたい。荷主の方ではわからないと思いますから」

「いえ、私が全責任を負っています。私の話を聞いていただきたい」


 あくまでも荷主が話そうとしていた。


「あなたにはどんな権限があって話しているのですか? 緊急事態のようですから船長と代わってください」

「船長には話していないのです。極秘の事項です。仕方がないので言いますが、私は政府の原子力研究調査機関の黒丸です」


 大橋署長は眉をひそめた。彼は何かを感じていた。


「その機関の方がどんな話があるのです。」

「極めて重大な事案です。大阪の原子力研究所が核物質の研究を秘密裏に行うことになった。それで福井の原子力施設から核廃棄物を輸送することになったのです。だがその情報が反対派に漏れ、道路が封鎖されそうになった。それで今津港から琵琶湖を渡って大津港まで運び、それから大阪に運ぼうとしたのです」


 それが襲われてしまったか・・・大橋署長にも最悪の事態が想像できた。


「もし沈没して核物質が琵琶湖に沈んでしまったら取り返しがつきません。厳重にシーリングしていますが漏れ出す危険はあります」

「もしそうなったらどうなるのです?」

「最悪の場合、琵琶湖全体が汚染されます。その水はもはや使えないでしょう」


 黒丸はこともなげに言った。しかし押し隠した緊張感は伝わってきた。


「わかりました。県警本部とも相談してなんとか考えます。急なことがあれば連絡してください」


 大橋署長はそれで無線を切った。それを聞いていた荒木警部はそばに寄った。


「署長」

「わかっている。琵琶湖の水が汚染されれば1450万人に影響が及ぶ」


 琵琶湖は瀬田川・淀川を通じて近畿全域に水を供給している。それを利用する人口は1450万人と言われている。もしそれが使えないとなると、近畿に深刻な水不足を引き起こす。


「第53ひえい丸が沈没しないようにしなければならん。この湖国がだめでも琵琶湖にはまだ救援につかえる大型船がある。県警と相談して出してもらおう。県警本部を呼び出してくれ!」


 大橋署長が通信担当の署員に指示した。だが彼はまた別の通信を受けているようだった。


「署長。通信が入ってます」

「どこからだ?」

「わかりません。匿名で全域に向けて通信を送っているようです」

「流してくれ」


 その署員は操作して送られてきた通信をスピーカーから流した。


「・・・私は琵琶湖サバイバルゲームの主催者だ。警察は琵琶湖に手を出すな。今は私の指示で核物質を積んだ貨物船への攻撃を止めている。もし約束を破るようなら貨物船を水中ドローンで沈める。そうなれば琵琶湖の水は汚染され、取り返しのつかないことになるだろう・・・」


 それは合成された機械的な音声だった。大橋署長は椅子にどっかり座りこんだ。


「署長」

「我々の完敗だ。貨物船を、いや琵琶湖の水を人質に取って、奴は人殺しを続けるつもりだ」


 大橋署長は荒木警部にそう言った。もはや何の手も打てないのか・・・・ブリッジをあきらめの空気が支配した。

 その時、水中ドローンとタブレットを調べていた梅原刑事がブリッジに現れた。目的があってここに来たというより、佐川刑事たちを探してここにたどり着いたという風だった。彼は大橋署長に一礼して、佐川刑事に耳打ちした。


「そうか。わかった」


 佐川刑事は大きくうなずくと大橋署長に言った。


「署長、まだ打つ手はあります。大丈夫です。なあ、梅原」

「はい。調べたところ、青い点のタブレットがあれば水中ドローンの攻撃を受けないようにプログラムされているようです。このゲームを主催した者でもこれは変えられません」


 梅原刑事はそう説明した。その言葉に大橋署長の目が光った。


「そうだとすると・・・」

「青い点を示すタブレットを第53ひえい丸に置いておけば、水中ドローンに襲われることはないでしょう。その間に救助すれば問題ないと思います」

「うむ。そうだ。中野警部補にタブレットを持って第53ひえい丸に向かってもらおう」


 大橋署長がそう指示した。あれから警護課がサバイバルゲームの参加者を2人保護したので、青い点のタブレットが新たに2つ、湖国にあった。その一つを第53ひえい丸に持って行こうというのだ。

 

「これで大丈夫だろう」

「いえ、それが・・・」


 梅原刑事には言いにくいことが一つあった。極めて重要なことが・・・。荒木警部が彼に尋ねた。


「どうした?」

「それがそのタブレットのことですが、時間が来れば設定がリセットされます」

「どうなるんだ」

「すべて赤になります。そうなると水中ドローンに襲われることになります」

「それはいつだ?」

「20時です。午後8時にはそうなります」


 荒木警部は腕時計を見た。もう午後3時を回っている。


「もう5時間もない。急がなければ」


 だがそれだけの時間で琵琶湖にいる人たちをすべて救出し、傷ついた貨物船から核物質を他の船に移して安全なところまで運べるのだろうか・・・佐川はそう思った。

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