寄っていかない?

 スクーリング、自動車学校、サロンの手伝い、それに課題。

 忙しなく夏休みを過ごしている。

 先日、車の免許を取得したので毎月貯めていたお金から車の購入に踏み切った。

 母さんの車の後継モデルと言う何とも母さんには気不味い車を選んだけれど後悔はしていない。

 前金で全額払ったから半年も先になる納車を待てば俺の車が手に入る。


 ウチの高校の校則には免許の取得や車の購入についての記載がない。

 バイクや車での通学は不可とされているだけで特にバイクを運転するなとかそういった規則はなかった。


 つまり、俺が免許を取ると母さんがこう言う。


「これで私が飲みに出ても和音の送迎があるから安心して酔えるな」


 そう言われると泣き上戸の母さんを思い浮かべて少しばかり不安を覚えた。

 酒は二十歳にならないと飲めない。それまでは飲みに行った時の足として存分に使われそうだ。

 それは母さんだけじゃなく、実弥さんや聖愛さんも同じだろう。

 免許を取った日。俺は母さんの軽自動車で送ってもらって、帰りは母さんを助手席に乗せて俺が運転して帰った。


 それから数日。最後のスクーリングを終えた翌日。母さんの朝ご飯の準備と母さんのお弁当を作ってからオープンキャンパスに行く。

 目的の大学までは最寄りの駅から電車に乗って一時間。多少の乗り換えはあるけど通える距離だ。


 中町にある地元の駅で日下部くさかべ愛紗あいしゃ日野山ひのやま羽流音うるねと落ち合った。


紫雲しうんさん、おはよう」

「おはよう。紫雲くん」

「おはようございます」


 三人揃って制服姿。

 まあ、わかりやすい。


「あ!アイちゃんッ!」


 俺を見つけた白下しろした陽那ひなが俺たちのところに駆け寄ってくる。


「あら、陽那ちゃん」


 日下部さんがひなっちを見て名前を口にする。


「愛紗!」


 俺の前に立ち止まったひなっちは俺に顔を向けるより先に日下部さんを見た。


「「どうしてこちらに?」」


 口調が似ている二人である。

 盛大にハモった。例えるなら鈴の音の声のひなっち。アルトボイスでよく通る日下部さんの声。

 全く同じというわけでは無いけど日下部さんの声は母さんにとても近い声質だ。


わたくしはアイちゃんを見かけてきたのだけど──」「私はオープンキャンパスに行くので──」


 で、結局、同じ目的地ということが分かって一緒に行くことにした。

 ひなっちと日下部さんは中学が同じ。ひなっちはこっちの高校に来ず、そのまま高等部へ進級したけど、日下部さんは少しでも良い高校ということで東高に進学した。

 結果として東高はイジメや収賄、不正入試が明るみに出た時の対応が悪かったことから品格を落として北女子以下の評判に成り下がったけど。


 三人席に彼女たちを座らせて俺はその席のついたてに背をもたれてスマホを弄る。

 いくつか乗り換えをして目的地に到着。


 大学の大きな門の前で日下部さんの姉の陽織ひおりさんが待っていた。


「おはよう。迷わずに来れたんだね」

「おはようございます。今日はよろしくお願いいたします」


 挨拶を先にしてくれた陽織さんに頭を下げると、日野山さんもそれに続いた。

 白下さんは「陽織先輩!ご無沙汰してます」と俺や日野山さんとは別に挨拶を交わして頭を下げていた。

 こっちもどうやら顔見知りらしい。


 陽織さんがいろいろと連れて行ってくれた。

 まあ、個人的には良い雰囲気だとは思うけれど、同じくオープンキャンパスに来ていて目につく高校生とその保護者達はどことなく苦手な感じで居た堪れない。


「和音クン、自分が場違いだとか思ってない?」


 昼食を取っている時に陽織さんに指摘される。

 小綺麗なところでメニューもいろいろあって感動を覚えながら食事を進めていく。

 ただ、この食堂に居る面々というのが、どうも上流階級気質が強くてどうもいけ好かない。

 二年生のときに退学した逢坂おうさかに近い雰囲気を持つ親子が多い。


「あぁ……まぁ、何というか……」


──逢坂みたい。


 という言葉を声に出来ない。


「言いたいことは分かるわね」


 俺じゃない、日下部さんの声が耳に飛び込んできた。

 日下部さんの言葉は続いて──


「保護者の期待を一身に背負った意識の高いご子息さんが多いのよね」


 背もたれに背中を預けて二の腕に組んだ左手の人差し指をトントンと動かして右腕を叩いている。


「何か分かるね。ソレ。私なんて、愛紗についていくって言ったら記念に行くの?なんて親に言われてて期待すらされてないんだよ。だけどここにいる子たちは親がつきっきりでいかにもって感じで逢坂や一条いちじょうさんみたいな感じでちょっとヤなんだよね」

