The Signpost Of The Sun
俗に言う恋人繋ぎ
「おっつかれさまでしたー」
今年最後の仕事……と言ってもここに居るのは俺と母さん、それと、
日を跨いだら初詣に行くのであろう女性客を見送ってサロンは閉店。
「いやー、今年は実弥ちゃんが来て助かったわー」
母さんの言う通り、今年は去年より予約を受けたけど実弥さんと分担できて仕事量そのものは去年より減った。
俺は髪の毛をイジれないから母さんに頼り切りだったけど。
「いえ、こちらこそ。
仕事モードからバグってるモードに切り替わった実弥さんは俺に抱きついてキスをせがむ。
背が伸びて良かった。以前ならこれで顔中にキスをされまくって酷い目に遭う。
「くっくっく……実弥ちゃん、ブレないねえ。そのまま、和音の童貞を貰ってくれても良いんだぞ」
キヒヒヒと意地悪な笑みを俺と実弥さんに向ける。
俺は母さんに売られてしまったのだ。
「良いんですかぁ…♡じゃあ、遠慮なくいただきます」
実弥さんはノリノリで飛びついて俺を押し倒そうとするけれど、俺は倒れることはない。
今まで散々にイジメられて多少の耐性はある。
ちょっとやそっと押されたくらいじゃ倒れることはない。
「むっ!押し倒せないわね。もぅ」
「そのくらいじゃ、俺は倒れないから」
「もうっ、ちょっとおっきくなったからってぇッ!このッ!」
実弥さんが力で敵わないと見るや攻め方を変えてきた。
彼女の名誉の為に、何をしたかは言わないでおこう。
そんな卑怯な策を使われても動じなかったからか、実弥さんは諦めて退散する。
「良いお年をー」
「って、明日、また着付けに来るんだけどな」
年末の挨拶を交わして解散。
俺は母さんと一緒に家に帰った。
俺はひなっち、こと、
せっかく深夜に行くということなので少し寝て明け方近くに一緒に行かないかとひなっちに言ったら了承をしてもらった。
だから年を跨いだら一旦寝て五時半に起きてから南町神社に向かうことにしている。
そのことを母さんに話すと怪訝な顔をする。
ひなっちの母親である多香子さんが何年も前から学校の保護者の間に母さんに対する中傷を吹聴していたからだ。
そんなことをされてたのだから煙たがるのは当然。でも、ひなっちの母親はもうこの都市には居ない。
それを母さんはわかりたいのだけど、上手く消化できずに居るのだろう。
だってさ、ひなっちが俺を庇えばそれでイジメは起きなかった、続かなかったのかもしれないから。
さて、目覚ましを五時半にセット。
母さんと年を越した後、一時になる頃にはもう寝ていた。
スマホのアラームで目が覚める。
午前五時半。
スマホを手に取って解除ボタンをタップする。
夢は見なかったな……。
重たい瞼を力んで持ち上げつつ、布団をまくってベッドから下りた。
寒い──ッ。
布団から出ると部屋の冷えた空気が肌に突き刺さる。
寒さに耐え忍びながら着替えを済ませ、部屋から出て洗面所に行き、歯を磨いて顔を洗う。
部屋に戻って母さんが買ってくれたロングコートを纏い髪を結わえてから手荷物を一つ持って家を出た。
男の準備は早くて良い。待ち合わせは午前六時。家から神社までは歩いて二十分ほど。待ち合わせ時間には丁度良いタイミングだ。
「あけましておめでとうございます。アイちゃん。今年は宜しくお願い致します」
大鳥居の前でひなっちが待っていた。
振り袖姿だ。慎ましい体型で大変良く似合う。
俺を見つけたひなっちは俺が近寄ると新年の挨拶で頭を下げた。
「あけましておめでとうございます」
俺もひなっちに頭を下げて新年の挨拶を返す。
そして、手に持っている紙の手提げ袋を差し出した。
「一応、これ」
ひなっちは元旦が誕生日。
だから俺は店のヘアクリップとサロン・ド・ビューテの店名入りの手提げ袋を使った大したものではないプレゼントだ。
「アイちゃんッ!」
ひなっちが目を大きくし喜んだ。
「ありがとう!覚えていてくれてたのね。とても嬉しいわ」
俺からのプレゼントを受け取ると嬉しそうに目を細めてはにかむひなっちは小学生の頃と変わらず可愛かった。
「行こうか」
と、二人で大鳥居をくぐり隣り合って緩やかな上り坂の参道を上り拝殿を目指す。
隣でひなっちが寒そうに手を揉んでいる。
「手袋、貸すよ」
俺は履いている手袋を脱いで片方ずつひなっちに渡す。
「ありがとう。ごめんなさい。手袋、うっかりしていたわ」
口では謝るひなっちだが口の端が緩んでニヤけている。
ちょっと変態っぽく見えるのがちょっとだけ残念に感じた。
俺がひなっちを見ていたら突然、ピクリと目尻が動く。
「どっちも
左手にしている手袋を脱いで俺に返してきた。
俺はそれを受け取るとひなっちが強引に俺の左手に嵌めて、俺の右手を絡め取る。
「いや、俺はポケットがあるから大丈夫だよ」
「でも、こうしたら
俺の右手がひなっちの左手と一緒に俺のコートのポケットに収まった。
確かに冷たくならないけどさ。
「ふふふ。恋人みたいだわ」
ひなっちが嬉しそうにするので突っ込むのは野暮だと思って言及はやめた。
「はは。白下さんとこういうふうに歩くの本当に久し振りだね」
「そうね、小学生以来かしら?今も
