アイちゃんとひなっち

 白下しろした陽那ひな

 今、俺の左に居て、俺の制服のブレザーの裾を掴んでる中背の女子。

 市立北女子高校の生徒で実は家が近い。近いと言っても歩いて二十分少々と言う距離だが──。

 家が厳しいから学校から帰ると習い事であったり塾であったりそう言ったところに通っていたはず。

 小学生のころは習い事だけだったし幼稚園の時から仲が良かったこともあって良く一緒に遊んでた。

 父さんが亡くなったのは小学生になってすぐ。

 その前から入退院を繰り返していて、俺は幼稚園の頃から放課後はいつも母さんの職場でもある戸田美容院で過ごしてたし、そこからひなっちの家が特に近かった。


 少なくとも小学五年生と言う男女の色が付き始める時期までは俺にだって友達が居たし、ひなっちみたいに登下校を一緒にする仲の子だっていた。

 小学五年生のクラス替えから俺の人生は変わる。いろんな出来事が重なって起きた。

 その幕開けは、同じ学年でとてもモテる男子に女子だと思われて告白された。もちろん、俺は自分が男子だということを伝えたけど、その男子は酷くショックを受けてしばらく学校を休んだらしい。

 ただ、その男子が俺に告白する前に、彼に告白をした女子をこっぴどくフッたことが俺の学校生活を大きく変える原因の一つになる。


 その女子はクラスや学年でも女子の中では中心人物的な存在で影響力がとても強かった。

 彼女とすれ違うたびに投げかけられるその言葉。


「男のくせに気持ち悪い」


 俺は気持ち悪い人間なのだと。

 それを皮切りに何人もの女子にそう言われ始めた。

 そして、その同時期に逢坂おうさかはるが取り巻きを連れて俺の机を囲って──。


「お前、気色悪いな!女みてーな顔してよぉ」


 それから叩かれ、殴られ、服を脱がされて全裸のまま蹴られて、物を投げつけられ、衣服を捨てられ、そういったイジメに遭う日々が続いた。

 逢坂はどこぞの少年団の繋がりで学年に広く顔が利き、女子たちと組んでクラス、学年を巻き込んで俺に対するイジメが激化させる。

 最初は先生に助けを求めた。

 けれど、誰も助けてくれないし、イジメはなかったことになっている。俺はもう完全に四面楚歌の状態だった。

 あれだけ仲の良かったひなっちは俺と一緒に帰らなくなって、俺は学校で一人ぼっちだった。


 母さんには迷惑をかけられない。

 俺のためにずっと仕事をしているし、美容師の仕事の稼ぎなんてたかが知れている。

 俺は我慢をすることを選んだ。

 大人になれば、ここを出て別の街、別の国に行けば良い。

 それまで辛抱すれば良いんだ。と、そう思ってた。


 中学の卒業式。

 俺は一人、校門を潜って家に帰ろうとしたらひなっちに呼び止められた。

 ひなっちは私立の女子中。北女子中学校に進学して、ここにいるはずのない存在だ。


「今まで、何もしてあげられなくて、本当にごめんなさい」


 ひなっちに話しかけられたのは小学五年生以来だった。

 俺はもちろん返答をしない。


「私、アイちゃんにどうしても伝えたくて、今日ここに来たのよ。高校も別々だけど、アイちゃんのこと絶対に忘れないし、絶対に迎えに行くわ」


 俺はひなっちの声だけを聞いて何も言わずに家に帰った。



 あれから一年と八ヶ月くらいが今日。

 ひなっちは俺の隣にいる。


「何年ぶりかしらね。こうして一緒に歩くのも、アイちゃんとお話をするのも──」


 三年生のフロアでどこを見るかときょろきょろ目を動かしながら、ひなっちは言葉を紡ぐ。


「──小五以来だから六年ぶりになるのね。とても長かったわ。それだから、先程、アイちゃんの声を聞いて悔しくなったのよ」


 三年生のフロアの踊り場に戻って一旦立ち止まった。


「悔しいってどうして?」

「ふふ……。前ならそんなこと訊かれもしなかったでしょうね」


 一緒に階段を降り始める。


「声変わりしたでしょう?それに背も伸びてるわ。私の知らないアイちゃんが六年分も積み重なってるの……」


 二年生のフロアと通り過ぎて一年生のフロアを目指す。


「白下さんだって変わったと思うけど?」

「そうね。あれだけ好きでもない男に好きだの付き合えだのと言い寄られて、本当に大好きな人からは渾名で呼ばれなくなるし、目を向けられることすら無い。挙句の果てに、最後に勇気を振り絞って声をかけたと言うのに一瞥すらされないんだもの。好きな方をどうしても助けたくて、お父様にもお母様にもお願いしたけど、お父様は権力が及ばず、お母様は逆にあちらに加担してしまったわ。こんなに哀しくて悔しい想いを積み重ねて変わらない人間はいないわね。アイちゃんだってそうでしょう?」

「……俺は諦めてたからさ」

「諦めていたアイちゃんに諦めなくても良い機会を与えられた。アイちゃんのお母様は素晴らしいわね」


 ひなっちに言われるまでもなく、俺は母さんに頭が上がらないし、足を向けて寝ることだって出来ない。


「俺は母さんに随分と助けられたからね。今回のことでは特に」

「……まあ、私には知り得ないこともあるわ。何があったかなんて分からないもの。それでもこうして話せて、アイちゃんがあれからのアイちゃんじゃないことだけは分かって嬉しい」


 一年生のとある教室で和風喫茶なるものがあるので、ひなっちの希望でそこで茶菓子を食べることにする。


「それにしても共学も良いわね。男性の目を気にするからどこかしこにはしたない女子が見られないのが良いわ。とは言え、共学だったからアイちゃんは被害に遭い続けたというのもあるけれど」


