泣き上戸

 二日続けて俺の家で勉強をした依莉愛と柚咲乃。

 その翌週に実施された二学期の期末テスト。

 さらに翌週になりテストの結果が一枚の紙で配布された。


 そのお昼休み。

 俺はいつもと同じ、依莉愛にクラスから連れ出されて別棟の空き教室に居る。

 そこには柚咲乃が待っていた。この空き教室の鍵は柚咲乃が先生からいつも借り受けている。


「あいおんせんぱーい!」


 いつもの大声を発して俺に飛びつく柚咲乃。

 ここ最近というもの柚咲乃からのスキンシップが過剰だ。


「和音先輩、また伸びてるよねー」

「そうだよね?やっぱり和音、伸びてるよね?」

「前は背伸びすればちゅーできそうだったのに、今は背伸びしてもちゅーできなさそうだもん」


 柚咲乃はそう言ってキス顔で俺の唇に迫るが身長差があるから届かない。

 姉が姉なら妹も妹ということか。とは言え、過去には着付けの練習とかこつけてパンイチを見せつけてきた母親と姉妹だったからな。

 揶揄いが過ぎるご家庭だと当時の俺は思ったものだ。


「頑張れば届くんだけどさー」


 というくらいの身長差。


「ウチはまだ届きそう」


 依莉愛も俺の腕に豊か過ぎる乳房を押し付けて背伸びをする。

 まだ羞恥心があるから顔が柚咲乃ほど近くないのが依莉愛の常識人っぽいところが垣間見える。


 その後ご飯を食べ終えるとテストの結果の話になった。


「柚咲乃ちゃん、テストの結果どうだった?」

「今回、なんと!二桁台に入りました!」


 依莉愛が訊くと、柚咲乃はスカートのポケットから点数と順位が書かれた紙を取り出して俺と依莉愛に見せる。


 96位


「今まで何位くらいだったの?」

「限りなく二百に近い順位だったよ。ボク、ここの高校に入れた事自体が奇跡みたいなものだったって言えばわかるよね?」

「へー、そんなに……」

「うん!和音先輩と同じ高校に行きたくてめちゃくちゃ頑張ったんだよ。運良く合格できたのは幸運だった。ところで依莉愛先輩は?」


 依莉愛は柚咲乃と交えた会話からテストの結果を手に取って俺と柚咲乃に見せた。


 22位


「お!すげーー!!こんな順位を間近で見られるとは!」


 依莉愛のテスト結果表を見た柚咲乃は順位の高さに驚く。


「依莉愛先輩ってめっちゃ頭良いんスね」

「褒めてもらえるのは嬉しいけど、そこにウチよりずっと順位が上の生徒がいるんだよ」


 依莉愛と柚咲乃が俺に視線を向けて無言の圧力をかける。


(見せて!)


 そう言われているのだろう。

 俺はおずおずとテスト結果表を二人に見せた。


「───ッ!!」

「うあっ!すっご!!」


 大げさに驚くふたりに若干引いた。

 順位は敢えて言うまい。

 ひけらかすつもりは一切ない。


「それで教えるのが上手なんだ。なら納得」


 依莉愛は腑に落ちたという表情を浮かべ、柚咲乃は信じられないといった様子だ。


「内密にな」


 誰にも知られたくないので、ここだけに留めたい。

 二人には悪いけど釘をさしておくことにした。


「え、あ、うん。和音が誰にも言って欲しくないなら誰にも言わないよ。そもそも今は言える相手もいないし居たとしても柚咲乃ちゃんだけだから」

「ボクも言わないから大丈夫!」


 分かってもらえたようで何よりだ。

 ともあれ、こうして期末テストが無事に終わり、後は冬休みを待つだけ。


 そして何事も無く終業式を迎えた。

 冬休みを迎えてすぐにクリスマスがやってくる。

 クリスマスのある週のサロンは月曜日と火曜日が定休日。

 つまり、クリスマスイブの日曜日は通常営業で、クリスマスの月曜日は定休日だ。

 なので、クリスマスの日に我が家に結構な人数が集まってパーティをするらしい。

 そこに依莉愛と柚咲乃も含まれている。


 クリスマス。

 前日の昼間はこれからデートなんですと言う女性客の何と多いことか。

 俺が何故かお客様からクリスマスプレゼントを戴いたりと困った出来事もあったけれど、お返し出来ないのに良かったんですかね?

