卒業

「久し振り!」「おは!元気だった?」


 久し振りと言っても最後に会ったのは二週間前。

 依莉愛と柚咲乃は二次試験の前にサロンで閉店後に髪をカットをしたのだ。

 久し振りと言えば久し振りか。


 今日は予行練習だけで昼前には下校する。

 ちなみに卒業生代表は打診されたけど辞退した。

 日野山ひのやまさんも辞退したから入学式と同じく日下部くさかべさんが卒業生代表として答辞を述べる。


和音あいおんさんは試験、どうだったのかしら?」


 終業のチャイムが鳴り、クラスメイトたちは教室に残った生徒と早々に帰った数名の生徒に分かれた。

 早々に帰った生徒たちは後期を受ける人達だろう。

 俺は帰る支度を整えていたら日下部さんに声をかけられている。彼女の隣にはいつもの通り、日野山さんが居た。


「大丈夫そう……かな……」


 試験の見直しではいつも通り、ちゃんとやれていた。


「そう、なら来月も同じ学び舎に通うのね」

「私も大丈夫そうだから同じところに通うんだね」


 解答欄がズレているとかそういうことがなければ問題ないはずだ。

 きっと彼女たちもそうだろう。ひなっちもメッセージでちゃんとやれたと言っていたから見知った面子は皆受かりそうだな。


 日下部さんや日野山さんは話が終わると、そのまま教室から出て行った。

 彼女たちが居なくなったタイミングを見計らって俺の近くに依莉愛いりあが来る。


「今日、お願いね」


 何をお願いされているかと言うとクローズ後に依莉愛の髪をカットするのだ。


「うん。閉店直前で良いから、来る時は気をつけて」

「ん。わかった」


 手短に言葉を交わすと彼女は陽キャグループに戻る。今日の彼女はあっちと一緒に帰るらしい。

 その日の夜、依莉愛のカットをすると依莉愛の送迎は俺がした。

 最初に母さんを家に置いてから、依莉愛を家に送っていったわけだけれど。

 

 そして、卒業式の当日。

 俺は母さんと学校に来ている。

 サロンは聖愛まりあさんと実弥みみさんに早出してもらって既に開店準備までは済んでいた。

 朝方はサロンで俺が母さんのセットとメイクを施してから、サロンから歩いて高校に向かったのだ。


「三年ってあっという間だよなー」


 母さんは言うけれど、俺はそうは思えなかった。

 思い返せばたくさんの出来事があったし忙しかった所為で随分と長い三年間だ。


「歳を取ると時間が過ぎるのが早くなるらしいからそれじゃない?」

「歳言うなッ!」


 肩を叩かれた。


「それにしても本当に伸びたな。三年前は私よりも小さかったのによ」

「背のことは俺もびっくりしてるよ」


 高校三年間で20cmくらい伸びた。身長のせいか俺にキツく当たっていた男子たちが俺と向き合うと慄いて後退っていくことが増え、今では誰も近寄ってこない。

 女子は決まったひとだけしか近寄ってこないんだけど──。


 下駄箱に便箋が何通か入っていた。


「それ、ラブレターってやつだろ?お前、モテてんなー」


 後ろから母さんがしゃがれていながらも麗しいアルトボイスで揶揄う。

 鞄に便箋を仕舞い、俺は教室へ、母さんは体育館へと向かった。

 教室の机の中にも数通の便箋が入っていた。


 朝は日下部さんと日野山さんと会話して、それから、依莉愛と言葉を交わした。

 この陽キャグループと優等生グループは最後まで烏合することなく終わったな。

 行事やテストの打ち上げも別々だったしね。しかも優等生グループには男子が居ない。俺を含め、どのグループも属していない男女はそういった生徒間のやり取りというものが必要最小限だった。

 そのおかげで俺としてもかなり過ごしやすかったし有り難い。


 そうして一年を振り返り、改めて、鞄に仕舞ったいくつもの便箋を確認する。


(開けて確認したほうが良いんだよな──?)


