食べられて幸せです

 酒に酔った女は面倒くさい。

 クリスマスで俺は学んだ。

 アイツ等は酔ったらリミッターと言うものがなくなるんだ。

 謂わば箍のない獣だ。


 泣き上戸だと判明した母さんは俺に寄りかかりながら寝付いた。

 そんな母さんを抱っこして二階の寝室に持っていくのは些か骨が折れたが何とか寝室のベッドに寝かせることに成功。

 ここまでは良かったんだ。


 依莉愛と柚咲乃はどこに行ったんだ?

 母さんの寝室に居ない二人はどこで何をしているのか。

 答えはすぐに分かった。

 俺の部屋の俺のベッドに二人は真ん中を綺麗に空けてスヤスヤと寝ていた。

 時間は午前2時。

 俺を揶揄うつもりで待ち構えていたのに、待ちきれずに寝てしまうとは、お子さまだな。

 俺はベッドを諦めた。


 寝る場所を探し求める。我が家は空き部屋が実は多い。

 取り敢えず一階の和室に敷布団をふたつ出して、聖愛さんと実弥さんをそれぞれに寝かせた。

 二人とも軽くていい感じだ。女性らしい重量で安心だった。

 母さんは背が高ければ乳も尻もデカい。当然その分重量感がハンパない。

 女性に対して失礼と思うけれど、重いものは重いのだ。


 そうして酔い潰れた女性陣を甲斐甲斐しくベッドや布団に寝かせてから俺は毛布に包まってソファーに寝付いた。


 そして翌朝。


 良い匂いがする。心臓の鼓動を早める甘ったるい匂い。それと食べ物の匂い。

 キャッキャキャッキャと姦しい声がキッチンから聞こえる。

 後頭部に生温かい肌の感触。


「おはよう!アイくん」

「和音くん。おは」


 俺が目を開けると視界に大きな乳房と俺の顔を覗き込む実弥さんの顔。

 足元を見ると一人掛けソファーに聖愛さんが座ってる。

 膝枕だな。


「実弥さん、すみません。何か膝を枕にしてしまってたみたいで」


 寝起きで気恥ずかしい気持ちに苛まれているが表に出すまいと最新の注意を払って起き上がる。


「和音。おは」

「和音先輩!おっは!」

「お、和音。起きたか!おはよう」


 起き上がった俺に気が付いたキッチンに居る三人が俺を見ていた。


「おはよう」


 ともかく挨拶はして、何ものにも悟られてはいけないと、俺はトイレへと急いだ。

 それにしても何故、実弥さんは俺に膝枕をしていたのか。それも生足で。

 いつもバグってる人だからな。あの人は何を考えているのか昔から良く分からない。


 朝食を済ませると、聖愛さんと依莉愛は自宅に帰った。

 実弥さんと柚咲乃は親の車に乗ってきて両親とも昨日のうちに帰っているので送っていくのだが、その足で俺の服や下着類を買いに行くらしい。

 玄関から出た先にあるガレージには車が三台分のスペースがあって、そこには母さんが普段使う軽自動車と父さんの遺品の車が停まっている。

 母さんは父さんの車の鍵を開けるとガレージから玄関先のスペースに車を動かして皆を乗せると、そのまま家から出発した。


 実弥さんと柚咲乃を降ろすと、母さんはいつも行くショッピングモールより少し離れたところにある大型のショッピングモールへと向かった。

 ここには大型の家具店などもあるので、見て回るだけでも楽しめる。母さんも俺も好きな場所の一つだ。


 駐車場に停めて車を降りると見知った顔に出会でくわした。


「アイちゃん!」


 ひなっちだ。


「おはようございます。白下さん」


 俺がひなっちの名字を呼ぶとひなっちは「ムッ!」と一瞬、頬を膨らませるが、白下の名字に聞き覚えのある母さんは怪訝な顔をする。


「見覚えのある車があると思ったら、美希さんじゃないですか。どうもご無沙汰してます」

「───ッ!」


 母さんは気が付かないふりをして無視を決め込んだ。

 ひなっち一家が苦手で可能な限り関わりたがらない。俺のイジメに関わっていることも原因のひとつでもあるのだが。

 ま、母さんとしてはひなっちの奥さんは権威主義者で母さんを中卒だからと蔑称を付けて揶揄し続けていたし、娘にはこんなゴミとか関わるな言い続けていた。だから父さんが居ない今は未来永劫に関わりを持ちたくないんじゃないかな。

