第二章

第一節 あの娘どもを消すために。




第二章

第一節 あの娘どもを消すために。



 六条吹雪(ろくじょう ふぶき)首相は不機嫌だった。

 日も昇り切らぬ時間に起こされ、簡単な朝食を執務机で食べることとなっていたからだ。


「まったく、なんだと言うのだ。騒々しい……」


 御年六八歳の六条吹雪はテレビのチャンネルをぽちぽち廻しながら、ガウンのまま焼きたてのトーストをかじった。

 とくに緊急を要するような報道はない。

 すると向こう正面の扉がノックされ「どうぞ」の声を待たずに開かれた。

 入ってきたのは若い秘書官である。


「おい、なんのつもりだ」

「総理……」


 こちらの指摘を聞く気配もなく若い男の秘書官は六条吹雪のもとへやってきた。

 二口目のトーストをかじったところで、口のなかがパサパサになりつつあった。手元のマグカップに注がれた牛乳をスッと口に運び――。


「練馬が爆撃されました」

「――ブウウウウウッ!!!!」


 黒檀の執務机にトーストの破片と白い牛乳が血潮のように飛び散った。


「ば、ば、ばくげきぃ!?」


 戦争か。


 戦争を仕掛けられたのか?


 どこの国だ。誰が?


 いやいや、先月にマルセイユで主要先進国とG20で良い具合に写真を撮ったばかりだ!


「だ、誰がやった?」

「テロ組織です」

「ど、ど、ど、どこの?」

「YPLF……『やもやもと平和を愛する仲間たち』と思われます」

「し、知らん知らん。そんな素っ頓狂な連中など知らん!」


 すると再び向こう正面の扉がトントンとノックされ「どうぞ」を待たずに扉が開いた。

 どうして早朝の首相官邸に、こうも失礼な連中が多いのだ、と思ったが……。


「貴船さん……?」


 見知った男が入ってきて、彼に続いてもうひとり……。


「獅城さんまで……?」


 貴船は五十代半ばの品の良い男である。

 色白で芯が緩く、なよっとした印象を受ける。

 一方の獅城はずんぐりむっくりのぶっくりで、いかにも防衛大学から上がってきたエリート軍属という……六条の好まない類の男である。たしか、年齢も六十代半ばだったであろう。

 ふたりは手近な椅子に――獅城は率先して腰を降ろした。

 牛乳を噴いたガウン姿の総理を前に、開口一番で獅城防衛大臣が言った。


「今しがた牛乳をお噴きになったように、練馬がテロ組織によって爆撃を受けました。防衛出動により、当該の爆撃機はすでに撃墜いたしました」


 彼は椅子にどっしりと腰を据え、当然のことを当然のようにこなしました、と胸を張って報告した。

 一方で青白い顔をしているのが貴船宮内大臣である。

 この男が蒼い顔をするのは、いまに始まったことではないが……六条吹雪はムカムカした。


「総理……あの、聞き及んでいることかもしれませんが」

「早く言え。死傷者の数は官房長官に。交通インフラは国土交通省へ投げろ。報道管制の相談か? それなら、さっさとやれ、が答えた」

「いえ、報道管制はすでに実施しております。その、お伝えしなくてはいけないのは――」

「なんだ、早く言えッ!」


 どん、と掌で執務机を叩いた。

 誰のおかげで宮内大臣の席に座れていると思っているのだ、という言葉はぐっと飲み下した。面倒な獅城防衛大臣が居なければ、開口一番で放っていた言葉である。


「今回の爆撃については、例の件と関係しています。その、長野の三田京子です……」


 長野の三田京子……?

 はて、と思ったが、秘書官が「武装警察が取り逃がした娘です」と耳打ちした。

 そうして六条吹雪は多くの事を察して頭を抱えて「はあああああああ!!!!」と尋常ではないため息をついた。

 首都侵略を許した独裁者のようにぶるぶると手を震わせながら。


「つまり、なんだ。武装警察がまたしくじった。しくじったばかりか、拠点の練馬署を標的とした爆撃を受けた……と? しかも、敵方は素っ頓狂な名前の宗教集団ときたか?」


 すると獅城防衛大臣が「状況は総理の考えているより、もっと悪い」と断言した。

 ハッとして顔をあげた。


 待て待て待て……!!!