 本当に男女のいざこざっていうのは老いも若いも関係なく問題ばかり。

 ひなっちは俺の頭に手を伸ばして前髪をかきあげた。


「今も変わらず、本当に綺麗で可愛い……」


 そう言って嬉しそうに微笑んだ。


「まあ、そりゃあどうも……」


 綺麗で可愛いだなんて、男に言う褒め言葉ではないだろうけれど、うっとりしているひなっちに水を差す理由にもいかないから素直に受け取っておく。

 ひなっちは伸ばした手を頬に這わせ、中指の腹で傷跡を優しくなぞった。


「こういっては何だけど、傷があっても本当に綺麗ね。少し男っぽくて色気があるわ」

「それ最近良く言われるよ」

「やっぱりね。モテてるものね」

「店でだけだし実感は全く無いけどさ」


 ひなっちは手のひらを翻して頬を撫でて、今度は親指の腹を傷跡に添える。


「それでも、傷を付けたこと、私は許せそうにないわ。それに流されたとは言っても実行した事実だって私には許せないわ」


 怒気を孕んだ瞳に光を閉じ込めると、俺の頬からしなやかで滑らかな指が離れて柔らかい感触が消失した。


「アイちゃんもそんな顔をするのね。私の手の感触でも心地良いと感じてもらえてるなら、それ以上に嬉しいことはないわね」


 そう言ってひなっちは可愛らしい顔ではにかむ。


「う……なんか、ごめん……」

「ふふふ。謝ることなんかないのよ。私は嬉しく感じたんだもの。願わくば、次の機会でもそのようなお顔が見られたら私にとっては最良ね」


 それから、体育館で歌ってみたとかバンド演奏を見てまわり、一般公開の終わりを知らせる放送が流れるとひなっちは友達と合流して校舎から出て行った。

 そのすぐ後にスマホが鳴りポケットから取り出すとひなっちからのメッセージの通知が見える。


『今日はありがとう。久し振りにアイちゃんと話せて楽しかったわ。またメッセージするわね』


 俺はメッセージを返す時間はないけど、このまま何も返さないのは申し訳ないと考えて、了解のスタンプを貼り付けた。



 教室に戻るとクラスメイトが全員で後片付けをしていた。


「最後、やばかったー」

「結局メイドより執事のほうがウケが良かったねー」

「あたしらスケベな目で見られなかったのが良かったよ」

「女子に可愛い可愛いって言われるのでも悪くないしさー」

「まー、男が少なくて物足りなさはあったけど、盛り上がってたのは良かったね」


 口々に飛び交う出し物の感想。

 行列が凄かったもんなー。

 男子はゼロからメイクを仕上げられるからやり甲斐があって手抜き一切しなかったから。


「あんなんで女の子にモテるなら俺、毎日化粧してもいいわ」

「いや、あれは紫雲がやるからできるんだろ。俺にはムリ」

「けど、眉毛を整えてもらってさ。それだけはつけま外した後でも残ったしよ」

「普段からやれば良いんだよ」

「俺は休みの日とか化粧するけど紫雲くんのは凄すぎだから同じことできるとは思わないほうが良い」

「そんなに?」

「うん。俺は勉強になったなー」


 俺の名前がウンコじゃなく名字で語られる。

 違和感が凄いけどむず痒い感じだ。


「お疲れ様」


 飾り付けの撤去が終わり、机と椅子を元の位置に戻すと依莉愛が隣に来て話しかけてきた。


「あ、一条さん。お疲れ様」

「あれからどうだった?」


 あれからというのは依莉愛と柚咲乃と別れてから、俺がひなっちと一緒に居たことの話を聞きたいのか。


「校内を案内して最後は体育館で出し物を見てきたけど」