 まあ、俺に渡してくれと受け取ったのは見目好い美容師さんの三名だが。


「和音と一緒に料理をするのは初めてだな」


 母さんが朝から上機嫌なクリスマスのこの日。

 一条さん一家と柊さん一家をお呼びしてパーティを開くわけだ。

 総勢十名で女性が八名、男性二名。

 俺の他の男性は柚咲乃の父親である。


 台所で肩を並べてする共同作業。

 母さんは背が高いほうだけど、それでも俺よりは低い。


「しかし、すっかりデカくなったな」

「何か急に伸びたみたいでさ」

「そうか。まあ、男の子ってのは急に伸びるもんなんだな。服は大丈夫か?」

「んー。服はパンツ以外はもう小さくて、いくつかは買ってあるんだけど制服も直したいし」

「ああ、制服なー。買ったほうが良いだろ。入学したてのときは私より小さかったんだからさ。いくらなんでも直すには無理がある」

「そうだよね。じゃあ、買うかな……」


 入学したばかりのころの背は百六十五センチメートル。

 当時の俺の身長は今の柚咲乃と同じくらいで、母さんや依莉愛より背が低かった。

 今は母さんは俺よりずっと小さいし、何なら学校で俺より背がある生徒を探す方が難しくなっている。


「いやー、ほんと、よく育ったよな」


 そう言って俺を見上げてはにかむ母さんは、どんな女性よりも尊くて美しかった。

 まあ、俺は普通に照れるよね。


 昼下がり。

 ぞろぞろとリビングに入る来客。

 示し合わせたと思うほどタイミングがぴったりだった。


「娘がともどもにお世話になってます」

「いえいえ、こちらこそ。お姉さんの方にはとても助けていただいてこちらがありがたいくらいです」


 挨拶が次々に交わされていく。

 依莉愛と彼女の妹の瑠莉愛は柚咲乃を挟んで三人掛けのソファーに並んで座りペチャクチャと喋ってる。

 爆乳姉妹の間で胸を押し付けられて居た堪れない柚咲乃の様子が見ていてとても面白い。


 母さんは依莉愛の母親の恵理子さんに散々に頭を下げられて困惑しながら応対している。

 俺を除いて唯一の男性である柚咲乃や実弥さんの父親の健太さんは居心地悪そうにして用意した椅子に座っていた。


 リビングには十人で囲って食べられる広さを確保するためにラグを敷いたその上にテーブルを2つくっつけて並べてある。

 俺はそこに次々と食事を運んでいた。

 まあ、パーティなんで基本席は自由にということで個別に椅子を使う背の高いテーブルは使わなかった。

 ダイニングには四人分の椅子があるダイニングテーブルがあるけれど、今日はそれを使わない。

 それにしても、こんなに大人数がこの家に居るのは父さんの葬式以来だ。


 あの時はかなり揉めてたのも合って酷く居心地が悪かったけど、今日は賑やかで悪くない。

 たまにはこういうのもアリだなと素直にそう思えた。


 で、夜も十時を過ぎた今。

 俺はリビングで聖愛さんと実弥さんにダル絡みされていて、母さんは依莉愛と柚咲乃と風呂に入ってる。

 柊家は父親と母親が揃って二人で帰っていったが、一条家は聖愛さんが依莉愛を残して送り届けて、ここに戻ってきた。


「あたしはこれからが本番じゃあー!」


 そう言ってシャンパンのボトルを片手にガブガブと飲み始めたのが午後八時。

 実弥さんに至っては昼に来てからずっとワインを飲み続けている。

 随分とおしとやかに飲むんだなと感心していたのに親が消えた途端に俺に抱き着いて離れない。

 隙あらばキスを迫ってくるしとんでもないアバズレだ。


「わたしがアバズレだなんてひどいこと思ってないわよね?アイくんにだけだよ。こんなことするのは」


 どこから訊いたのか分からないけれど、俺の思考を読み取って、言い終えると同時にキスを迫る。

 実弥さんは酔っ払うとキス魔になるのか。や、この人はシラフでもキス魔になるんだったな。

 それを見て面白くないらしい聖愛さんは悪酔いを拗らせて俺の股の間に腰を下ろして背中を預けてる。実弥さんが俺から退いた隙に入り込んだのだが。

 これで確かに実弥さんの妨害にはなっているんだけど、そうじゃない感がハンパない。

 聖愛さんはどうやら甘え上戸らしい。

 このお姉様たちがシラフで酒の匂いがプンプンとしていなければ桃源郷かと俺も思ってさぞ奮ったかもしれないけど、リミッターが外れた酔っぱらいの場合は話が別だ。

 俺は綺麗なお姉さんは好きだけど、酔っぱらいのお姉さんはとても嫌いになりそうだ。


 それからすぐ、お風呂組が上がってきた。

 なんと三人ともパジャマ姿。


 母さんは冷蔵庫からシャンパンのボトルを開けて既にラッパ飲みしている。

 依莉愛と柚咲乃は酔っ払って壊れた姉に辟易した様子だが、特に離れろと怒るわけでなく俺が座る三人掛けのソファーの両脇のソファーにやれやれと座り込んでジュースを飲み始めた。


