The First Article

八万五千円

 入学式の式典が終わり教室で席に座ると中学からの知り合いに声が聞こえてきた。


「ウンコと同じクラスかよ。くっさいゴミと一緒とはついてねーな」


 俺は向きを変えず表情も変えない。

 ウンコというのは俺の名字をもじった渾名あだなだ。

 高校でもそう呼ばれるらしい。


「こいつ、よくここに入ってこれたな。クソ野郎でバカじゃなかったのかよ」


 すまん。俺はお前よりも成績は良かった。

 全員が席に着くと担任の先生が来て自己紹介をする。

 俺は誰の話を聞いてもきっと覚える必要はないだろう。

 聞くのもめんどくさい。


「──次は……紫雲しうん和音あいおんさん」


 担任の小板こいた香織かおり先生が俺の名をあげる。

 自己紹介か……。どうせ中学のクラスメイトがいる。

 余計なことは何も言わない。


「南中を卒業しました。紫雲和音です。よろしくお願いします」


 それだけ言って俺は座った。

 すると小板先生が「待って」と俺をもう一度立たせる


「趣味とかアピールはないの?」

「……ありません」


 俺は誰にも何も知られたくない。今はその一心だ。

 どうせ高校でも変わらないんだ。とにかく高卒と言う資格を取って大学を受験する。

 できればここで成績上位を維持して良い大学に行きたい。

 母さんを納得させられないと俺は店で手伝いができないし美容師になることができないんだ。


「わかりました。座って良いよ。じゃあ、次、田中麻衣子さん───」


 残りは俺にとっては騒がしい雑音でしかない。

 入学式の日の放課後。ショートホームルームが終わって直ぐに職員室で小板先生に相談をする。


「お忙しいところお時間をいただいて大変恐縮です。家の手伝いで美容師のアシスタントをしたいのですが、アルバイト許可申請書をいただけますでしょうか?」


 この市立東高校は県内でも有数の進学校の一つでアルバイトをする生徒は多くはない。そのため、アルバイト許可も特別な理由が無ければなかなか下りない。

 家業の手伝いということであれば必要ない可能性もあるけど、念のため申請はしておくことにした。


「お母さん、美容師なの?」

「ええ。お店をオープンしたばかりで定休日以外の休みが取れないから今日の入学式に来られませんでした」

「そう。母子家庭だから直ぐに許可は下りると思うけど、家業の手伝いだとアルバイトと言えないから黙認することになるかもしれない。一応、申請書を渡すからお母さんに書いてもらってね」

「わかりました」


 小板先生から申請書を受け取ると「ところでお店の名前を聞いても良い?」と訊かれたので「サロン・ド・ビューテです」と答えた。


「ここから直ぐ近くのできたばかりの美容院だよね?ちらほら話を聞いてて──」

「あ、知ってるんですね。そこです。では明日、申請書をお持ちします」


 小板先生の話を遮って切り上げると、直ぐ様に職員室から出て下校した。


 俺がこの高校を選んだのは美容院に近いからだ。

 徒歩十分未満で店に着く。


「おかえりー」


 店に入ると母さんが出迎えてくれた。


「ただいま」

「ごめんね。ちょっと忙しくて手が回らなくて……早めに着替えて出てくれない?」


 開店したばかりのこの美容院の美容師は母さんだけだ。

 それでも今、一人にパーマを当てていて、一人はヘアカラー、さらにもう一人にカットをし始めようとしている。

 俺は急いで着替えて雑に伸びた髪はマンバンを作って纏め、店に出ると直ぐに手伝いを始める。基本的に髪に触る以外のことを全てする。


「じゃあ、母さん、サクッとご飯を食べてくるから、その間お願いね」

「オーケー」


 母さんはご飯を食べる暇もなかったのか。

 次の施術の準備を整え終わるとバックヤードに下がった母さんが十五分もせずに戻ってきた。


「和音、次の人、案内して」


 カットを待つお客様を美容台に俺は案内すると、お客様にカットクロスをかけて「では、担当の者がカットに来ますので少しお待ち下さい」と声をかけて次の仕事に取り掛かった。

