第五節 YPLF

第五節 YPLF



 作戦本部長は署長室の扉をぱたんと閉めて出て行った。


「作戦中は開けておけ!」


 高倉署長が叱責すると室内でパソコン作業をしていた秘書が慌ただしく扉を開けた。


 東京都練馬区に鎮座する練馬警察署――。


 一般の警察署ではあるが、武装警察の拠点機能も有している事から都内でも有数の大型施設となっている。訓練施設や武器庫なども完備され、気軽に免許更新で訪れるような場所ではない。

 そのような巨大な警察機構の一拠点を統括している高倉は「うぬぬぬ……」と呻かなくてはいけないぐらい、鉛を飲んだ如く胸が詰まっていた。

 今年で四十歳を迎える高倉は東京大学出身のキャリア官僚である。

 多少のミスがたたり警察庁内での出世コースから外れてしまってはいるが……まだ、完全にもろ手を挙げて出世競争から降りたわけではない。

 武装警察の管轄権を持つ練馬警察署の署長という椅子を得たのは、警察官僚として出世する「最後のチャンス」に他ならなかった。

 だからこそ『この問題』に手を貸そうと即決したのだ。

 開け放たれた署長室の二枚扉の向こう側から、目立つ格好の男が副官を連れて歩いてくるのが見えた。

 黒ずくめの制服に金糸の飾緒が揺れている。ボタンも金色で襟や胸の階級章が遠くから見てもじゃらじゃらとうるさそうだった。

 表情というものがない。

 それが高倉が抱いた彼に対する第一印象だ。

 印象が良い、悪い、という判断を与えさせない無味無臭である。だからこそ、高倉は「これだから軍属は」と否定的な呻きを喉の奥に押し込んだ。

 すべては出世のため。

 そう思えば、人のひとりやふたりを殺すコトだって厭わない。


「まさか、大佐ご自身が現場へおいでになるとは思いませんでした」


 高倉はそう言って立ち上がり、来訪した二名の軍人をもてなした。

 同時に「扉を閉めろ」と秘書官に命じる。


「大変お忙しいところにお邪魔をしてしまって申し訳ありません」


 低い弦楽器のような抑揚のない声で軍服の男は言った。

 短く刈り込まれた頭に桜の帽章が光っている。制服の金糸と同様に鮮やかに見える。

 外套をマントのように羽織った神宮寺実(じんぐうじ みのる)大佐は本庁で紹介を受けた時のように冷徹な光を眼に宿したまま、言葉を続けた。


「取り逃しがあったと聞きました。そちらの進捗を伺いたく、参上しました」


 柔和な口調ではあるが、水面を這うような精密さがある。批判という名の精密さだ。


「ご指摘の通りですが、ご安心ください。すでに潜伏先を特定し、いくつかの拠点を制圧したところでございます。どこのテロ組織とも知れませんが、そこそこの武装にて抵抗されておりますが……対象の処分も時間の問題です」


 随時あがってくる報告書の内容をしっかりと高倉は伝えたつもりだった。

 三十代の後半と思われる神宮寺大佐は、死人のような目でジッと署長を見据えてから「処分は時間の問題」と繰り返した。

 ぶわっと噴き出る額の脂汗を拭いながら、高倉は「もちろんでございます」と述べて、部屋に詰めている秘書官へ目を向けた。

 熟練の女性秘書官はパチンと一部の電気を消し、壁面に報告書画像を投影した。


「指定暴力団『葛飾会』の若頭、安藤幾太郎が、荷受け先でした」


 屋敷を抜ける三台の車両が投影され、高速道路上で一台が炎上する画像、炎上した車内から引っ張り出された焼死体と胸と頬を撃たれた組員の遺体の画像……。


「午後四時には葛飾会の組事務所を制圧し、安藤幾太郎と構成員十八名を処分致しました」


 ぱしゃりと切り替わった画像は、激しく損傷した室内の写真だった。

 次に現れたのは遺体の写真。そして遺体の写真、また遺体の写真……。


「娘の疎開先は喫茶店と聞いています。喫茶『舞鶴』……。板橋区内の店舗ですね?」


 神宮寺の質問に高倉はわずかに目を見開いた。


「ご存じでしたか。末端の案件まで把握されるとは……恐れ入ります」

「喫茶店の商業登記は取得していますか?」

「もちろん」


 高倉の返答に女性秘書官は画面を切り替え、登記書類を投影する。


「長澤秀樹という人物です。彼が所有する店舗兼事務所に『白山宅建事務所』があり、そちらも潜伏先のひとつとして、先ほど強制捜査を入れました」


 顎に手を添えて神宮寺はジッと投影される証明書類に視線を注いでいた。

 その熱視線に女性秘書官も画像を進めていいのか戸惑って、高倉に視線を投げている。

 ええい、なにを偉ぶって考えているんだ。

 高倉はぐっと奥歯を噛みしめた。

 そもそも高倉が、このくそ面倒くさい案件を『よろこんで』引き受けたのは単純に出世のためである。

 公安委員長か内務次官だか知らないが、遥か雲の上で決められた『処分案件』である。

 それも膨大な数の『処分』が短期間かつ秘密裏に実施されなくてはいけない。

 危険極まる捜査を「ええ、もちろん! よろこんでやらせていただきます。そのために我々は日々訓練をしているのですから!」と大見得を切った。

 ハナから断れないし、断らない事を知っての伝達である。文章上は『お願い』と書かれているが、実際は『おら、出世したいんだろ? ありがたく受けて、正確に成功させろよ』という組織の圧力が働いたに過ぎない。

