終章

終章

終章



 ――二週間後。


 板橋区内の団地が林立する地域で、新装開店した喫茶店がひとつ……。

 入り口わきの天井近くに据え付けられたブラウン管のテレビが、内閣総辞職をした六条吹雪の姿を捉えていた。

 頬に湿布のようなものを貼った元首相は、東京地検特捜部の捜査員に囲まれながら報道陣の「総理ッ! 総理ぃ!?」という問いかけにだんまりを決め込んでいた。

 一期の任期を終える寸前のところで、六条内閣は総辞職した。

 六条吹雪はひとつのマイクに向かって言った。


「国家情報偵察網の使用については、不適切な点があったことは事実だが、法的にはなんら問題はないと思っている。わたしが内閣を辞したのは、その点の責任を取るためだ」


 マスコミを押し返すような反論に「総理ッ! 総理ぃッ!!!」とマイクと質問の波が再び沸き起こった。

 黒いセダンに乗り込んだ六条吹雪は、窓をわずかに開けて目元を外に曝した。

 まるで、高貴な貴族が三簾の向こう側から下民たちを見据える様な光景に思えた。


「捜査には協力をします。わたしは正義と信念に基づいて職務を全うした。特捜部の捜査がそれを明らかにするでしょう」


 彼がそう言うと、車は強引に人波をかき分けて走り出した。

 六条吹雪は『国家情報偵察網』の使用については非を認めているが、宮内省の謀略についてはだんまりを決め込むつもりらしい。

 次郎は「なんだかなー」と感想を漏らした。

 火曜日の午前中で、昼下がりというにはまだ早い。


「捜査がすべてを明らかにするでしょうね」


 長澤はそう言って空になった次郎の皿とマグカップを引き上げた。

 からんからん……。

 午前のランニングをしていたらしい中年男性が『準備中』の札が掛かっている喫茶店『舞鶴』へと入ってきた。

 貫禄のある男であるが、体力の衰えは隠せていない。


「おっさん、準備中の札が見えねえのか」

「準備中と出ていたね」


 彼はそう言って次郎とひとつ間をあけたカウンターに腰かけた。

 長澤秀樹は上機嫌に微笑みながら、テレビのボリュームをぐっと小さくした。


「退任後はいかがですか。やはり悠々自適とは言えませんか?」

「衆議院議員を辞めたわけではないからね。でも、今回の件では助かった。党内には、貴族院の庇護を受けた連中がいる。特に六条や貴船のような奴らは面倒なのだ」


 窓際のボックス席でカタカタとラップトップを操作していた矢沼美香が「貴族が衰退して、今度は軍部が台頭するというわけぇ?」と嫌味たっぷりに言った。

 元防衛大臣の獅城は「いやいや」と掌をひらひらさせて。


「軍部に野望はない。少なくとも米帝とコトを構える度胸があるのは、あんた達ぐらいだよ。それに、もう俺は閣僚ではないわけだしな」


 長澤が麦茶をグラスに注ぎ、獅城に差し出した。

 すると獅城はポシェットからタオルと伝票のようなものを取り出した。


「約束の白地小切手だ。好きに書き給え」


 まるで麦茶の代金を支払うような口調で獅城は言った。


「我々は容赦しませんよ、獅城さん」


 長澤の指摘に獅城は「それだけの仕事をしたんだ、あんた達は」と答えた。

 次郎は釈然としないまま、長澤秀樹の横顔を見ていた。それは矢沼美香も同様であるらしく、彼女の険しい表情がカウンターのなかの店主に向けられている。

 長澤秀樹は最初から京子が『高貴な方』であると踏んだ。

 葛飾会がなぜ彼女の護衛を請け負ったのかは、いまとなってはわからない。実際に屋敷が襲撃されたとき、葛飾会が奮戦しなければ……この件は次郎たちのもとへ廻ってこなかった。

