死ぬかと思った

 スキー場にやってきた。

 スキーやウェアはレンタルで借りて、滑り方を簡単に教わると、皆でリフトに乗って初心者コースを滑る。

 戸田夫妻はロッジで休んでいて滑らずに見ているか周辺を見て回りたいそうだ。


 周りの大人達がかっこよく雪を跳ね上げて滑り降りる中、俺たち四人はスキーをハの字にしてゆっくりと滑っている。

 恐い。けど、景色がとても良くて大変壮観だ。


 何度か滑ると母さんと柚咲乃ゆさのは周囲のスキー客みたいに雪を跳ね上げてかっこよく滑っている。

 実弥さんは早々に離脱して林間コースを滑っていてリフトの乗り口で顔を合わせるくらいだった。


 つまり、俺は今、ボッチである。


 ちなみに母さんも柚咲乃もスキーは初めて。実弥みみさんはアメリカに行っている時にスキーやスノボは経験したそうだ。

 母さんは天性のセンスで、柚咲乃は抜群の運動神経で、あっという間に滑り方を覚えたらしい。

 俺は満足に運動をしていないから覚えが悪い。

 俺が一回滑っている間に、彼女らに二回、三回と追い抜かれる。

 情けないけど俺は諦めが早いのだ。

 リフトの乗り場から少し逸れたところにソリ遊び場がある。

 俺にスキーは向いてない。ソリで遊ぼう。俺にはそれが一番だ。


 昼になりレストハウスに行くと戸田夫妻が席を取っていてくれた。


泰介たいすけさん、歩さん、戻りました」

「お、遅かったね。もう皆来てるよ」


 母さんたちは食券を買うのに並んでいた。


和音あいおん、お前も選んで来い」


 とあゆみさんに千円札を貰ったので「ありがとうございます」と礼をして食券機の列に並んだ。

 実弥さんや柚咲乃がラーメンで母さんは蕎麦を食べるらしい。

 俺は彼女たちほど動いてないから軽めにした。


「和音はそんなもんで良いのか?」


 席に戻ったら母さんに煽られる。


「俺、そんなに滑ってないからお腹は空いてないんだよ」


 運んできたのはパンケーキとコーヒーだ。


「和音先輩、大丈夫?足りる?」


 隣の柚咲乃が心配そうに俺が持ってきたトレーを見る。


「もちろん足りるよ」


 俺がそう答えると、テーブルを挟んだ反対側の実弥さんがラーメンを飲み込んでニコニコしてこっちを見ていた。


「アイくんはスキーが合わなかったんだね。さっきソリで遊んでたの見たよ」

「ソリ、面白いよ。スキーほどじゃないけどスピード出るし景色も眺められるし」

「ソリ、楽しいんだ?ボクも後でやってみる!」

「わたしもやってみようかなー?」


 俺は上手くできないから諦めたっていうのに、こう来られると何だか居た堪れない気持ちになる。


「私は和音と滑ったの最初だけだったから和音ともう少し一緒にスキーしたいかな」


 椅子の肘掛けに頬杖をついた母さんはニヤニヤした顔でテーブル越しの俺にスキーをしろとく。


「いや、俺、滑れなかったし」

「たった一回二回しかやってないんだろう?せっかく来たんだから出来るまでやりゃあ良いだろ」

「そういう母さんはどこまで滑れるようになったの?」


 ああ、滑りたくない。

 そう思って話をすり替えることに挑戦する。


「美希さん、わたしより全然上手でスラロームコースで滑ってるわね。柚咲乃と一緒に」


 実弥さん曰く、母さんと柚咲乃はスラロームコースと言う上級者向けの勾配がキツいところで滑っているらしい。

 実弥さんはアメリカで滑ったことはあったとは言うものの、急勾配や難しいコースを滑られるほどではなく、中級者向けの林間コースをゆっくり滑降するに留まっていると言う。


「スラロームコースは滑ると楽しいよ。お姉ちゃんも一緒に滑ったら良いのに」

「わたしは恐いから遠慮するわ。でもアイくんはもう少し頑張っても良いとわたしも思うの」


 俺は昼以降もソリで遊ぼうと思っていたのに、それは許されなかった。


 それからまたリフトに乗り、下りた先で四人でたむろしている。

 母さんと柚咲乃が身振り手振りして教えてくれているんだけど……。


「こうやってこっちに曲がる時はこんな感じで」


 というのが柚咲乃だ。

 感覚的にやって覚えていくタイプで手をスキー板に見立ててこうするああすると教えてくれている。


 そんな中、母さんは俺の後ろにピタリとくっつくと体を押し付けて曲がる時はこっちに内側の足に体重を乗せてスキーを傾けるんだと手取り足取り、滑っている時の状態を再現していく。

