YPLF あるいは平和を愛する仲間たち

HiraRen

序章

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YPLF あるいは平和を愛する仲間たち

序章


 一九四四年一月二十日

 大日本帝国と米帝は大東亜における戦闘の終結を宣言した。

 エカテリンブルグ宣言により大東亜戦争が終結し、世界は新たな時代を迎えた。



* *



 二〇二六年、第三〇六回 帝国下院・衆議院本会議――。


「投票の結果――本案は、否決されました」


 投票の結果を事務総長が読み上げ、委員長が否決を宣言した。

 それを受けて下院である衆議院では拍手が巻き起こった。

 出席していた総理大臣の六条吹雪は、ジッと目を閉じて拍手を聞いていた。


 ひとつの節目である。


 彼に課せられた責務は、重い。

 その覚悟を改めて感じさせる、拍手であった。

 上院である貴族院へ法案が送られないこと。

 そして――長年、関係者を悩ませてきた『あの問題』にピリオドを打つための『号令』が鳴り響いたように、彼は感じた。



* *



 長野県某所――。


 赤い照明のなかに響いた銃声は、身体を強張らせる音だった。

 あれだけ退屈だった屋敷が燃えている。

 火災を知らせるベルの音と逃げ惑う使用人の声が広間に響く。

 中庭を一望できる大窓が強烈な轟音とともに割れ、暗闇で怪しい光が閃いて悲鳴があがる。

 いつも悪態ばかりついていた彼女は、不意に襲って来た恐怖に声も出ず、脚も震え、どうしていいのかわからなかった。


「お嬢様ッ……こちらへッ! 急いでください!」


 いつもは頼りないバカじいが、ギュッと手を握って食堂の隠し戸へと誘った。かくれんぼでしか使った事のない、背の低い隠し戸である。


「い、嫌よッ……。ねえ、じいも行くでしょ!」


 必死に考えて、なにか伝えなくちゃいけないと思って……けれども出てきた言葉は、変哲もない『いつものわがまま』のように聞こえた。自分自身の言葉であったのに、どこか遠い他人の放った言葉のように、京子の耳には聞こえていた。

 じいの手が京子の腕から離れる。


「いやっ!」


 一方で、ぐいと京子の腕が引っ張られる。


「安藤さん、お嬢様をくれぐれもお願い致します」


 隠し戸に覆いかぶさるようにして、バカじいは真剣なまなざしで安藤に告げた。しわくちゃな好々爺であるはずの『バカじい』の見たこともない真剣なまなざしに

「そんなの、いやっ!」という声しか出なかった。


 スキンヘッドの大男はバカじいに言葉を返したが、京子にはよく聞こえなかった。

 いやよ、どうしてなの、なんで一緒に行かないの、と喚いていたから。


「京子さま、楽しい毎日をありがとうございました。わたしは怒ってばかりの、あまり面白くないバカじいでしたけれども……ずっとずっと楽しく過ごさせていただきました。本当に、ありがとう」


 バカじいはそう言って、そっと京子の頬に手を添えた。


「いやよっ、ダメッ!」


 ぐいとスキンヘッドの大男が京子の腕を引っ張る。

 やめてよっ!

 絶叫したはずなのに……。


 ――ズドンッ!


 ――バズンッ!!!