 葛飾会が襲撃され、依頼主が不在となってから長澤は事態の本流を探ったという。

 京子が皇族であると仮定して。

 行方不明の、戸籍のない女の子たちの存在に気づき。

 十七年前の宮内省と皇太子、現内閣と否決された改正皇室典範――。


「防衛装備庁の村瀬さんはお元気ですか。暑中見舞いをお送りしたいのですが」

「元気だよ。あと何年で定年だといつも不安がっている。送るなら、金を送ってやってほしい」

「もちろんです。頂いて最も嬉しい贈り物はお金ですからね」


 長澤はそう言って小切手に数字を書き込んでいく。

 この喫茶店の店主は公家総理の政敵を探した。

 商売相手の防衛装備庁をきっかけに、独自のルートで防衛省へ交渉を入れた。

 こともあろうに、いち早く事態の真相にたどり着き……現政権の動向を獅城から逐一報告を受けていたと聞く。

 次郎と美香がそれを知ったのは、すべてが終わってからであり……。


「二兆円ぐらいはもらってよ。あたし、半分もらうから。駅前のパチンコ屋って高いんだからね! また不動産屋まわりから始めなくちゃいけないなんて!」

「おい、俺の取り分はどうなんだ。二兆じゃ足りん。四兆はもらえ!」


 この珈琲野郎と防衛野郎のせいで、次郎も美香もイライラしていた。

 抜け駆けのように、二人でこそこそとコトを進めていたのだから。

 党内浄化といえば聞こえはいいが、貴族の追放である。それと長年、この国を悩ませていた『隠し子』の問題も一挙に解決へ導いた。

 長澤はにこにこしながら「法外な金額ですねえ」と言って獅城へ小切手を示した。

 次郎は身を伸ばして、美香はボックス席から光の如く飛んできて、その金額を見つめた。


「¥一六、〇〇〇、〇〇〇、〇〇〇、〇〇〇也。八ヵ年宮内省予算として――」


 ぽつぽつと読み上げた美香に、次郎はハッとして。


「じゅ、十六兆円ッ――!?」


 あまりの大金にカウンターの椅子から転げ落ちて、尻餅をついた。

 長澤はにっこりと笑みを絶やさずに。


「生存している二十一名について、彼女たちの生涯を保証するための予算です。うち一名は正真正銘の皇族ですから、その費用も含まれています」


 獅城はぽりぽりと頭を掻いて。


「宮内省予算として、か。軍部が台頭する余地は、あまりなさそうだ」


 長澤は冷蔵庫の脇にあるお粗末な金庫に小切手を放り込んだ。


「来年度予算の概算要求を楽しみにしています」

「任せておけ、とは言えないが……まァ、努力はするよ。それとこれも渡しておこう」


 獅城はポシェットからケースに入った小さなデータカードを取り出した。

 次郎は「おや」と思ったが、美香と長澤がわずかに顔を見合わせて。


「結構ですよ、獅城さん」


 長澤がそう答えた。

 すると獅城は「いいのか? DNA鑑定の結果だぞ」と付け加えた。

 次郎は「あァ……」と頷いて。


「そいつァ、無職の食器泥棒に渡してやってくれよ。出来れば、自衛軍が再就職先になってくれると嬉しいんだけどな。ま、人となりは……あんまり好きじゃねえけど、元大佐だしな。キャリアはあると思うんだ、キャリアは。あっ、公家の割に根性もあったな」


