握る拳に力を入れたってこの気持ちは全く晴れない
読モのバイトで雑誌の表紙を飾る自慢の可愛い妹。
だったはずなんだよなー。
やー、人間っていうのは本当にままならない。
可愛いってだけで満足できないものなのか。
いや、あたしも可愛いって言われるほうだったけどさ。
長女の威厳が全くないッ!
あたしが地元の人気美容院、サロン・ド・ビューテで働きはじめて数日。
仕事から家に帰って来るとあたしの部屋でヘアカタログを読み漁っていた依莉愛があたしに言った。
「ねえ、お姉ちゃんさ。就職したんでしょ?職場、どうなの?」
「ちょっと忙しいけど良い職場だよ。超綺麗な顔立ちのイケメンくんがいて目の保養になるし」
ほーんとでも言いたげが表情の依莉愛。
コイツはあたしの男を見る目を信用していない。
てか、読者モデルなんてやってるのにヘアスタイルにてんで疎い依莉愛がヘアカタログを読んでいる。
どうしたのかと訊いてみた。
「ところであたしのヘアカタログを熱心に見てどうしたの?髪型変えたいの?」
「うん。ちょっとこないだ撮影したのを見てたら、もう少し印象を軽くしたいって思ってさ」
あー。
コイツは服にはそこそこ金を使うのに髪には金を使わないし、友達が良いって言ってたからと適当な美容院にしか行ってない。
あたしがヤってやろうかと聞いても乗り気じゃないことが多かった。
まあ、モデルの仕事してて髪が重たいからなんとかしろとかそんなことでも言われたんだろうね。
コイツはムダにおっぱいがでっかいし、なのに髪を伸ばして胸に垂らしてる。
見ようによってはエロくて良いけど服に合わせるにはちょっとねってなる。
「あー、おっぱいでっかくなったからだね」
「そうなんだけど、どういうふうにしたらいいかわかんなくって……」
おっぱいがデカいと言えば
美希さんのセットは毎朝、
じゃあ、ウチでやってもらうのが良いかもね。
「そっ……じゃ、とりま、ウチの美容院の予約入れておく?」
「良いの?前電話した時、予約埋まってたんだよ?当日も無理って言われたし」
「あたしが増えたから当日分も少しだけ取れるようになったんだよ。でも予約の問い合わせは毎日来てるから早めに都合の良さそうな日を教えて」
ということで捩じ込めそうな日の一番最後の時間に入れてやった。
依莉愛を和音くんに紹介したら何度も何度も「俺の名前を出さないで」と言われた。
何がそんなに嫌なのか。依莉愛、可愛いし、大抵の男なら依莉愛と知り合えるって分かったら絶対にグイグイ行くに決まってる。
なのに和音くんは依莉愛と関わりを持ちたがらない。
和音くんに出会った依莉愛はまんざらどころでないくらい純で可愛らしくなってるっていうのに、和音くんはそれを辟易としている。
これを顔に一切出さないんだからたいしたものだ。さすが美希さんの子。
けれど、ちゃんとコミュニケーションは取っているし、依莉愛に気を使わせない振る舞いで、ちゃきちゃきとハサミを進めていく。
やー、本当に見事。
これは将来が楽しみだ。
早く一緒に美容師として仕事をしたい。
依莉愛は背伸びしたい。大人ぶりたい。でもモデルとしての上品さも時々欲しい。
ガキだなってあたしは鼻で笑うけど、和音くんは依莉愛の希望通りに仕上げた。
依莉愛のこれを上手に使えるか使えないかは、あとはヘアメイクさんの仕事次第だね。
「お姉ちゃん。これスゴい。気に入った」
車の中でサンバイザーのミラーで髪の仕上がりを何度も確認する依莉愛。
嬉しそうな顔してほんとコイツ。
「どうだった?彼」
「……好き」
カットのこと聞いたのに聞き方が悪かったのか、急に「好き」ってなんだよ。
そう思って依莉愛の顔を見てみたら、ぽーっと呆けて目がトロンとしてる。
