第十節 いま、言っとく

第十節 いま、言っとく



 翌朝もラーメン店に行った。

 京子は暴力的で犯罪的な濃厚ラーメンが好きらしい。

 次郎と京子がテーブル席に着くと常連が「姫様、餃子と冷酒頼むけどいる?」と声を掛けてきた。


「未成年です、まだ!」


 京子のツッコミにがははは、とおっさんたちは笑う。

 競馬新聞と競艇新聞が彼女のテーブルに献上され、注文したラーメンが届けられる。


「あ、あの……!!! わたし、これ頼んでない」

「頼んだよ。それで間違いない」

「でも、バターとネギマシマシとトリプルチャーシューは……」


 すると常連の幾名が「それは俺らからのおごりだ」と冷酒を掲げられた。

 京子は「あ、ありがとう……」と言いながら「違う、朝からこんなの食べられないッ!」と言い直した。


「朝から濃厚ラーメン食いに来てるんだから、多少トッピングが載った程度じゃあ変わんねえよ」


 次郎はそう言って「んじゃ、チャーシュー一枚いただき」と箸を伸ばした。


「あっ、ダメだって! それ、わたしの!」


 朝からこんなのは食べられない、と言っていた姫君はどこへやら……。

 これから午前の雀荘へ出かけるわけで。

 そこで繰り広げられる激戦に備えるように、彼女はガツガツとトッピングマシマシのラーメンを平らげた。




 たった一日だけだったというのに、やもやもの紹介もあってか雀荘はいつもより多くの人で賑わっていた。

 主に暇な大学生が中心ではあったが、京子と卓を囲んで健全な麻雀を打った。

 豪運の姫様に大学生たちは「ぐあーっ、全裸じゃああ」とか「またトンじまったァァァ!」と阿鼻叫喚だった。

 二日目にして手慣れた打ち廻しをする京子を見ていて「こりゃ歳重ねたら化けるかもな」と思った。派手な紅を塗り、片手に煙草を挟んで冷酒かウイスキーをくいくいしながら牌を切っていく様が、どことなく目に浮かんだ。

 それで、いいと思う。

 そこに京子の居場所があるのなら。

 次郎は京子の用心棒のように雀荘の片隅でスマートフォンを確認しながら、煙草をぷかぷかふかして時間を潰した。

 美香の施策のおかげか、全国各地で「#姫様」が横行している。目撃情報が神奈川県に集中するのを防ぐためだ。


「あっ、来たッ! ツモッ!!! メンタンピンのドラ! 裏がァ……乗りましたァっ!」


 またかよ、と京子の卓から悲鳴が上がった。

 けたけたと京子は笑いながら「次はそっちに運が向くよ!」と励ましながら、全自動卓に牌を流しいれていく。

 遠くからではあるが、やっぱり京子は笑った方が可愛い。

 自然と笑えるようになってきたことに次郎はホッとした。




 夕方の早い時間に雀荘から引き揚げて、またラーメン店でマシマシな夕食を食べた。


「なんかさー、おっさんたちが臭い理由がわかった気がする」


 繁華街を歩きながら京子はそう言って次郎を見上げた。


「なんだよ。俺が臭ぇって言うのか」

「臭いよ。でも、あんなハマっちゃうご飯を知っちゃったら……抜け出せないもの。匂いとか、どうでもよくなっちゃう」

「ジジイ化してるぞ、姫様」

「姫様じゃないし」


 唇を尖らせて彼女は言い、ふふふと笑った。

 くるりと次郎の前に躍り出た彼女は。


「笑うと可愛いでしょ、わたし」


 自発的にそう問うてきた。

 次郎は「可愛いよ、とっても」と答えて、歯の隙間に挟まった長ネギを取るために爪楊枝でしーしーした。


「いまさ、楽しくて死にそうなの」

「そりゃいいことだ」


 機嫌がいいのか、次郎の周りを妖精のように巡って京子は言った。


「外の世界がこんなにバカげてたなんて知らなかった。ラーメン屋も雀荘も、きっとパチンコ屋も競艇場も競馬場も、すっごく楽しいところなんだろうなって思うの」

「楽しいよ。酒を飲むにはもってこいの場所だ」


 次郎の返答を京子がどう受け止めたのかはわからない。

 彼女は次郎の胸に身を預けてきた。

 突然の事に「お、おい!」と次郎も狼狽したが、京子はぐっと顔を胸に埋めてきた。


「ありがとう、次郎……。いつ、お礼が言えなくなっちゃうかわかんないから。いま、言っとく」


 泣いている……?