 そんな様子を察してかひなっちが俺に話しかけてくる。母さんとひなっちと父親の透さんに聞こえる声量で。


「アイちゃん、今日はお買い物かしら?」

「うん。たぶん俺とか母さんの服かな……?」

「何故、疑問形なの?と、そんな些末は置いておいて、わたくしたちは家具を買いに来たの。衣類とは反対方向なのよね。アイちゃんとご一緒できるかと一瞬思ったのに残念だわ」

「この年末に家具とはまた珍しいっていうか……」

「ええ、色々とくだらないことが重なったのよ。ねえ、それよりもせっかくこうしてここでお会いできたのだから、一緒にお昼なんてどうかしら?」

「いや、俺は母さんが……」


 買い物の目的が違うので見る場所も違う。

 それでも近くに居るのだからお昼を一緒に食べたいとひなっちは言うけど、俺にはひなっちと一緒で良いのか考え込んだ。

 すると透さんが俺の言葉に割り込む。


「美希さんが妻のことで遠慮したい気持ちはわかります。ですが今は僕と陽那しかいませんし、陽那と和音くんには関係ないことですので、ここはお昼ご飯をご一緒していただいても宜しいでしょうか?」


 透さんの言葉に母さんは眉間に皺を寄せる。

 が、子どもをダシにしてズルいとでも考えたのだろう。

 苦虫を噛んだ顔で母さんは「そういうことなら仕方ない。一緒に昼を食べよう」と応諾した。


「それでは、わたくしはアイちゃんと連絡先を交換しているので、お昼の待ち合わせは私からさせていただきます」


 ひなっちが母さんにスマホの画面を向けて俺の連絡先が登録されていることを証明する。

 母さんはそれを見ると気が向かない表情のまま頷いてから、白下さん親子に頭を下げると俺の手を引いてその場から立ち去った。

 どんだけ嫌いなのよって思うだろうけど、俺がイジメに遭ったふたつの原因のうちのひとつなので仕方がない。



「なあ、陽那に会ったのは久し振りだけど、あんな話し方だったか?」


 衣類などファッション関連のテナントが多く存在する建物に入ってから母さんが俺に訊いてきた。

 母さんが最後にひなっちを見たのは俺が中三のころだと思うけど、会話をしたのは恐らく小五になって俺がイジメに遭ってからは無いはずだ。

 あのころはもっと勇ましい喋り方だった気もするけど、今となっては正直どうでも良くなっていた。


「もうちょっと元気な感じだったような気がするよね」


 ひなっちの昔の印象を思い出しながら返答をした。


 店内に入ってから俺は母さんとモールの中を歩き回っていろんなものを買った。

 まあ、パンツからシャツからズボンなどなど。

 俺のも母さんのも買った。

 それと母さんの下着を見るのに俺は手を引かれて下着売り場で母さんと下着を見る羽目に……。

 その後のことは敢えて言うまい。


 手荷物が多くなって二人で持っているのもキツくなった。

