パンケーキ

 二学期が始まって翌週の月曜日。

 学校祭の出し物を決めるこのロングホームルーム。

 クラスとは言え、関わりのないものに参加していることは苦痛以外の何物でもない。

 俺は授業以外のこの時間が一番嫌いだ。


 苦行に耐えた。

 クラスの出し物はメイド喫茶やコスプレ喫茶など飲食を出す方向で纏まったらしい。

 これを生徒会と学校祭実行委員で調整をして決めるそうだ。

 俺には関係ない話でしか無いが。


 その後の帰りのホームルームが終わって鞄を担いだらクラスの女子から突然声をかけられた。


「あの、う……じゃなくて、紫雲しうんくん……。少し良いですか?」


 今、ウンコって言おうとしたよね?

 きっと、ウンコ呼びの俺にめんどくさいことを押し付けたくて呼び止めただけだろう。


「………………」


 俺は何も言わなかった。

 今はクラス中の視線を集めている。それも決して良いものではないことは分かる。


 すると、ガラッと教室の戸が開いて「あいおんせんぱーい」と柚咲乃ゆさのが迎えに来た。

 柚咲乃は教室に俺を見つけると「むぅっ!」と憤って俺の傍まで近寄ってくる。


「すみません。ボク、和音あいおん先輩に酷いことをする先輩たちが許せません。なので連れて帰ります」


 そう言って柚咲乃は俺の手首を掴むとそのまま引っ張って教室を出る。


「あ、ちょっと、待って、そうじゃなくて……」


 クラスの女子は一瞬追いかけようと声を出したが、柚咲乃が一瞥して無言で教室をあとにする。

 俺はもちろん何も言わなかった。

 教室を出てから柚咲乃が一度振り返ったのは感情的なものによるものだな。


「ボク、ああいうのが一番嫌いだよ。都合の良いときだけ良い顔してさ。陰では悪口言ったり貶したりして。あの女はそういう顔してた」


 先輩を差し置いてあの女呼ばわりか。柚咲乃は強いな。

 とは言え、柚咲乃の言う通りでもある。

 ウンコと言おうとした時点で俺は聞く気がない。


「今日は助かったよ。ありがとうな」


 と、思わず頭をクシャっと撫でてしまった。


「ふふふ。久しぶりだなー。先輩に撫でられるの」


 柚咲乃は喜んだ。



 翌日。今日は美容院が休みだ。


 朝のホームルームで学校祭実行委員の女子が手を上げて発言の許可を求めた。


「あの、生徒会と実行委員に提出する出し物案で飲食関連の競合があったので、プレゼンを作るんですが、メニューですとか衣装の調達方法とか、あとメイドに関する資料を作りたいんです。それでメニューとか衣装なんかは協力を得られたんですが、その他の部分で協力してもらいたくて、私としては女性の美容や頭髪の衛生面に詳しそうな紫雲くんに協力をお願いしたいんですけど、クラスの皆さんの反対が無ければ私からの指名ということでお受けいただきたいんです。反対意見があるとかあったらお昼までに私のところにお願いします」


