お前らにはやらんッ!
小学生になった和音は朝は家から集団登校で出ていって帰りは別の集団登校で戸田美容院にやってくる。
帰りの登校班。よりにもよって白下陽那と同じなんだよな。
相変わらずぴたりとくっついて離れない。
どんだけ和音が好きなんだよ。
私はあの女……陽那の母親が好きじゃない。他人を蔑んで自分は旦那を裏切って男に溺れてみっともない。
私自身は陽那に関わりたくないから放置だな。
和音は戸田美容院に着くと、私が使っていた部屋で宿題を済ませて、私の仕事を見に来る。
飽きたら奥でマネキンをカットしてるんだけど、もうハサミを持てない歩さんが和音にいろいろ教え込んでいるんだよな。
しかも、あのガキ、誰に似たのか一度見ると大体の事を覚えてしまう。しかもそれがめっぽう器用でさ。見てると自分の自信を失ってしまいそうなくらいだ。
やり方が分からないと分かるまで聞きやがる。忙しい時はウザいったらありゃしない。それでも和音の成長を見るのは楽しくて楽しくて仕方がない。
そうして日々を過ごしていってるわけだけど、和音の参観日は一度も行けず、学校行事は二年生まで何とか行けたくらいだった。
それでも和音は私には泣きつかずに、ただ貪欲に私の仕事を見て盗んではマネキンで試し、歩さんに訊いてはカットやメイクを覚えていく。
いつの間にか料理まで覚えて、掃除もバッチリ。こいつは何でも器用にこなすナイスな男に育っていくと期待した。
小学生になって陽那が和音に誰一人として寄せ付けない中、サロンの常連さん親子と和音が仲良くなった。
「あら!可愛い男の子!」
和音を見つけるとヒョイと簡単に捕まえて和音を抱きしめる。
彼女は飢えた野獣が如くギラギラした目の色で和音に抱きつくなり頬にチュッチュチュッチュとキスをする。
「アイくん見っけ!ママ!わたしにもわたしにも!」
香苗さんから和音を奪って抱きしめたのは彼女の長女の
それを羨ましそうに見てるのが和音の一つ年下の柚咲乃ちゃんで私はゆっちゃんと呼んでいる子。
和音を抱いた実弥ちゃんは既に中学生だ。初めて和音と会ったときでも小学五年生くらいだったかな。
和音は年中だったかも。
実弥ちゃんも和音の顔中にキスをする。
「やあん♡可愛い!ねぇねぇ、美希ちゃん。和音くん頂戴よー。ほんとかわいー♡」
香苗さんは頬を頬に擦り付けているわけだけど、和音は顔色一つ変えずに嵐が去るのを待っている。
「やーです。和音は私の大事な息子だから、お前らにはやらんッ!」
和音を抱きかかえて床に立たせるとトタトタと奥に逃げていった。
まあ、それを実弥ちゃんが追いかけるんだけど、実弥ちゃんは週に数回、ここに来て歩さんからいろいろ教わっている。
あの人もたいがい可愛い女の子が大好きで構いたがりなんだよな。
ゆっちゃんも和音とよく遊ぶけど、こっちはわりと健全だ。あの母親の娘だから警戒していたけど母親に似なかったらしい。それは大変良いことだ。
あの母娘は凶悪だから和音が食われないためにも立派に育て上げないとな。
閉店後。
私も着付けを覚えたくて歩さんに教わったんだけど、一緒に教わっている和音や実弥ちゃんのほうが上達が早くて上手い。
何でも器用にこなしてきた私が初めて挫折したかも知れない。
それにしても納得できないのが──
「アイくーん♡おねがーい♡」
と、実弥ちゃんが一糸纏わぬあられもない姿を晒して着付けを
中学生っつー思春期の女子だぞ。
良いのかそれで!と思ったが、そんなことを気にもせず、淡々と着付けを進める和音。
実弥ちゃんの大きなおっぱいにしっかりと見栄え良くタオルを巻き肌襦袢、裾除けを着せて、振り袖に袖を通して仕上げていく。
帯も綺麗に結んでて、まだ小学生だと思ってたけど舐めてたわ。
和音には才能がある。私にはない。たったそれだけの差だ。
「できました!」
和音が歩さんに仕上がりを見てもらってた。
「実弥も全裸になる必要はなかったろ。男子には刺激が過ぎるんだぞ」
「あははー。アイくんの刺激になるのー?だったらもっと頑張っちゃおっかなー?」
実弥ちゃんは悪びれもしない。
この娘、ケダモノだけど物怖じしないのか。良い性格してるわ。
「ん。和音はもうお客様をつけても問題ないくらいだな。とは言え着付けって男が担当するのはまず無いからな。役に立つかはわからんけどよ」
歩さんが和音の着付けを評する。悪くないらしいけど、まー、たしかに女が男に着付けられるってムリだろう。
実弥ちゃんの着付けもなかなか上手で将来が楽しみだ。いつか一緒に仕事が出来たら良いなと思った。
和音はヤらないけどなッ!