 どうして獅城防衛大臣が、この話に乗っかっている。


「どういう意味ですか、獅城さん」


 獅城防衛大臣は足を組みなおして。


「YPLF『やもやもと平和を愛する仲間たち』は防衛省も監視を続けている国際テロ組織です」

「それは聞いた! 殺したんだろうッ?」

「川口市で文化財指定されていた爆撃機は撃墜しましたが、殺害に至ったかどうかは未確認です」


 文化財指定――!?


「飛ぶのか、そんな骨董品が?」


 すると秘書官が「文化財指定とはそういうものです」と補助した。


 待て待て待て……!!!


 アタマが混乱していて、うまく呑み込めない。

 獅城防衛大臣は六条吹雪首相が頭を抱えていることなどお構いなしに言った。


「伝説的な傭兵である白山次郎を筆頭とした三人組の日本人グループと思われる。それがYPLF『やもやもと平和を愛する仲間たち』です。主に紛争地帯を渡り歩いていた三人で、先進国と敵対する組織に与する活動を続けていました」

「命知らずな単なるバカにしか思えん」

「遠からず、その推察は当たっておりますでしょう。しかしながら、苛烈極まる紛争地帯で一度ならず幾度もその名を目にします。彼らは事実として死んでいないし、相応の『ルート』を持っている」

「……ルート?」

「川口市の『連山』を飛ばしたり、米帝製の武器を喫茶店に据え付けたり、やろうと思えば核弾頭を搭載した大陸間弾道ミサイルを東京に撃ち込むことだってするかもしれません」

「はんっ……!!! まるで夢物語だ!」

「ですから『伝説の』などと言われるのです。彼らは」


 六条吹雪はぐっと奥歯を噛みしめて獅城防衛大臣に言った。


「我が国の防衛大臣が、そのような伝説に惑わされているというのは、困ったものだね」

「これが伝説と言う名の幻想であるかどうかを見極めるために、監視を続けていました」

「だが、その監視も役には立たなかったのではないか? こうして練馬を爆撃されているのだからな!」


 首相の反論に獅城は静かに目を閉じて「おっしゃる通りです」と非を認めた。

 わずかに胸がスッとした六条吹雪であったが、獅城防衛大臣が「なので、状況は悪いのです」と続けた。


「わたしは宮内省とは畑が違うので、詳しくは存じません。公家の皆々様が秘密裏にコソコソと動き回っている事案に、YPLFが関与したコトを憂慮しているのです、総理」


 言っている意味、わかりますか。

 獅城防衛大臣の無言の圧力が六条首相を襲った。

 六条も貴船も由緒ある京都の公家の出である。

 もともとは宮内省の職員であった二人は、そのまま政界入りし……公家の後押しや支援を受けて昇りつめた。

 それは特殊な慣例や秩序によって保たれてきたものであり、獅城のような軍属が介入できるものではない。

 ぐっと怒りと当惑を胸の奥へ押しやって、貴船宮内大臣を睨む。

 この無能がヘマをしてくれたおかげで、余計なところに火の粉が散った。

 防衛省という最も面倒な連中が『あの件』に介入してくるような事になれば……一大事では済まない。

 最悪の事態を想定しなくてはいけない。

 六条総理は天を仰ぐように息を吐き「早朝にもかかわらず、手を煩わせてしまって申し訳ないね、獅城さん」と穏やかな声で言った。

 おや、と獅城の眉が緩んだのを認めて、六条総理は言った。


「防衛省の諜報局が掴んでいる通り……我々は娘たちを秘密裏に処分している。法に拠らず、表に出してはいけない事柄を進めている。数日で終わる予定であったが、獅城さんの懸念通り……長引いている」

「大変な事をしてくれましたね」

「たいへんな事だ。しかし、これは誰かがやらねばならん。この意味を理解する事は難しい。獅城さんは理解しない方がいい。それが、あなたの身のためだ」

「言っている意味がわかりません」

「防衛省も協力してほしい。我々は人員が不足している。元をたどれば、人員と予算不足が警察の力を借りなくてはいけない事態を招いた」


 聡い防衛大臣は六条首相の嘆きを推察したのか、ぽつりと言った。


「皇軍が動いているのですね」

「そうだ。この件の仕切りは皇軍がやっておる」


 ぐっと目を瞑り、首相は続けた。


「だから、自衛軍も協力してほしいのだ」


 あの娘どもを消すために。

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