夢のような初恋はピンク色

 salon de beautéサロン・ド・ビューテ


 お姉ちゃんが今月から勤めているオープンして二年目の美容院。

 言われた時間の五分前にウチはその店のドアを開けた。


───カランコロン


 随分と古臭いドアチャイムの音だ。シックで落ち着いた雰囲気で大人の女性の空間。

 そこに一際目立つウチと変わらないたわわに実る乳房の持ち主。

 度肝を抜かれた。

 めちゃくちゃ美人。

 おっぱいがデカいのに気品がある。

 確かにウチと違って下品さがない。

 見惚れていたら、今度はものすっごい美少年が近寄ってきた。


 切れ長で大きな目。

 長い睫毛。

 スラリとした鼻筋に小高い鼻。

 あのおっぱいが大きい女性とそっくりだ。

 姉弟か?

 唇はどうにも可愛らしいアヒル口。

 細くて長い首。

 シミ一つ無い素肌。

 頭ちっさ!スラリとした身体にその小さい頭がかっこよさを強調する。


 綺麗………。


 心臓が、ドッドッドッドッドッと強く脈打つ。

 読モのバイトで出会う男よりもずっと見た目が良い。


「いらっしゃいませ」


 どこまでも染み渡りそうなハスキーで透き通る声が頭に響く。

 心が奪われて身動きが取れずに居ると彼がまた声をかけてくれた。


「ご予約の方でしょうか?」

「じゅっ……十九時かりゃ予約の一条いちじょうでひゅっ……」


 緊張のあまり、噛んでしまった。

 ウチ、かっこわるい……。


「いっ……一条様ですね?確認いたしますので少しお待ちください」


 ウチが名乗ったら彼が一歩足を引いて慄いたけど、ウチが読モだってわかったのかもしれない。


「一条依莉愛いりあ様。ご予約を確認いたしました。ではこちらの椅子に座ってお待ちください」


 彼は綺麗な動作で席を案内してくれて着座を促した。

 ウチは熱くなった頬を両手で覆って確認する。

 きっと真っ赤なんだろう。息をゆっくり出し入れして落ち着かせながら椅子に座った。


(やっば!めちゃくちゃ綺麗な顔じゃん!)


 背は高くないが手足が長く頭が小さい。


(きっとウチと変わらない年齢だよね?)


 テキパキと仕事をする彼を見ていると読モの撮影で働いているスタッフよりも周りをよく見て的確に動いているのが分かる。

 ウチだってモデルやってるんだ。だから何となくだけど気がつけた。

 お姉ちゃん、すごく働きやすそうだし。良いなあ。

 彼を目で追い続けてると、心臓が高鳴ってキュンキュンとお腹の奥に強い刺激が突き上げる。

 これって、恋?ウチが一目惚れ?マジか……こんなところで。

 誰にも動かなかった気持ちがここで初めて心惹かれる男性に出会った。


「あ、お姉ちゃん……」


 彼を見続けていたらお姉ちゃんと目が合う。

 すると彼のヒソヒソと話をしていた。

 口元が隠れているので何を会話しているのかわからないけど、お姉ちゃんがチラチラとウチを見てるからウチのことかもしれない。

 なのに彼はウチを一瞥ともしない。


 その間、彼に似たお姉さんがテキパキと仕事を進めている。

 本当に良いお店だ。


 しばらく眺めていたらお姉ちゃんが近寄って隣の椅子に腰を下ろしてきた。


「あ、お姉ちゃん……」

「いらっしゃい。あのさ」


 お姉ちゃんがニチャニチャした笑顔でウチに話を持ちかけてくる。

 こういう顔をしている時は、悪い話だと決まっている。


「あたしが依莉愛の髪をヤると1万5千円するんだけどね。あそこにいる男の子がやると無料タダでできるんだよね。どう?あの子、あたしより上手いんだよ」

「え、ウチ、お姉ちゃんに切ってもらえるのかと思ってたのに」


 え?あの彼に髪を切ってもらえるってマ?

 一瞬、めっちゃ上がった。ヤバい!ヤバいヤバい!