 始業までまだ十分くらいはあるはずだ。

 俺はトイレに行って鞄の便箋を確認する。


『体育館裏で待ってます』『連絡、待ってます』


 便箋に封入された手紙には女の子の名前が書かれているものばかり。

 電話番号とSNSやメッセージアプリのアカウントなんかも書いてある。

 こういった女子からの呼び出しと言うのは初めてのことだけれど、同じ場所ばかり指定されている鉢会ったりしないのかな。

 一通り確認を済ませて教室に戻ると、丁度良いタイミングでチャイムが鳴った。



 卒業式が終わり、最後のホームルーム。

 教室では生徒たちがすすり泣いて、担任の小板こいた先生も涙を流していた。

 何でも卒業生を担任したのは今回が初めてだとか。

 三年前にクラスを持ったのも初めてだったから見知った生徒が居るこのクラスに愛着があったらしい。


紫雲しうんくん!」


 最後の挨拶を終えて教室から生徒たちが去りゆく中。俺は小板先生に呼び止められた。

 小板先生は依莉愛と何やら話を交えたみたいで、依莉愛の傍から離れてこっちに近寄ると──。


「紫雲くん!卒業おめでとう!キミがこうして大きくなって、少しでも自信をつけてもらって本当に嬉しく思うよ。あのままだったら私はずっと後悔し続けるところだった」


 そう言って俺に抱き着いた。

 俺の胸元に顔を寄せて体に回す腕には随分と力が籠もっている。


「いいえ、こちらこそ、三年間もありがとうございました」


 先生の両肩に手を置いて、感謝の気持ちを伝えた。


「あの、大学でも頑張ってね。私も髪を切りに行かせてもらうからその時はよろしくお願いします」

「ええ、こちらこそ。先生の来店をお待ちします」

「ふふふ。紫雲くんに担当してもらうの期待しているから。着付けもお願いしちゃうかもね」


 体を離すと最後は笑顔を向けてくれた。

 先生の目は赤くて涙袋が膨らんでいる。


「ははは……その時はお客様として誠心誠意、おもてなしをさせていただきますので、よろしくお願いいたします」


 言い終えると先生が右手を伸ばしてきたので俺も右手を差し出して握手を交わした。


 教室を出ると廊下には卒業生と保護者たちで混み合っている。

 それでも母さんを見つけるのは早かった。


「和音」


 母さんが俺の名を声に出して俺の近くまで歩みを進める。

 母さんの一挙手一投足で廊下の人間たちが目線を動かしているのがわかる。

 こっちにまで視線が向くのが鬱陶しい。


「もう帰るか?」

「あー、帰りたいところなんだけど……」


 母さんに鞄の中にごちゃっと入っている便箋を見せた。


「一応、待っていると悪いから断るだけでもして来るつもりなんだけど、良いかな?」

「ラブレター?」

「そうだと言えばそうかもしれないんだけどさ……」

「こんなんラブレターだろ?」


 母さんが俺を揶揄ってる。とりあえず体育館裏に行こう。


「じゃ、ちょっと行ってくるからさ」

「私も行くぞ」

「えー、ついてこなくて良いよ」

「ひひひ、息子がモテてるところ見たいじゃん?親としてはよ」


 来たって良いけどさ。何でか大体みんな同じ場所指定するんだろうか。

 連絡先しか書いてない子のは連絡しなきゃいけないのかな。

 そんなことを考えながら俺は体育館裏まで向かった。もちろん、母さんは俺の後ろを付いてきて体育館裏に着くと物陰に隠れる。

 体育館裏の桜の木の下には既に数人の女子が待っていた。

 俺を待っている女子じゃない子もいるだろう。

 俺はそんなにモテていないはずだと思っていたから。


「あの……」


 女子の一人がおずおずと声をかけてきたけど、彼女に続いて他の女子たちもこっちに来た。

 こちらを一瞥もしない子は俺に告白をする子ではないだろう。

 どの手紙も来て欲しいとしか書いてないから、ひとりひとり要件を訊いて、お付き合いしたいと言う人にはお断りをして、好きと言ってくれた人にはありがとうと伝えた上で気持ちには応えられないと返した。

 それでも「また、お店に行っても良いですか?」と訊いてきたので「ゴールデンウィークには俺も髪をカットできるようになっているからそれからなら俺が担当しますよ」と答える。

