最終節 笑顔と暴力

最終節 笑顔と暴力



 明るい一室だった。

 収容室と誰かが言ったが、見ようによっては監獄のように思えた。


「もうっ、わたし達はいつまでこんなところに閉じ込められているのよォ!」


 髪の長い子が、頭をわしわしと引っ掻いて金切声を挙げた。

 京子は「うっさいな」と思いながら、壁際の空間に腰を降ろした。

 ぐっと奥歯を噛みしめる。


「次郎は死んでなんかいない」


 バカは風邪ひかない、と同じ論理だった。

 目の前で次郎が撃たれた。

 護送車のなかで、なんども反駁した。

 撃たれて、倒れてから二回撃たれた。

 京子は強く奥歯を噛みしめる。


「泣いちゃダメ。泣いちゃダメ……!!!」


 嗚咽が上がってくるのを堪える。

 次郎は死んじゃいない。

 あのバカが死ぬわけがない。

 ギュッと強く目を閉じて「バカじいと同じ事に……」なってほしくない、と心の底から願った。


「もー、最悪なんだけどォ」

「いったっ、ねえ、あんた蹴ったでしょ!」

「蹴ってないよ。そっちが当たってきたんでしょ!」


 つまらない諍いの声が向こう側から聞こえた。

 誰も彼もが生意気そうで、ムカつく顔をしている。

 口を開けば「なんでわたしが」とか「いつまでこんなところに!」という文句しか出てこない。この子たちは、これから自分たちがガス室なり処刑場へ連れて行かれ、静かに殺されるのを知らないのだろうか。

 それにしても……。


「呪いだ」


 ぽつりと京子が呟いた。


「呪いって?」


 京子の隣に座っていた娘が「なに、呪いって」と聞き返してきた。

 肩にかかるかどうかのショートヘアで、大きな一対の瞳が他の娘たちとは違う『余裕』のようなものを湛えていた。

 綺麗な娘だった。けれどもテレビに露出するような美少女ではない。愛嬌があって『困ってるなら、言いなよ。聞いてあげるから』という面倒見のいいセリフを吐いてくれそうな包容力があるように思えた。

 京子は誰かと話したい気分ではなかったが、この子なら『会話が出来そう』と思って「呪いじゃん」と繰り返した。


「バカみたいな女が、こんな部屋に二十人……。これからどうなるか、知ってるんでしょ」


 すると隣に座っていた娘は「ええ」と短く言ってから。


「たくさんの人に迷惑をかけたからね」


 妙に達観した言葉を吐いたものだから、京子は「あれっ」と思った。


「多くの人に迷惑をかけた。その報いかもしれない」


 そう言った娘は「呪いだね、たしかに」と眉を寄せて、ちょっと困ったように言った。


「ついさっき……大切な人が撃ち殺されたかもしれない。ここ数日の間に、なんどもひどい光景を見たの」

「ふふふっ……あなたって、お転婆なのね。まァ、その汚れた姿を見れば、想像はつくけど」


 少し愉快そうにその子が言うものだから、京子も負けじと彼女の『汚点』のようなものを探した。外見からは粗野な痕跡は見当たらなかったが、口調や表情や雰囲気から、この子は淑やかに窓辺で本を読んでいるような生娘じゃないと分かった。

 すると彼女は「乗り越える覚悟、あるの?」と聞いてきた。

 京子は「わからない。乗り越えたくない。その人が死んでしまったって認めてないから」と答えていた。

 膝を抱える腕に力がこもった。

 もっと素直になればよかった。

 バカじいに対しても、次郎に対しても……。


「ここにいるみんなも、似たような思いをしているだろうから……いまは泣かない」


 本音で言ったハズなのに、隣の娘は「そうかな」と小首を傾げた。

 彼女は少し呆れた顔で。


「あなた以外の子たちは、誰かの事を悼んだり、覚悟を決めたりはしてないみたい。まるで、自分が中心で世界が廻っていると勘違いしている子が多い感じ」


 その指摘通り、他の十九名は「ねえ、暑いんだけど!」「ハァ、寒いでしょ。いま暑いとか、どういう神経してるの!」「のど乾いたァー」などと好き放題である。


「これだから、姫様気取りって嫌……!!!」


 ぽつりと京子は言葉を洩らして。


「狂ってる、女ばっかり二十人も。一人ぐらい、男が生まれたっていいはずじゃん」


 確率ってもんがあるじゃん。

 なんで、そんな連チャンで女が生まれるのよ。

 川崎でみんなでやった麻雀だって、毎回同じ役でアガれたわけじゃない。

 平和もあれば七対子もあれば、清一色だってあった。

 確率ってもんが、どうしてこんなに無視されてるのよ。

 そもそも二十人も子ども作るって、とんでもない。バケモンじゃん。

 いろいろな思いが脳裏を巡ってから、京子はハッとして背筋を伸ばした。


「……どうしたの?」

「えっ、あ、うん……」


 急激な悪寒に京子は戸惑った。隣の子がぐっと覗き込むように顔を見つめてきた。やっぱり面倒見のいい感じの笑みを浮かべて、それでいて京子の内心を見透かしたように言った。かつて自分も通った道だから、と諭すような表情を浮かべて。