 顔が熱くなってくるのを他所に冷静に考える。

 ウチ、お姉ちゃんに切ってもらうんだよね?

 あ、一万五千円。忘れてた。

 てか一万五千円もするの?高すぎるんじゃない?

 ウチの月収の五分の一だよ?


「あたしはもう少し慣れておカネに余裕ができてからやってあげるしさ。あの子ならタダだよ?読モっつったってキツいんだろ?」


 さらにお姉ちゃんは追撃をしてくる。

 タダ。無料。それで良いのか。仮にもウチ、読モだよ?

 でも、彼を見ているとやっぱ心臓が高鳴るのを押さえきれない。

 彼に触れられてみたい。


「それに、あの子、綺麗な顔立ちのイケメンだしな。依莉愛も気に入ったろ?」


 お姉ちゃんにそう言われてウチの顔は決壊した。

 真っ赤だ絶対。激熱になった頬を両手で隠す。

 ニヤける顔を隠しきれない。


「あっはははははは。お前、わかりやすいな。で、どうする?」


 相変わらずお姉ちゃんはニチャニチャした顔を向けている。

 ウチはもう詰んだんだ。


「……わかったよ。良いよ。あの人に切ってもらっても良い」

「おし、じゃ、決まりな。店が閉まってからじゃないと切れないから、カフェとかで時間を潰して八時になったらまた来るでも良いよ」


 応諾したら満面の笑みだ。

 絶対に面白がられてる。


「閉店まで待ってる」


 と、返したら「あ、そう」とお姉ちゃんは仕事に戻って行った。



「おまたせして申し訳ありません。こちらにどうぞ」


 営業スマイルだと思うけど、それでも本当に綺麗な顔だ。

 中途半端に長い髪の毛を頭の後ろで留めている。

 サイドを固定しているのはヘアピンだ。

 ウチはおずおずと彼についていく。

 その横でお姉ちゃんがニチャニチャしているのは言うまでもない。


「本日はありがとうざいます。聖愛さんから伺っていますが、少し軽く綺麗な雰囲気になされたいとか?」


 セットチェアに座らされるとクロスを首に手際よく巻かれた。

 ウチのヘアメイクさんより既に上手い。若いのに何者?

 てか、意識を戻さなきゃ。どういう髪型にしたいだったったかな?


「はい。読モしてるんですけど、髪の毛がどうも下品に見えるみたいでまだ伸ばしていたいので下品に見えないように見栄えは今みたいな感じで良くしたいんです」

「上品にもギャルっぽくもできる髪型。ということでよろしいでしょうか?」


 そういって彼はウチの頭を触れて鏡に対して正面に向ける。


「は……はい」


 鏡越しに目が合った。やっぱりすごく綺麗な顔で目が優しくて温かい。

 でも、仕事人っぽい目の色で、かっこ良くもある。

 ドキドキがヤバい。


「聖愛さん。良いんですか?」


 彼はお姉ちゃんに訊く。


「うん。好きにやっちゃって良いから」


 お姉ちゃん、絶対に二チャっと笑ってる。

 絶対に二チャっと笑ってる。


「わかりました」


 すると、彼はウチの髪の毛を弄りだしてこう言った。


「髪の毛は全体的に五センチほど切らせてもらっても良いですか?」


 良かったそんなにバッサリ行かないんだ……。

 ホッとして「はい」と答えた。


「それで、ここは、こう切って、こうします。そうしたら読モの時はこうしたら上品に見えますし、ギャルっぽくしたいときはこうすれば良いんじゃないかと思いますが如何でしょう?」