 白髭のバカじいの胸と腹が爆ぜる。

 両手を下から上へと振り上げるようにして彼はぐあああとか、ぎゃああとか叫んでいた。

 その声はまわりの雑音と「いやあああああ!!!」という自分の声にかき消された。

 目の前で起こっている惨劇はゆったりとした映像のように見えた。

 食堂と中庭を繋ぐ大窓を破って入ってきた兵隊のような人々は、容赦なく黒い狂気の尖端を光らせて……バカじいを背後から撃った。


「だめええっ、じいいいい!!!」

「アホたれっ!」


 ぐいと腕を引っ張られて、彼女の視界は床に押し付けられる。

 後ろからのしかかられるようにして彼女は動きを封じられた。


「あんたも殺されるぞ!」


 パスン、パスン、パスンとこちら側からも抵抗の発砲音が聞こえる。

 スキンヘッドの大男は隠し戸の奥へと京子を引っ張り、黒い闇色のスーツを着た若い男たちと合流した。


「嫌ッ、嫌よッ! バカじいっ、じいいいっ!!!」

「こらっ、暴れるなッ!」


 屈強な肉体のスキンヘッドの男は、煙草臭い息とともに「いま行ったら、じいさんの願いを踏みにじる事になるんだぞ!」と説教じみたことを言った。

 小さな隠し戸を塞ぐように、バカじいは倒れていた。

 その頭上では無遠慮に弾丸が飛び交っている。


「いやっ……そんなっ……!!!」


 別の高窓から東棟が轟々と燃えているのがわかった。


「ううっ、うううっ……」


 顎を皺でくしゃくしゃにした彼女は、身体をギュッと強張らせて「うわああああっ」と泣き出した。

 そんな京子の襟首をつかんで、スキンヘッドの男が廊下へと続く両開き扉へと走った。


「ああっ、あああっ……ああああ!!!」


 脚がもつれる。

 スキンヘッドの男が「頑張れッ、おらっ、頑張れ!」と言い、振り向きざまに発砲する。

 大きな音だったのに、彼女には遠い海岸の砂浜で「京子さまっ!」と叱責するバカじいの声を聞いた気がした。

 十七年間……毎日怒られっぱなしで、口うるさくて、腹が立って、いつも反抗ばかりしていたのに……涙が止まらなかった。

 バズンっ、と銃声が際立った。


「うぐっ……!!!」


 スキンヘッドの男がぐわりと頭を揺らして、踏みとどまった。

 闇色のスーツを着た若い男がスキンヘッドの大男に駆け寄って、彼を抱える。


「若頭ッ! 早く玄関へッ!」

「悪いなッ、あと頼むぞ!」


 肩を撃たれたのか、じっとりとした脂のような血が流れ始めていた。

 京子は目を見開いて、その流血を見つめながら『なにがなんだかわからないまま』走った。

 スキンヘッドの男は歯を食いしばりながら「頑張れ、あと少しだ。おら、頑張れ!」と京子を励まし続け、正面玄関に停まっていた三台の車の一台に乗り込んだ。


「おい、出せよ! 出せってンだよ!!!」


 へい、と運転手が言うなり、三台はタイヤを鳴らして車止めから急発進した。

 車の後部が右へ左へと揺れ、窓からは燃える屋敷の姿が見えた。

 それは忌々しい世界の終焉であるはずだったのに……京子は「じい、バカじい!」と涙が止まらなかった。



* *



 カンッ……!!!


 鳴り響いたゴングの音が歓声を貫く。

 汗と血と熱気の匂いに満ちた室内闘技場で「うおおおおおっ!」とゴングの音を押し返すように歓声があがった。


『おおおっっと! 彼はなんだ。なんなのだァァァ! 川口組の闘士・ニキータ・カミンカスをここまで完全に翻弄しているッ! 葛飾会はどこに、こんな秘密兵器を隠していたんだァっ!』


 室内実況の口上が観客を煽る。歓声がいっそう湧き上がる。

 六角形のリングはフェンスに囲われ、コーナーで葛飾会の若い衆が「あとひと踏ん張りです」と毒にも薬にもならない声を掛けてきた。


「接続者数は?」

「有料放送で三万人です。過去、最高です」


 ちらと中央の電光掲示板に目を向ける。

 現時点での総額掛け金は九八〇〇万円……。

 今大会では最高の掛け金であり、有料放送であるにも関わらず三万人の同時接続は――。


「過去最高の儲けだな、おい」


 言いながら「チッ……」と舌打ちした。

 倍率は対戦相手のニキータ・カミンカスの方が低い。


「こんなデカブツに、俺が負けるとでも?」

「世間はジローさんを認知してない。葛飾会の秘密兵器ですから」


 ふんっ、白山次郎は鼻を鳴らして。


「平和的なシゴトの復帰戦としちゃあ、いい舞台だぜ。ところで、安藤さんはどうした。いねえのか」

「申し訳ありません。急用で」

「てめえの組の負けを取り戻す、起死回生の一試合を急用で片付けんなって」


 カンッ!