 後ろから太ももを抑えてくるのはちょっとどうかとも思ったけどスキーウェアのおかげで後ろから密着されても艶めかしさは無かった。


「やー、それにしてもおっきくなったな。年末にも買い物したけど、また、服を買いに行かなきゃな」


 スキーとは関係ない話をしつつ「曲がる時は腰をこう動かして、こっちの足に体重をかけるんだ」と教えてくれる。

 母さんは滑っている時の体の動かし方を教えてくれた。


 その後は四人で一緒に中級者向けのコースを降って母さんは柚咲乃と上級者向けのキツいコースを滑り、俺は実弥さんと一緒にのんびりと滑った。


 スキーの後は日帰りで温泉ホテルに寄った。

 湯衣を着用すれば混浴で浸かれる温泉だ。


 俺と泰介さんが更衣室から浴場に入ると、同じくして歩さんと柚咲乃が出てきた。


「やっぱ男子は早いねー」


 時間にして数分だけなんだけど、湯衣に着替えた柚咲乃が俺に気が付いて声をかけてきた。

 続いて湯衣姿の母さんと実弥さんがやってくる。


「アイくんってほっそりしてるのに脱ぐと筋肉が凄いのね」


 実弥さんが俺の体をマジマジと見て胸やお腹、背中をペタペタと触る。

 湯衣を着ているとは言えその下はどうなんだろうか。

 押し付けられるそれはとても柔らかくて生温かい。

 とにかく、何も考えないことにしよう。


「ちょっと、実弥さん。くすぐったい」

「感じちゃったのかしら?それともこの姿で興奮したの?」


 更に体を押し付けてくる。


「そのへんにしておけよ。さあ、入るぞ。冷えて風邪引くぞ」


 歩さんが実弥さんを制してくれたおかげで俺は解放された。


「確かにスゴいッ!これどうやって鍛えたんスか?」


 湯に浸かりに歩いているが、柚咲乃も実弥さんに続いて俺の体をペタペタと遠慮がちに何度も触る。

 湯に浸かると実弥さんが俺の肩に手を触れた。


「ねえ、アイくん。肩に力を入れてくれる?」


 実弥さんの要望に答えると「わ、スゴい!とても固いわ!柚咲乃、触ってみて、スゴいわよ」と姉が妹に言う。

 柚咲乃も俺の肩に触れた。


「うっわ……和音先輩ってそんなに筋肉あったんですね。そりゃあ、あの時、痛くないはずッスよ……」


 あの時と言うのは柚咲乃をかばって肩を殴らせた時のことだ。

 確かに痛くなかったんだよね。けど、鍛えているわけではないのに筋肉がついていくのはおかしな話だよな。

 殴られたり叩かれたりしていくうちに痛くなくなったんだけど、それは筋肉がついたからではなく慣れただけだと俺は思ってる。


 それにしても温泉。人生初なんだけど、気持ち良い。


「くっあぁーッ!」


 温泉に肩まで浸かって腕を伸ばす母さん。

 脇が露わになって艶めかしい。


「スキーのあとの温泉って良いな!」

「だろ?私はもう年だからスキーなんて怖くて出来やしないが、動いた後に熱い温泉に浸かると気持ちが良い」


 母さんの言葉に歩さんが反応した。

 伸ばした腕を湯の中に下ろした母さん。大きな胸は浮かんで湯衣を押し上げている。

 横を見ると実弥さんの胸も同じだった。

 柚咲乃は普通に見えるのに、胸が大きいとこういうところでも目立つんだね。


「ところでアイくん」


 突然、実弥さんが話しかけてきた。


「なに?」

「この肩とか腕にこまかい傷痕みたいなのがあるんだけど、これは何?」


 実弥さんが訊いてきた。

 すると、俺を挟んで反対側にいる柚咲乃も追随する。


「こっちにもある。こっちは切り傷の痕なんかもあるね」


 柚咲乃は俺の背中をペタペタ触りだしてジッと観察し始めた。


「や………背中にもあるよ……」


 柚咲乃の声に実弥さんも柚咲乃と一緒に背中を触って見る。


「何をしたらこんな痕が残るのかしら……」

「和音先輩……」


 沈んでしまった雰囲気を察したのか母さんと歩さんが「お前らどうしたんだ?」とこっちに寄ってきて俺の肩や背中をマジマジと見詰める。

 居た堪れない。ここ最近で一番痛く突き刺さる視線だ。


「なあ、和音。いつからこうだったんだ?」


 母さんが低い声を出す。

 今までイジメで色んなことにされたからな。それこそ傷痕が残っていたとしてもおかしくないことまで。

 幸い、高校生になってからそういった痕が残る行為はなかった。けど、中学まではコンパスやカッターやハサミで傷付けられたことはあったし、バットやラケットで殴られたこともあった。それは日常的と言って良いほど日々繰り返されてきた。