 そんなこんなで午後八時に店は閉店。


「おつかれさま。今日も和音のおかげで助かったよ」

「おつかれさまでした。それはどうも」


 閉店作業を終えて母さんの車で家に帰る。

 朝は母さんが送ってくれる。これからも母さんの車で学校前まで送ってもらって、帰りは美容院に寄る。

 専門学校に行くときは夜に美容院を切り上げて行く。そんな生活サイクルが続きそうだ。

 実は今朝も学校まで母さんに送ってもらったのだ。


「それはそうと、アルバイト許可申請書をもらってきたよ」


 母さんに申請書を渡して記入してもらって受け取った。


 翌日に提出したアルバイト許可申請書は難なく受諾されて、後日に許可証を受け取った。

 事後承諾になってしまったのは俺のアルバイト先が家業の美容院だからだけど、一応給料が発生するので黙認とはならなかったようだ。

 母さんの美容院は順調で忙しい日々が続いた。


 そして、月末にお小遣いではなく給料を母さんから受け取った。


 八万五千円。


「本当はもっと出したいんだけど、扶養に入れられるギリギリまでしか出せないの」

「いや、それでもこれだけもらえたら俺はありがたいよ」


 使う予定もそれほどないけれど、責任が持てないからと美容師をまだ雇わない母さんとの二人三脚は暫く続く。



 一方学校では、中学と変わらずイジメが続く。


「キッめーな。こっち見んなよ」


 身体を起こして前を見れば女子から罵声が飛んでくる。


「うっぜー!邪魔だウンコ」


 トイレに行こうと席を立てば男子から蹴りが飛んでくる。


 昼休みになると机や椅子を蹴られて荒らされる。

 学校行事にはほぼ参加しない。

 出席はしても隅っこで縮こまって、授業や行事が終わるのを待つだけだ。

 宿泊学習には参加せず学校に登校して自習をした。

 登校すれば欠席扱いにならないからだ。

 ちなみに俺は小学校も中学校も修学旅行に参加していない。

 母子家庭だから全額補助されてお金を払わずに行けるんだけど、そのことで権威ある保護者たちによる俺と母さんへの批判が少なからずあって、俺自身が行くことを躊躇い取り止めた。

 今回の宿泊学習も全額補助が出るみたいだったけど、その時の保護者を持つ子どもが同じ高校に進学していることもあって行かないことを選んだ。

 もし補助がなくて自費でってなっても行かないんだろうけれど。

 来年、二年生になれば修学旅行があるけれど、その頃はきっと母さんが寡婦家庭の保護を受けるための所得の上限を軽く超えるので児童手当や補助といったものはなくなるはずだ。


