最終節 戦争文化遺産

最終節 戦争文化遺産



「もおおおーーーーーッッッ、なんなのっ、ねえ、なんなのよおおおおお!!!」


 ぶいいいいいいいいいいいいいいいいん。


「えっ、なんか言ったか?」

「言ったッ、言ったッ、言ったってばッ!」


 ぶいいいいいいいいいいいいいいいいん。


 激しい四発のエンジン音に京子の声はことごとくかき消され、ほとんど次郎の耳には届かなかった。

 中下段になっている細い通路から長澤がひょいと顔を出して「マイク、マイク切れてます」と指摘してきた。

 次郎はすし詰め状態の空間で、京子の背中から手を廻した。


「おらっ、スイッチ入ってねえじゃん。ここ入れて。それでこう、ぐっとかぶる。マイクはこれね。これで喋る」


 操縦席に座る長澤が「あっ、聞こえます。良い具合ですね」と言って通路から消えた。きっと操縦席に座り直したのだろう。


「だああああっ、なんなのよおおおおおっ!!!」


 あまりの大音量で彼女が喋るものだから、次郎はびくりと肩を震わせた。

 上下左右がガラス窓で覆われ、突き出た鼻先から見える関東の夜景は素晴らしかった。

 大都会の空を駆る爆撃機『連山』は、過去の大戦の記憶と現代の忌々しい法令への恨みを抱えて規定高度へと達したところだった。

 夜空は今日も穏やかで月光は時々鋭かった。


「いいですか、皆さん! すでに帝都の上空へ入っています。爆撃後はすぐに羽田沖の東京湾へ離脱をします。レーダーにかかっているので、間もなく厚木から邀撃機が上がってきます。迅速に離脱をお願いしますね!」


 長澤の指示に乗り組んでいた五名の老人たちは「よっしゃあっ!」「かかって来いッ!」「補聴器の調子が悪いんだ。もう一度言ってくれないか?」と口々に声を上げていた。

 美しく、強烈なエンジン音を響かせる『連山』は、川口市の舟戸ヶ原滑空場に併設されている航空記念公園で大切に保管されていたものだ。

 過去の大戦で大日本帝国がアメリカ合衆国と早期講和に持ち込めたのは、この『連山』によるサンディエゴへの絨毯爆撃が決め手と言われている。

 そうした輝かしい記憶――一方で悲惨な戦争の記憶――をはらんだ『文化財』は数十年も大切に整備され、展示され、川口市の名所のひとつとして存在し続けてきた。


 しかしながら――。


「なあああにが、文化財じゃ! 修理しようにも煩雑な申請書ッ! 審査に、審議ッ! しょーもない補助金しか払わねえくせに、役所の素人どもは『ここがダメ』『壊れている』『損傷の度合いは……!!!』なんて言いやがるッ! 俺達の年金が、こいつにどれだけつぎ込まれているのか、役人どもに教えてやるッ!」


 副操縦席に座る老人が、保存会の総意を代弁するように叫んだ。


「でぇ、長澤の旦那ッ、どこだっけ? 文化庁だっけ?」

「いいえ、練馬の武装警察署です」

「へへんっ、役人ならどこだって構うもんか! 警察連中は年金受給者をゴミみたいに扱いやがる。今日は、そのお返しだ!」


 高齢者という生き物は肉体こそ衰えつつあるが、その胸の内にある魂は年月の経過とともに強靭なものになっていくのだろうか。

 平和な日本に居ながら、もっとも血気盛んな人々であると次郎は思った。

 一方で京子はぶるぶると震えていた。


「あわわわ、飛んでるッ……飛んでるぅっ!」


 ガタガタガタッッ!

 バズンバズンッ、ブルルルルッ……ブウウウウンッ!!!


 年代物の発動機がときどき妙な音を立てて機体を振動させる。


「ファーストクラスとは言い難いが、スリルがあってすげーだろ!」


 次郎の指摘に京子は「よくないわよ!」と言ってそっぽを向いた。


「もしかして、高いところダメだったりするのか?」

「もしかしなくても、ダメなのっ!」


 機体の最先端にあるガラスで囲まれた一角――爆撃手のポジションに陣取る京子は、肩にぐっと力を入れてシートに収まっていた。

 京子は自らを奮い立たせるように、そして気を散らすために叫んだ。


「あんた達ッ、いったいぜんたいなんなのよ! 喫茶店に大きなマシンガンは置いてあるし、秘密の地下通路から逃げ出すし、挙句の果てには骨董品みたいな爆撃機で空を飛んでるじゃない!!!」


