第二節 嘘つき政府なんかに

第二節 嘘つき政府なんかに



 森に落ちたパラシュートを手早く回収した次郎は「よし、おしっこしとくか」と朝陽に向かって山中で立ちしょんべんを始めた。


「バカじゃん、ホントバカじゃん!」


 涙を拭いながら京子は強く抗議したが、両足の震えが収まり、ゆっくりと立ち上がれるようになってきたら……。


「わ、わたしも、その……トイレしたい」

「よし、朝陽に向かっておしっこすると気持ちがいいぞ!」

「あんたと一緒にしないで!」


 そう言って森の茂みの奥へと消えていった。

 その様子を目の当たりにして「やっぱり笑った方が可愛いじゃん」と次郎は呟いた。激しいスカイダイビングを終えて、髪型はすごいことになっていたが……それもまあ、可愛い部類に収まっていた。



 パラシュートをはじめとした装備品の一部を山中に浅く埋めた。

 携行用のリュックを背負いなおし、次郎はスマートフォンを操作する。


「だいぶ風に流されたな」


 山中から眼下の街を見下ろして次郎は言い「ま、市街地に降りるよりは都合がいいか」と言い直した。

 少し離れたところで自らの腕を抱いている京子は「これからどうするの!」と苛立たしげだった。


「東京湾を渡る。ほら、見てみろ。ここが現在地だ」


 スマートフォンで地図を示して彼女に見せた。

 千葉県の木更津市に着陸したと思われる。これから市内を横切り、東京湾横断道路――通称、アクアライン――で対岸の神奈川県を目指す。


「朝飯どきにはぴったりだし、準備が出来たら出発するぞ」


 マイペースに次郎は言ったが、京子はその場にしゃがみ込んでしまった。

 スカイダイビングの衝撃からか。

 激しく自分の命が狙われたせいか。

 大切な誰かを失ってしまった実感が襲って来たせいか。

 彼女は震えながら、けれども「負けないもん」という強い意志による身体のこわばりと戦っているようだった。

 そんな彼女をちらと見て、リュックの中身を整える。


「そろそろ教えてくれてもいいんじゃねえのか。おまえ、なにやったんだ。学校を退学する程度のイタズラじゃねえんだろ?」


 どんなことをすれば武装警察に追い回される環境になるのだろうか。

 自分たちならまだしも「こんなかわいい女の子が」と嘆いた。


「言わない」


 短く京子は拒絶する。


「どうして?」

「言いたくないから!」

「命を狙われてる状況で『言いたくねえ』はないだろう」


 次郎は言い返したが、京子は口を噤んだまま黙り込んでしまった。

 仕方がないので次郎は「行くぞ」と山を下り始めた。

 京子は最初はふらつきながら、けれどもしっかりとした足取りで次郎のあとに続いた。

 強い子だ。

 恐怖と戦う事が出来る、負けん気の強い子だ。

 そう思いながら「言いたくなるまで、聞かねえよ」と一方的に言葉を投げつけて、山道を探して木立の中へと踏み入った。



 山を降りると二階建てのアパートが立ち並ぶ寂れた住宅街に出た。

 あまり入居者が多いとは思えない山際のワンルームアパート群である。

 駐輪場で次郎は一台のビックスクーターに狙いをつけた。


「ねえ……盗むの?」

「警察署の爆撃と比べたら微罪だ。あとで持ち主に謝っておくし、ちゃんと返す」


 キーコンソールのところに器具を差し込み、携帯端末を操作して偽情報を流し込む。

 するとエンジンはいとも簡単にかかった。


「よしっ、盗んだバイクで走り出す青春の再開だ!」


 京子を元気づけるようにぐっとグーサインを作ってみせた。

 彼女は「馬鹿じゃん」と吐き捨てながら、おずおずと後部座席に跨った。



* *



 運転席にセットしたスマートフォンをぽちぽちしながら、東京湾横断道路へと入った。

 後部座席に座る京子もバイクに慣れてきたのか、車線変更の際にも自然と重心をこちらに預けてくれるようになった。


「これからどうなるの? あんな爆撃をやっちゃうのって、もう後戻りできないと思うけど」


 京子の声はエンジンと風の音にかき消されて「えっ、ごめん聞こえない」と聞き返した。彼女はムッとしたような気配を放ち、同じことを『大きな声』で繰り返してくれた。

 それを聞いて次郎は「リアクションを求めたんだ!」と返答する。


「リアクション……?」

