二人揃って頷いた

 昨日の一件で、イジメはなくなったと思っていたけど、そうだよな。イジメられっ子の俺が居る限りイジメはなくならない。そう実感した。

 俺が居なければこのクラスからイジメはなくなるのかと言えばそうでもない。きっと今クラスで孤立している一条さんが次の標的になるんじゃないか。


 結局イジメというのはイジメられっ子が消えても新たにイジメられっ子が出来るし、イジメっ子が消えたって新しいイジメっ子のリーダーが出来る。

 ここではそうなっているらしい。


 二時間目の後の長い休み時間。

 突伏して寝ようとしたらところ俺の横に誰かが歩いてきておずおずと話しかけてきた。


「あの、ごめんなさい。ちょっとお願いしたいことがあるんだけど良い?」


 顔を上げたら一条さんの姿。俺はコクリと頷いて席を立ち一条さんの後ろを歩く。

 この時、クラスメイトの男女の視線を集めていたのは言うまでもない。


 非常階段に出ると、扉が閉まったことを音で確認した一条さんが振り向いた。


「ごめんね。相談って言うのはさ」


 向き合った一条さんは何故か以前よりずっと小さく見えた。

 おかしいな背が高いはずなのに。

 一条さんは静かに言葉を紡ぐ。


「ウチさ、今、イジメられてるんだよね」


 それから一条さんは言った。

 最近になって置いた教科書が無くなったり、隠されたり。

 机の中にゴミが詰め込まれていたり、決定的なのは昨日、男子に呼び出されて犯されそうになったらしい。

 何とか逃げ果せたものの、やはり不安と怖さが勝って誰かに頼りたいと考えて俺、ということになった。


「先生には話せたの?」

「話せたのは教科書のことだけ。ヤられそうになったのは話せなかった」


 そう言いながら俯いていた一条さんは、どこか思い詰めた顔で少し見上げる。

 ほんの少しだけ、上目遣いっぽいところがどうもあざとく感じてしまうが、弱々しく俺に話し続ける。


「紫雲くんには本当に悪いことをしたと今は思ってる。アンタが荷物を鞄に入れて休み時間にトイレに行くのでも鞄を持ってる理由も分かっちゃった。それで、柊さんには悪いんだけど、一緒にお昼休みを過ごさせて欲しいの。できれば帰りも一緒に帰りたい」


 一条さんの目は真剣だ。

 以前より手入れの薄い髪の毛に少しヨレたシャツ。

 それでも読者モデルをやっていたのだからそれなりの見目は保っている。

 少し間が空いて「聞いてくれたらお礼はするからさ」と言葉を続ける。


「お礼は別にどうでも良いけど、俺は良くても柚咲乃がダメだと難しいんじゃないかな……」


 そう言うと一条さんは目を見開いて驚く。


「柚咲乃って柊さんのこと?」


 柚咲乃を柚咲乃と呼んだことに驚いたらしい。

 そうか。俺、今まで誰とも話してないから名前呼びする仲の人間が珍しく見えるんだな。

 俺は柚咲乃が幼馴染だということを素直に伝えることにする。


「あ、うん。そうだけど」

「名前呼びしてるのは彼女とかそういうのだから?だったら……」

「柚咲乃は幼馴染なんだよ。それで」

「あ、そういうこと。でも、じゃあ、柊さんが紫雲くんのことを先輩呼びなのはどうして?」

「それは柚咲乃に聞かないとわからないな。アイツが中一になってから突然先輩呼びするようになったんだよ」


 先輩呼びをしはじめたのは柚咲乃が中学に上がってすぐだ。

 でも、なぜそう呼び始めたのか、その理由を俺は知らない。たぶん柚咲乃も中学に上がったら年上の人を先輩って呼ぶんでしょ的なそんな理由だと思う。

 思い当たるところと言えば、彼女の姉の実弥さんと同じで俺を【アイくん】と呼んでいたけど実弥さんと違う関係性を築きたくて呼び名を変えたんじゃないかってそんなところだ。