 小学生の頃からそうした出血を伴う暴力があったから明るい色の服は着たことはない。血で汚れたことを気付かれないために下着は黒がほとんどだ。

 それでもシャツに付いた時は必死になって汚れを落としてた。誰にも気が付かれないために。

 当時の俺はイジメは当然辛いことだと思っていたけど、それ以上に忙しい母さんを俺の事で振り回したり煩わせることを嫌ってた。

 だから、母さんに気付かれまいと必死にイジメの形跡を消していた。


「和音、お前、随分と我慢してたんだな……」


 歩さんも母さんに負けず劣らずの低い声。その隣で泰介さんは絶句してる。

 俺は視線が痛すぎて言葉が出て来ない。

 それでも何とか声を振り絞って


「俺は大丈夫だから」


 というのが精一杯だった。

 それから居た堪れなくて肩までしっかりと湯に浸かった。

 濁り湯って良いな。もうこれで見られまい。


「それで逃げられると思ってるの?」


 逃げたと思ったら視線が更に鋭く突き刺さる。


「い……いやぁ……俺、本当に大丈夫だから」

「大丈夫じゃないだろ!」


 おずおずと返したら物凄い剣幕を向けられた。

 母さんだけじゃなく、歩さんも実弥さんも、そして柚咲乃も。


「もっとお前のこと見てれば良かったッ!クソッ!!」


 母さんが悪態をついて水面を叩く。温かい飛沫が俺の頭にかかった。


「これ、ヤられた時、ウチに来てた頃だろ?なんで言わねーんだよ」


 歩さんも怒ってた。

 泰介さんはこういう時は表情に出るものの声を出さないタイプだ。


「ねえ、アイくん。こんな傷があったら動いたりくっついたりしただけでも痛かったんじゃない?わたし、何も気が付かなかった……」


 俺はふるふると頭を振った。


「それだったらボクだって……和音先輩に抱き着いたりしてても嫌な顔も痛そうな顔もしてなかったよ……」


 実弥さんと柚咲乃はふたりして涙目になってる。


「や、今は本当にもう大丈夫だからさ。気にしないでよ」


 実弥さんと柚咲乃を落ち着かせたくて口にした言葉。

 これが更に彼女たちを刺激した。


「違うだろ!何でお前は一人で全部我慢しようとするんだよッ!今だってそうだ。辛かった、痛かった、苦しかったって言えば良いじゃねーか!何でそういう自分の気持を伝える言葉が出てこないんだよ!」


 母さんが泣いてた。怒気で顔を真っ赤に染めて、くしゃくしゃになった顔で涙をボロボロと零してる。

 公衆の面前だと言うのに、それを憚らず。


「……ごめんなさい」

「クソッ!謝るなよッ!!」


 母さんは感情に任せて右手を振りかぶった。


───叩かれるッ!


 そう思った。


 でも、母さんは俺を抱き寄せて俺の顔を胸にうずめた。


 温かくて柔らかい大きなおっぱいに俺の顔は挟まれている。

 鼻が塞がれ口は胸の中で密封されていた。


「クッ……」


 母さんは俺を抱える力を緩めること無くギューッと抱き締める。

 母さんは感情を噛み殺して呻いていた。


 でも───。


───くっ……苦しい……。


 耐えきれなくて母さんの肩をトントンと叩く。


 気付いてもらえるまで何度か叩く。


「ふぐっ……んむぅ……」


 トントンと叩く。

 何度も何度も繰り返していると母さんの力が緩んだ。


「ぷっはあああぁぁーーーッ!」


 やっと息が出来た。


「和音。ごめん。おっぱいで塞いじまったな……」


 少し落ち着いたのか、母さんの声から怒気が薄らいでいて、若干弱々しいけれどハスキーなアルトボイスが俺の耳に届く。


「死ぬかと思った……」


 すると、母さんは俺の頭をスパンと叩いた。

 目の覚める良い音だったのか、実弥さんや柚咲乃が目を見開いてこっちを見る。

 すかさず母さんがニンマリとして俺に言った。


「こういう時は大丈夫で良いんだよ。さっきみたいなのは大丈夫じゃない。良いな!?わかったか?」


 そんな理不尽な……。


「湿っぽくしちゃって悪かったな。せっかくの温泉だ。楽しく入ろう」


 そう言って母さんは実弥さんと柚咲乃の頭をポンポンと撫でて奥の方へと歩いて少し深いところで湯にしばらく浸かった。

 俺は歩さんと泰介さんと取り残されたけど少し深いところに移動して時間まで温泉を楽しんだ。

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