 再びゴングが鳴り、フェンスの小窓からマウスピースを受け取り、口に入れた。

 二メートルを超える巨躯のニキータ・カミンカスは、瞼と鼻から出血し、汗でそれらが滲んでいた。顔中が汚らしい血で酔っ払いのように赤く染まっていた。

 身長百七十五センチの白山次郎はテーピングを施した拳をぐっと握り直す。

 右拳を前、左拳を胸元に添え、半身の正眼姿勢を構える。


『おおおっと、また必勝の構えだッ!』


 カミンカスの血と汗が染み込んだ拳のテーピングを一瞥して「ふぅー」っと息を吐く。

 敬愛するインパクト師の格闘術が、こんな押上・スカイツリーのふもとで行われている地下闘技場で負けるはずがない。


 平和な日本での再独立……。

 新たな日常を切り開くための、最初のシゴト……。

 負けられるわけがねえ。


 ニキータ・カミンカスの呼吸を感じながら……スッと目を瞑る。

 歓声、呼吸、熱気……殺意。

 巨大な拳が繰り出される気配を察知し、次郎は身を屈めながら掌底を繰り出す。

 直線的に放たれた拳は手首に叩き込まれた掌底で軌道を変え、空を切る。その間に次郎の踵がカミンカスの腓骨をしたたかに打った。


「うっぐ!」


 ガクンと身体が落ち、次郎の鋭い掌底が側頭と脛骨を連撃する。

 たった数秒の間にワンツーが炸裂し、カミンカスの巨体が大きく揺れる。

 それでも踏ん張って、膝をつかないところは猛者の貫録を認めなくてはいけない。

 次郎は「堂々と殴り合うってのは、やっぱり悪くねえな」と唇の端からもごもご呟いた。


 一歩、二歩と距離を保つ。


 カミンカスが「うぐうあああああ!!!」とうめき声を発して連撃を発してくる。

 その軌道は直線的であり、単調であり、変化に乏しい。

 ひょいひょいと拳を躱し、ときどき相手の手首を掌底で打ち軌道を逸らす。


『なんだっ、おいっ、なんなんだっ! この秘密兵器はッ! カミンカスの攻撃が全然あたらないぞォォォォ!!!』


 五連撃、八連撃、十二連撃……。


 それらが虚しく空をきったとき、次郎は刺突を放った。

 鋭い刺突はカミンカスの舌骨を直撃し、顎が上がる。

 そこへもう一方の手がトドメの掌底を叩きこむ。下顎骨がグキリと歯を打つ感触が手元に伝わる。

 それらの感触が掌から肘に伝わったとき……すでにニキータ・カミンカスは倒壊するビルのように崩れていた。

 川口組の若い衆が慌ててリングへ入り、白いタオルを投げ込んだ。


 カンカンカン――!!!


 ゴングが鳴り響く。

 ペッとマウスピースを吐きだして。


「安心しろ、舌は噛んじゃいない。殺した方が盛り上がるが、もう殺しはやらないと決めたもんでね」


 相手側のセコンドにそう言って、次郎は葛飾会のコーナーへ戻った。

 葛飾会の若い衆が「お疲れ様です」とタオルを差し出してきた。

 金網フェンスから歓声の響く花道を降り、控室通路へと戻った。


「ありがとな。久しぶりに運動出来てよかった。サビてなかった?」

「あっ、いえ、全然……。圧倒的でした」

「褒めてもらうと嬉しいね。何歳になっても。俺は褒められて伸びるタイプかも」


 ハァ……、と若い衆がキョトンとしているので。


「んじゃあ、報酬は現金払いで。どうしても『アレ』なら振り込みでもいいぜ。そもそも、あんたらが銀行口座を持っているとは思えねえけどな」


 そう言って次郎は片手をあげて控室へと入った。

 ちらりと通路に設置されたモニターに目を配る。地下闘技場の配信画面のコメント欄は、荒れに荒れまくっていた。

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