第五節 自らの人生を呪っている

第五節 自らの人生を呪っている



 夕方から夜になると川崎の街は活発になってくる。

 駅前のパチンコ店『ネクスト・エース』もサラリーマン客を相手に出玉を煽ってネオンサインを激しく明滅させていた。

 二階の仮眠室の戸を前にして、次郎は「ふぅー」と息を吐いてノックした。

 なかから「なに?」と声が聞こえてきて、入ってもいいか、と聞くと構わないと彼女は答えた。

 次郎が室内に入るとベットと机だけが置かれた狭い物入れのような仮眠室がそこにあった。

 冷たい金属製のベッドと妙にギシギシと鳴るマットレスのうえに、京子が膝を抱えて座っていた。


「眠れたか?」


 わずかに彼女は頷いた。

 次郎は事務椅子を引っ張って腰かけた。

 京子は言った。


「軽蔑したでしょ?」

「軽蔑……? なぜ?」

「わたしは、人間じゃないから」

「キミは人間だ」


 ふん、と自嘲気味に京子は笑い、膝に顔を埋めるようにしてこうべを振った。


「人権がないもの……」


 次郎は返答しようと思っていたいくつかの言葉を吐息とともに呑み込んだ。

 彼女がいちばん状況を理解している。

 自分の置かれている状況を理解しているのだ。


「キミは内親王殿下だ。政治的な、くそ面倒なしがらみがあるけれども、俺はそう思ってる」


 そう言って次郎はぐるりと狭苦しい仮眠室を見回す。

 もともとは美香が使っている仮眠室である。

 アメリカの刑務所のようなギシギシベッドに、古いスチールデスク。分厚いビニールカバーのかけられた壊れたプリンターと電話線を抜いた電話機……。部屋の高い位置に据え付けられていた戸棚には『災害セット』と書かれた、使用したら人災が起こるのではないかと思うほど埃かぶった古代の遺物が残されている。


「こーんな場末のパチ屋に押し込められちゃ、たまんないよな。暴力団から国際テロ組織に身柄が移されるなんざ、流転もいいところだ」


 まったく「なんて境遇だ」と次郎は嘆いてキイキイ鳴る事務椅子に深く腰を預けて裸電球を仰いだ。

 京子はなにも言わなかった。

 沈黙のなかで次郎は言った。宣言に近いものだった。


「あんたは望んで内親王になったわけじゃない。なにも京子は悪くない。キミはいたずらをして退学をしたわけじゃない。最初から入学すらしてなかった」


 ぬっと次郎は立ち上がり、腰から拳銃を取り出して彼女の座るベッドの脇に放った。


「……次郎?」

「善良な女の子を見捨てるような事はしない。それに、俺達がふざけた世界の、バカげたもんをたくさん紹介してやる。楽しくて、笑えるような世界を!」


 すると京子はくすっと笑って。


「次郎は優しいんだね。ううん、長澤さんも、美香さんも、みんな優しい」


 そう呟いて放られた拳銃に視線を落とした。


「あたり前の事をしているだけだ」

「そうかもしれないけど……命が掛かってる。わたしに関わったせいで、お店も、バイクも、家も……いろいろなものが壊れてしまった。最後には、きっと命まで壊されちゃう」


 彼女はそう言って悲しそうな目をして拳銃を手に取った。

 自分自身が災禍を招く。

 それは政治的な論理によって引き起こされる人災であり、災難である……と京子自身が理解しているようだった。


 納得が出来ない。


 理不尽なコト……。


 次郎は心の底から、彼女を消去すべきと主張する連中を憎んだが……京子自身は自分のせいで人様に迷惑が掛かる事を極端に恐れているようだった。

 くすっと笑って京子は拳銃を示して。


「どうして銃をよこしたの?」

「護身用だ。丸腰じゃあ、しんどいだろ」

「撃ったこともないのに」

「近くからよく狙えば、誰しも当てられる。要は慣れ、さ」


 すると京子は「慣れ、ね」と頷いて、肩の力を抜いて次郎を見上げた。

 可愛らしい十七歳の泣き笑顔だった。


「次郎みたいなヒトにもっと早く出会いたかった。たった数日だけど、楽しかった。ありがとう」


 そう言って彼女はすぅーっと息を吸い込むようにして、自らのこめかみに銃を突きつけた。


 カチカチカチ……!!!


 思い切りの良い音が虚しく仮眠室に響いた。


 遠くから美香が腕を抱えてこちらの様子をうかがっているのが、鏡で見えた。


「どおおしてよおおっ! なんで、なんで死なせてくれないの!!!」

「だから、弾入れるわけねえだろう」


 銃を取り落として、ベッドに崩れ落ちる京子を見つめながら、次郎は改めて言った。


 うわああああああああん、と京子は泣き出した。


 ここ数日の間で、幾度か聞いた声である。

 その声は聞けば聞くほど……彼女の身体にかけられた重圧と言う名の呪詛の強さを感じた。


 三田宮京子は自らの人生を呪っている。


 それがわかるから、次郎も美香も軽口を叩けなかった。

 わんわんと小汚い仮眠室のベッドで彼女は泣いた。


 遠く階下でパチンコ台の乱雑な音が低く響いていた。

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