恋にでも落ちて頭ン中まで蕩けきってんだろう。
「うっははははははっ!それかよ。どんだけピンク色なんだよ依莉愛の頭ン中。そんななりして夢見る乙女かよ」
おかしくて笑ってしまった。
あー、あたしもそう言えば笑われた覚えがある。
「あっ……ヤ、そうじゃなくて……」
「髪だよ髪」
あたしがそう言うと、ようやっと現実に戻ってきた。
「髪、良かったよ。めっちゃ上がった」
「あたしより上手いってわかったろ?」
「スゴいよね。ウチのヘアメイクさんやスタイリストさんたちよりずっと良かった」
「そうだろう?あたしもあの子が好きなんだよ。仕事でも異性としてもね」
「お姉ちゃんも?」
「ああ、今日はどう仕事をするのか見てみたかったんだけど、現時点でも相当にレベルが高いよ。あの子。あんな良い男、居ないぞ」
「そうだよね……」
やー、言っちゃった。なんて気持ちにもならなかった。
今の仕事が楽しいから異性として好きだとしてもすんなり受け入れられるし今以上の関わりを持つつもりがないから口に出せる。
本人が居なければだけどさ。
「ま、あの子は年下だし、何なら依莉愛と同じ歳だからな。流石に罪悪感を覚えちゃうんだよねー」
あたしの言葉でコロコロ表情が変わる依莉愛が面白くてついつい揶揄っちゃう。
「くっくっく……面白いなー。お姉ちゃんは依莉愛のそんな顔が見られて嬉しいよ」
「もうっ!バカにしやがって……」
依莉愛はシュンと落ち込んで、わっと上がってJKくらいの女が恋をするって面白いな。
あたしもこんなだったか。
それにしても、ほんと、依莉愛のなりでこうだとクソ笑える。
そんなことを顔に出していたら脇を小突かれそうになった。
「ちょっと、運転中だからね!」
まあ、怒ったね。
次の日。
依莉愛がバイトから帰って来ると興奮気味にあたしの部屋に入ってきた。
「やー。ノックくらいしろよー」
あたしはTシャツにショーツとあられもない姿だ。
決して一人遊びをしようとしていたわけではなくて楽な服装でゴロゴロしたかったんだ。
帰ってきたばかりの依莉愛はニッコニコでホクホクしてる。
「ごめんて。今日はウチのほうが遅かったんだね」
「バイトの時間が遅かったんだろ?」
「そうだけどさ」
「つか、その様子だと褒められた?」
「うん!めっちゃ褒められたよ。美容院紹介してって言われた」
「教えたの?」
「うん。言っちゃった」
「マジか……」
ああ。またお客様が増えてしまう。
「あまり広めないで……お姉ちゃん過労死しちゃうからぁー」
とは言うものの、店が繁盛するのは良いことだし、あたしは仕事が楽しくて、依莉愛も和音のおかげで機嫌が良い。
ずっとこのまま順調に行くのかと思ってたよ。
でも、ある火曜日。
サロン・ド・ビューテの定休日。
例によって例のごとくパンイチでベッドに大の字で寝そべっていたらスマホに着信がきた。
「あー、うるせーよ」
愚痴りながらスマホの画面を見た。
「お、美希さんじゃん。休みの日に珍しい」
応答をタップして電話に出た。
「聖愛ちゃん、休みのところごめん。和音が…和音が……」
独特で綺麗なハスキーっぽいアルトボイスの美希さんが尋常じゃない声色でわなないているのがスピーカーから聞こえる。
「和音くんがどうしたんですか?」
「病院に救急車で運ばれて意識がないとかで刺されたとか学校から電話が…うううっ」
あの美希さんが何でだかパニクってる。大丈夫かこのひと。
「今行きますから、てかそっちに行っても大丈夫ですか?」
「あ、ああ……うん。ごめんね」
「良いですよ。じゃ今から行きますから」
あたしが家を出ようとしたら今度は家の電話が鳴った。
ママが電話を取って受話器で話しているのを聞いてしまった。