「普通に学校祭デートだったのね」

「そのつもりはないけど、そうなるのかな……」

「旧友との再会と捉えたらデートじゃないかもしれないね。でも女の子と二人で回ってたら普通はデートだよ」

「そういうもの?」

「そういうもの。だから昨日もウチと二人で回ったのも学校祭デートだよ」

「んー……。わかったよ。そういうことにしておこう」

「あー、それと、片付け終わったら後夜祭じゃん?」


 俺が「ん」と相槌を打つと依莉愛は俺に身を寄せ背伸びをして俺の耳に口を寄せる。


「一緒に過ごしたいの。どうかな?」


 そう囁いて踵をつけた依莉愛は俺から少し距離を置く。

 唇を寄せられたとき、俺の腕に依莉愛の巨大な胸が当たってた。そのくらい近かった。


「二人でってわけじゃないんだけどさー。柚咲乃ちゃんも一緒なの」

「あー、三人でってことか。なら良いよ」

「なら良いってのはちょっと気に入らないけど、ありがとう。じゃあ、行くときに呼ぶわ」


 依莉愛は自分の席に戻り、俺は席に座る。

 担任が教室に来るまで、しばらく待った。


 日はすっかり落ちて外は真っ暗だ。

 学校祭実行委員の野々原さんが教室に戻ってきてクラスメイトをグラウンドに呼んだ。


 グラウンドの中央では既にお焚き上げが始まっていて赤い炎が煌々と上がっている。


 グラウンドに下りたらそこからは自由行動自由解散だ。


「あ、あいおんせんぱーい」


 元気な声で駆け寄ってくる柚咲乃。

 俺の隣には既に依莉愛が居て柚咲乃は俺を挟んで依莉愛の反対側にちょこんと立つ。


「柚咲乃ちゃん、おつかれさま」

「お疲れ様」

「お疲れ様ス」


 焚き火を中心に放射状に生徒がちらばり、その多くが男女で固まっている。

 中央で生徒会長がメガホンでガチャガチャと喋っているけど何を言っているのか全く分からない。


「そういや、和音先輩」


 柚咲乃が俺の左から訊いてきた。

 俺たちは柚咲乃が持ってきたビニールシートに腰を下ろして焚き火を見ている。


「ひなちと何した?」


 依莉愛と同じことを訊く。

 やはり気になるらしい。

 柚咲乃にも依莉愛とほぼ同じ内容の話をする。


 話しながらやけに目につくカップルのいちゃいちゃ。

 そこかしこでチュッチュチュッチュとキスをしていて居心地が酷く悪い。

 その中で、カップルでない男女が居たり、男子と女子の集団が烏合してたりと、どうもカップリングをしているような雰囲気さえ伺える。

 この機に彼氏彼女を作ろうという魂胆もあるのかもしれない。


「ボクさー、キスしたことないんスけど依莉愛先輩は?」

「ウチもしたことないよ」


 俺を挟んでなんて話をし出すんだ……。


「ボクの姉が居るって言ったじゃないスかー」

「うん」

「そのお姉ちゃんが和音先輩のファーストキスの相手なんスよ」

「マ?和音ってキスしたことあったんだ……」

「マ……お姉ちゃんを留学で送った時に空港でめっちゃ大人なやつされてて、あれはビビったなー」

「和音ってその……柚咲乃ちゃんのお姉さんと付き合ってるの?」

「いや、付き合ってないスね。お姉ちゃんも付き合ってないって言ってたし。いくらなんでも歳が離れすぎてるからムリって」

「へー、ウチのお姉ちゃんと同じこと言ってるわ」

「依莉愛先輩のお姉さんも?」

「片思いって言ってるけど付き合うつもりは全くないしってさ」


 俺の前で話して良いことなのかって思うけど、聖愛さんは好意を何度も伝えられてるけど付き合うのとは違うって言い切ってる。

