俺は何も聞かなかった。俺は何も見なかった。

 サロン・ド・ビューテがオープンして二回目の夏。

 前回の夏では浴衣の着付けの売上が良くて母さんが上機嫌のままのその勢いで古物商許可を取った。

 今年は母さんの準備があって浴衣や着物のレンタルを始めたのだ。

 これが思いの外、問い合わせが多く、俺の仕事がパンク寸前状態となる。

 考えてみてもらいたい。多くの美容院では女性が着付けをする。

 それに男性が着付けをできても女性が男性でも良いと意思表示をしなければ大抵は女性が着付けをする。

 この店はいろいろとおかしい。俺はそう思いはじめていた。


和音あいおん君、お願いしまーす」


 着付けにやってくる女性たち。

 去年は浴衣は持ち込みだったから多くの女性が肌襦袢や裾除けを持ってきて着てくれていたのに、今年の女性はアグレッシヴに攻めている。

 慣れた女性はTバック以外に何も着けていなかったりするし、肌襦袢や裾除けを用意しているのに着方が分からないのでと着てきてくれていなかったりする。

 男の俺には目の保養なんだけど、アラレもない女性の姿はある意味毒性が強い。


「はい。では、失礼しますね」


 なるべく目線をそらしてちゃちゃっと着付けを済ませる。

 これも俺に着付けを教えてくれたあゆみ叔母さんのおかげだ。


 ただ、最近は、どうも自己アピールが強かったり密着してくる女性が多い。

 電話番号やメッセージアプリのIDが書いてある紙を渡してきたり。

 一体何を俺に求めているのか良くわからない。


「わ、スゴい……全然キツくないし苦しくない。それにしっかり着れてる感じする!」


 着付けを済ませると女性がくねくねと身を捩って着心地を確かめる。


「大丈夫そうですね。返却は明日のご来店で宜しいでしょうか?」

「はい。明日の予定でお願いします」

「では、その際に保証金をお返しいたしますのでよろしくお願いいたします」


 女性を見送ると、次は自前の浴衣を持ってきた見知った女の子だ。

 聖愛まりあさんが捩じ込んだに違いない。


「お待たせいたしました。一条様、こちらへどうぞ」

「はい。よろしくお願いいたします」


 恥じらいながら着付けのための部屋に入っていく。

 彼女は俺を指名した。


 ふうっとため息を着くと聖愛さんが「おつかれ?」と訊いてくる。


「いや、疲れますよ……女性の着付けは大変です。知り合いならともかく」

「和音くん、モテモテだもんね。あたしじゃダメって言ってきたヒトもいたしさー」


 聖愛さんは母さんより着付けが上手い。

 何なら普通に着付けをするべきだと思う。なのにこの店では俺なんだ。


「てか、一条いちじょうさんの着付けお願いしますよー」

「いやあ、あたし忙しいからムリ。それに和音くん、さっき、知り合いならともかくって言ったじゃん」


 そう言って忙しくも無いのに言葉尻を掴んで逃げて行った。

 ひどい……。


 観念して一条さんの着付けを始めることにした。

 肌襦袢と裾除けを着てきてくれたけど、それでも、母さんに負けず劣らずのナイスバディが眩しい。

 なるべく見ないようにして、と。


「では、着付けし始めますね」


 パッと見て作業を始める前に、一条さんの肌襦袢と裾除けが少しばかり雑だったので「ちょっと肌襦袢や裾除けを直させていただいても良いですか?もしかしたら下着とか見てしまうかもしれないのでよろしかったら、ですけど」と訊いた。

 一条さんは「良いよ」と答えてくれたので顔をそらしてセンシティブな部位に触れるのを避けて裾除けと肌襦袢を直す。 


「あの……さ、ウチ……じゃ、ダメ?」


 そんな様子を見てか、そんなことを訊いてくる。


「え、ダメって何が?ですか?」


 そう返せたのはクラスメイトという少なからずの繋がりがあったからなんだろう。


「その……着付けしてもらうの」

「……お客様としてなら大歓迎ですよ」

「でもさ、こっち見ないじゃん?ヤりたくないのかなって……」

「女性ですし、あまり見たら失礼かと思いまして……」


 歩叔母さんに教わった。女性に見られるのも嫌がる方もいらっしゃるからと。だから見なくても出来るやり方を俺は教わってる。

 俺は男だから余計に見せたがらない女性の方が多いはずだと徹底的に教えてもらったんだけど、どうも見ないで着付けをすると見ないことに不快感を訴えてくる女性も少なからず居て、それを言われたら顔を背けずに相手の顔を見て表情を伺いながら見て着付けてる。