今度はママが受話器を持ったままワナワナと震えてオウム返しみたいに頷いてる。
あたしは嫌な予感がしてママの電話が終わるのを待った。
「どうしたの?」
「依莉愛が学校で刃傷沙汰を起こして被害者が病院に運ばれたとかで……それで、学校に行かないと……」
あー……。
さっき、美希さんが和音くんが刺されたって言ってたな。
んで、こっちは刺した。
ほーん。何やっちゃってんのアイツ。
でも、こんなところで悠長にしているわけにもいかない。
「ね、ママ。あたし、あたしの職場の美容師の子が病院に運ばれたって今さっき電話来たばかりなんだけどさ。もしかして………ッ」
「聖愛、ママを学校につれていってもらっていい?」
まあ、そうなるよな。
だったら、あたしは美希さんのところに行って和音くんのことを確認したい。
あのクソガキはママに任せよう。
「良いけど、直ぐにあたし、病院に行くけどそれで良かったら」
「それで良いよ。お願い」
「わかった。すぐ行くから準備して」
あたしは校門前でママを降ろして直ぐに美希さんを迎えに行った。
やー、美希さんの顔は真っ青だった。
この人、良い年齢して和音くんに依存しすぎなんじゃないッスかね?
って思うくらい美希さんの顔は暗かった。
いやあ、こんな美人さんをこんなふうにしちゃうなんて、なんて罪な男なんだろう和音くん。
なんてことを思いながらも、あたしも心臓がバクバクしてるんです。
まだ、サロン・ド・ビューテで美希さんと和音くんと働いていたい。
あたしは依莉愛がヤったんじゃないかって思うと、美希さんが怒ってあたしをクビにするんじゃないかって、もしかしたら、あたし、責任を取って辞めなきゃいけないのかって気が気じゃなかった。
本当に怖かった。
病院に着いたら、美希さんは直ぐに和音くんに会いに行った。
あたしは病室の場所を確認してから待合室でママと電話する。
『聖愛、やっぱり、依莉愛がやったみたいなの。十人くらいで男の子を殴る蹴るして最後にカッターで顔を切ったって聞いた』
「顔!?マジかよ……」
『それで、病院に運ばれた時は意識がなかったって……』
「でも、こっちでは普通に病室にいるみたいだよ」
『そうなの?』
「うん。で、そっちはどうなの?」
『生徒指導室で先生と警察を交えて話してるみたいで、私は終わるのを待ってるだけなの』
「そっか。いつごろ終わりそうとか分かる?」
『全くわからない。終わったら私は歩いて家に帰るから、そっちはそっちで都合がいいときに帰ってきて』
「ああ、分かった。じゃあ、あとで」
電話が終わって、あたしは重たく感じる身体にムチを打って和音くんの病室に向かった。
病室は個室でベッドには和音くんが痛々しい姿でスヤスヤと眠っていて、その横に美希さんが和音くんの手を握っていた。
「美希さん……」
「あ、聖愛ちゃん……大丈夫?すごく怖い顔してるけど」
美希さんに言われて気が付いた。
あたし、何かすごく怒ってる。美希さんはそんなあたしを見て落ち着きを取り戻したっぽい。
「あたしは大丈夫ですよ。美希さんだって目が真っ赤です」
「聖愛ちゃんもでしょ?」
と、女神の微笑を向けてくる。
ヤ、ほんと、この人は美人過ぎる。
「ってか、ごめんなさい。うちの妹がヤったみたいで……」
あたしは諦めの心境で妹がやったと伝えた。
すると、あたしの女神がスマホを取り出して
「ね、妹さんはこれだよね?」
と、画面をあたしに向けて動画を再生する。
『待てよ。ゴミ』
という怒号から動画は始まる。
『お前、最近、調子に乗りすぎなんだよ』
カメラが教室の中に向けられて、何人かの男子が代わる代わる和音くんの顔を殴る。
依莉愛も映ってた。
腕を組んでふんぞり返って和音くんをゴミを見る目で見下ろしている。
女子たちも和音くんを蹴りつけて笑っていた。
