第四章

第一節 三十代でもガチ恋する権利はあると思う

第四章

第一節 三十代でもガチ恋する権利はあると思う



 出力が違うねえ。やっぱり、米帝は頼りになるよ。

 大声で喋ったつもりだったが、誰の耳にも聞こえていなかった。

 スピーカーから『えっ、なんか言った!?』と美香の声が聞こえたが、それに対する返答もちゃんと彼女に届かなかった。

 副操縦席に座っている長澤秀樹がアタッシュケースを操縦士に差し出した。

 米帝の操縦士はそれを受け取って、軽快な英語で応じている。


「ミスター長澤ッ! わたし達はまた仲良くなれそうだね!」

「もちろんです。貴国が戦火を好むのなら、わたし達はずっとずっと親友です、少佐」


 ドル札が詰まったアタッシュケースをぱたんと閉じた操縦士は「着陸だ」と意気込んだ。

 羽田基地へ着陸のために機体が揺れた。

 機体は難なく羽田管制の指示に従い、滑走路へと舞い降りた。


「あとは好きにしてくれ」


 後部のスライド扉が開かれ、向こうから米帝の兵士がジープに乗って現れた。

 次郎は「感謝しますよ」と少佐に告げる。

 彼は「マネー、マネーッ!」と応じた。



* *



 米帝のヤードから航空自衛軍の管理棟を抜けて一般のターミナルへと出た。

 同行してくれた米帝の兵士は「グッドラック」とグーサインを作った。このグーサインも料金が発生しているのだろうか。

 そう思いながら、スーツに身を包んだ次郎は四角いビジネス鞄を引っ提げて利用客の波に紛れた。


「潜入した」

『通信は良好ね。やっぱり米帝の建物内は電波も遮断されるみたい』


 だろうな、と頷きながら「皇軍の区画はどこだ?」と美香に聞き返す。

 彼女は『T4をそのまま北上して。左手にターミナル通路とバスプラットホームの案内があるでしょ。その隣にある階段から二階へ』と指示してくる。

 次郎は慌てず、彼女の指示に従って二階の出発ロビーへとあがった。


「なんか、私服の警備がいくらかいる気がするぞ」

『歓迎されてるのね。一般客がいるところでドンパチはやめてね』

「フリなのか?」

『フリじゃない!』


 ショップが立ち並ぶ一角の手前にあるくぐり戸のような防火扉をぐっと押し開けて、次郎は表通路からスタッフ専用の領域に入った。

 すぐ目の前に電子錠が施された従業員通用口がある。


「電子錠だ。カードか?」

『暗証番号でいけるはず。端末をこっちに』


 美香の指示に従い、スマートフォンのケーブルを電子錠につなぐ。カードをかざして開錠するスマートロックだ。


『よっぽど南京錠の方が遠隔であけにくいってーの!』


 カチン、と扉からロックが外れる音が響いた。


「さすがやもやも。天才ハイパーハッカーだ」

『天才うるとらハッカーね!』


 どっちでもいいだろう、と嘆きつつ、スタッフ専用通路に足を踏み入れた。

 ひと気が減り、ショップの関係者と思しきスタッフとすれ違う。

 彼らは「お疲れ様です」と挨拶をしてくる。こちらも挨拶を返すが、腰に忍ばせている三〇式イーグル・アイは抜けるよう警戒を続けた。

 美香の『その先右ね』『んで、左に入って階段をあがって』『連絡通路があると思うんだけど、そこを渡ってほしい』『で、その階段で地下二階まで降りて』というエスコートに従う。

 彼女の案内は完璧で、いつの間にか次郎はターミナルとは異なる雰囲気の通路に立っていた。

 古い病院の廊下のような、シリコン樹脂を敷き固めたような床である。


『んじゃ、あとはあんたの専任事項だから。いいね? その通りをまっすぐ突っ切って。正面の扉はどういう施錠か知らない。だから、迅速にこっちへ情報を転送して』


 美香の指示に次郎は頷きながら、正面に見える両開き扉を睨む。

 その扉の前には金属探知機のゲートがあり、受付の守衛が三名ほどこちらを見ていた。


「なんだ、おまえ。ここは立ち入り禁止だぞ」


 ひとりが立ち上がって警告してきた。

 次郎は両手を見える位置に上げて。


「資材の納入で伺ったのですが、ごめんなさい。道に迷ってしまって、あの、宮内省が所管されている軍部隊はこちらで間違いないでしょうか?」


 てくてくと近づいていき、手にしていた鞄を彼らに示した。

 ひとりの兵士がこちらに近づいて来て。


「ええい、止まれ! どんな理由だろうとここは――ぐえっ!」


 ――バズンッ!