 唐突に出てきた俺の名前。

 どうやら学校祭の仕事のひとつに俺を指名したいということらしい。

 何か嫌だな。昨日だってウンコ呼ばわりされるところだったんだ。

 こんな状態で関わったら、前と変わらずイジメが酷くなるだけに違いない。

 体よく断る言い訳を考えておこう。


 その後は何事も無く、昼休みも柚咲乃と一緒に過ごして、放課後を迎えようとしていた。


「あの、紫雲くん……ちょっと、良いかな?」


 終業のチャイムと同時に話しかけてきた実行委員の彼女。

 名前は知らない。

 それから間もなく今日も柚咲乃がやってきた。


「あいおんせんぱーい」


 教室の戸を開けて誰よりも元気な声を響かせる。

 で、俺を見つけるとズカズカと早足でやってきた。


「む、何か用ですか?和音先輩に」

「私は紫雲くんにお話があって」

「それって昨日、酷い渾名で呼ぼうとした人たちが言えることですか?」


 どうやら昨日の時点で聞いていたらしい。


「それは、その……」

「ね、そうやって。直ぐに謝れば良いのに謝らないじゃないですか。それってものを頼むために信頼しようとか信頼されようとかそういう態度ですか?違いますよね?」

「……ごめんなさい」

「今、謝っても遅いんじゃないですか?こんなガキに言われないとわからないくらい今も変わらず普段から和音先輩をバカにしてるってことですよ?」


 実行委員の彼女がオロオロし始めると俺と彼女の周りに人が集まってきた。


「柊さん。ここは二年生の教室だし、先輩に対して無礼じゃない?」

「じゃあ、質問で返しますけど、和音先輩を酷い渾名で呼び続けるのは無礼じゃないってことですか?」


 別の生徒が柚咲乃に注意をすると、柚咲乃は言い返す。

 けど、その言い返した内容に対して返す言葉を失っている時点で俺を侮っているということに繋がっている。

 そんなこともわからないくらい麻痺してしまっているんだ。


「言い返せないってことは、和音先輩の酷い渾名を肯定してるってことがわからないんですか?」


 言い返せる生徒はこのクラスには居ないらしい。


「結衣っちも何でこんな奴に話しかけてるの?」

「そうだよ。野々原はウンコに何をしてもらいたいんだよ。こんなゴミカスに構うことなんてない。柊さんだってこんなカスに付き合う必要なんてないだろ?学年が違うんだからさ」


 クラスの女子が委員会の女子の野々原結衣に近付いた。

 その横でクラスの男子が彼女をかばう。

 今朝方に俺を指した彼女はバツが悪そうに俯いて無言で男子の庇護下に入ることを選んだ。


「話にならないね。和音先輩、いこ」


 柚咲乃は俺の手首を掴んで引っ張り、教室を出ようとすると男子に呼び止められた。


「柊!お前、このウンコに弱みでも握られてるのか?そうでもなきゃこんなゴミと一緒にいる理由ねーだろ?」


 男子の言葉を聞いて柚咲乃は足を止めた。


「座古先輩、あのさ。こうやって毎日ボクがここに来てるのに弱みを握られてると思います?先輩がしつこく迫ってきてウザいからバスケ辞めたって知ってます?それに親しくもない人間を呼び捨てにするって何様のつもりですか?」


 座古は男子バスケ部の部員らしい。

 女子バスケ部の新入部員にちょっかいをかけていたのか。


「てっ!てめえ!言わせておけばッ!」


 座古が柚咲乃の顔に殴りかかる。

 俺は彼が右拳を振りかざしたところで柚咲乃を引いて抱き寄せた。


 ドンッ!


 当たったのは俺の肩だ。

 もう殴られ慣れてるからあまり痛くない。


 これには流石にクラスメイトもドン引きしたみたいで皆言葉を失ってシーンとする。

 何せ下級生の女の子を殴ろうとしたのだから。


「ごめんなさい。和音先輩……ボク……」


 俺に抱き寄せられたからか俺の胸に包まって手を胸元でギュッと握る柚咲乃の顔が羞恥で真っ赤に染まってる。

 そんな柚咲乃を見て居た堪れなく、俺はそのまま教室を黙って出て行った。

 柚咲乃は俺の腕を掴んだままで俺に引きずられて廊下を歩くかたちになったが、直ぐに姿勢を整えて柚咲乃が俺を引いて歩く。


「やー、ボクが絶対に守るって言ったのに、先輩に守られちゃいましたね」


 てへっと笑うんだけど、柚咲乃にはそういう笑顔が良く似合う。


「でもボク、先輩の胸に抱かれてキュンキュンしました」


 学校から出てサロンに向かう。

 お昼休みに柚咲乃と約束をした。

 今日はサロンが休みだから俺の練習ついでに柚咲乃の髪を切る、と。



 今日は火曜日でサロンは定休日。

 その美容院の奥の一室で俺は柚咲乃の髪の毛をチャキチャキと整えてる。


「俺が殴られるのは慣れてるし、そんなに痛くなかったから大丈夫」

「本当にごめんなさい。上級生の教室でご迷惑をかけて本当に」

「それは良いよ。柚咲乃は間違えたことは言ってないしね。むしろ俺が助かったくらい」

「それなら良いんですけどー。何かやっぱ、ごめんなさい?ん、ありがとうございます。先輩」


 しっかし、柚咲乃の髪の毛は相変わらずの剛毛だ。太いし多いしで切る人によっては大変に思われることもあるかもしれないけど、シャキシャキ切れるので個人的に楽しい。

 けど、元が短いから直ぐに終わってしまう。


「久しぶりに先輩に切ってもらったけど相変わらず上手。戸田美容院がなくなってからは、どこの美容院に行っても男の子っぽく切られたけど、和音先輩が切るとショートでもちゃんと女の子になるんだよね」