 そこで一旦車に戻って荷物をトランクに突っ込む。

 そのタイミングで俺のスマホが鳴ったのでスリープを解除して画面を見ると、ひなっちからお昼ご飯についてメッセージが届いた。


「白下さんからお昼、ここで食べようって」


 母さんにスマホの画面を見せる。


「はあ……気が進まないんだよなぁ……」


 がっくりと肩を落としていた。

 トランクに荷物を詰め込んで鍵をかけて、俺と母さんはひなっちの指定の場所に向かう。



 ひなっちが指定した場所に向かうとその店の入口前に白下さん親子が二人で待っていた。


「中に入りましょう」


 言葉少なく透さんが引率をして俺、母さんと続いて最後にひなっちが店内に入る。

 ちょっと高そうなイタリアンレストランでランチにコース料理が出る感じ。

 そのコース料理を四人分、透さんが既に頼んでいたらしく、席に座ると料理を用意の案内を透さんにしていた。


「こうして美希さんと食事を共にするのは随分と久し振りですね」


 俺の左に座るのは透さん。


「ええ。そうね」


 感情が籠もらない低い声を発し無表情で応えるのは俺の右に座る母さん。


 前菜に鯵のマリネが運ばれてきた。

 鯵は生ではなく素揚げされているのがいかにもって感じだ。


 運ばれてきた前菜を無言で食べる。

 シーンと静まり返って居心地が悪い。

 美味しい食事の筈なのに、味が全く感じられない。


 そんな静寂を打ち壊したのはひなっちだった。


わたくし、引っ越しをするんです。それで今日、家具を見にこちらに来たのよ」


 ひなっちは俺を真っ直ぐに見て、何か喋ってくれと言いたげだ。


「どこに引っ越すの?」

「今の家の直ぐ傍よ。いろいろとあってゴタゴタしてたのだけど、今の家の近くで手頃な売り物件があったからってお父様が購入したの」

「白下さんの家の近くにそんな空き物件ってありましたっけ?」


 俺とひなっちで会話をしていたら透さんが口を挟む。


「実は恥ずかしながら……」


───離婚することになりまして。


 と、透さんが語り始めた。


 ひなっちの家は三人姉弟。

 長子が長女のひなっち。第二子で長男の光輝くん。光輝くんの名前は俺の父さんの文字を戴いたのだとか……。

 そして、次男の祐希くん。この祐希くんがあまりにも透さんに似てなかったので髪の毛を何本か採取して遺伝子鑑定に出した。

 その結果、透さんの子ではないことが分かった。

 それで透さんの奥様の多香子さんを興信所に調べてもらったところ、自宅でホテルで相手宅で不貞行為に及び続けていたのだとか。

 祐希くんの父親は透さんではなく不倫相手。

 複数の証拠を集めて弁護士に協議離婚を申し出て親子関係が認められたひなっちと光輝くんは透さんの元で生活し、次男の祐希くんは多香子さんの元に引き取られて不倫相手の家にお邪魔しているらしい。


