第九節 一族のために
第九節 一族のために
幹線道路を走る護送車のなかで神宮寺実はパット端末を操作した。
そこに映し出されていたのは、総勢三十七名の名前である。
三田宮京子をはじめとした『天皇の隠し子』は宮内省の主導のもと全国各地に散っていた。今後の憂いに備える措置である、と宮内省の高級官僚たちは主張していたが……。
「正統な継承者が出れば、こんなもの、か」
三年前にめでたく皇室に男児が生まれた。数十年後に天子様となられる正真正銘の皇位継承権を持つ親王である。
その親王が生まれなければ、女系天皇を許容する皇室典範が改正され……この三十七名のなかから厳正に審査された『隠し子』が内閣府から発表される。
それを国民が受け入れるかどうか。また正統性と道徳を問う激論が各界で巻き起こるであろうが……皇室存続のために血の薄い旧華族を強引に担ぎ上げるよりは、よっぽど正統性が担保できているのだろう。
どちらにしても、現実はこうだ。
正当な親王が生まれ、不要となった皇女たちは秘密裏に処分される。
公文書からも宮内省の記録からも葬り去られ、永遠に事情は表に出ない。むしろ、表に出してはいけない。
そのために宮内省出身の六条吹雪氏が政権与党の総裁選挙で勝利し、処分派の幹部であった貴船氏が宮内大臣に就任した経緯がある。つまり、政権与党も『処分』と言う名の殺戮を黙認している。
一般市民は理解に苦しむだろうが、これは公家である神宮寺にとっては「まァ、仕方ない事だ」と割り切れる問題であった。
家督を誰が相続するのか。
長兄が相続し、以下の兄弟はどうなるのか。
口減らしに皇軍へ出された神宮寺は、この厳しい現実を誰よりも理解していた。
自分は一族のなかで災いを起こすかもしれない。長兄の立身出世の邪魔になるかもしれない。そうして邪険にされて宮内省へと送り出された。だが、運命は皮肉なものだ。
長兄は奇妙な歌詠みに明け暮れ、典型的な無能な公家として「ほっほっほっ!」と前時代的な笑い声を庭に響かせているだけである。
あんなものに神宮寺家の家督を相続させる父もどうかしている。
長男であるから、という単純な理由で無能な兄が神宮寺家を相続する。それは目に見えた破滅に他ならない。
だから、神宮寺は一族を救いたいという思いで奮起したのだ。
両親も見返してやりたい。
無能な兄を引きずり下ろしたい。
いろいろな思惑が、神宮寺を『大佐』という役職に押し上げる原動力となっていた。
自衛軍と違い、皇軍がお飾りである事は承知している。それでも兄よりは自分の方が優秀な存在であるという事を示したかった。誰かに認められる存在であることを……確かめたかった。
それらの思いをぐっと胸の奥に押し込めて、再びパッドの画面に目を落とす。
調子がいいものだ、と冷笑した時期もあったが……これが公家という家に生まれた者のさだめだと理解しなくてはいけなかった。
六条総理も貴船宮内大臣も同様の公家の出身である。
彼らも似たり寄ったりの戦いを征して、いまの椅子に収まっている。座るべき椅子が総理大臣なのか、宮内大臣なのか、はたまた皇軍大佐なのか。それによって家柄の等級が変わってくる。
一族の思いと殺される皇女たちの命運を天秤に乗せたとき、神宮寺の判断は迷いもなく『一族』に偏る。皇女たちがどうなろうと知ったことではない。大切なのは『皇女たちを処置する事が任務』であり『その重責を果たしたのは神宮寺家』であるという事実が、一族の繁栄をもたらす。
その繁栄を手に入れるために、神宮寺は容赦なく女たちを殺すことが出来る。
幾名かの同僚は「畏れ多くも皇女様を……」と辞退したと聞く。そんな愚かな考えを神宮寺は持っていない。一族の繁栄のための、最大のチャンスがここにある。
ちらりと振り返れば、沈黙を続ける三田京子が座っていた。両脇を部下の兵士に固められ、手首を拘束されている。
これは皇室の関与しない、宮内省主導の宮廷闘争だ。
重要なことは正統性ではなく『勝利者の側につくこと』だ。
神宮寺は皇軍の立場から圧倒的に優勢な政府側――つまり『処分派』の側に賭けていた。
その結果はもうすぐ出ることになる。
瞑目しながら考えを巡らせていたとき、部下の一人が衛星電話を手にやってきた。
「大佐、ご連絡です。大臣です」
サッと受話器を受け取り「神宮寺です」と応えた。
『三田宮を捕らえたと聞きました。全員が揃ったのですね』
「ご報告の通り、揃いました。大臣からのご命令を頂ければ」
うぐっ、と貴船宮内大臣が息を飲んだのがわかった。この男も『畏れ多くも皇女様……』とかしこまる類の男だ。
『処分を許可します。予定していた第三陣も一括して、迅速に処置してください』
「わかりました」
腰に帯びていた拳銃に手をかけて、ちらりと三田京子へ視線を向ける。
信号が赤になり、車が停車する。
神宮寺は立ち上がって、三田京子に近づき銃口を向けた。
彼女はハッとした顔でこちらを見て、諦めたように視線を逸らした。
『――ガスで、やってください』
引き金を引く指がぴくりと止まった。
「……ガスで、でございますか」
『畏れ多くも皇女様にあらせられます。弾痕などは残したくないのです。おわかりになりますか?』
バカな、と神宮寺は呻きそうになった。
これから歴史の闇に葬り去る存在である。刃物だろうが拳銃だろうがガスだろうが、殺してしまう事には変わりない。
貴船大臣はなにを恐れているのだろうか。
しかし神宮寺は「わかりました」と平静を装って受け答える。
重要なのは『勝利者の要望通り任務を完遂する』こと。
車が動き出し、羽田空港を示す標識が頭上を流れて行った。
予定通りに施設は確保している。皇女どもも確保した。脅威となっていたYPLFも排除した。
沸騰し始めている世論を押さえ込むのは政府のシゴトである。
神宮寺は銃を戻し、元居た席に身を収めた。
電話口の貴船大臣は『世論が騒います。予想以上の状況です』と呻くように言った。それは神宮寺を非難しているようにも聞こえた。きっと六条総理からひどく叱責を受けたのだろう。
ぐっと沈黙を貫いていた神宮寺に、貴船大臣は言った。
『事が終われば身を隠しなさい』
「隠す場所などありません」
『渡英の手配を進めています。現地のダーリントン卿が協力をしてくれます』
「感謝いたします」
これは栄転の布石なのか。それとも左遷の前触れなのか。
英国の名門貴族の名が出たが、それが神宮寺にとって何を意味するものなのか、よくわからなかった。しかしながら、娘たちを処分する事が『未来に向かって歩みを進める』大前提であることはわかっていた。
航空自衛軍のゲートが迫ってきた。羽田国際空港の空軍基地である。
神宮寺はジッと瞑目した。
「一族のために……」
ぽつりと彼は、そう漏らした。
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