「良いよ。ウチ、気にしないから。読モのバイトで慣れてるし、何なら下に着るやつとか下着、着てこなくても良いくらい」

「それは流石にヤめてください」

「冗談だよ……てかさ、お姉ちゃんに聞いたんだけど、メイクの練習してるんでしょ?」


 スルスルと衣が擦れる音をさせつつ、言葉を交わしていたら、突然の爆撃。

 メイク練習はしてるけどさ。とは言え、毎朝、母さんに対してだけである。


「は、はい……してますね……はい」

「ウチにしてくれない?紫雲しうんくん、ウチの着付けが最後で時間的にそのまま閉店でしょ?」

「あ、まあ、そうですけど……」

「じゃあ、良いじゃん。紫雲くんはウチで練習できて、ウチはただでセットとメイクをしてもらえてラッキー。いい取引でしょ?」

「はあ、まあ、そうですけど……」

「なら、おっけーだね」


 断り切れなかった。いや、俺も母さん以外の生身のヒトにメイクしたいという邪な気持ちがあったのかもしれないけれど、その相手が一条さんだもんな……。


「わかりました。それよか、本当に早いね。読モのバイトしたときに浴衣も振り袖も着たけど、こんなに着心地良く着付けてもらったこと無いし、なのに早いし」

「それはどうも……」


 帯をしっかりと締めたし、大丈夫かな。と。

 鏡を出してきて後ろ姿から確認してもらう。


「では、こんな感じですがよろしかったでしょうか?」

「わ、帯、キレイ!すっごっ!」


 一条さんは素で驚いていた。


「それはどうも……」

「ん、良いね。じゃあ、メイク、お願いね」


 そうして着付けの会計を終えると、そのまま、閉店まで待ってもらった。


「やー、ごめんね。妹を押し付けちゃって、ってことであたしは友達と祭りに行くから後はよろしく」


 聖愛さんは口も足も早々と動かしてまた逃げた。

 そして母さんがまだ居る。


依莉愛いりあちゃん、今日は和音の練習に付き合ってくれてるのか?」

「あ、お疲れ様です。はい。今日は和音くんにメイクをお願いしたんです」

「あらそう」


 母さんはそう言って下卑た笑みを俺に向けた。


「良かったねー。こんな美少女のメイクする機会なんてそうそうないぞ。しっかり練習しておきな」

「…………」


 またろくでもないことを言いそうな雰囲気だ。


「依莉愛ちゃんもよろしくね。私の息子は童貞を拗らせちゃって、ちょっと引っ込み思案でチキンなところがあるから、ヤりたかったら無理矢理迫って食べちゃっても良いからね」

「やー、ちょっと、これでもウチ、まだ処女なんで初めてはロマンチックな感じが良いです」


 どこかで聞き覚えのある返しだ。


「ふふふふふ。やっぱり姉妹ね。聖愛ちゃんとそっくりだわ。ま、楽しんでね」

「はい!」

「メイク、終わったら祭りに行くんでしょう?和音のことよろしくお願いするね」

「はい!任されました!」


 この話の流れって俺が一条さんとお祭りの屋台を見て回る感じか……。何故だ。解せん。

 それから、メイクとセットを手短に施した。


「マ?これ、ウチ?」

「そうだと思います?」

「なんで疑問形……。てかスゴいなほんと」

「どうかな?ギャルメイクにセットも合わせたんだけど」

「ヤ、これ、こういうのしてみたかったの。すご……めっちゃ強そう」


 上手くできて良かった。


「喜んでもらえたみたいで良かったよ」

「や、ほんとありがと。これはスゴいよ。めっちゃ満足」


 そう言って一条さんはスマホを取り出して自撮りし始める。


「やー、これ、マジで上がる!」


 夏休み前はどうも影がある感じだったけど、今の一条さんはとても素直に楽しんでいるみたいだ。

 まあ、良かった。


「じゃ、行こ!お祭り!」


 一条さんが俺の手首を掴んでひっぱると店の奥から「いってらっしゃい!」と母さんの声が響いてきた。



 出店が立ち並ぶ商店街。

 俺は一条さんと隣り合って歩いている。

 俺はキャップを被って顔を隠しているけど前髪を垂らしていないから周りがよく見えていた。

 連れ出されると思ったから一条さんには思い切ったメイクとセットを施してある。

 読モではナチュラルめで可愛いギャル的な感じで、学校ではボサッと雑で悪びれた雰囲気なんだけど、それとは違う方向性のメイクにした。

 目ヂカラをガッツリ盛って浴衣姿で胸を下着で多少小さく見せているから髪を半分下ろしてゴージャス感を出してやった。

 後頭部は華やかさを意識して、後ろに結んだ帯の結び目とバランスを取った。


「ウチ、思ったんだけどさ」


 横にくっついて俺のシャツの裾を掴んでいる一条さんが俺に顔を向ける。


「アンタ、策士だよね。すっごいメイクで気分が上がったけど、誰もウチが一条依莉愛だってわかんないじゃんこれ。何人か同中の子とすれ違ったけど誰も気づいてなかったよ?」


 してやったり!と思ったら口角を上げたのを一条さんに見つかる。


「や、もう。紫雲くんって思ってたよりも頭がキレるヤツかよ」

「……そうでもないけど、今日、一条さんにしたメイクは俺も良い練習になったって周りの反応と今の一条さんを見て実感した。ありがとう」

「ウ……ッ!」


 一条さんと目が合ったけど、サッと目を逸らされた。

 何かしたのかな?俺。


「ヤ……ッ、ちょ………。そう言えば、もうすぐ花火が上がるじゃん?見に行こうよ」


 俺と一条さんは近くにある穴場であろう児童公園に行くと、ちょうどそのタイミングで花火が上がる。


 どーーーーーん!