 実弥さんは帰国してきた日にめちゃくちゃ濃いキスをされたけどそれっきり。今では一緒に働く仲間でしかない。


「へー。そんなもんなんスかね……。依莉愛先輩は和音先輩とキスしたくならないんスか?」

「んー……」


 依莉愛は考え込んで俺の顔を見て柚咲乃の顔を見て話を続ける。


「正直、ドキドキしたり触れたいとか触られたいって思うけど、今、キスしたいっていうのとはちょっと違うなー」

「あー、それわかるッスわ。じゃれたいし、いつかはお付き合いしたいって思ってるんスけど今じゃないって感じなんですよねー。今は先輩を守りたい一心ですから」

「そうね……ところで話は変わるけど、あの白下さんって子が逢坂くんの好きな人っていうことは逢坂くんってここに入学してからふっきって色んな女子に言い寄ってたんだな」

「そうなんスか?」

「うん。たぶん、そう。顔を傷つけさせたのもきっと、そうすれば白下さんが傷付いた和音の顔を見て幻滅して好感度が下がるとでも思ってたんじゃないのかな」

「そんな馬鹿な……」

「や、結構ありそうな感じなんだよねー。中学卒業と同時に彼女と別れてって見栄を張ってたけど逢坂くんとヤった子がアイツはキスもエッチも始めてだったって言ってたし」

「マ?」

「マ」

「えー……そんなこともあるのか」

「うん。今思えば不自然なほど敵対視してたし、そういうことだったんじゃないかって思い始めてるところなんだよね」

「てことは、ひなちに少し訊いておくべきッスね。その逢坂って奴と和音先輩との馴れ初め」


 いや、俺に訊けば良いじゃんと思ったけど、ひなっちのほうが逢坂との接点があったからひなっちに訊いたほうが的確か。

 二人の話をぼーっとしながら訊いていたけど、話はまだ続いていた。


「そういえばさ、小四のときの合同遠足って市内の小四が中央公園に集まって遠足したじゃん。柚咲乃ちゃんのときにあった?」

「あー、あったあった。ボクも中央公園だったよ」

「そこでさー。南小の女の子がめちゃくちゃ可愛いって話題になったんだよね」

「うん」

「ひなっち、アイちゃんって呼び合っててずっとふたりで行動しててさー。ウチも見に行ったんだけど、ガチで可愛くてビビってー」

「あのー、それってもしかして……」

「やー、今日、白下さん来たじゃんね?陽那って名乗ってて、柚咲乃ちゃんがひなちって呼んでたからピンと来たんだよ」


 それってもしかしなくても俺なんだよな……。

 ひなっちとは小学六年間ずっと同じクラスだったから。

 小四まではほぼ常に行動を共にしてたし、離してくれなかった記憶がある。


「それ、絶対、和音先輩スよね?」

「ウチもそう思ったんだよ」


 二人して俺に目線を向ける。


「それ、たぶん俺で間違いないかも……」


 そうすると依莉愛がぷくくくと笑いを堪え始める。


「いやー、クラスの男子の初恋相手が男って知ったらどうなんだろって思ってさ。アイちゃんとひなっちを探してるって男子がそこそこ居たんだよね。ウケる」

「それ、マジっすか……?」

「マジマジ!だからさ、折角、その当事者の白下さんと連絡先交換したんだから訊いてみようよ」


 それからも二人の会話は延々と続いて俺は最終下校時刻まで彼女たちに付き合った。

 この二人って話出すといつもとめどなくて延々と言葉が飛び交うんだよな。

 仲が良いのは良いことだ。

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