警備艇 こほく
滋賀県警には琵琶湖を巡回する警備艇が7艇ある。それは普段、湖上署の指揮下に置かれていた。その1隻、「こほく」は緊急事態の報を受けて、長浜港から出港していた。その艇長は十和田巡査長であった。他に部下の2人が乗っている。
「もうすぐ指示された場所だ。佐藤。何か見えるか?」
「はい、3時の方向にゴムボートが複数います」
双眼鏡で湖面を捜索していた佐藤巡査が答えた。
「わかった。そっちに向かう。大塚。準備してくれ」
「はい」
大塚巡査がシールドを用意する。水中銃で狙われるかもしれないからだ。十和田巡査長は舵を切ってゴムボートがいる方向に「こほく」を進ませていった。
「あいつら、まだ撃ち合いをしています」
佐藤巡査が言った。確かにゴムボートが数艇、入り乱れていた。乗っている者がたがいに銃を向けていた。ゴーグルの様子から見て、撃たれてしまって退場になった者もいるようだ。十和田巡査長はマイクを取った。
「こちらは滋賀県警察。すぐにサバイバルゲームをやめて、そこで止まりなさい」
拡声器から湖面に響き渡った。ゴムボートの乗った男たちはヤバいと思ったのか、撃つ手を止めて逃げようとゴムボートを走らせた。
「すぐに止まりなさい! ここは危険だ。銃で襲われるかもしれないから、こちらで保護する」
だがゴムボートは止まろうとしない。どんどんスピードを上げて方々に逃げて行った。
「止まれ! 警告だ!」
十和田巡査長が声を荒げながら、「こほく」のスピードを上げた。白い波がちぎれるように後ろに飛んでいく。この警備艇のスピードならすぐにゴムボートに追いつくと思われた。だが・・・。
「艇長! 左に怪しい波が近づいています」
見張り役の佐藤巡査が大声で報告した。十和田巡査長がその方向を見ると、盛り上がった波が白い航跡を引いて接近していた。彼はそれが湖上者から報告を受けていた「殺人者」だとすぐわかった。
「このままでは危ない。あれを阻止する」
十和田巡査長は舵を切った。
「佐藤! 大塚! 発砲許可! あの波を阻止!」
その命令でシールドで身を守りながら、2人は拳銃を抜いて波を狙った。すると波から、「ビュッ!」と矢のような弾丸が飛んできた。それはシールドに当たって跳ね返った。
2人はそれに驚きながらも拳銃を波に向けて発射した。
「パン! パン! パン・・・」
発射された弾が吸い込まれるかのように波に当たった。だが波の動きに変わりはなかった。さらに接近して水中から弾丸を次々に発射してきていた。それはシールドだけでなく「こほく」の船体にも当たった。だがさすがに警備艇に大きな損傷を与えることはできない。
拳銃を撃ちながら大塚巡査が大声で言った。
「艇長! 拳銃では効果がありません!」
「いいから撃て! 時間を稼げばゴムボートの連中は逃げられるだろう」
しばらくこの状態が続くかと思われたが、波は急に向きを変えた。「こほく」から離れて行った。
「艇長! 奴はあきらめたのか、反転していきました」
「そのようだな」
十和田巡査長はほっとして「はぁ」と息をついた。これで死傷者を出さずに湖にいる人を保護できると思った。
だがそれは束の間だった。波がまた反転して「こほく」に向かってきたのだ。それもスピードをどんどん上げながら・・・。
(何をするつもりだ?)
彼には怪物の意図がわからなかった。怪物は大きく波を盛りあげながらさらに近づいてくる。水中銃を撃つこともない。ただ向かってくるだけだった。
(もしかしたら・・・)
十和田巡査長は嫌な予感がした。彼はすぐに舵を大きく切ってスピードを全開にした。「こほく」は大きく傾いて曲がっていく。だが判断が少し遅すぎた。
「だめだ! 避けきれない! 佐藤! 大塚! しっかりどこかをつかんでいろ! 体当たりしてくるぞ!」
十和田巡査長は叫んだ。怪物は水中の攻撃が効かないと判断すると捨て身の戦法に出たのだ。怪物は大きな波とともに猛スピードで「こほく」の横っ腹に突っ込んだ。
「ドカン!」
大きな音がして強い衝撃が走った。「こほく」に乗る3人はその場から吹っ飛ばされ、甲板に叩きつけられた。
「くそっ!」
十和田巡査長が何とか立ち上がって舵を握った。「こほく」はかなりの損傷を受けたようだ。スピードがぐっと落ちて舵がおかしい。
「佐藤! 大塚!」
十和田巡査長が大声で呼びかけると、
「大丈夫です!」
「自分もです!」
と声が聞こえてきた。2人は無事のようだ。
「船の損害を見てくれ。どこかやられてようだ」
十和田巡査長が辺りを見渡すと、怪物はまだ波を立てて走っていた。そしてまた「こほく」と少し距離を取った。その位置からはまた向かってくるに違いない。
「何てタフな奴だ。また来るのか!」
下から大塚巡査長の声が聞こえた。
「艇長! 浸水しています。船の横っ腹に穴をあけられたようです」
「止められないか?」
「ダメです。水の勢いが強すぎます!」
絶望的な状況だった。
(あの怪物に抗う手はもうない。だが時間は稼げた。ゴムボートは逃げられたようだ。そしてこのままでは「こほく」は沈没してあの怪物に殺される。それを避けるためには・・・)
「長浜港に戻る」
「えっ! 戻るのですか?」
「ああ、そうだ。これ以上、この船はもたない」
悔しくはあったが十和田巡査長はそう判断した。そして何とか舵を動かして長浜港に向かった。だがそれを逃がすまいと怪物が追ってきた。
(この船は損傷を受けてスピードが落ちている。振り切れるかどうか・・・)
後は神のみが知る・・・十和田巡査長はそんな気持ちだった。とにかくここはあの怪物から逃れるために「こほく」を走らせるのみ・・・果たして追いつかれるのか・・・彼はじりじりしながら待っていた。
「波が引き上げて行きます!」
後ろを見ていた大塚巡査がそう報告した。なんとか怪物から逃げきれたようだ。だが喜んではいられなかった。湖上にいる人たちを保護するという任務を果たせず、ひどく損傷した状態で帰港しなければならないのだから・・・
「こちら警備艇『こほく』。波の怪物に襲われ船体が損傷、浸水したため長浜港に急遽帰る。ボートに乗った人たちを保護できなかった・・・」
十和田巡査長は無念であったが、湖国にそう報告した。
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