 この問いかけに次郎は「ふふんっ」と鼻を鳴らした。


「世間一般的に言えば、俺と秀樹は国際指名手配犯だ。賞金を懸けてくれてる国もあるんだぞ!」

「悪人じゃない!」


 すると長澤が「そうですね、端的に言えば」と付け加えた。

 ただ、それだけでは誤解されるので……次郎はいつもの言葉を付け加えた。


「俺達は『平和を愛する仲間たち』だ。いつしか、それが国際テロ組織の名称になっちまったが、誰もそんな事は望んじゃいねえ」


 すると老人の一人が「高齢者の願いをかなえてくれる仏さんみたいなもんなのにな!」と合いの手を入れてくれた。


「違いねえ!」

「爆撃機は飛ばしてナンボだ!」

「百キロ焼夷弾の準備も万全だぞォォッ!」


 物騒な高齢者の合いの手が飛び交い、「あっ、はっはっはっ!」と笑い声が上がった。

 京子は慄くように次郎を見つめながら。


「平和を愛する仲間たちって……嫌よッ、わたしはそんな胡散臭い仲間になんてならない!」

「おいおい、別に仲間をリクルートしてるわけじゃない。どちらかと言えば、京子を守っているんだから平和の守護者じゃないか」


 この指摘に京子は「そ、そうだけどさ……」と不服そうに頬を膨らませた。

 すると長澤が言った。


「盛り上がっているところ申し訳ありません。そろそろ爆撃予定コースに入ります。京子さん、お願いしますよ」

「お、おねッ……って!!!」


 次郎が爆撃照準器を覗き込む。

 大まかな風向きと速度から照準を絞って――。


「マニュアルでやるぞ!」

「気流に注意してください!」


 次郎は京子に爆撃照準器とトリガーを示して。


「やっちまえ。おまえの命を狙うバカどもに、撃たれる怖さを教えてやれ!」

「で、でもっ、わたし……」

「おらっ、急げよッ! 少しでも投下のタイミングをミスりゃあ、百キロ焼夷弾の雨が練馬の住宅街を焼くぞ!」


 そ、そんなァっ、と京子は慌てて照準器に飛びついて。


「どこ、どこのタイミングなの!」

「まんなかの十字にポイントを合わせて……機体が通過するタイミングでッ――押すっ! それ、いまだッ!」

「いまっ、押すっゥゥゥ!!!」


 ぐっと京子が投下のボタンを押すと後方でバガンッと投下扉が開く音がした。そうしてからガゴガゴと機体に音が響く。

 映画で聞くような爆弾が落下する細く長い音は聞こえなかったが――。


「ありゃりゃ、ちょっとズレましたね」

「んあーっ、練馬駅の一部をやっちまったかな」


 長澤の嘆きに次郎も同意しながら。


「ま、明日の朝は通勤ラッシュがしんどくなるオマケ付きだが、上出来だ」


 京子にハイタッチを求めると彼女は「ハァハァ……」と肩で息をしながら、弱々しくタッチに応えた。

 そうして次郎は腰をかがめて操縦席へと続く細い通路を潜り抜けた。


「京子ッ、行くぞッ! 脱出だ!」

「えっ、えっ、脱出って……!? 着陸は?」

「あほかッ! 邀撃機が来るぞ、こいっ!」


 ガッと京子の腕を掴んで機体の扉へと向かう。

 通信士の老人がグーサインを作り「文化財の廃棄処分は俺たちに任せろ」と言って機体の扉のロックを外した。

 次郎は「まったくだ」と言いながら京子の背後に回り、連結具を取り付ける。

 そうして通信士の補助を借りながらパラシュートを背負った。


「ま、まさかとは思うけど……、いま降りないよね?」

「俺とのタンデムは嫌か?」

「違う違う、そうじゃない。そんな事を心配してるんじゃない!!!」


 マイク付きのメットを通信士が回収してくれる。


「秀樹ッ、あとでなっ!」


 次郎の問いかけに操縦席の長澤はグーサインを作って答えた。


「じゃあ、あと頼みますよ」


 通信士の老人に言うと。


「市民が廃棄するとバカみたいな金がかかるからな。だから、あとは国に処分してもらうよ!」


 彼はそう答え、扉を内側にスライドさせて開けた。

 猛烈な突風が機内を吹き荒れた。


「嫌ッ、嫌ッ、嘘でしょおおおおッッッ!!!」


 じりじりと扉に近寄り、夜空を臨む。


「楽しいぞ!」

「楽しくないッ、いっ、イヤアアアアアアアッッッッ!!!!」


 京子の悲鳴とともに次郎は夜更けの空に身を任せた。

 たった数秒の出来事ではあった。

 熟練の航空隊員である老人たちが、次々と離脱し、長澤も機体から離れたであろう数秒後に……猛烈な音とともに黒い影が夜空を切り裂いた。

 厚木から上がってきた航空自衛軍の邀撃機であろう。その姿は闇に紛れ、あまりの速さに影を捉えることで精いっぱいだった。

 戦争文化遺産の『連山』は真っ赤な業火に包まれて夜空に踊った。

 機体が真っ二つに折れ、火焔を身にまといながら夜空を真っ赤に照らした。

 それは煌々と輝くささやかな流れ星のようだった。


「綺麗だなァ……。そう思わねえか?」

「きゃあああああああっ、やああああああああっ、あああああああああ!!!」


 京子に問いかけた自分がバカだった、と次郎は悔やんだ。

 長年にわたって役目を終えた『連山』は厚木よりあがってきた航空自衛軍の邀撃機によって火だるまとなり、長澤が目測したとおり……羽田沖の東京湾を目指して崩れ落ちて行った。

 保存会の年金を吸いつくそうとする『文化遺産』は、行政の手で廃棄処分となった。煩雑で遅々として進まない審議を経ず、一瞬で。

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