 声は震えているようにも、くぐもっているようにも聞こえた。

 彼女の身体を抱きしめていいのか、引き離して良いのかわからず、あわあわしていると……キャッチの兄さんが「いま、ガッと行かないと! こっち、休憩サービスタイムで安くしとくから」と身体を大きく使ってサインを送ってきた。

 余計なお世話だ、と声に出さず抗議して、次郎はそっと京子の身体を引き離した。


「礼なんていつでも言える。俺は死なないし、京子も死なない」

「わかんないじゃん。そんなの」


 わかんない。たしかにわからない。

 でも――。


「『やもやもと平和を愛する仲間たち』にはわかるんだ。なぜなら、平和を愛しているからだ」

「それ、説明になってないんだけど」


 京子はそう言ってから「でも、なんか次郎たちっぽいよね。そういうテキトーなとこ」と納得してくれた。そのうえで彼女は顔を上げる。ちょっとだけ涙に濡れた目を輝かせて。


「やもやもにお礼をしたいんだけど、なにか良いアイデアないかな?」

「お礼……? あいつに?」

「やもやもがみんなのリーダーなんでしょ? だから、お礼しないと。生かしてくれて、ありがとうって」


 ところどころ引っかかるところがあったが、次郎はわずかに頷いて。


「ま、美香のことだ。誰かからプレゼントもらったら、泣いて喜ぶぞ。あいつ、そういう経験に乏しい奴だろうからな」


 次郎と京子はパチンコ店『ネクスト・エース』の駐車場に止めていたバイク――木更津市内で盗難したもの――に跨った。


「久しぶりに、夜の街を流してやろうぜ!」

「おーっ!」


 こなれた様子で拳をあげた京子にあわせて、バイクはパチンコ店の立体駐車場を降った。




 大師方面から昭和島へ向けて夜道を進んだ。

 運送トラックが多かったが、ときどき派手めな爆音を轟かせて走るスポーツカーに追い抜かれた。そのたびに京子は「いえー」と手を振って「やばい人いたね!」と喜んだ。おまえのがやべえよ、と思いながらも次々と現れる夜の市街地に、彼女はけたけたと笑う。

 昭和島から台場へと向かい、香り立つ潮風を感じながらバイクは進む。

 複雑怪奇に入り組む都内の大動脈である『首都高』を次郎は慣れた調子で走らせる。途中で変なバイク集団に後ろを取られたが、京子の「一緒にはしろーよー」と言う誘いに、彼らは怖気づいたのか先へ行ってしまった。

 こちらの声が聞こえていたわけではないだろうが、後ろに乗っている女が妙に馴れ馴れしいので『あ、これクスリやってる奴かも』とでも思ったのかもしれない。

 京子はやっぱりけたけた笑いながら「夜のドライブって、こんなに楽しいんだァ」と感心していた。

 湾岸のテレビ局を越えて、江東区で北上する本線に乗り換えて、そのまま箱崎ジャンクションを目指した。江戸橋から東京駅を横目に神田橋を過ぎ、皇居の巨大な緑へと至る。


「あれが皇居だ」

「知ってる。わたしにとって、どんな意味があるのかな」

「あんまり前向きな意味はなさそうだ」


 昼間に通りがかれば管理された美しい緑を見ることが出来るのだろうが、夜に通りがかると鬱蒼とした暗い森が見えるだけだ。闇を湛えた怪しげな黒い窪地である。


「次郎……ありがとう。わたし、ホントに楽しくて、楽しくて、もう死んでも良いって思ってる」


 皇居を抜けて、トンネルに入り、流星のようにトンネル灯が流れていく。


「世界って、こんなにも自由で素敵だったんだね」


 そう言って彼女はギュッと次郎の背中にくっ付いて服を引っ張った。

 なにかをしきりに繰り返して、笑って、ときどき泣いて……。それでもドライブのエンジン音と周りの車の音……そして風と夜景のきらめきが、彼女の呻きと声をかき消した。

 ここ数日で京子の身体には多くの変化が到来したはずだ。

 死線をくぐりぬけ、バカじいと呼ぶ見沼代喜三郎の死を認め、自らも死の淵に立たされている。これまで長野の屋敷で軟禁状態だった娘が『もういらなくなりました』という理由だけで世間に放り出される。殺されなかったとしても、彼女はちゃんと生きていけるのだろうか。

 次郎にとって、そればかりが気がかりだった。


「居場所がねえのは、つらいからな」


 ぽつりと次郎は呟いた。

 きっとそれは、京子の耳には届かなかったはずだ。

 それだけ首都高は夜もガンガンうるさい道だった。

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