「そう……じゃあ、特別な何かはなさそうだね」

「まあ、今のところは幼馴染ってこと以外は無いと言えば無いね」

「わかった。じゃあ、柊さんが良ければご一緒させてください」

「ん。わかった。昼に来たら聞いておくよ」

「お願いします。あと、それと」


 一条さんはスカートのポケットからスマホを取り出すと「連絡先を交換させてもらっても良い?」と訊いてきた。

 断りきれない俺は「わかりました」と答えて連絡先を交換する。

 母さん以外では聖愛さんに続いて二人目となる電話番号とメッセージアプリのIDが俺のスマホに登録された。


 それから教室には別々に戻って昼休みを迎える。


「あいおんせんぱーーい!」


 いつもの元気な声が教室に響き渡るとズカズカと早足で俺の席にやって来る。

 そんな柚咲乃に一条さんのことを言うと「先輩が良いなら良いけど、ボクとしては面白くないなー。良いんだけどさ」と渋々応諾した。

 そこに一条さんが弁当箱を携えてくる。


「柊さんとお話してみたかったの。良いかな?」


 そう言うとクラスの視線を集めたとしても一条さんは柊さんに興味があるということが知れて違和感も少ない。

 けど、俺も同席するのだから、悪意のある視線を向けられるのは当然だった。


 空き教室でお弁当を広げると一条さんは俺のお弁当を見て感動してみせた。


「これって紫雲くんのお母さんが作ったの?」


 まあ、柚咲乃と変わらない反応だよね。

 今日は白身魚を香草焼きにしているので箸で分けて切れ端を柚咲乃と一条さんにあげる。


「ウチのお弁当からおかずを分けてあげるのは今まであったけど、貰うことはなかったから何だか新鮮」


 一条さんは元カーストトップだった。

 その中でお弁当を作って持ってきていたのは一条さんだけだったみたいで、みんなにおかずを分けていたのだとか。

 一条さん以外は購買やコンビニで買ってきたものだから、あげた分を貰うことがないので当時は多めに作っていたらしい。

 で、今はぼっち飯なので少なめだし、手抜きで冷凍食品を多用しているんだと。


「柊さんと紫雲くんのお弁当見てたらウチもやらなきゃねってなるわ」


 と、言い出した。

 それにしてももらったことがないとか。どういうグループだったんだろうか。

 それから柚咲乃と一条さんが和気あいあいと話し出して俺は付け入る隙がないまま時間が過ぎる。


「やー、それにしても依莉愛先輩って良い人ッスね。イジメてたって聞いてたから仕返ししてやろうって思ってたけど、そんなことも思えないくらい」

「イジメてたのは事実だから。だからウチはどんなことをしてでも償うし、何だってするよ」

「いや、依莉愛先輩みたいにおっぱいおっきくて可愛い子が何だってするだなんて軽はずみに言ったらダメですよ」

「紫雲くんはおかしなこと求めたりしないでしょ?紫雲くんがそういう人なら柚咲乃ちゃんだって可愛いんだからそういうことされてておかしくないのにされてないんでしょう?」

「まあ、そりゃあね。和音先輩がそういう人ならガキのころから今みたいに付き合えてないッスよ」

「それもそうね」


 二人が話している傍に居るわけだけど、俺の名前が出ると居た堪れない。

 どうも今はあまり喋らなくなったとは言え、一条さんはコミュ力が高いし、柚咲乃も俺と関わらなければもっと友達が居ても言い女の子だ。

 そんなだからか名前呼びし合うのにもそれほどの時間を必要としなかった。


「ところで、依莉愛先輩は読者モデル、もうされないんですか?」

「いや、まあ、SNSにイジメの動画が出まわったのを事務所に怒られちゃって、やる気もなくなっちゃって辞めちゃったよ。他の事務所からのお誘いもあったんだけど、新しくアルバイト許可申請するのもダルいし、今はお姉ちゃんがかなり稼いでいて家にお金を入れてくれてるからアルバイトをする理由がないんだよね」