和音くんが倒れると髪を掴んで持ち上げて起こす。
その時に、依莉愛の目が変わった。
ああ、これで気が付いたんだな。
あたしも、ここで和音くんが学校では髪の毛を下ろしていることを知った。
そっか、だからわからなかったのか。それに和音くんが「絶対に言わないで」って言ってたのもこの和音くんがあの和音くんだってことを知られたくなかったんだな。
ということは普段から依莉愛たちにイジメられていたんだ。
このクソガキが……。あたしは依莉愛に対して強い憤りを覚える。
あの和音くんの顔はもう腫れ上がっていてあちこちから出血している。
骨が折れたりしている様子はない。けど、口の端から流れる血が痛々しい。
『オラよッ!』
彼らはまだ和音くんを殴り続けた。
依莉愛はもうそこに参加していない。
顔を顰めて両手で隠し、自分がどうしていいのかわからなくなっているんだろう。
『調子に乗るからこうなるんだ。わかるか?おいッ!』
怒号は止まない。
そして、中肉中背の男の子がどこかの机からカッターナイフを引っ張り出して刃を押し出し依莉愛に差し出した。
『おいっ!依莉愛ッ!クラスメイトの
依莉愛は恐る恐る手を伸ばすとその男に無理矢理カッターを握らされる。
プルプルと震えて動けなくなっている依莉愛。
まー、自分が見下して汚い言葉を投げつけてイジメていた奴が初恋の男の子だもんな。
今の自分の髪の毛を調髪したがこの和音くんだって受け入れられないんだろうね。
ほんと、バカだよな。
依莉愛が迷っているとカッターを渡した男子と近くにいた女子が依莉愛を押し出して手を握る。
『ヤるぞ』
『アタシもヤるよ』
そうしてカッターの刃が和音くんの左頬に近付いていく。
依莉愛は泣いていた。ボロボロと涙を零して嗚咽を声にできずに泣いていた。
『ヤ……』
力ない抵抗をしているのがわかる。
それでも叶わず、カッターの刃は和音くんの左頬にめり込んでギリギリと引く。
頬から真っ赤な血が垂れて刃を伝い依莉愛の右手を血が染めた。
そして、依莉愛はペタリと座ってカッターナイフを握ったまま動かなくなった。
その直後に先生が来たらしく、大人の声で怒号の音が割れる。
『お前ら!何やってるんだ!やって良いことと悪いことの判断すらできないのか!』
動画はここで終わっていた。
「泣いてたよ?」
ああ、そうか。
和音くんに切らせたときに顔を見てたのか……。
「本当にごめんなさい。責任、取りますから」
「責任なんて取らなくて良いよ。私は和音が無事ならそれだけで良い。だから、絶対に辞めるとかいわないでね。けど、こういうことした人たちにはそれなりの報いはさせるけどさ」
「でも、あたし……」
「だから、この動画には聖愛ちゃん居ないじゃん?それに心配して一緒に来てくれただけで私も、きっと和音も嬉しいって思うよ」
と、再び女神の微笑みをあたしに向けた。
「でもさー。和音。こういうことずっとされてたのに私に言わないで我慢してたんだね。それのほうがよっぼど辛くて苦しい……。うちにはパパが居ないからそのせいなのかもって……。私が仕事してて和音のこと見れてなかったのかなって……」
そう言って、美希さんは泣き出した。
やー、これ、悔しいんだろうなー。それだったらめっちゃ理解できるわ。
あたしも泣けてくる。依莉愛がこんなクソな奴だって思うと腹が立って今まで色々と面倒を見てきたことに悔しさを感じる。
あたしのやり方がまずかったのかな。
──クソッ!
──クソッ!
握る拳に力を入れたってこの気持ちは全く晴れない。
和音くんはこのタイミングで目を開けた。
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