第七節 愚民どもは全裸で踊りまわる
第七節 愚民どもは全裸で踊りまわる
朝陽がまぶしい。
川崎の早朝は多くの通勤客でごった返している。
昼勤の人々を送り出し、一方で夜勤の人々を受け容れる。それが川崎の早朝である。
次郎と京子は駅前から歓楽街へと続く小路にある一軒の店へ入った。
「らっしゃーい」
威勢のいい掛け声に「邪魔するよ」と次郎が応え、奥の小さなテーブル席へと陣取った。
カウンターが十二席にテーブルが四席の小さなラーメン店である。
行列の出来るラーメン店……ではあるが、早朝はそこまで混み合っていない。そもそも店舗面積が小さいのだから、行列が出来るわけで。
「おら、帽子とれよ。店の中だぞ」
「あっ、ヤダッ、ちょっと!」
京子の帽子をひょいと取ると彼女は「やめてって!」と慌てた。
帽子を目深にかぶって外出をした京子であるが、次郎は帽子を奪い取ったまま「なははは」と笑った。
するとカウンターのなかにいた店主が。
「次郎ちゃん、今日は女連れだねえ。どこの娘なの? すんごくかわいいね?」
すると夜勤を終えたばかりの常連客や食事をしていた客たちの視線が、京子の集まる。
恥ずかしそうに顔を伏せる京子に、次郎は言った。
「こいつ、姫様なんですよ。高貴な方なんで、親父さんのこってこての脂ラーメン食わせようと思って。あ、煮卵と海苔つけてあげて。お姫様に」
するとタクシーの運転手らしき常連が、ブッと噴き出して。
「次郎ちゃん、姫様ってのはちょっと言いすぎ……ンまァ、可愛い娘さんだけど」
「いーや、大塚さん! 彼女は姫様って感じよ。ほら、モデルさんみたいに可愛いし!」
「おぅ、お姫様ッ! ビール飲むか?」
すでに出来上がっているおっさんやどんな仕事してるんだという具合のじいさん達が、濃いめのラーメンを啜りながら声を掛けてきてくれた。
京子はどうしていいのかわからず「は、ハァ……」と肩を竦めて曖昧に返事をしている。
だから朝ご飯を外で食べるのは嫌だったのよ、と言いたげな顔であるのはよくわかった。しかし、次郎はとまらない。
「おうおう、ここにおられるお方は尊きお姫様にあらせられるッ! そこのジジイッ! 呑気にラーメン食ってねえで、トッピングのふたつやみっつ、こっちにオゴれってんだ!」
次郎の口上に笑いと「うっせえ、バカ」という反論が飛び交いながら、瓶ビールが運ばれ、店主の「麺がァ、あがりまぁーすっ!」という威勢のいい声が店内に響く。
朝食にしては濃くて、パンチが強くて、口臭を気にする職種の人間には縁遠いものではあったが……ここにいるのは朗らかな笑いと乱雑な朝食を好む夜行性の人々だけだった。
次郎と京子が座った二人席の周りには、じじいやおっさんが丸椅子を寄せてやってきた。
酒が注がれ。
「わたし、飲めませんから!」
ラーメンが運ばれ。
「うわっ、なにこれ……ッ!!! す、すごい……」
じじいたちが取り皿にこぼれそうなトッピングを分けて。
「姫様、このチャーシューは別皿のマヨネーズと一緒に食べると昇天でございます」
などと戯言を吐く。
細ネギともやしがこんもりと盛られ、海苔の防波堤で囲まれた脂マシマシの濃密スープ湾は金色の太ちぢれ麺という財宝を隠していた。
「こ、こんな食べられない……」
最初こそ、京子は怖気づいていたが……。
野菜を崩し、麺を啜って、スープをひとくち。
「ンンンッ!!! なにこれッ!」
あとを引くこってりとしたスープの味わいに、その手が加速する。
「こんなの食べた事ッ……えほっ、えほっ!」
「ああァ、姫様ッ、ほらビールビール!」
ビールを注がれたグラスをぐいと傾けようとしたとき、京子は寸前でとどまって水を飲んだ。
次郎は「濃厚だから引っかかるだろ、喉に」としたり顔で自らのラーメンを啜った。
朝からラーメンを食い、途中で餃子と春巻きのコンビネーションを喰らい、ふたりは満腹と口臭を抱えて店を出た。
「おう、姫様ッ! 飴玉やるぞ?」
「あんたが姫様か。どうだね、これから競艇でレースがあるんだ」
「午後から競馬があるから行かねえか。姫様マネーで大勝負してえ」
道すがら、おっさんたちに言い寄られて京子は「えっ、あっ、あの……」と当惑していた。すかさず次郎が間に割って入り。
「申し訳ないですね。今日はこれから先約がありまして」
なんだい、先約があるのかい。
おっさんたちは「またな姫様ッ! うちのアパートあっちだから、こんど寄ってくれよ」と口々に言い残して去って行った。
京子はおっさんたちが散ったのを見て。
「なんのつもりなのよ!」
「え、ラーメンうまかったろ?」
「あれはすごくおいしかった――じゃなくて、姫様ってなによ!」
「いや、姫様だろ。おまえ」
「そうじゃなくて……状況わかってるの!?」
「わかってる。わかったうえで、やってる」
次郎は平然と答え、京子の腕を引っ張って「ほら、二軒目行くぞ! 食後の運動だ!」と言って歓楽街へと足を進めた。
薄暗い階段を上がった先にある雀荘へ入ると大学生たちが卓を囲んでいた。
「おっ、マジで来た」
「うわっ、すっげえ可愛いじゃん」
「次郎さん、この子は本当にお姫様なのか?」
