第四節 隠し子

第四節 隠し子



 矢沼美香は三十代――ではなく、二八歳の独身女……ではなく、頼れる情報員である。

 一通り暴れた美香は、気を取り直してデスクの前に腰を降ろした。

 次郎は「いてて」と引っ掻かれた頬や首筋を擦りながら「話を進めよう」と提案した。

 美香は京子をジッと見据えてから。


「この娘を調べた。この事件の中心は、この子にある」

「そりゃわかっている。命を狙われているわけだからな。その理由を知りたい。彼女はまだ話す気にならんそうだ」


 ふんっ、と美香は鼻を鳴らして。


「便秘が自然に出てくりゃ便秘にならないのよ。強引に出すために、いろいろと手立てがある。相応の痛みが伴うけどそっちの方が早くて確実ッ!」


 そう言って美香はデスクに向き直り、キーボードを叩いた。

 京子の顔に不安の色が色濃く浮かんでいる。

 次郎が「心配すんな」と声を掛けたが、彼女の表情は明るくならなかった。


「三田京子さん。長野県内に現住所があるけれども、大事なものがない」

「マイナンバーはあるんだろ?」

「ええ。マイナンバーはあった。でも、戸籍がない」


 戸籍がない?

 次郎が繰り返すよりも早く、美香がぐるりと椅子を廻して京子を鋭く見据えた。


「嘘をつかないでね。どうせバレるから」


 そう言って美香は脅しかけるように言ってから。


「あなた、皇族でしょ?」


 妙な沈黙が室内に漂った。

 バチバチの防音対策をしているハズなのに、あまりの静寂のために階下のパチンコ店の音がじわじわと足元に昇ってくるような気がした。

 沈黙を続ける京子に対して、美香は再び画面を操作して情報を呼び出す。


「三週間前に衆議院本会議でとある改正案が否決された。あなた知ってるよね?」

「皇室典範に関する内閣府提出の改正案……」

「その通り。女系天皇を容認するか否か――の改正案」


 美香の指摘に次郎は小首を傾げた。

 確かに天皇の後継者問題は以前から議論をされていた。直系男子はおろか、皇室そのものに子が居なかったからだ。

 けれども、その問題は数年前に万事解決した。

 皇后がめでたくも男児を産んだため、激しく議論されていた女系天皇論は棚上げされた。

 美香は解説するように――京子を追い詰めるように言葉を続けた。


「知っての通り、三年前に男児が生まれた。女系天皇を是認する理由が不要となった。だから、今回の皇室典範の改正案は否決された」


 不審な点はない。

 次郎はいよいよわからなくなって。


「特に問題はないように思うけど……どうして、京子がそれに関係しているんだ?」

「仮に男女を問わず、子が生まれなかったときに登場させる親王か内親王がどうしても必要だった。皇室を維持するためにね。では、縁遠い旧華族まで皇位継承権を拡大すべきか否か。時間が経てば経つほど、子を作る見込みが薄くなると宮内省は考えていたのね」

「高齢化してくるとそれなりにリスクが伴うわけだからな」


 そういうこと、と美香は頷いてから。


「皇位継承権の拡大は正統な皇室を保つという目的に反する。まして、次期天皇となる存在が一度は民間に下った旧華族から選出されるというのにも、抵抗があるでしょう? だから宮内省は女系天皇を承服したとしても、絶対的に譲りたくない条件があった」

「今上天皇の子であること……か」

「そういうこと。つまり、彼女は――」


 美香の指摘を待たず、次郎は先回りして。


「天皇の隠し子――?」


 ええ、と美香は冷徹に頷いて。


「十七年前に仕込まれた娘は不要になったのよ。男児が生まれ、皇室典範も否決され、彼女は不要になった。表に出せない事情だけが残ってね。しかも事故かどうかはわからないけど、皇后ではない女性との間に子がある……妾腹の子がある、なんて言うのは現代の倫理と道徳観じゃあ容認できないでしょうから」

「残酷なもんだな。いや、身勝手だ。京子に落ち度はない」

「宮内省は頭を抱えたでしょうね。国体と皇室を守るためには、妾腹の子でも容認すべきか……。もしかしたら、この妾腹の子すら官僚主導で進められた可能性すらある。きっと官僚たちは、事態を完璧に制御するつもりでいたんでしょうね」


 宮内省か……。

 なんともひどい省庁だな。

 美香は再び画面を操作して、複数の女性の顔を呼び出した。


「この三日間で表沙汰になっていない事件や事故が十六件も起こってる。八件が交通事故、二件が自殺、四件が強盗、二件が行方不明……。個人ブログやSNS情報を中心にAI検索で拾っただけだけど……全部が十五歳から十七歳の女性だった」

「おいおいおい……。天皇の隠し子ってのは、京子だけじゃないってことか?」

「これだけ短期間に、かくも鮮やかに女子高生がこの世から退場している事を考えると……彼女以外にも該当する人物がいるのでしょうね。彼女たちにも共通して戸籍がない」


 ふむぅーと次郎は腕を組み「すんごい問題にブチ当たったな」と嘆いた。


「美香の言う通り、京子が天皇の隠し子だとするならば、これまでの報道管制や武装警察が強引に動いた理由も説明できる。しかし、どうしてだ? 皇室に男児が生まれたのは三年前で、今年じゃあない。なんで『いま』なんだ?」


 次郎の疑問に美香が肩を寄せる。

 バチバチとキーボードを乱雑に叩き、画面にとある男の顔を呼び出した。


「いまの総理大臣はだあれ? そう、六条吹雪。彼は元宮内省の官僚で――」

「処分派の筆頭だった」


 ぽつりと京子は言い、バツが悪そうに視線を落とした。


「宮内省内には、わたし達の処遇をどうするか常に葛藤があったと聞いています。殺してしまうべきと言う『処分派』と匿い続けるべきと主張する『保護派』の対立です。ですが、昨年末に『処分派』の筆頭だった六条吹雪が与党の総裁選挙で当選し、首相になった。そうして彼と距離が近かった貴船将人が宮内大臣になりました。二人は京都の名門公家の出身で、彼らを政界の高みに押し上げたのは、ほかならぬ公家たちです。きっと処分すべきという意見が大半を占めていたのでしょう」

「……で、当初より計画されていた処分案が実行された、と」


 次郎の問いかけにこっくりと京子は頷いた。

 公家たちは『偽物の嫡子』を消せと言い、民間出身の官僚たちは『保護すべき』と主張したのだろうか。悲しい事に、政権与党も『処分すべき』という認識で一致しているのだろう。だから、六条吹雪が総裁となり、首相の座に就いた。

 京子はぐずぐずと鼻を鳴らして、手の甲で涙を拭い、気丈に顔をあげた。


「わたしは三田宮……。いま、美香さんが話したように、皇族です。この一件でたくさんの人が、殺されてしまった。わたしのせいで……」


 うっうっうっ……と呻いていた京子は、腰を折って自らの膝に突っ伏すようにして「ふえええええんっ!!!」と泣き出してしまった。

 次郎と美香は顔を見合わせて、無言のうちに検討を進める。


 京子を危険な世界から隠すか。

 それとも、この危機の根源を取り除くべきか、と。

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