 次郎が解説すると「考えておこう」と彼は眉を寄せて腕を組んだ。


「だが、いいのか。どれがホンモノかわからず仕舞いじゃあ、あんたらも仕事を――」


 ――からんからん。


 喫茶店の扉が開き、これまた不機嫌そうな京子が「もおーっ! 馬鹿ぁーッ!!!」と飛び込んできた。

 来客がいることに「あっ」と躊躇はしたが、「いらっしゃいませ!」と一言述べてから。


「なんで起こしてくれないの! 遅刻じゃんか!」


 真新しい学校の制服に、相変わらずのわがままフェイスだ。


「起こしたさ! そうしたら、あと三分だけぇーとか言うから」

「だったら、三分後に起こしなさいよ!」


 ビシッと次郎を指さして、京子は「もおーっ!」と地団駄を踏んだ。


「お食事はどうされます?」

「朝はもう食べないッ! ねえ、秀樹お弁当は!」

「はい、こちらが今日のお弁当です」


 カウンターの向こう側から長澤は弁当箱を取り出して、京子に渡した。

 美香は「ふあ~っ」と大口を開けてあくびをして。


「ったく、うちの男どもは若いってだけで甘いんだから」


 そう言って美香は一枚のエアメールを京子に見せた。


「あんた宛てに手紙来てるよ」

「えっ、手紙ぃ……? 今の時代に?」

「金欠でケータイ料金が払えなかったんじゃないの?」


 京子は美香が陣取っているボックス席へ近づき、エアメールを受け取る。ひっくり返して宛名を見たとき、彼女は「あっ!」と目を見開いた。


「涼子からだ!」


 乱雑に封を開けて、なかの手紙をふんふんと読み始めた。

 写真が同封されているらしく「ねえーっ!」と駄々をこねるように言った。


「夏休みにさァ、涼子のところ行っていいでしょ? ほら、見てよ。こんなでっかい鹿を仕留めたんだって!」


 同封されていた写真をカウンターに置いた。

 次郎と長澤はそれを認め、獅城がおもむろに手に取った。

 森の中で大きな長銃を肩に担ぎ、満面の笑みでピースサインを作っている東春宮涼子の姿が映っていた。彼女の背後には、ワゴン車のような巨大なシカが倒れていた。

 思い返せば、次郎が彼女と出会ったとき、あの子は重いイーグル・アイを正しい姿勢で構え、躊躇なく引き金を引いた。

 もし弾が入っていれば……次郎の頭は吹っ飛んでいた。


「……ったく、高貴な鷹狩だな。姫様は」

「涼子、元気にやってるんだァ」


 京子はそう言ってから「ねえ、いいでしょ。夏休みにカナダに行ってもォー!!!」とせがんだ。

 そんな京子に、次郎は顔を左右に振る。


「ダメダメぇー。航空券は高ぇし、こちとら出国するのも一苦労なんだからな」


 あ、あたしもカナダだめ、指名手配あるし、と美香も追随した。


「日本の夏は墓参りなのよ。あんたが好きだったバカじいの墓参り、行くんでしょ?」


 美香の指摘に京子は「べえーっ!」と顔を顰めて「ほんと、ババくっさい」と喧嘩をうった。

 危うく美香がマグカップを投げそうになったので、長澤が「まぁまぁ」と割って入る。

 騒がしくなり始めた店内で、獅城が写真を眺めながら言った。


「長澤さん、この子を引き取ってくれたのは、カナダの……?」

「ケベック州のお得意様です。フランス系の男爵家で、由緒正しい方です」

「なるほど」


 ぽつりとつぶやいた獅城はデータカードをポシェットのなかに戻した。


「たしかに、あなた達にはDNA鑑定の結果は不要のようだ」


 いつまでも学校へ行こうとしない遅刻娘に対して、次郎が「おら、さっさと学校行けって!」と発破をかけた。

 京子は「いーっ!」と憎めない可愛らしい表情を作って、鞄を手にした。


「じゃあ、いってきまーす!」


 からんからんと慌ただしくベルが鳴った。

 店内にいた四人は京子の姿を見送って。


「結局、あの子だけは疎開させなかったんだな」


 獅城の言葉に次郎が答える。


「俺達は似た者同士なんだ。孤児やら、本名を捨てた人間で……フツーに生きられなかった」


 すると美香が語を継ぐように、そして少し茶化すように。


「ま、あの子はあたしたちの姫様だからね。ちょっとムカつくけど、あたしは好き」


 長澤がうんうんとカウンターの向こう側で頷いて。


「似た者同士……あるいは平和を愛する仲間たち、というトコでしょうかね」


 獅城は苦笑いを浮かべて「わからんなァ」と首筋を掌でごしごししてから。


「で、次の依頼なんだが」


 そう口火を切った。

 次郎たちはそれまでの緩んだ空気を一瞬にして緊張させた。


「獅城さん、その依頼を聞く前に……一つだけ、いいですか?」


 長澤の指摘に、獅城が「なんだい?」と顔を上げる。


「次郎さん、京子さんがお弁当箱を忘れて行っています。急いで届けてください。全力で走れば、まだ追いつけ――」


 ガランガランッ――!!!


 出入り口のベルが荒々しくガラスを打った。

 次郎はジャージにサンダル履きで全力疾走していた。

 片手に弁当箱を持って。


「あの、バカ姫ぇっーーーっッッ!!!」


 団地の人々がぎょっとしたが、それでも次郎は走っていた。


 祖国に戻って、平和に暮らす。


 引退したのだ。


 これで、いいのだ。


「バカ姫ッッ、弁当おォォーっ!!!」




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