旦那を亡くして辛い日々も和音とじゃれあって仲良く出来る仲間がいる。
それだけでよかったんだよな。
でもさ、やっぱり私はどこに行っても施設育ちの中卒というのが付き纏う。
それが和音に影響しなければ良かったのに。
和音が小6になったある日。学校から電話がかかってきた。
『あの、大変申し訳無いのですが、保護者会からクレームがございまして、母子家庭なのは伺っているのですが修学旅行の費用を公的機関が補助することについて不平が出ておりまして、可能であれば補助か修学旅行の辞退をお願いしたいのですが……』
絶句した。あり得ない。何でこんなことを言ってくるのか。
「すみません。辞退しろということですか?」
『簡単に言いますとそうですね。何人もの保護者から上がっておりまして、教育委員会の方にもこの話が行っているんです。それでできればご辞退いただきたいというのが本校の希望でして』
クソッ…!何で!私だって修学旅行くらい行けたのに。
「すみませんが今ここで判断はいたしかねますので一度そちらにお伺いさせてお話をさせていただけませんか?」
サロンが休日の日に私は学校に行くことにした。
火曜日。
私は和音を送り出したらマスクと伊達メガネをつけて学校に行く。
お話をするのは昼。
私はそれでも学校での様子を知りたくて少し早めに学校に向かった。
「お前、ほんっときっめーな。その女みたいなウンコっ面でよく行きてられるよな」
「ウンコウンコーーw」
「ちんこ付いてんのかお前よー」
「おっしゃ確認しようぜ」
「いいないいな」
「おっしウンコの服を奪えー」
教室の近くの廊下に響く子どもの声。
それは決して平穏なものではなかった。
私は恐る恐る教室の中を伺うと和音が男女に関わらず取り囲まれて笑いものにされている。
頭に血が上る。今直ぐここで暴れてあの子たちを懲らしめたい。
けど、そんなことをしたら私は和音と一緒に過ごせなくなる。
それは絶対にしちゃいけない。
けど、私はその子たちの名札を見て覚えてやった。
2.0舐めんなよ。
私は涙を堪えて職員室へと向かう。
恐らく電話とこの和音へのイジメ行為は関連性が高い。
教育委員会という名前が出ているから中学に行っても高校に行っても続くんだな。
それを胸の内に押し留めながら職員室のドアをノックした。
私と対峙するのは校長、教頭、学年主任、そして、担任。
「今日はお時間を頂いて恐縮です。修学旅行についてのお話を伺わせていただくて参りました」
下卑た目を向けてくる先生方に私は礼をする。
スマホのボイスレコーダーで録音するのも忘れない。
「こちらからご説明させていただきましたが、本校からはそちらのお子さまには修学旅行を辞退していただきたいと申しました」
先に口を開いたのは教頭先生だった。
「そうでしたが、本日、和音くんから辞退すると伺いましたのでこちらのほうで処理をしています」
そういったのは学年主任の先生。
え、どういうこと?
