第三節 だから、弾は入ってねえって

第三節 だから、弾は入ってねえって



 京子が起きてきたのは、その日の午後九時過ぎだった。

 近くのコンビニで調達した弁当と飲み物、それと自前の拳銃がリビングテーブルの上に置いてあった。

 次郎は「起きたか」と汚いキッチンで洗い物をしながら声を掛けた。

 彼女は「うん」と小さく頷いてから、トイレへ入り「歯磨きしたい」と言って来た。


「コップに刺さってるのあるだろ」

「あんたのでしょ」

「そうだけど?」

「サイテー」


 そう言ってリビングソファに座った。

 次郎は「飯食っちまえ。食えるならな」と指示を出した。

 彼女はコンビニの弁当のフタを取り、箸を割ったが……食欲はないようだった。

 折り目正しかった制服はひと時の睡眠のせいか、くたびれた皺が目立つ。髪の毛もぼさぼさで寝癖が可愛い。

 しばらく弁当を見下ろしていた彼女は、わずかであるがもそもそと口に運び始めた。

 彼女は置かれていた拳銃に目を向けた。

 窓の向こう側でバイクが大きな音を立てて通り過ぎていく。


「ねえ、いろんな施設や親戚をたらい廻しにされたって言ったよね?」

「……ン、ああ、そうだっけ?」

「悲しかった?」


 なぜ彼女がそんな事を聞くのだろうか。

 次郎は小首を傾げて「どうだろうなァ」と言ってから。


「行く先々によ、うっせえ野郎がいるんだ。教師面した奴とか、偉そうにした大人が。そういう奴と出逢うたびに、なんか反発しちゃってさ。わかるかな?」

「……わかる気がする」


 隠れて煙草を吸ったり、大麻をフカしてみたり、教科書を燃やしたり、喧嘩したり……。

 思い返せば、いろんなことをやった。


「まァ、若いうちってのはいろいろとチャレンジでき――」


 洗い物をしていた手元から京子へ視線を戻したら、彼女は拳銃をこちらに構えていた。

 いつ箸から拳銃に持ち替えたのだろうか、と次郎は思った。

 京子は涙を堪えながら、言った。


「わたしも同じよ。腹の立つバカじじいが居たの。食べ方が汚いとか、漢字の書き順が違うとか、手を洗え、靴下は揃えて脱げ、時間を守れ、朝は自分で起きろッ……もう、さんざんッ!!! うるさい、うるさいっ、うるさいっッッって何度もムカついて、腹を立てて……!!!」


 つうっと彼女の頬を涙が流れた。

 それは悲しみから? 

 怒りから?