「いやー、ボクのお姉ちゃん、ほんとごめんね」

「ウチのお姉ちゃん、珍しくこんなんなって何か申し訳ないわ」


 どちらも姉をお姉ちゃんと呼ぶから紛らわしいな。


「いつもはこんなになるまで飲まないわよー。美希さんとアイくんがいるから安心して酔えちゃうんだよねぇ」


 実弥さんは俺の左肩に頭をコロンと乗せて左腕を巻き取って胸に挟む。


「あー、それわかるわー。あたしもそうだ。美希さんも和音くんも優しいから甘えちゃうッ」


 聖愛さんはお尻をグイグイと俺に股に押し付けて俺の右肩に側頭部を擦り付けて甘えてくる。まるで猫がフェイシャルフェロモンを残していくのと同じである。

 そんな二人から女性特有の甘ったるい芳香が俺の嗅覚を刺激するけど、いかんせんアルコールの濃度が高くて嫌悪感のほうが勝ってしまう。

 この酒臭い場所から逃れたい。けれど抱き着かれ寄り掛かられて身動きが取れない。


 お姉様たちは悪乗りが過ぎたまま、夜半を迎える前に眠ってしまった。

 彼女たちの眠りが深くなったらそっと退かそう。

 そう考えてるうちに依莉愛と柚咲乃のは母さんと一緒にリビングからいなくなっていた。

 母さんと行ったんなら母さんの寝室にでも居るんだろう。


 俺は良い加減、重さに耐えきれなくなったので離脱。

 聖愛さんに抱きつく実弥さんに毛布をかけて俺はダイニングテーブルで飲み物をすする。


 ダイニングと違って吹き抜けとなっている広いリビング。

 この家はリビングに入らないと二階へ昇れない。

 いつか俺が大きくなっても家を出たり帰ってきたりしたときに、家の誰かが分かればと父さんが建築士と相談して設計したと母さんから訊いた。

 そのリビングからは割りと広い庭が見えるんだけど今は暗いので良く分からない。


 俺は温かい飲み物が飲みたいと湯を沸かしていた。

 コーヒーをドリッパーで蒸らして良い匂いが立ち上り始めると二階から降りてきた母さんがダイニングテーブルの椅子を引いてそこに座る。


「良い匂いだな。私の分も淹れてくれる?」


 そう言って食器棚からマグカップを取り出した。

 実は俺とおそろいのペアマグカップ。

 俺が中学生になったときに買ったものだ。


「かしこまりました」


 充分に蒸らしたコーヒーに湯を注ぐ。


「流石だな。私の息子だけあるよ。もうちょっとパパに似ても良かったのにな」


 今日は朝から母さんと料理をしていたから髪の毛は後ろにマンバンを作って纏めている。

 実はこうしていると依莉愛が顔を真っ赤にして喋りにくそうにしていたり……。


「俺、父さんの記憶って呼吸器を付けてる姿しか知らないから写真やビデオ以外ではイマイチ分からないんだよね。だから似てるのかどうかも全然分からないし実感がないよ」

「まあ、そう言うなよ。親の記憶があるだけで、無いよりかはずっと良い」


 母さんのマグカップにコーヒーを注いでテーブルに置き、俺は母さんの正面に座る。