そう言ってひなっちは満面の笑みを浮かべて言葉を続ける。
「あれから、アイちゃんと話しづらくなってしまって、遠くから見てるだけだったけど、また、昔みたいに手を繋いで歩けることがとても嬉しいの」
独り言みたいにひなっちが呟いた。
「そうだな……」
俺は胸の中にひっかかるモヤを他所にひなっちと拝堂に並ぶ列に辿り着く。
「列が長いわね」
「ここも正月はこんなに混むんだね。南町神社の初詣に来たのは初めてなんだよ」
「そう。
「何か悪いことを聞き出しちゃったみたいでごめん」
「良いのよ。私が言いたかったんだから。でも今年はアイちゃんと一緒ね」
そう言って笑顔を見せながら俺の右手をギュッと握って握り直す。
指と指を絡める俗に言う恋人繋ぎ。
うっすらと化粧をしているんだろう。ひなっちはそれは眩しい微笑みでほんのりと桃色に頬を染めている。外が寒いからというのもある。変なことは意識しないでおこう。
拝殿で祈願をして俺はお守りを買った。俺は商売繁盛。ひなっちは恋愛成就。
「おみくじを引きましょう」
俺はひなっちに手を引っ張られておみくじ売り場に連れて行かれた。
巫女さんに初穂料を奉納しておみくじを引く。
まあ、何の面白みもない俺もひなっちも大吉だ。
おみくじを括り付けたあと、日の出までまだ時間があるから少し歩き回ることにした。
「ねえ、あれ何?私、見たこと無いのだけど」
「ああ、お屠蘇が振る舞われているんだよ」
盃を持つ人の所作で俺はわかった。
まあ、毎年、母さんとお屠蘇を飲んでるから。
「甘酒とかお汁粉とかと同じかなー。白下さんは飲んだことないのかな?」
「ええ、ないわね。お母様がはしたないと言ってこういったところに近付くことはなかったのよね」
俺の母さんとは真逆だよな……。
「並んで見る?」
「ええ。並びましょう」
それからやや経って、俺が先に拝んでからお屠蘇を頂く。
ん!んまいッ!
「白下さん、本当に大丈夫?お屠蘇はお酒だから弱い人は酔っちゃうし、甘酒やお汁粉もあるからそっちにしたほうが良いと思うよ」
お屠蘇を飲み干した俺は後ろに並ぶひなっちの説得を試みた。
列に並んでから何度と無くアルコール分のないほうをお勧めしているのに頑なに「お屠蘇をいただいてみたいわ」と譲らない。
こういうところは小学生の頃から一切変わってない。
「大丈夫よ」
そう言って美しい所作でお屠蘇を口に含んだ。
お屠蘇って口当たりがまろやかで俺は好きなんだよね。いつもおかわりをしたくなる。
飲み終わったひなっちが俺の横に来て、また、手を握る。
「お酒と言うからお父様が飲むお酒みたいな匂いを想像していたわ。薬膳の良い香りでほんのりと甘くて良いお味ね」
美味しかったらしい。
そして日が昇り俺はひなっちと手を繋いだまま。初日の出を拝んだ。
「アイちゃ〜ん♡らいしゅきーー!んーーー」
参道を下る。その道でひなっちは酔っていた。
俺の腕に抱き着いてほおずりを繰り返す。
「んっふ〜っ♡アイちゃん、あったかーい♡アイちゃん、かーーーいいーーー♡」
俺を抱く力を強めるから思わず立ち止まると、ひなっちは俺の正面に回り込んで首に手を回してきた。
「アイちゃーん♡ちゅー、ちゅーしよー、ね、ちゅーーッ♡」
振り袖姿でぴょんぴょん跳ねて唇を寄せる努力をするひなっち。
「ねー、届かないよぉー。私のちゅー、ダメなのー?ねー、アイちゃーん」
いかん、コイツ、酔ったら絡む奴だ。
考えてみたら幼稚園の頃からそういう兆候はあったな。
大鳥居の外に出てから、俺は母さんに連絡を取って迎えに来てもらった。
迎えは直ぐに来て俺はひなっちとくっついたまま後部座席に乗り込んだ。
「母さん、ごめん。ひなっちにお屠蘇を飲ませたら酔っちゃって、この有り様でさ……」
車の中でかあさんに詫びるその横で「あ〜ん♡ひなっちって呼んでくれたー。陽那嬉しいよぉ」とぎゅうぎゅうと抱きしめられる。
「あのさ、随分と昔のことだから忘れてたけど、白下さんはお酒が弱いんだ。直ぐ酔っ払って絡み酒になるんだよ。陽那は父親に似たんだな」
「お
「いや、私、陽那の母親じゃねーからな?絡むのは止めてくれよ」
「えー、陽那、可愛いのに?」
「あのな、陽那が可愛くてもウチの和音のほうが何倍も可愛いぞ」
「あはははー♡アイちゃん、かーいーよねーー♡私よりずっとかーーいーーんだよー」
座っている所為で頬に顔を寄せてくる。
あー、酒臭い。
元、戸田美容院。
現、白下建築事務所。
看板も新しくなってた。
「ほら、着いたぞ」
母さんが玄関前に車を停めたので、俺はひなっちを引き剥がしてからひなっちと一緒に車から下りた。
車から下りたひなっちはきちんと立ってまっすぐ歩ける。
これでもウザ絡みしてくるんだから
インターホンを鳴らして玄関に入れてもらった俺は白下さんの父親の透さんに新年の挨拶とお屠蘇を飲ませてしまったことを深くお詫びした。
玄関先で「パパ、アイちゃんに怒っちゃやーよ」って父親にも絡んでるのを見て、コイツに酒類を飲ませるのは絶対に止めようと心に深く誓った。
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