 次郎にはわからなかったが――。


「そのジイさん、殺されちまったのか」


 次郎の指摘に京子はハッとして。


「そうよ!!!」


 叫んで、ぐっと立ち上がって、両手で銃を構えた。


「あんた達も同じなんでしょ! こんな無粋なもので人を撃ち殺して、それでお金を稼ぐ連中なんでしょ!」

「そうだ。その通りだ」

「サイテーッ、サイテーッ!! ホンッットに、サイテーな人たちッ!」


 涙を流す京子を前に、次郎は確信する。

 この子は強い女の子だ。

 狭い部屋に閉じ込めておくことが出来ない女の子で、活発に走り回ったり、叫んだり、ときどき誰かを殴ったりして、激しい喜怒哀楽のなかで生きていたほうがいい。

 それに、やっぱり笑うと可愛い類の娘だ。

 次郎は言った。


「京子はそっちの方が似合うな。おまえさんの性格的に、強気の方が似合う」


 すると彼女は目を見開いて、けれどもすぐに影が瞳を覆ってしまう。

 彼女は撃つだろうな、と思った。


 あんたも殺して、わたしも死ぬ……。


 なにがなんだかわからなくなっているのだろう。

 きっと屋敷とバカじいが、彼女の人生の多くを占めていたに違いない。それを失ってしまったからこそ、彼女は『どうしていいのかわからない』状態になっている。

 弱い子なら、きっと頭や口に銃口を突っ込んで、自ら引き金を引くだろう。


「でも、おまえは俺を殺してから自分も死のうと思ってる。好きだよ、そういう強え女って。コケてもタダじゃ起き上がらない根性が、俺は好きだぞ」

「ありがとう」


 小さくそう言って、引き金を引いた。

 カチンカチン、と銃は所在なさげに啼いただけであった。

 次郎はニッと笑って。


「いい度胸じゃん。やっぱ、おまえは可愛いな」


 すぅーっと京子の頬に大きな涙が流れた。

 それは緊張からだろうか。


「なんで……なんでよ!」

「あたり前だろ。弾なんて入ってねえって」


 京子ががっくりと頭を垂れてソファに崩れた。


「どうしてよ……。どうして思い通りにいかないの! ねえっ、なんでよ!!!」


 リビングテーブルに突っ伏すように彼女は泣き出した。

 ひどく大きな声で「うえええええん」「ふえええええん」という声で。

 少女が大切にしていた人形をなくしてしまったときのように、彼女は泣いた。

 次郎は彼女の声が、両親の遺体と対面した少女の声と似ていると思った。遠い遠い過去に出会った少女の記憶だ。


「殺してよ。殺してよッ! わたしをバカじいのもとに連れてってよッ、ねえ!」


 再び拳銃を手にした彼女は、今度は自分の眉間に押し当てて引き金を引く。

 カチンカチンと空虚な音が室内に響いた。


「だから、弾は入ってねえって」


 次郎は流し台のなかでスポンジを絞り、水を止めた。


「そのジイさんが好きだったんだな。きっとそのジイさんは京子の事をホンキで想って注意をしてくれてたんだろう。それが京子にも伝わってる。だから、涙が出るんだよ」


 カチンカチンと繰り返す悲しい音にそっと手を伸ばして、次郎は彼女から拳銃を取り上げた。


「親代わりだったのか、そのジイさんが」


 こくん、と京子は頷いた。

 涙で赤く腫れた目元を腕で拭って。


「バカじいが、あのハゲの人を呼んだの」

「誰が、京子のじいさんを殺した? まさか、安藤さんじゃねえだろうな」

「違う。安藤さん……あのハゲのひとは、わたしを守ろうとしてくれた。それが契約だったから」


 つまり、京子のじいさんが葛飾会に身辺警護を依頼したが、受け渡しのタイミングで襲撃を受けたという事か。


「じゃあ、誰が?」

「たぶん、く――」


 ピリリリリ、と次郎のスマートフォンが震動した。

 音が鳴るという事は緊急を知らせる長澤からの連絡だ。


「悪いな」


 そう言って電話を取った。

 妙に騒がしい雑音が受話器から聞こえた。


『ああァ、騒がしいところから申し訳ありません。こちらの音は聞こえますでしょうか?』

「APC556だな。六人ぐらいか?」

『支援を含めるともう少しいそうですね』


 ズダダダダダ、と強烈な銃声が響いた。

 相変わらずえげつない武器を隠してる喫茶店だな、と思いながら。


「支援に行く」

『急いでください。そちらにも展開していると思います。以後のルートはこちらで確保しますので、京子さんの身柄をこちらに』


 そのとき、赤い点が大窓の際を漂っているのが見えた。

 次郎はスマートフォンの通話を切り、京子に飛びついた。


「えっ、なにっ、きゃああっ!」


 次郎が飛びついたせいで京子はソファごと後ろに倒れた。彼女の頭部を腕でフォローしていたせいで「いやっ、なにっ、くさいッ! 変態ッ!」と暴れていたが――。


 ズダダダダダッ!!!


 白山宅建事務所と書かれた大窓が一瞬のうちにはじけ飛んだ。


「きゃああああっ!」


 京子の悲鳴と銃声に両方の耳がびりびりしたが。


「おい、正直に答えろ」

「な、なに……!?」

「体重いくつ?」

「ご、五十……って、なに聞くのッ!」


 ぐいと彼女の身体を抱いて次郎は寝室へと飛び込んだ。

 背後で銃声とともに閃光と熱風が弾け、轟音が響いた。

 勢いそのままに次郎は寝室の掃き出し窓に当て身を喰らわせ、隣地とギリギリに設置された狭いバルコニーを飛び越えた。


「えっ、えっ、えっ!」


 お姫様抱っこの状態で二階から飛び降りた次郎は華麗に着地を決める。

 路地裏に止めてあったのは次郎の愛車である二輪車――川崎製のNinja1000だ。

 指紋認証で鋭い音のエンジンが起動し、キャンディファイアレッドの車体が呻くように震えた。機械龍のようなシャープな顔つきは、どんな事態にも動じない鋼の決意を秘めているように見える。

 乗り心地や加速性能もそうであるが、次郎はこの乗り物の顔つきが気に入っていた。

 深紅の車体は体内を巡る血潮の如く鮮やかで、それは風に色と表情を与える特別な存在に思えた。


「乗れッ!」

「えっ、なに、あのっ!」

「早く乗れッ!」

「ど、どうやって!」

「跨いで、俺に掴まれってんだ!」


 慣れない動きで彼女は大きなバイクに跨り、おずおずと次郎の腹回りに腕を廻した。

 ハンドルをぐいと廻して、タイヤがキュルキュルと鳴いた。

 Ninjaは容赦ない加速で大通りへと躍り出た。その背後を小便のような銃弾の雨が襲ったが、次郎を捉えることはできなかった。


「おい、さっきの銃は持ってるか?」

「あ、あるけど!」

「でも、弾ねえのか!」

「そ、そうだよ!」

「丸腰じゃねえか、俺達ッ!」


 エンジン音と風の音のなかで、二人はそんな会話をして……たはははは、と次郎は笑った。「笑い事じゃないでしょ!」と京子が突っ込んできたので、なおのこと笑えた。

 幾台か車を追い抜いて、赤信号を直進して……。


「なはははは! 刺激的な夜じゃねえか!」


 次郎が笑いながら言うと。


「馬鹿みたい! なんか、すっごくバカみたい! 殺されかけてるのに、バカみたい!」


 京子もけたけたと笑いながら「バカじゃん、わたしたち!」と応えてくれた。


「楽しいだろ!」

「わかんない!」

「やっぱり、おまえさんは笑った方が可愛いな。よし、今晩抱いてやるぞ!」

「ぜっっったい、あんたなんかとはしない! あんたみたいなバカを、絶対に最初のヒトなんかにしないから!」


 赤信号を直進しようとしたとき、歩行者をはね飛ばしそうになって急ハンドルを切った。

 二人は暴れ馬に乗ったカウボーイのようにぐいと体重を寄せて堪える。

 そうしてバイクの重心が安定したときに、またゲラゲラと笑った。

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