「こんなに家が賑やかだったのはいつ以来かな……」


 母さんはリビングのソファーで抱き合って寝ている実弥さんと聖愛さんに目を向けて言う。

 父さんの葬式の時は遺産がどうとか保険がどうとかすっげーうるさかった記憶がある。

 それ以外でってことか……。


「ああ、お前が生まれた時以来だな……」


 母さんが言うには、俺が生まれて家に初めて入った日。

 次から次へと来客があったんだとか。

 その中に戸田夫妻だったり、その時の美容師仲間だったり、将又はたまた、父さんの同僚や仕事仲間、ご友人たち。

 その一人にひなっち……白下しろした陽那ひなの父親が居たらしい。

 蛇足ではあるけど、俺はひなっちの生後間もなくに会ったことあると母さんが言う。

 父さんに連れられて生まれたばかりのひなっちと生後五ヶ月ちょっとの俺の最初の邂逅がそれで、ひなっちが自宅に迎えられたその日にも俺は父さんとひなっちに会っていた。

 ただ、ひなっちの母親は権威主義者で中卒の母さんを快く思っておらず会うことはなかった。

 快く思っていないと言うのは父さんの両親も同様でやはり同じく中卒の母さんに対してはかなり厳しく当たり散らし、最後は弁護士の仲介の下、家庭裁判所で調停を行い接近禁止としてもらった。


「あの時は私の仲間半分、パパの仲間が半分だったけど、今日は私と和音の仲間だもんな。何か凄く嬉しくてさ。年甲斐もなくドキドキして燥いで眠りに就けないのなんのってよ……」


 俺は黙って頷く。


「なあ、和音。こっちに座れよ」


 母さんの請いに応えて俺は母さんの隣に座った。


「こっちを向いてくれ」


 と言うので母さんを見る。


 目を潤ませた母さんは右手を伸ばして俺の頬の傷を柔らかく擦る。


「ごめんな。こんなことになるまで、私は和音に何も出来なかった……」


 そこで俺は気が付いた。

 母さんはずっと孤独だったんじゃないかって。

 俺を産んで父さんを亡くして戸田夫妻と言う助けはあったけど、ずっと一人ぼっちだった。


「お前が学校でイジメに遭ってたのもずっと知ってたんだ……なのに私は何もしてあげられなかった」


 そう言って俺の頬を撫でる手を俺の胸に落として手のひらをそのまま添える。


「ずっと……ずっとッ………私は抗えなかったッ………ずっと………ずっとッ………悔しかったんだよ」


 大きな瞳から涙の雫が溢れて小さな顔の頬を伝う。

 俺に見られまいと俺の胸に顔を埋めた。

 母さんの匂い。それはとても甘くて温かい優しい匂いだった。


「ああ……でも……ようやっと、和音を自由に出来たんだって………和音を救えたんだって………今日、ようやっとそう思えたよ」


 それから「良かった……良かった……」と嗚咽に言葉を織り交ぜて泣き続けた。


 母さんは泣き上戸だったらしい。

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