 次郎の掌底が近づいてきた男の顎下をしたたかに打ち、兵士が膝から崩れるタイミングでイーグル・アイが天井の監視カメラを撃ち抜いた。


「貴様ッ!」


 一人が立ち上がったが、その手に握られた拳銃を撃ち抜く。

 もう一人が異常を知らせるためにカウンターの内側でなにか作業をしようとしていた。その男の肩をイーグル・アイの大口径が撃ち抜いた。


「ぐあああっ!」

「ぎゃあああっ!」


 肩を撃たれた兵士は壁際に吹き飛び、「があああっ!」と悲鳴を上げている。

 拳銃を撃たれた男はべろりと折れた指に顔を顰めながら、逆の手で腰から刃物を抜いた――が。


「うげっ、ぶべっ!」


 右の拳が相手の胸骨を打ち、背が曲がった瞬間に左から側頭骨を拳で弾いた。

 兵士は卒倒した。

 手にしていたナイフがからんからんと床に落ち、次郎は彼方へそれを蹴り飛ばす。

 ゆったりと落ち着いた動きで、先ほどと同じように電子錠へスマートフォンのケーブルを差した。


「どうぞ、やもやも!」

『いただき、やもやも!』


 三人を圧倒して、次郎は軽口をたたく。

 美香が錠前を解析しているとき、肩を撃たれた兵士がぜえぜえと息を荒くして、こちらを見上げた。大口径のイーグル・アイで撃たれているせいか、肩の損傷は激しい。


「てめえ……例のテロリストか」


「件のテロリストでござい。ま、目的は殺しじゃない。そこに転がってるふたりも気を失ってるだけだ。早く医官を呼んで治療をしてもらうんだな。急所は外しているが、油断は禁物だ」


 次郎がアドバイスを返したとき『終わった!』と美香の声が耳に届いた。

 がしゅんッ……と大きなカギが開錠され、両開きの扉がゆったりと開いた。


「ま、待て……!!!」


 兵士の声を尻目に、次郎はゆったりと……次第に小走りで廊下を進んだ。



「ぶげえっ……!!!」


 背後から膝裏を蹴り、視界が下がったところで側頭骨を拳で打つ。

 兵士は白目を剥いて崩れるが、それを次郎は受け止めて壁際に寝かせた。


「やっぱり依頼は選ぶようにするよ」


 五人……? いや、六人だろうか。

 すでに通路で出会った兵士を卒倒させて、先へ先へと急いでいる。


『高齢化によるガタが来たって言いたいの?』

「いいんや。生体護衛は控えたい。独裁者の暗殺とか、教祖の誘拐とか、そう言う仕事の方があとくされが無くていい」


 すると美香は『ふふふっ……』と笑って。


『そりゃ、あんたが京子に惚れてるからだよ』

「なっ……!!! そんな事はねえ!」

『あるんじゃない? じゃなかったら、秀樹が一方的に受けた生体護衛のシゴト……こんなに熱心にやらないもの。次郎は怖がってる。自分がしくじって姫様が殺されるような事になったとき、あなたは自分の感情がどうなるか想像できていない』


 だから、インパクト師のもとに行ったんでしょ?

 美香はそう付け加えて、いたずらっぽく笑い……次郎の内心を見透かしたように続けた。


『京子が姫様だからじゃない。京子ちゃんだから、次郎は熱くなってる』


 そんなことはねえ、と反論したかったのに……否定する言葉がうまく出てこなかった。

 マトリクスの海神を自称する二十八歳の美香は悪態をつくように言った。


『ガチ恋じゃん。三十代のじじいが、みっともない』

「うるせえな」

『でも、ガチ恋っていいなって思う。三十代でもガチ恋する権利はあると思うよ。みっともないけど』


 ガチ恋ってなんだよ、と思いながらも次郎はぽつりと聞き返す。


「それは、少しだけ日常に戻れている証拠なのかな」

『戻れてる証拠だよ。誰かを好きになるのは、平時に身体と心が慣れてきた証拠だと思う』


 美香はそう言って『あたしたちは、もうあちら側にはいかない』と断言した。

 けれども、次郎はそれに頷くことが出来なかった。

 もしも京子が神宮寺の手にかかって殺されてしまったら……。次郎は昔の自分に戻ってしまうような気がした。それは独裁者のお歴々が所望する理想的な傭兵である。

 そうはなりたくない。

 あんな狂った世界で、狂った笑いを浮かべながら、狂った血を浴び続ける生活から足を洗うのだ。そのために……やもやもと平和を愛する仲間たちは、祖国へと戻ってきた。不死身のインパクト師が導いてくれたように、次郎たちは日本へと帰ったのだ。


「京子を助けることが、きっと自分自身を救う事にもなる」

『そう思うなら、彼女を絶対に死なせないで』

「もちろんだ」


 次郎は廊下の角で一人の兵士と出会った。

 相手はハッとしていたが、次郎は冷静に身を低くして拳を下から繰り出していた。

 ぺきり、と骨が浮いてはがれる手ごたえが残る。

 胸骨を打たれた兵士は「げはっ、えほっ!」と激しく咳き込みながら仰向けに倒れた。


「いたぞッ! あそこだ!」


 待ち伏せていた複数の兵士が激しく発砲してきた。

 次郎は壁際に身を隠し、鞄の中からHK416ゲルマン・ファナティックを取り出した。


「敵と遭遇した」


 ジリリリリ……と緊急を告げるベルが鳴り響く。

 そのベルの中に銃声が混じり、美香の真剣な命令が耳に届いた。


『絶対に姫様を救って。わたしは、あの子と友達になりたい。まだ手紙のお礼、言えてないから!』


 珍しい事を言うもんだな、と思いながら。


「俺も似たようなもんだ」


 そう言って角から身を出して、トリガーを引いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る