 鏡を見ながら顔の向きと角度を変えて柚咲乃は仕上がりを嬉しそうに確かめる。


「二年ぶりくらい?」

「そうだよ。先輩が切ってくれないから友達のおすすめのところに行ったんだけど、これがどうも合わなくて困っちゃってた」


 俺は後片付けをしていると、柚咲乃も一緒に手伝ってくれる。


「やってもらってそのまんまってありえないでしょ」


 そう言って一緒に手を動かすのが柚咲乃である。

 昔、戸田美容院でも俺が柚咲乃の髪を切ったときでも同じく一緒に掃除をしていた。

 んー、懐かしい。

 柚咲乃が俺を先輩と呼び始めたのは俺が中2になってから。それまではアイくんと呼んでいた。

 柚咲乃の姉の実弥さんも俺をアイくんって呼んでいたんだよな。


 片付けが終わってサロンを出た。


「じゃあ、先輩。ありがとうございました」


 帰る方向が違うので俺と柚咲乃は出てすぐに別れる。

 それから、向きを変えて家に向かうと、真向かいを学校祭実行委員の野々原さんがこっちに向かって歩いてきてた。


「あ、紫雲くん!」


 名前を呼ばれて俺は足を止めた。

 パタパタとパンプスの音を鳴らして小走りする野々原さん。


「さっきはごめんなさい。あんなことにするつもりは全くなかったの……。本当にごめんなさい」


 野々原さんは深々と頭を下げた。


「あの、俺に何を頼みたかったの?」


 俺がそう訊くと、驚いた表情で「え?」と聞き返すから「野々原さんは俺に何を頼みたかったの?」と同じ質問をする。


「少し時間良いですか?どこかカフェとかで良かったら行きません?」

「わかりました。良いですよ。だったら、俺の知ってるところで良いですか?」

「あ、はい」


 野々原さんは一々驚いて返事をする。


「ここです」


 と、入ったお店は母さんとよく行くレストランだ。

 俺の後ろに付いてきて店に入ると中の豪華さに目を輝かせる野々原さん。

 何か言いたさそうにしているけれど言葉が出ないらしい。


「いらっしゃいませ」


 俺にとっては聞き慣れた声だ。


「あら、和音くん。彼女連れ?」


 母さんより年上の女性でこのお店を旦那さんと切り盛りしているお姉さんだ。


「いいえ、そんなんじゃないですよ。クラスメイトです」

「クラスメイトってあの東高の……?大丈夫なの?」


 俺がクラスメイトというと怪訝な顔をしたのは俺が刃傷沙汰の被害者になったときの加害者がクラスメイトだと知ってるからだ。


「まあ、大丈夫ですよ?」

「何もないなら良いけれど、席はどうするの?」

「えっ……と、人目につきにくいところが良いです」

「じゃあ、いつもの席に案内するわね」


 俺と野々原さんは店の奥の方のテーブルに通された。

 ここは飲食をするには髪が目にかかったままだと光量が足りないので髪を後ろに結わえてから着座する。


「良くここに来るの?」


 おずおずと野々原さんが声にする。


「ん。母さんと仕事のあとに来ることがあるんだ」

「そう……ここ、高そうだけど大丈夫?」

「お金のことは心配要らないので好きなものを頼んでください」

「は、はあ……じゃあ、お言葉に甘えて……」


 俺はコーヒーを頼んで、野々原さんはロイヤルミルクティーを注文した。

 それとメニューを見ているときに野々原さんが目を一瞬輝かせていたのでパンケーキもオーダーしておいた。


「で、野々原さんは俺に何を頼みたかったんですか?」

「ヘアメイクとお化粧です。可能な限り露出を減らして健全さをアピールしつつ、衛生面での観点でヘアメイクと、お化粧で華やかさを出したいと考えました。他のクラスのメイド喫茶は胸が開いてたりスカートが短いメイド服を提案しているので、私としては健全さで勝ち取りたいんです。そうじゃないと問題を起こしてる学年ですから通らないと思いまして……」