 と、最初は大きな一発。

 一条さんが俺のシャツの裾を握る手に力がこもる。

 いつもはほんの十五分だけだけど、今年は何故か三十分も使って花火が上がる。

 この花火が東町商店街のお祭りで一番の目玉のイベントである。


 この児童公園に着くまでに通りすがった女性たちのうち、俺が着付けた浴衣を見かけると、頑張った甲斐があったなーって強く実感した。


 最後の花火が上がると一気に場が静まり返る。

 するとパンッ!パンッ!パンッ!という肌を打つ規則正しい叩音に卑猥な女性の嬌声が聞こえてきた。


「ね、これってさ……」


 俺の服の裾をクイクイと引っ張って一条さんが俺の耳元に唇を近付けてきた。


「か、帰ろう……俺は何も聞かなかった。俺は何も見なかった。俺は何も聞かなかった。俺は何も見なかった」


 念仏みたいに唱えて一条さんを困惑させつつ児童公園から立ち去る。

 俺の場所からバッチリ見えてしまってた。確かなのは俺が着付けた浴衣じゃないし、ウチの店にある浴衣でもない。

 浴衣が捲くられて色んなものが露わになってブルンブルルンと揺れていた。

 ああいうことにも使われるのかもしれないのか。そう思うと、卑猥な行為のために使われる浴衣を不憫に思ってしまう。


「あははは。ねえ、もしかして、紫雲くんのところから見えてた?」


 彼女は鋭かった。

 目ヂカラをマシマシにしたせいで一条さんの眼光が鋭く俺に突き刺さる。

 射殺されそうな視線に射抜かれる俺は返す言葉がなく、目に焼き付いてしまった仲睦まじいであろう男女の淫蕩な行為をただひたすらに忘却の彼方へ押し込ませた。


「俺は何も聞かなかった。俺は何も見なかった。俺は何も聞かなかった。俺は何も見なかった」


 目ヂカラを強調するのも良し悪しがあるな。俺は学んだ。


 それから美容室に戻って一条さんの荷物を回収すると母さんがちょうど帰るところだった。


「もう帰るの?良い年齢トシの男女が盛らなくて良かったの?」

「いや、そういうのいいからさ。帰るんなら一条さんを送って行こうよ」

「ああ、それは良いけどさ」

「すみません……」

「あー、良いさ。気にすんな。たまには息子のカノジョを送るってこともあるだろうしな。そう思うと悪くない」


 母さんが車を停めている月極の駐車場に向かって歩き始める。


「それよりも帰って来るの随分と早かったんじゃない?もう少し祭りを見てるのかと思ってたよ」


 と、俺と一条さんの様子を見て伺いを立ててきた。


「それが……」


 おずおずと一条さんが児童公園での出来事を母さんに伝える。


「あっははははは!先客が居たのか!やー、盛ってたら盛れなくなるよなあ。処女と童貞の組み合わせじゃあ余計にさ」


 笑い飛ばす母さんに顔を俯かせて恥じらってるっぽい一条さん。意外と純情なんだよな。

 ともあれ、俺は産まれて初めて祭りや花火を親以外と見た。

 随分とグイグイ引っ張られた気がしないでもないけれど、俺にとっては貴重な体験だったのかもしれない。

 何せ、陰キャのボッチ。加えてつい数ヶ月前まではイジメられっ子だったからな。

 俺をイジメていた女子のひとりとこうしてお出かけをしているわけだけど、今日はそんなに悪い気はしなかった。


「今日はどうもありがとうございました」


 一条さんの家の前で、一条さんが母さんと俺に頭を下げる。


「こちらこそありがとう」

「良かったら、また、コイツに付き合ってやってくれ。じゃあ、また!おやすみ」

「おやすみなさい」


 彼女を降ろして俺と母さんは家に帰った。


「な、ところで、依莉愛ちゃん、何でお前のイジメに参加してたの?」

「知らないし、理由が分かってたらイジメなんて無くなってるよ」

「や、そうじゃなくてさ」


 帰りの車の中で母さんは一条さんのことを気にしている様子が伺える。

 俺をイジメていた主犯格の一人だからね。

 病院の世話になったこともあって、心配しているんだろう。

 一条さんもそうだし、一条さんに限らず、まだイジメられる可能性だってある。


「お前もさ、イジメられるほうが悪いだなんて絶対にないんだからな。何かあったら言えよ本当に。またケガされちゃ堪ったもんじゃないからさ」


 そう言って運転席から左手を伸ばした母さんは助手席の俺の頭をガシガシと雑に撫でる。


「……ん。わかったよ。気をつける」


 俺はそう答えるのに留まった。

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