きょとんとする京子を差し置いて、次郎は大学生たちに「マスター、とりあえずビール出してあげて」とその場の全員にお酒をオゴってあげてから。
「この子は正真正銘の姫様だ。そんな姫様が下民の御遊びに興味があるってんだから、今日は優しく麻雀を教えてやってほしい。どこの卓に入ればいい?」
あ、こっちです、とひとりの青年が卓を進めてくれた。
次郎は京子の背後に陣取るように椅子へ座り、あとの事は大学生たちに任せることにした。
周辺の各大学に所属する麻雀サークルや麻雀部の青年たちである。
単位を落としまくっているのに、牌を触っているような連中だ。顔つきが違う。
「次郎さん、写真撮って良い?」
「もちろん。跳満以上はちゃんと記念撮影しとけよ」
すると学生諸君は「よっしゃっ! 姫様に跳満まんまんしちゃうぜ!」と妙なテンションで騒ぎ出した。夜通し打ちまくったあとだから、思考が壊れているのだろう。
「ちょ、ちょっと次郎ッ! わたし、麻雀なんてわかんないよ!」
「だから、彼らが教えてくれるって言ってるんだろうが」
「そ、そんなァ……!!!」
不安げに振り返った京子であるが、対面に座った色白な青年が「大丈夫、単純な卓ゲーだから、すごく簡単だよ」と牌を組み合わせて、なにかを役を作り……説明を始めた。
次郎はその様子を遠巻きに認めながら、こっくりこっくりと眠気と戦い始めた。
* *
フッと気づいたとき、京子の卓に全裸の大学生が二人座っていた。
床に空のビール瓶とウイスキー瓶が転がり、一万円札がちらほらと散っていた。
「あ、それロン! リー、ドラドラのタンヤオ三色!」
京子の宣言に全裸の大学生が「ぎゃあああ!」と悲鳴を上げて、財布から有り金と思しき札を天井へ放った。
「おら! 負け犬は公開処刑だ!」
誰かがそう言って、観戦していた外野の青年たちがパシャパシャと写真を撮る。
「姫様も入って。狩った獲物と記念撮影を」
「高貴な鷹狩である!」
「豚の間違えだろ」
大学生たちは赤ら顔でそう言って、全裸の大学生と京子、そしてギャラリーで爆笑しながら写真を撮っていた。
この数時間でなにが起こったのだろうか。
げらげらと笑いながら京子は「あっ、また全色揃った!」と高得点の役でアガりを決めて脱ぎたがる男子大学生をひん剥いては、あちこちから「献上品でございます」と炭酸飲料を受け取っていた。
昼食のエビチリと半チャーハン定食が卓に運ばれ、ワンタンスープが添えられる。
昨晩から打ちっぱなしの大学生たちのほとんどは全裸で卒倒し、入れ替わるようにタクシー運転手や業務放棄中の営業マンが卓へ入る。それでも京子の豪運はとまらない。
ときどき直撃を受けたりするが、負けん気の強い彼女はぐっと涙を堪えて。
「次は負けないッ、もう半荘やりましょう!」
そう食って掛かる。
あんた朝一でルール覚えたばかりだよね、と次郎が呆れるほどであった。
午後イチには雀荘に所属しているプロの女流雀士が連絡を受けて駆けつけてくれた。
足立という若くてふくよかな女流雀士は、雀荘の惨状にゲラゲラ笑いながら。
「天才の姫君じゃん! 今日の今日で学生連合を無双するってヤバくない? ウケるんだけど!」
そう言って京子の対面に座った。
二十六歳の新進気鋭の女流雀士である足立は、こってこてなぶっくぶくのブランド財布を取り出して。
「世間知らずな姫様に教えてあげる。金を賭ける麻雀は違法なの。ここに警察が来たら、あたしもあんたも逮捕される」
「えっ、そうなの……!?」
驚いて振り返る京子に「その通りだ」と次郎は答えた。
すると足立雀士は「くくく……」とくぐもった笑いを堪えて。
「だから、熱くなれる。川崎を牛耳る最強雀士が誰か、あたしが教えてあげる」
高いプライドを隠そうともしないふくよかな足立雀士に、京子は「勝負は勝ってこそ、意味がある」と余計なことを言ってしまう。
全裸で這いつくばっていた学生のひとりが。
「ま、まさか……!!! 川崎のアイドル雀士あだにゃんと姫御子さまが、卓を囲んで……!? こりゃ一大事だッ!」
徹夜明けの延長戦でノビて――爆睡して――いた学生諸君を起こして、彼らはしきりにスマートフォンで写真を撮り、必死になにかを操作していた。
「おい、バカッ、おまえの汚ねえの写真に映ってるぞ」
「え、リツイートしちゃったよ! 拡散してるッ!」
「バカ、消せ消せッ! 上げなおせ!」
次郎は隣のオッサンから煙草を一本もらい、深く煙を吸い込んで状況を見守った。
「京子のやつ……あんな真剣な顔するんだな」
牌を引き、考える横顔は次郎の知る京子とは別人のようだった。
一つの物事に集中し、聡い判断をくだす事が出来る為政者のように見えた。
その為政者に対するのはアイドル雀士あだにゃんであり、国民と思しき愚民どもは全裸で踊りまわる大学生たちではあるが……。
「あーんな子を勝手な事情で殺すなんて、絶対に許せねえな」
ぽつりと次郎が呟くと隣の紳士が「焼酎どうだい?」と飲みかけのグラスを差し出してきた。しばし逡巡して「ひとくち頂きます」と次郎は受けた。
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