「日野山さんはそうなのね。わたくしはお父様に行くと言ったらどうぞご自由にと言われましてね。ここはお父様の望外なのよ」


 日野山さんはそもそも親には大学にいけと言われているけれど、特にどこに行けとも言われていないことを聞かされる。

 ひなっちはどうもここじゃなくて家政科とかがある女子大に行って欲しいらしい。

 日下部さんのところは陽織さんが既に良い大学に通えているし特に進路に関しての口出しはしていない。というのも陽織さんに対しても進路は自由に決めて良いと言われていたらしく、この学校を選んだのもオープンキャンパスで見学したところ、雰囲気が好ましかったからだと言う。

 そういうことなら俺も同じ感想だ。


「まあ、周りはどうであれ、私たちは特進クラスなんだし、その中でも毎月受けてる模試だってずっとA判定で来てるんだから周りのことなんて気にしなければ良いのよ」

「私は、今のここの雰囲気が苦手なのは何となくだけど分かるけど、それでも、自分のやりたいことや行きたいところに行くべきだよ。もっと自分に自信を持って良いのに」


 日下部さんと日野山さんも周りと自分たちの雰囲気の違いは感じ取っている。

 それでも自分と自分以外で線引をしているんだろう。

 思い起こせば日野山さんが俺を助けてイジメを受けた時、サクッと保健室登校に切り替えたし、その時にイジメ側に加担した友達との付き合いも切り捨てた。

 当時は大人しいほうだと記憶していたけれど、実際はきちんと話すし、日下部さんとの付き合いもとても親しげに見える。思った以上に見ていて気持ちの良い性格だ。

 それは日下部さんにも同様に言えて、彼女の姉の陽織さんにも同じ印象を持っている。

 そんな小事にこだわらない彼女たちと違って、俺とひなっちは少し後ろ向きなのかも知れない。

 ここにいる保護者を自分の母親だった女性と重ねてしまっていたんじゃないか。ひなっちが誰かの付き添いで来ている保護者に向けた視線に嫌厭の色が入り混じっている。

 きっと俺と同じで食べているけれどあまり味がしない。


「和音クン、イケメンなのにそんな顔してたら損するわよ」


 表情の変わらない俺を察してか陽織さんが声をかけてくれた。

 生返事を返すと陽織さんは言葉を続ける。


「あ、そうそう。サークルの先輩……OBなんだけど、連絡を貰っててね──」


 陽織さんはポケットからスマホを取り出して俺に見せた。

 メッセージの送信元は連休で知り合った河原かわはら陽毬ひまりさんのアカウントだ。

 俺も今朝、陽毬さんとやり取りをしていて『後輩にも言っておいたよ』なんて返してきていたのを思い出して俺はスマホを陽織さんに見せる。


「知り合いだったの?」

「ええ。連休に北海道に行ったんですけど、その帰りの飛行機で連絡先を交換したんです」


 陽毬さんとはそれからも何度か会って受験勉強の進み具合だったり模試の結果だったりを相談してもらっていて、誕生日後にはプレゼントまで戴いている。


「良かったら今日の最後にでもウチのサークルに寄っていかない?」


 俺は陽織さんの誘いを二つ返事で応諾した。



 陽織さんに連れて行ってもらったサークルでは何人かの学生が俺たちを迎えてくれた。

 活動内容の説明だったり、ただの雑談──陽毬さんとどうやって知り合ったのなど──だったりで言葉が次々と交わる。

 こうしてサークル活動を見学できたのは良かった。

 学生の雰囲気が良くわかったし、もし、ここに来なかったら俺は受験する決意が揺らいだかも知れない。

 それくらいオープンキャンパスで来ている保護者や生徒たちの雰囲気は良くなかったけど、ここの学生の雰囲気はどことなく俺にはとっつきやすくて親しみを持てる。

 サークルの男女比だって男子が一なら女子は二みたいな感じで男子が全く居ないというわけでもない。


 それから陽織さんと俺を含めた五人で地元の駅に戻ってきた。


「良かったら私の家でご飯を食べていきませんか?」