「そういうことですから、今回の修学旅行では和音くんは辞退となりました」
冷たく言い放つのは担任の先生だ。
「辞退は今、伺いました。では辞退を請うに至った理由をお伺いいただけますか?」
行かないと決めたなら、従うしか無いんだろう。
連れて行かれないんだから。
「まず、弊校の保護者会で非常にたくさんのクレームがありました。皆、貧しくてもお金を払っているのに母子家庭というだけで全額補助される。それが教育委員会にも伝わってしまい、対処しろということで辞退いただきたい旨をお伝えさせていただきました」
「ともかく、もう話は済みました。主任と担任は戻って良いですよ」
教頭が理由を述べると、もう話をするつもりはないとばかりに担任と学年主任を帰すと、校長室には私と教頭、校長の三名を残した。
「ところで紫雲さんは和音くんが一年生のときに旦那さんを亡くされてるんですね」
厭らしい目を校長先生が私に向ける。
教頭先生は校長室の入口に立った。
「ええ」
「もう五年もおひとりなんですね。それはさぞ淋しいでしょうに」
「そうでしょうか。私には和音がいるから淋しいと感じることはありませんよ」
「そういう淋しいじゃなくてね」
校長先生が立ち上がって私の隣に座る。
「どうですか?悪いようにはいたしませんよ?」
私がヤれと?ここのジジイどもと?
何が悪いようにしませんだ。っざけんなッ!
「はっ。ご冗談を。では、お話はしていただけないみたいですから私は帰ります」
ジジイに触られるのを避けて私は立ち上がり、校長室から出るために出入り口に向かった。
だが、出るために戸に手を伸ばすと教頭先生に遮られる。
「冗談はそちらでしょう?低学歴のゴミが私たちに歯向かうんですか?貴女みたいなクソな下民は我々に黙って従っていれば良いんですよ」
どいつもこいつも……。
「こんな低学歴のゴミをお相手になさるのはそちら様の価値を確実に損なうでしょう?どうぞ、ご自愛くださいね。では」
教頭を避けて何とか引き戸を引き、校長室を出た。
職員室の教師たちの視線はそれは酷いものだ。
ここで何もできない自分の力を私は呪うしかなかった。
あれから私は何度も訊いた。
「和音、学校にムリをして行かなくても良いんだぞ」
「いや、勉強はしたいから行くよ。俺は大丈夫だから」
和音はこうと決めたらテコでも動かない。頑固な奴だ。
弱音を吐かないしネガティブなことも口にしない。
私は和音に何をしてあげられるのか。
中卒で一美容師でしか無い私に。
施設育ちで親は居ないしどうしたら良いのか……。
それからというもの和音は「仕事を優先しても大丈夫だよ」と学校行事の度に言う。
卒業式も中学の入学式も和音は「仕事を優先して良い」とそう言う。
けれど、私だって親だから和音に悟られない距離で和音を見守った。
ただ、和音を遠くから見たおかげで子どもの人間関係、保護者たちの人間関係が良く分かる。
私の両親、写真を見ると二人とも眼鏡をかけていない。目の良い娘に産んでくれて感謝した。
和音が中学に上がって私は保護者会には参加した。
そこで私の立ち位置を確認する。
まあ、わかったわな。
和音のイジメには権力のある保護者の子が中心人物になってる。
そこに数名の保護者たちが彼らに媚び諂う。
県議会議員かー。彼と教育委員会の理事が楽しそうに歓談しているし。
大物だなー。中卒の私にヤれるのか。
私はこのことを歩さんに相談した。
「んーまー、お前ならヤれるんじゃね。まあ、味方を作れよ。昔、北町の聖女様って呼ばれてたろ?あれをまたヤってみろよ」
「その呼び名は私の黒歴史なんだけどさー……」
「ヤらないよりはヤったほうがマシだ。ヤらない後悔よりヤって後悔しろよ。結婚して子ども産んで良かったろ?色々後悔もあっただろうけどよ」
いや、そうなんだけどさ。
歩さんの言葉に絆されて何かしてみるのも悪くないと感じはじめた。