「んーー。でも、それって、今日のクラスでのアレを見て俺が協力できると思いますか?」

「………………」


 野々原さんは口を噤む。

 返す言葉を考えているんだろうけど、適切な返答を見付けられないらしい。

 無言のまま待っても仕方がないので、俺の結論を伝えてこの話を終わらせてしまおう。


「俺はムリだと思ってます」

「で、でも……」

「野々原さんだって俺のことウンコって言いそうになってたじゃないですか。そんな認識でしかない人間に頼むべきことではないと思いますよ」

「それは、本当にごめんなさい」


 最初に俺に話しかけてきたときに、野々原さんはウンコと呼びそうだった。

 だから、頼み事もその程度。俺はそう思ってる。そしてそれは謝ったって変わることはない。


 このタイミングで頼んだものが運ばれてきた。

 案の定、パンケーキを見て見開く野々原さん。こういう時はちょっと可愛いなと思ってしまう。やっぱ、女の子は女の子だ。


「そのパンケーキは野々原さんのために頼んだから食べてください」


 パンケーキの皿を野々原さんに差し出して笑顔を向けると先程までの神妙な表情とは打って変わって真っ赤に恥じらう少女みたいにはにかんで俯いた。

 それから気を取り直したのか顔を上げて──。


「いいんですか?」


 恐る恐るではあるけれど緊張しながら俺に訊く。


「もちろん」


 俺は再び野々原さんに笑顔を作って見せた。


「じゃあ、お言葉に甘えていただきます」


 ナイフとフォークを取って嬉しそうな顔をする。

 まあ、こういう感じは悪くない。


「あの、紫雲くん、柊さんとはどんな関係なんですか?」

「んー。俗に言う幼馴染というのですかね」

「それで親しいんですね?」

「まあ、それは、そうですね」

「そっかあ……。それなら、柊さんが怒るのも理解できました。確かに私たちが悪いですね」


 あっという間にパンケーキを平らげた野々原さん。

 ふうっと息を吐いて腑に落ちた様子を伺わせる。


「私、最近、ここの商店街の皆さんの対応が悪くて酷いって感じてたんです」


 と、言葉を紡ぎ始めた。


「先程のお店の方の対応もそうですが、紫雲くんを大切に思われてるのですね。どこのお店も東高の二年生だと分かると出入り禁止みたいに扱われるんですよ。最近ですとカラオケボックスが断られて一学期の打ち上げができませんでした」


 そう言ってクスクスと笑う。

 母さんの仕業か。もしかして祭りに東高の二年生を見かけなかったのって……。


「私、家がこの辺なんですけど、今年はお祭りも出入り禁止にされてしまって……今年は花火がいつもより十五分長く打ち上がるって聞いて楽しみにしていたのに。家からは見えないし本当に悔しかったッ」


 目がガチだ。

 俺は花火大会を見終わった後のある一件のインパクトが強すぎて。

 今思い返せばやはり健全な場所では健全であるべきだよな。


「話は戻りますけど、俺は今の状態では協力できません。でも、健全を押し出したいなら男子にもコスをさせて執事として接客させるべきだと思いますよ。それなら恐らく通るんじゃないかな」


 すると、野々原さんはハッと表情を変えて


「それはそうですね。執事。良いですね。明日のホームルームでそれを推してみようと思います」


 と、顔を上げて真っ直ぐに俺を見た。


「くれぐれも俺の名前は出さないでください。俺の立場はあまり良くないから」

「わかりました。パンケーキを頂きましたし、紫雲くんの名前は出さないようにします」


 話が纏まってレストランを出た。


「良い案を出していただいた上でごちそうしていただいてありがとうございました」

「良い方向に進むと良いですね」


 野々原さんとはそこで別れて俺はようやっと家路につく。


 翌日。

 朝のホームルームで野々原さんが学校祭の出し物について男子も執事コスで接客をする提案をすると男子から反発が多少あったものの女子の圧倒的多数の賛成を得ることができた。

 その案を持って実行委員に提出したところすんなりと希望が通ってクラスの出し物はメイド喫茶となった。


 これで俺もようやっとお役御免。

 その時はそう信じていた。

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