 柚咲乃は物怖じせずに聞きたいことを訊く。

 一条さんはそんな遠慮のない柚咲乃がどうも嫌いではないらしく何故か照れながら答えた。

 お姉ちゃん──というキーワードに釣られるんじゃないかと思ってみていたら案の定、身を乗り出して食らいついた。

 ちなみに俺は一条さんの姉の聖愛さんがいくら貰っているのかを知っている。だって、俺、母さんの仕事を手伝ってるからね。


「お姉ちゃん、居るんですか?私も姉が居るんです!」

「うん。美容師をしてるお姉ちゃんがいるよ」

「へー、美容師!ボクの姉も美容師なんです!依莉愛先輩のお姉さんはどこで美容師をしてるんですか?」

「紫雲くんのところだよ。サロン・ド・ビューテで今年の四月から働いてるよ」

「マ!?」

「マ!!」


 柚咲乃は聖愛さんがサロン・ド・ビューテで働いていることをしると大きな目を更に大きくする。

 驚きと羨望。表情からそう感じ取れた。


「えー!?ずるーい!ボクのお姉ちゃんも美希姉の店で働かせたーい!」

「やー、何かすっごい優越感!柚咲乃ちゃんに勝った気持ちでお昼休みが終わって良い気分だわ」


 すると、一条さんが誇らしげに胸を張って誇張する。

 大きな胸が更に大きく見えた。


「依莉愛先輩、結構言う人ッスね」


 少し落ち込んだ柚咲乃はジト目を一条さんに向けると


「そうじゃないとお姉ちゃんに勝てないもん」


 一条さんはそう答えて


「そうッスよね。そこは激しく同意します」


 と、二人揃って頷いた。



 予鈴が鳴って「戻らなきゃね」と教室に戻ったが、空き教室に長居しすぎたため俺は一条さんと一緒にクラスに入った。

 俺は一目散に席に戻ったけど、一条さんが俺に視線を向けてから席に戻ったのをクラスメイトたちが注視していた。


 放課後。

 帰りのホームルームが終わると俺の席に男子が集る。


「おいウンコ、ツラ貸せ」


 そう言われて胸ぐらを掴まれて立たされると「来いや」と男子トイレに連れ込まれた。

 男子トイレに居るのは俺を含めて四人。

 一人は柚咲乃と言い合った座古だ。

 その座古が怒鳴る。


「ウンコのくせに生意気なんだよ」


 胸ぐらを掴んで俺の頬を拳で殴る。

 コイツは思っていたほど痛くない。


 座古が「おまえらもやれ」と言うと男子二人が俺の脇を蹴り、腹を蹴る。

 衝撃で後ずさるが倒れるほどではない。


「クソが、どうやって俺の依莉愛に取り入ったんだよ。アイツは俺が狙ってんだ。わかるよな?」


 そう言って座古がモップで俺の頭を殴る。

 ガツンと音が響く。

 これは流石に痛かった。


 視界が赤くなったかと思ったら座古の向こうが少し明るくなる。


「今度はお前か!」


 先生が来たらしい。


「うわ、センコーが来た」


 ここは男子トイレである。

 教師が数人来ていて男子三人を取り押さえた。


 俺はおでこを切ったらしく血がダラダラと流れている。

「大丈夫か?保健室に行ってこい」


 先生の一人がトイレットペーパーをグルグルに巻いて手渡してくれた。

 俺はそれを受け取っておでこにあてがう。


「あ、はい。出血だけだと思うので大丈夫です」


 そう言って男子トイレを出ると柚咲乃と一条さんが待っていた。


「あー、和音先輩。大丈夫です?」「紫雲くん、また、ウチのせいで?」


 二人揃って同時に寄って来て聞いてくるのは良いけれど周りの視線が痛いんです。それも、この頭の傷よりもずっと。


「保健室に行くよ」


 俺が言うと柚咲乃と一条さんは二人揃って頷いた。


「紫雲くんの鞄はウチが持ってるから、保健室からそのまま帰れるよ」


 それはありがたい。


「ありがとう。助かるよ」


 横では柚咲乃がしょんぼりと下を向いている。


「和音先輩、間に合わなかったよ。絶対に守るっていったのに、また守れませんでした……。ごめんなさい」

「今回は柚咲乃が来る前にやろうと思ってたみたいだったから仕方ないよ」

「でも……それでも……ボクが和音先輩を守りたい…。けど、依莉愛先輩と仲良くなっておいて良かったです」


 ごにょごにょと言い淀んだ柚咲乃は、一条さんを頼ったようで彼女の名前を出して、事態を呑み込もうとする。


「そうだね。ウチも柚咲乃ちゃんと仲良くなってなかったらこうして手助けできなかったからお互い様だね」

「や、ほんと、今回は和音先輩が教室に居ないから、依莉愛先輩に聞けて良かったッスよ……ほんとうに」

「ウチも、柚咲乃ちゃんが居るから先生に助けを求められたからお互い様だよ」

「ちょっと和音先輩の血が凄いけど、前みたいに大事にならなくて良かった……」


 二人は二人のやり取りで気を持ち直している内に保健室に着いた。


 頭の傷は大したことなくても血が沢山でるからビビる人はビビるんだよね。

 でも、俺は小学生の高学年あたりから結構な頻度で頭にケガをしてたからもう慣れている。


 この日は適当に治療をして血が止まったのを確認してから俺はサロン・ド・ビューテに行って家業の手伝いに勤しんだ。

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