 学校の成績は入学後の実力テストから上位をキープできている。

 個別に順位を受け取るけれど掲示されることはないから俺の順位は誰にも知られることはない。

 おかげでイジメられている時以外に目立つことのない学校生活を送れている。



 極めつけの夏休み。


 サロン・ド・ビューテでは着付けをしている。

 資格はあるけど資格を持っている必要のない着付け。俺は髪の毛を触らなければ着付けができた。

 小学生のころから戸田とださんが着付けているところを見て、練習までしたことがあるからだ。

 戸田さんは母さんが独立前に勤めていた住宅街の一角にある小さな美容院だ。

 俺は学校が終わるといつも戸田さんの美容院のある兼自宅で過ごしていた。

 黙っているのもつまらないから母さんや戸田さんの働く姿を眺めたりしていて、着付けもその一環で見て真似て覚えるうちに、戸田さんからも直接教わるようになったのだ。

 ちなみにマネキンを使ったカットも母さんからではなく戸田さん……歩叔母さんから教わった。

 母さんは着付けの資格を取ってはいるがあまり得意ではなく、着付けのための調髪を終えたら、残りの着物や浴衣を着付けは俺の仕事になっている。

 だから夏休みのこの時期、専門学校に通う合間に着付けを手伝っていた。


「はい。これで完了です。どこか苦しいとか違和感があるところはありませんか?」


 俺が男だから恥ずかしいのだろうけど顔を真っ赤にして女の子は答える。


「いえ。大丈夫です。とてもお上手なんですね。今まで他で浴衣を着付けてもらいましたけど、こんなにしっくりしたことはありません」


 そう言ってにっこりと微笑んでくれる。

 女の子の笑顔って素敵だ。


 それを母さんがエゴサして満足気な顔をする。


『めっちゃ可愛いイケメンが着付けてくれるんだけど、上手すぎてヤバい』

『綺麗な男の子なのに浴衣の着付け良すぎw はしゃいでも着崩れしなかった』


 など、書かれていて評判が良かったらしい。売上に貢献できたなら良かった。

 夏休み中はクラスメイトが来店したことがあったけど、学校では喋らないし髪を下ろしていることもあって俺だとバレることはなかった。


「ねえ、和音。年末年始さ、振り袖の着付けしても良いかな?カットとかナシでセットと着付けだけするってどう?」


 閉店後、成人式や初詣の振り袖の着付けの問い合わせが多くなったらしい母さんがボソッと口にする。

 掃除や明日の準備をしながら俺は答える。


「良いんじゃない?やるなら俺も手伝うよ。けど、俺は夜十時までしか働けないよ」


 高校生のアルバイトなので夜は働けないのだ。

 それでもやる意義があるのならやってみても良いかなって思っている。

 戸田さんに教わったことがどこまで通じるのか。それをお金を払ってまで来てもらえる。そこまでの価値を俺に見出してもらえるのかを試したい気持ちもあった。


「もちろん夜中まではやらないよ。私だって年越しは家で迎えたいからね」


 こうして年末年始、成人式を好評で終えられて、サロン・ド・ビューテは更に忙しさを増していく。

 予約は常に二ヶ月先まで埋まり、当日客を取ることもままならない。そこで母さんは遂に美容師を雇うことを決める。


「美容師さんを一人、雇おうと思うんだけど、和音、どう?」

「良いんじゃないかな」


 俺に訊いたのは今まで二人きりだったから遠慮があったのかもしれない。

 俺は母さんがそれで楽になるならと応諾した。美容師は直ぐに決まったけど俺がその人とまみえるのは四月になってからだ。


 四月になり、俺は遂に母さんが雇った美容師さんと対面を果たす。


「はじめまして!先月、合格したばかりの一条いちじょう聖愛まりあです。よろしくお願いします」

「はじめまして。アシスタントの紫雲和音です。よろしくお願いします」

「キミがあの話題の子かあー。めっちゃ綺麗な顔してるね」


 一条さんは最初からグイグイ来る人だった。

 とても可愛い顔をしているから男性客が来たら人気が出るだろうことは間違いない。

 しかし、いろいろと癖がある女の子なんじゃないか。彼女の名誉のためにこれが一度目の挨拶でないことは忘れることにする。


「紫雲さん、紫雲くんだと紛らわしいから名前で呼ばせてもらっても良いですか?」


 と、一条さんは初日から名前呼びをすることになった。

 一条さんは最初こそぎこちなさがあったものの数日で慣れてくれて、お客様の評判も良く母さんの見る目に感謝した。


「ところで和音くんってあたしより上手いよね?」


 閉店後、俺がマネキンでカットの練習をしていると一条さんは付き合ってくれる。

 母さんがレジや帳簿のチェックをするからその空き時間を使っているのだが。


「和音は小学生の頃からマネキンでカットしてるからか私よりもずっと上手なのよね。私の髪、和音にしてもらってるの」


 母さんは自慢気に触覚ぽく伸びる髪の毛を指で絡めながらドヤった。

 長く伸びている母さんの髪の毛は毎朝、俺がアレンジしている。

 今日は髪の毛を後ろに雑に丸めて結わえ、触覚を胸元に垂らして爆乳の色気を強調したつもりだ。


「それはスゴい。センス、ヤバいじゃん!あたしもヤって!和音くんの好きにシて!良いですよね?」


 俺に身体を乗り出して顔を寄せてくる一条さん。

 腕をサッと伸ばして母さんは一条さんを抑止した。


「ちょっと。一応、私の息子なんだから。卑猥な言い方はナシ!節度はちゃんと守ってよね。聖愛ちゃん大人なんだからさ」

「あ、すみません。興奮のあまりつい……」


 髪の毛をヤるって話だよな?


「いつまでも女を知らない童貞っていうのも母親として恥ずかしいからさ。あからさまじゃなければ良いんだよ。ぜひ貰ってやってちょうだい」

「良いんですか?でも、私、処女だから初めてはロマンチックなのが良いです」


 髪の毛の話じゃないのか?

 ともあれ、どうやら母さんと一条さんは気が合うらしく意気投合して、そのまま飲みに行った。


 何故か一人残った俺は店の戸締まりをして九時を過ぎるころに家路についた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る