「可愛い女子高生を狙う武装警察が居ました。連中の拠点を爆撃したら、そりゃ世間的に大ニュースだ。おまけに練馬駅まで被害が出た! 国民生活大打撃ってやつだな!」

「もしかして、わたしの事を批判してる?」

「ナイスな爆撃だったと思ってる! 駅そのものを吹っ飛ばしたら、それはそれでまずかったからな!」

「でも、わたし……!!!」

「この異常事態を警察はどう発表する? 東京都はなんて言う? 政府はどう説明をつける……?」


 次郎はけらけら笑ってから、透き通るように澄んだ朝の空を見上げた。

 ちょうど陸地から湾の上に出たところだった。

 ムッとするような潮風と朗らかな朝の風、そして柔らかい陽光がふたりを包んだ。


「答えはノーリアクションだった。事件報道がされていない。つまり、この件は『なかったこと』になってる。無理があるだろうな、現地の人々からすれば、現実は確実に横たわっている。でも、国は偽情報を流して事実を隠ぺいした」


 スマートフォンホルダーに収まっている端末をぽちぽちして、次郎は言った。

 ぎゅっと次郎の身体を抱く京子の腕が強張ったのがわかった。


「安心しろ。京子はそんだけの重責を背負ってるんだろ? 理解はしてやれねえけど、少しは肩代わりしてやる。少なくとも、嘘つき政府なんかに京子を殺させやしない」

「……どんな事情があっても?」

「どんな事情があっても」


 次郎がそう答えると背中に顔を押し付けてきた気配があった。

 しばらく彼女はぐずぐずと震えながら涙を流しているようだった。

 泣いたり笑ったり、忙しい小娘だなと思った。

 思ったけれども……。


「おらっ、見ろよ! すっげえいい天気じゃねえか」


 本格的に海の上へ出た道路は、細く鋭い午前の陽光をきらびやかに反射させる海に抱かれて不思議な白さに染まっていた。

 それは空気の白さと言った方が正しいかもしれない。

 海の独特な匂いと海鳴りの音が、現代的なエンジン音と張り合うように響き渡っていた。


「わあっ……」


 京子が息を飲むように呟くのがわかった。


「泣いてたってつまんねえ。京子は笑ってたほうが可愛いんだから、どんなにキツくても前向きにやって行こうぜ。俺、手伝ってやるから」


 次郎の返答に京子はぐっと身を寄せて「お店、ごめんなさい」と呟いた。

 んなもん、どうにでもなる。そもそも、あの店は俺のじゃねえし。

 店も、家も、服も、食い物も、バイクだって……なんとかなる。


「そんなチャチなこと気にするな。それより、朝飯でも行こうぜ。そっちの方が大問題だ」


 遠く向こう側に構造物が見えてきた。

 次郎はバイクの車線を調整して、洋上に浮かぶ商業施設へと進路を変えた。



* *



 練馬で爆発――。


 昨日未明、東京都練馬区の練馬警察署で大規模なガス爆発が発生し、被害が出ています。

 老朽化したガス管のガス漏れが原因とみられ、この爆発に関連する沿線火災により私鉄と在来各線の一部で運休と遅れが出ています。



 東京湾パーキングエリア『海ほたる』の商業施設に備え付けられているモニターを次郎と京子はソフトクリームをぺろぺろしながら見上げていた。


「ほえーっ」

「どーすんの、ジロー。なんか、これって」

「ああァ……」


 メディアが誤情報を流している。報道協定に基づく報道管制で、筋書きを用意したのは政府だろう。つまり政府とメディアが一体となって事態の制御を試みている。


「こりゃ、ただのテロ事案で済みそうにないな」


 関与した全員を殺害して、すべてが終わってから真実を公表するつもりだなと思った。

 隣に佇む京子に目を向けて。


「おまえ、やっぱりすげえ悪いことしたんだろ。退学じゃ済まないレベルの。どんなもん万引きしたんだ?」

「万引き程度で命狙われるわけないでしょ! それに、万引きなんてしてない!」

「爆撃はしたけどな」

「うっさい!」


 げじっ、と彼女に脛を蹴られて「いてっ!」と次郎は飛び上がった。


 なにはともあれ……。


 政府は事実を隠ぺいした。

 隠ぺいしてまでも、京子殺しの件は穏便かつ速やかに処理をしたいようだ。

 そうなるといよいよ……。


「邪魔したくなっちゃうンだよなァ……」


 圧倒的な権力が、弱い者をいじめる。

 そうしたシーンを転覆させるのが、次郎はほとほと好きだった。

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