 すると、女子たちが色めきだって「じゃあ、私、まだ諦めません」とそう言ってこの場での要件が終わった。

 嘘コクとかじゃなくて良かった……。俺は安堵する。


 それから生徒玄関前まで再び戻り、母さんと卒業式の看板を背景に写真を撮った。


「入学式の時は忙しくて来れなかったけど、卒業式は来て良かったよ」


 並んで写真を撮ってもらった時に母さんは俺に言う。

 俺もこうして周りに遠慮せずに写真を残せるこの状況はとても好ましい。

 母さんが、この高校の近くにある東町商店街に美容院を開いてから俺の環境は一気に変わった。

 店では女性客に声を掛けられて、いつしか、着付けをし始めてからは女性に言い寄られたりと接し方に戸惑うことも多い。

 働くことで聖愛さんや実弥さんが「ありがとう」と言ってくれるその度に自分の自信になっていったし、着付けだってお客様から「凄く着やすい。ありがとう」なんて言われたらその度に感じる達成感もある。

 俺にもできるんだと思えたことで少しずつでも人間らしくなれたのかと感じることもあった。

 学校では不遇だったけど、それでも、いろいろあったトラブルが解決して、教室で挨拶を交わせるくらいにはなったし、最終的には悪くない高校生活と三年間だったとそう思える。

 隣に並ぶ母さんに俺は「ありがとう」と声に出して伝えた。

 母さんはそれを聞いて少し涙ぐんだ。


 同じ場所で依莉愛とも撮ったし、日野山さんや日下部さんとも写真を撮影した。

 クラスメイトとの写真を撮るのは随分と久し振りだ。小学四年生以来か。


 こうして、卒業式を無事に終える。

 卒業式のすぐ後に美容師の試験を受験して、その翌週には大学の合格発表があった。

 合格発表は正午にネットで発表だったので東町商店街のとあるレストランで確認し合う。


「番号ありましたわ」


 一番最初に番号を見つけたのはひなっちだった。


「私も合格できたみたいだわ……良かった」


 日下部さんは目を潤ませながら安堵をため息を付く。


「やたッ!私の番号もあった!」


 日野山さんも合格できた。

 だが俺の番号が見当たらない。


───んー………ないッ!


「あ、アイちゃんの番号、見つけたわ」


 ひなっちがスマホの画面を俺に見せてきた。

 俺の受験番号がそこに写っている。


 良かった。


「皆さん、受かったみたいね。良かったわ……本当に」


 日下部さんがスマホを胸に抱いて大きく息を吐き捨てた。


 突然、俺のスマホがプルプルと震えると


『私も受かったよ。同じ大学じゃないけど近いから大学生になったら一緒に遊ぼう』


 依莉愛からメッセージが届いた。


「さて、合格発表も終わったから俺はサロンに戻るよ」


 合格発表の今日、皆で祝いたいところだけど卒業式シーズンを終えて、聖愛さんと実弥さんの有給休暇も消化しなければならないこの時期。

 俺は依莉愛と修学旅行に行かなかったからその代わりにと一緒に旅行に行くことにしていた。

 そのために俺が旅行で居ない間、聖愛さんと実弥さんにフルで稼働してもらわなければならないので、その分俺がお手伝いということになっている。

 それで少し忙しくなっていた。


 こうして俺の周りに絶えず人がいる。

 こんなこと想像したことが無かった。


 三年前。母さんは寂れつつあった東町商店街にサロンを開いた。



 麗春のみぎり。春もたけなわで街ゆく人々の装いが軽やかな今日このごろ。

 出会いと別れの季節とも言えるこの季節。行き交う女性の良く整った装いが真新しさを感じさせる。


 salon de beautéサロン・ド・ビューテ


 そんな名前の店で美容師の女性たちが忙しなく働いていた。

 シックで落ち着いた雰囲気の居心地の良い美容院はこの界隈で人気店として繁盛している。


───カラン、コロロン


 少しばかり古臭い金属と木が打ち合うドアチャイムの音が店の外まで聞こえてきた。

 サロンから出てきた女性客の満足気な笑顔を見て俺は誇らしく思う。

 そして、そんな誇らしさに続いて思うことがある。


 陰キャでイジメられっ子だった俺は美容師の母さんがサロンを開いたら人生が変わった。

 その件について、俺は母さんに深く感謝をしている。

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