「確かに呪いだよ。額面通りに話を受け止めるとすれば……呪いとか奇跡の話だと思う」


 隣に座っている子の言葉に京子は「や、やめてよ……」とぞくぞくした。

 胸のなかに現れた懸念は『少し考えればわかること』であると思った。けれども京子はそれを考えずに生きてきた。それを考えてしまったら、自分がどんな存在であるのかわからなくなってしまうから。

 隣の娘はくすっと笑う。


「そもそもさ、ひとりの男性が二十人とか三十人の女性を全員を妊娠させるって、どんだけ生命力が強いの。バッカみたい」


 ちょっと考えりゃわかることじゃん、と彼女は肩を寄せる。

 ……うん、と京子は頷いたが、当然の事実に震えが止まらなかった。

 京子は震える声をぐっと押さえて、聞き返す。


「全員、違うの……かな」

「副葬品だよ」


 副葬品――。


 その言葉にぴんとこなかった。

 隣に座っていた彼女は京子の当惑を理解しているようだった。


「聞いたことあるでしょ。古墳時代に権力を持っていた大王と一緒に、お墓に埋められちゃう人たち。殉葬って言うんだってね。そういう人柱はよくないってコトで埴輪が創られたっていうけど……。いまのわたし達は殉葬される副葬品みたいなものだと思ってるの」

「じゃあ、一人だけ……本当に隠し子がいるの?」

「そう考えたほうが自然だと思う。もし本当に皇室の血が途絶えそうになったら、その子を後継者として立てる。なら、誰かと争わせて『優秀な子だから安心してね』って差し出した方が、みんなも納得するじゃん。テストだって、ひとりで受けるよりみんなで受けたほうが燃えるじゃんか」


 ひとりで受けるより、みんなで受けたほうが燃えるじゃんか。

 なんであなたはそんな気軽に考えることが出来るの?

 京子は腹の底から上がってくる悪寒のような震えをぐっと飲み下す。


「じゃ、じゃあ……わたしたち、なんだったの」

「さあね。ぜえーんぶ、宮内省の人たちが決めたんでしょ。きっとさ、十七年前に『事故』があったんだよ。それで、堕胎させるわけにもいかないし、表に出す事も出来ない。だから、当時懸念されていた血統の存続を念頭に、官僚の皆様がこねくり回した物語なんだと思う」


 胸のなかがひどくドキドキした。

 自分たちはとんでもない勘違いをしていたのではないか。

 バカじいも、次郎も、やもやもも……。

 隣に座っていた娘が、京子の腕にこつんと肘をぶつけて。


「しっかりして。あなたはマトモそうだから言うけど……わたしは諦めてない。副葬品だろうが、なんだろうが……わたしは生きる事を諦めてない。だから、ここから脱出する」

「――んぐっ、えっ? ど、どうやって?」

「それを考えてるの。あなた、いい方法ある?」


 そんな事を言われても……。

 絶体絶命の窮地である。それを切り抜けるにはどうすればいいか。


「笑顔」

「は?」

「……と、暴力」


 キョトンとした娘は「なに? 笑顔と暴力ぅ?」と言って「ぷぷぷっ」と笑った。


「あんた、ちょっとアタマおかしいね。でも、そういうの嫌いじゃない。それに、たぶん暴力ってところは当たってる気がするよ」


 笑顔じゃなくてそっちかよ、と突っ込みそうになりながらも。


「あなたこそ、ちょっとバカなんじゃない? 暴力はいけないことなんだよ」

「でも、暴力で世界が回ってるとも言えなくもないでしょ? そもそもわたし達は暴力によって、ここに集められたわけだから」


 確かに、と京子は頷いた。

 そうしてから、次郎たちがしていたように拳を作って彼女の前に差し出した。


「わたし、三田宮京子。あなたは?」

「東春宮よ。名は涼子。サンズイの涼。みんなから涼宮(すずのみや)って呼ばれてた」

「涼子、ね。よろしく」

「ええ、よろしく」


 こつんと彼女と拳を併せて、二人は暴力によって脱出する決意を共有した。

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