「それで、新しい家と言うより中古物件ですが──」


 透さんは興信所の結果を知ってから新居の入居が可能になったつい先日までホテルで暮らしていたそうだ。

 その間、ひなっちと光輝くんは元の家で生活をしていた。

 いろいろと事情があるのだろう。そこは察して訊かず考えないことにした。まあ、考えなくても分かるのかも知れないけど。


「その中古物件は、元は戸田美容院だったところなのよね」


 透さんの話が終わって、ひなっちが新居の場所をぶちまけた。

 戸田美容院と言う単語に母さんの眉毛がピクリと動く。


「ああ、貴方達が買われたのね。歩さんが買い手が見つかって一安心したって喜んでいたわ」

「ええ。それで美容室だったところを改造して事務所にしたんです。僕は独立しようと考えていたから家の大きさも事務所にできそうなスペースも丁度良かったのでね」

「それを聞いたら一輝かずきさんが喜びそうね」


 一輝と言うのは父さんの名前だ。

 ひなっちが声を挟んだ。


「もう、お母様は居ないの。だから美希さんのことをどうこう言う人はわたくしの家には居ないわ」


 そして、頭を深々と下げて言葉を繋ぐ。


「今まで本当に申し訳ございませんでした」


 母さんはひなっちが頭を下げるのを一瞥するが、給仕が一皿目を運んできたため、ひなっちの謝罪に応える言葉を口にすることはなかった。

 最初はペスカトーレ。次に蝦夷鹿肉のラグー。その後に野菜のマリネと続いてフルーツの盛り合わせ、最後は俺と母さんはエスプレッソを頼んだ。


 食事中は当たり障りない会話に終始し、これ以上、踏み込んであれこれと話すことはなかった。


 帰りの車では母さんが饒舌だった。


「いや、ほんと、気持ち良く買い物してたってのによー。ったく。台無しだなー」

「まあ、そう言わずに。美味しいごはん食べられたじゃん」

「まー、結局、私が引越し祝いってことで出してやったけどな。しかし、あの鹿肉、美味かったな。鹿の肉は初めて食ったけどすげー良いわ」

「確かにあの鹿肉のラグーは美味しかったね。家でも作れないかなー」

「私も家で食べてみたいけど、材料だよなー。通販くらいでしか手に入らないかもな。探してみるわ」


 車の中での話は続き、母さんが戸田美容院について教えてくれた。


「実はさ、サロンを開いて半年くらい後に家の買い手が付きそうだって歩さんが言ってたんだよな。まさか白下とはなぁ……」


 母さんは戸田美容院だったところがひなっちの手に渡ることを不服に思っているみたいだ。


「だけど、こればっかりはどうしようもないよな。それにあの子も最後まで謝り続けてたしよー。気分が上がらねーわ。っとーによ」


 と、口汚く言いながらも、こういうところを男や酒に逃げないのか母さんの好きなところなんだけどね。

 自分で消化できるまで考え抜いて答えをしっかり出してくれる。

 そんな母さんだから、俺がイジメられていたことも辛い想いで見ていたに違いないのに、ずっと解決方法とタイミングを見計らってたんだと思う。

 母さんのおかげでクラスでのイジメはすっかりなくなった。

 それでもこの学年での俺の認識は未だ二分してるだろうし、来年のクラス替えでどう変わるかもわからない。

 大半は進路でそんなことに気を回す余裕なんてないだろうけれど。

 それでも、学校生活の最後だったとしても、こうして友達が出来て楽しく日々を送れていることは本当にありがたい。

 母さんには感謝してもしきれないくらいだ。


『今日はお昼をご一緒していただいて、ご馳走までしていただいて本当にありがとうございます』


 ブブブとスマホが鳴って、通知を見たらひなっちからのメッセージだった。


『結果的に母さんがお金を出したけど、それは引越し祝いということだから気にしなくて良いよ。それよりも美味しい料理に誘ってくれてありがとう』

『私も美味しく食べられましたし、アイちゃんと一緒にご飯を食べられて幸せです』


 そう言えばちなっちと一緒にご飯を食べたのっていつ以来だ?

 思い返すと一緒にご飯を食べた記憶って無いな。同じ班で給食を食べた時以来?だったら小四以来ってことになるな。

 給食じゃなかったら多分一度もないんじゃないか。


『白下さんとご飯を食べたのは小四の給食以来だったね』

『そうだね。あれからは一緒の班になることもありませんでしたから』


 それからひなっちから続いてメッセージが届いた。


『あの、時間が空いてたら一緒に初詣行きませんか?』

『南町の神社で良いので』


 南町の神社は俺の家と戸田美容院の中間地点にある。

 こじんまりとしたその神社は秋に祭りをして初詣の時もひっそりと開いている。

 巫女さんもちゃんといるしお守りがあったり祈祷もしてる。


『夜中なら空いてるかなー』

『わかりました。では夜中にしましょう。私、起きてますのでメッセージでやり取りしながら年を跨いだ夜に落ち合いましょう』


 ひなっちとのやり取りは当たり障りないものになり、俺は母さんと話しながら家に帰った。

 家に着いたら母さんが買った服や下着のお披露目をされたんだけど、エッチすぎてDKの俺の目にはとても健全とは言い難いものだったのは言うまでもない。

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