 わ……すごい。

 イメージがピッタリ。


「しょ……しょれでおにぇぎゃいしみゃふっ」


 噛んだ。

 鏡を見たら顔が赤い。


「聖愛さん、どうでしょう?良いですか?」

「あたしはもうバッチリオーケーだよ。切るところ早く見たい」


 どうやらお姉ちゃんは彼のカットを見たいらしい。

 それから手際よくカットをする。


 ずっと彼に見惚れていたらあっという間に終わってしまった。

 幸福感が強いほど時間が過ぎるのは早い。


 どうやら、お姉ちゃんが彼を「あたしより上手い」と言ったのは本当らしい。

 それよりもウチのヘアメイクさんより遥かにセンスが良いし手際も良い。そして早い。

 丁寧だし不快感を与えられることが全くない。

 声のかけ方も優しくて温かい。それにウチの希望を聞いてウチに寄り添ってくれている。

 そして彼は読モ向けでセットをしてくれた。


 ウチがウチじゃないみたいに可愛い。

 上品さがあって華美だけど派手じゃない。

 こうして見ても大きくなったおっぱいが下品に見えないというのが印象深い。


「すごい……ウチ……これ?本当に?」

「ええ。ご満足いただけたようで何よりです」


 自分の変貌っぷりに我を忘れて見惚れてしまった。

 それから何も考えられなくなったウチの代わりにお姉ちゃんが彼と言葉をやりとりする。


「ありがとう。じゃあ、あたし、依莉愛を連れて帰るね」

「はい。練習させてくれてありがとうざいました」


 彼はお姉ちゃんに頭を下げて感謝を伝える。

 ウチこそ彼に頭を下げたい。何万円と出したってこんなに満足できる良い髪型にはならないよ。

 結局、ウチは言葉を発せないまま頭を下げてお姉ちゃんに付いて行った。



「どうだった?彼」


 お姉ちゃんが運転する車で話しかけてきた。

 ウチは頭がポーっとしたままで「好き」と声にしてしまう。


「うっははははははっ!それかよ。どんだけピンク色なんだよ依莉愛の頭ン中。そんななりして夢見る乙女かよ」


 お姉ちゃんが盛大に笑う。


「あっ……ヤ、そうじゃなくて……」


 ドギマギしてしまった。


「髪だよ髪」

「髪、良かったよ。めっちゃ上がった」

「あたしより上手いってわかったろ?」

「スゴいよね。ウチのヘアメイクさんやスタイリストさんたちよりずっと良かった」

「そうだろう?あたしもあの子が好きなんだよ。仕事でも異性としてもね」

「お姉ちゃんも?」

「ああ、今日はどう仕事をするのか見てみたかったんだけど、現時点でも相当にレベルが高いよ。あの子。あんな良い男、居ないぞ」

「そうだよね……」


 ウチはそれでシュンとしてして俯いてしまった。


「ま、あの子は年下だし、何なら依莉愛と同じ歳だからな。流石に罪悪感を覚えちゃうんだよねー」


 お姉ちゃんがそういうのでウチはちょっとだけ気持ちを取り戻す。

 同じ年齢トシなんだ。高校、どこなんだろう?知りたいな。


「くっくっく……面白いなー。お姉ちゃんは依莉愛のそんな顔が見られて嬉しいよ」

「もうっ!バカにしやがって……」


 ウチは何かを棚に上げたまま、笑われたことに憤慨してしまった。


「ちょっと、運転中だからね!」


 お姉ちゃんの脇を小突こうとしたら怒られた。


 それにしても、誰かに恋をして好きになるって、こんなに夢のような気持ちになるんだ……。

 それをお姉ちゃんはピンク色って本当に酷い。

 ウチの夢のような初恋はピンク色。お姉ちゃんから見たらそう見えるのかな。

 どこか浮足立つ自分が、少しだけ気色悪いと思ってしまった。


◆◇◆◇◆◇


 翌日、撮影に行くと髪の毛のことでいろいろ言われるんだけど、どれも肯定的なものだった。


「依莉愛ちゃん、すごく良くなったね!どこでやってもらったの?」


 ヘアメイクさんやスタイリストさんが口を揃える。


「お姉ちゃんが美容師をしていて、そこのお店の男性スタッフにやってもらったんです」


 素直に答えた。

 そう言えば名前、訊けば良かった。


「へー。すっごく良いセンスだね。そこ。私が紹介してもらいたいくらい」

「ウチの地元の東町商店街のsalon de beautéってお店ですよ」


 お姉ちゃんの売上に貢献してあげよう。

 そう思ってウチは店の名前を出した。

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