 だからこそ高倉は腹が立った。

 こんな他省の、それも若造にアゴで使われることが我慢ならなかった。

 そもそも防衛省の案件なら、防衛省で処理するべきだ。

 人員が足りないとか、国内で大々的に動けないだとか、いろいろ御託を並べてはいたが……こんな面倒くさい問題を抱え込んだ張本人が処理すべきなのだ。

 なぜ警察が協力をしなくてはいけないのか。

 協力してあげている、という状況なのに、なぜ自分は神宮寺に批判的な眼で見られなくてはいけないのか。

 こんな面倒なことで出世の道が閉ざされてしまうなんて、まっぴらごめんだ。

 高倉は胸に渦巻く本音をぐっぐっと力強く押し殺して、笑顔を作り続けた。きっといびつなものだっただろうな、と自分自身でも思ったほどである。

 神宮寺大佐は随伴していた副官に「長澤秀樹の情報は掴んでいたか?」と穏やかに問いかけた。

 いえっ……と顔を振った瞬間「ぐあっ!」という短い悲鳴が署長室に響いた。

 居合斬りでも目の当たりにしたかのように高倉はぽかんとしてから「お、落ち着いて!」と声を荒げた。

 一瞬のうちに頬を殴られた若い副官は、神宮寺を見上げて「も、申し訳ありません……」と呻いた。

 部下を殴った。

 それなのに、神宮寺の表情には色がない。眼に力もない。

 ただ感じられたのは……底冷えするような死の気配。

 神宮寺大佐は高倉署長に言った。


「三田京子の死体は必ず確認してください。わたしの見立てでは、あなた方は喫茶店を制圧するが、対象を取り逃す」


 そう言って署長室から引き揚げようと歩き出した大佐に。


「ま、ま、ま、まっ……待ってください!」


 縋りつくように机を迂回して高倉は躍り出た。


「どういう意味なのですか! こちらは五十名近い人員を割いて制圧しているのです。暴力団のヒットマンだか用心棒だか知りませんけれども……、我々の包囲から逃れる事など不可能です! 武装警察を甘く見てもらっては困る!」


 ぐっと食い下がるように高倉は言い放った。

 軍属がなんだ。警察をバカにするな。

 そうした気持ちが、不意に表へと出てしまったのだ。

 神宮寺は壁に投影されている『長澤秀樹』という文字をジッと見つめてから。


「忠告です、高倉署長」


 短く言ってから、恫喝するような視線をこちらに向けてきた。

 一対の瞳が、独特な色と輝きを秘めて高倉を威圧していた。


「長澤秀樹は国際指名手配されている武器商人です。主に赤道付近の途上国で暗躍した伝説的なテロリストです」

「えっ、えぇ……?」

「また白山次郎という傭兵も帯同していると考えられる。『白山宅建事務所』は、彼の寝床ではないか、と思う」

「まさか……!!! 国際的なテロリストが自分の名前を掲げて、母国で生活を!? そんなバカがいるんですか!」

「白山次郎は、そういう類のバカです。なにより連中――『YPLF』は国際テロ組織のなかでも異端な存在なのです」

「……YPLF?」

「『Yamoyamo and Peace Loveing Friends』が彼らが活動していた組織名だ。なんともふざけた連中ですが……その実力は侮れません」


 そこまで言って神宮寺は口元を白い手袋で押さえ。


「少しおしゃべりが過ぎましたね」


 そう言って部屋から立ち去ろうと歩み出した。

 部屋を出る寸前のところで彼は思い出したように立ち止まり。


「YPLFは仕返しをしてきますよ。ここは戦場になる可能性がある。退避するか、交戦するか、ご判断を……」

「ま、まさか……。相手は二人ですよね?」


 小首を傾げる神宮寺に高倉はムッとした。それを見透かしたように神宮寺は言った。


「あなたは視線が内側に向きすぎている。もう少し外側を見ることが出来れば、有能な人間となれたでしょう」


 では、これにて……。お気をつけて。

 足早に神宮寺たちは立ち去っていく。

 残された高倉はキョトンとしてから、むらむらと怒りが湧いてくるのを知った。

 ぎりぎりと奥歯を噛みしめて。


「なんなんだ、まったく! あいつらの尻拭いをしてやっているのは、こっちなんだぞ! 礼のひとつでもあっていいんじゃないのか! まったくっ!!!」

「署長、警備はどうしますか」


 秘書官の言葉に高倉は顔を赤くして「警備だと?」と聞き返す。

 若い女性秘書官はこくりと頷いて。


「反撃してくる。ここが戦場になる、と先ほどの大佐が――」


 あのふざけた大佐の脅しに屈してしまう秘書官にも腹が立った。

 しかしながら、出世の半ばで自らの身が危なくなる――殺されてしまう――のはもってのほかだ。


「余剰人員を搔き集めろ! 署を守るよう伝達しろ! 急げッ!」

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