 電車から下りると日下部さんがこの場の全員を家に誘うと言う。

 ここから日下部さんの家は直ぐ近く。

 断る理由も無い。いや、あると言えばあるんだけど、母さんからは今日はサロンに来なくて良いと言われているので帰るつもりだった。

 俺はひなっちと顔を合わせると、ひなっちは名残惜しそうに「わたくしは家のことをしなければならないので遠慮するわ」と帰ることを選ぶ。

 ひなっちは父親と弟が家事出来ないのでこういうのは仕方がない。ちょっと可哀想だ。

 きっと大学もこういったところで進路を狭めてしまっているのかも知れないな。

 そう考えると何だかひなっちのことが不憫に思えた。


 駅から歩いて数分。

 日下部さんと陽織さんが住む高層マンションの中町コンフォート。その最上階の一室に俺は訪れている。


「大学はどうだったの?」


 日下部さんの母親の紗織さおりさんに訊かれると日下部さんが答える。


「良いところだったわ。紫雲さんがOBの方とお知り合いでサークル活動のほうにもお邪魔させてもらってね。学祭にも誘っていただいたのよ」

「まあ、ウチのサークルなんだけどね」


 陽織さんは最後に付け加えた。


「まあ、じゃあ、合格したら陽織と一緒のサークルにするの?」


 陽毬さんに紹介されたサークルには入ろうと思っているけど、日下部さんと日野山さんはまだ他のところも見たいそうだし、まだ、合格できる手応えを感じていないのか自信なさげに言葉を濁している。


「愛紗はC判定だものね。私も夏休みはB判定だったしこれからよ」


 日野山さんはB判定。日下部さんはC判定。もう少し頑張りが必要だけど、まだ、時期的に問題はない。

 それにE判定だったとしても合格を勝ち取った人だっている。行きたいところを受けて頑張れば良い。


「そこにほぼ合格確実な人がいるからねえ……」


 日野山さんが俺に視線を送る。


「紫雲さんを見てるとまだ頑張りが足りないって思うのよね。どう勉強して伸ばしたら良いのかもわからないのよ」


 日下部さんが続いた。

 ふたりとも塾に通っていてそこでも高度な授業を受けている。


「テストの点数を見てても余裕があるのは紫雲くんだけっていうねー」

「本当よね。どうやったらそんなに出来るのか教わりたいくらいよ」


 日野山さんと日下部さんがそう言ったら、陽織さんがハッとしたのか上気だった口調で割り込む。


「だったら和音クンに教わってみたら?どうかな?」


 妙案とばかりにニンマリと笑顔を浮かべる。

 ちょっとだけ母さんに雰囲気が似ていた。


「それは良いかも知れないわね。紫雲さんがどのようにお勉強されているのか知りたいわ」

「そういうことなら、私も──紫雲くんとお勉強してみたい」


 と、二人を俺に向かって身を乗り出す。

 顔が近いッ!特に日下部さんのほうからは何だか甘ったるい良い匂いがしてくるし。


「そういうことなら、どうかな?和音クン」


 俺の前に座る陽織さんが俺に訊く。


「サロンが休みの日なら良いですけど……お盆休みは無理ですけど、お盆の翌週は火曜日で翌々週は月火と空いてます」

「あら、乗り気じゃない。だったら今日来てた陽那ちゃんも連れてきたら?」


 空いてる日を伝えたら全て抑えられた感。

 ひなっちの名前が出たけど、陽織さんから見ると部活動の後輩で、日下部さんは女子中時代の同級生。日下部さんとは特に親しくはなかったけど良いライバル関係だったらしい。


「そういうことなら陽那ちゃんには私から伝えておくわね」


 日下部さんはひなっちの連絡先を知っているのか、スマホを取り出してメッセージを送信する素振りを見せた。


 そんなこんなで日下部さんの家でガヤガヤと話をして過ごした。

 帰り道──。


わたくしもお勉強会、行くからね』


 と、ひなっちからメッセージが届いた。

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