「よし、お前に私のテナントを売ってやるよ。タダじゃねえぞ。今回はきっちり金を出してもらう。東町商店街の寂れた店だけどさ」
かつて私が一番最初に働いたサロンがあった。
歩さんに拾ってもらった東町商店街のそのお店。
歩さんがお弟子さんのひとりに貸し出した。
サロンは名前を変えスタイルも変えたけど、寂れ行く商店街ということもあり、お客様が減って立ち行かなくなり歩さんの元に戻ってきた。
私にそこで店を開けというのだろう?でも私一人じゃダメだ。
今から準備を始めたとしても開店は二年三年と先の話。では高校生になった和音に手伝ってもらうことだって出来るんじゃないか。
幸い、私と一輝さんの間の子だけあって和音の顔はとても良い。和音がお客様を呼んでくれるかも知れない。
だがそれは女性客の話。かつてのサロン・ド・ビューテは男性客がたくさん居た。私は男性のお客様のカットをしたことがあまりなくて自信が無い。
なら、和音で練習をしよう。
「わかりました。ヤってみます」
それから私はまず、両親が残した不動産を処分した。
中町コンフォートと言う高層マンションの最上階にある広い一室。
必要な写真などの遺品を持ち帰って資産価値のあるものは全部売り払った。
これだけでも億に届くほどだ。
私の両親はいったいどれだけのお金を持っていたのか。
それにしてもこういったことは小さい頃から弁護士たちとやり取りをしていたおかげでかなり立ち回れる。
お金の準備には数ヶ月で済み、私はテナントの売買契約を歩さんと進めた。
「よくこれだけの金額を短期間で集められたね」
「私の両親が遺したマンションとそこにあった資産を売却した。それと預貯金を少しだね」
「ほー……美希の親って何者だったんだ?」
「あまり詳しくはないけど起業家だったみたいで私が相続した時は父が生前、事前に遺した遺言に会社の売買にだけ言及があったそうで企業は売却して、それが相続税と弁護士費用に充てられたとか。それでもある程度は残っているけど」
「すげえ親だったんだな」
「それでも最期は事故死だったからさ。どれだけお金があってもあっけなく死ぬ時は死ぬんだなって」
そして互いに弁護士を立会人にして不動産屋さんで契約を結んだ。
私は直ぐ様にお金を振り込んで支払いを済ませる。
「はあ。これで私も肩の荷が下りた気分だよ」
「今までありがとうございました」
「とりま、私は店を畳んで北海道にでも住んで老後を楽しむことにするわ」
結構な大金が入ったのだからそうなるよな。私でもそうする。
今はそうしてないけど。
「そうですか……」
「いや、でも直ぐにってわけじゃない。美希のサロンの準備が整うまでは戸田美容院は続けるつもりで居るさ。まだ和音から離れたくないしな」
戸田夫妻は和音を孫同然に可愛がってくれている。
あの子は学校では恵まれていなくても、周りには彼を愛してくれる人がたくさんいる。
和音は私にとって天使だ。その大切な天使を傷付けるものは何であれ絶対に許さない。
でも、これで一つの区切りはついた。
私は和音を見守りつつ、和音のために力をつけたい。
寂れた商店街にお客様を呼ぶ。
こう見えて私の見た目はそれなりだし、和音がサロンに居れば女性客の伸びは良くなるはずだ。
親バカかも知れないけど、和音は絶対に人目を引く見目好い男性に育つはずだ。
そうなるとアイツには多少は女に慣れてもらわないとな。
私は歩さんからテナントを購入した。
私のサロンを遂に開く。
どんなサロンにするかはもう決めている。
そんな名前の店だ。
私が昔、このドアを開いて古臭いカランコロンという金属と木で出来たドアチャイムを鳴らした。私の人生の第一歩と言えるそのサロン。
シックで落ち着いた、誰もが居心地良く過ごせる美容院。
私は更にもう一歩、足を踏み出そうとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます