After Episodes
ハーレムクソ野郎
「久し振り……」
大学生活が始まって二週間。
俺は今、サロンで依莉愛の髪のカットにしかかる。
何故かおずおずと緊張した面持ちで椅子に座る依莉愛。
母さんは俺の免許が届いたことをいろんな人達に伝えたらしい。
依莉愛もその一人で今日の一番に指名で予約を入れてきて彼女は今ここにいる。
「今日はどうします?」
「敬語は良いよー。髪もいつもの通りでお願い」
依莉愛の顔が赤いのは気の所為ということにしておこう。
鏡越しに俺の背後で腕を組んでニヨニヨしている聖愛さんのことは放っておくことにする。
きっとあとで、俺か依莉愛を揶揄うつもりだ。
それに、サロンで俺がカットする第一号が依莉愛なのだ。
「かしこまりました」
と答えると「もうッ!敬語は良いって言ったのに」と依莉愛はほっぺたを膨らませる。
高校を卒業した依莉愛は憑き物が取れて、俺の前では顔を作らない。
怒ったり笑ったり恥ずかしがったり、そういったところを包み隠さなくなっていた。
「あ、そうだ。読モまた始めたんだ。だからよろしくね。お店の名前も出して宣伝するからさ。ウチの髪の毛、和音にずっとシて欲しい」
依莉愛は俺を専属にしたいみたいだ。けど、俺は誰かの専属になるつもりもない。
でもこの店に来て俺が専任すると言うならそれは吝かでない。
「それって、ここに来た時は俺が担当するってことかな?」
「そうそう。とりまそれでお願い」
「そういうことなら全然オーケー。良いよ」
「やったっ!ところで大学はどう?こっちは女子ばっかりでさー」
それから髪の毛をカットしながら始まったばかりの大学生活の様子を交換し合った。
依莉愛と会うのは二週間ぶりだ。
大学入学の前、美容師の合格発表の直前に三泊四日で沖縄へ旅行に行った。
依莉愛の誘いで受けたこの旅行は、俺と依莉愛が修学旅行に行かなかった代替だと言うことで、俺に誘いをかける前に聖愛さんと母さんを経由して許可を取った上で彼女は俺に声をかけた。
それを持ちかけられた当初、男女二人きりでの旅行ということで遠慮させてもらおうとしたけど、依莉愛と結託して準備を済ませた母さんが半ば強引に俺を送り出した。
依莉愛に引っ張られるかたちで行った沖縄。日程やスケジュールなどは依莉愛が柚咲乃に訊いて計画を立てて、修学旅行を完全になぞった旅程だった。
そんなわけで依莉愛との距離が近付いているのか、彼女は以前よりも親密な態度で俺に接している。
「ね、ところで柚咲乃ちゃんは来てるの?」
「あー、今日はまだ来てないけど学校が終わってからいつも来てるよ」
「勉強、教えてるの?」
「サロンが終わってから教えてるかなー……俺、理容の通信を受けてるから、火曜日と水曜日以外はほぼ教えてるね」
「そっかー。柚咲乃ちゃん、和音と同じ大学を目指してるって知ってた?」
「ああ、知ってるよ」
柚咲乃は今、受験生だ。
二年生の実績もあって無事にと言えば良いのか特進クラスに入った。
新学期の実力テストの結果も上々。それでも柚咲乃は勉強の手を止めず、サロンに来ては教科書や参考書を開いて勉学に励んでいる。
ここなら実弥さんも居るし、帰りの心配もない。実弥さんが居なければ俺が送ることもできる。
「柚咲乃ちゃん、ほんと、頑張ってるよなー。羨ましい。ウチももっと早くから……それにちゃんと頑張れてればって今すっごい後悔してるんだよ」
でも、今さら──という言葉を彼女は唇だけ動かして声に出さずに飲み込んだ。
そうして話し込んでる内にカットもセットも終わる。
「やー、今まで閉店後にしてもらってたけど、営業中にヤってもらうとやっぱ違うね。カッコいい美容師さんにしてもらえてる感じがしてめっちゃあがる!」
美容師になった俺の一番最初のお客様が今日の依莉愛。
調髪をしてお金を貰うのは依莉愛が初めてだ。
「俺も緊張したよ。ヘマしないかとヒヤヒヤした」
「でもさ、ほんと上手だよね。読モのときのヘアメイクとか化粧とかと比べると和音のほうがずっと上手。それなのに働いてる和音、カッコいいし、髪の毛ヤってもらってるときだって気持ち良すぎて惚れ………ちゃいそうだったよ」
初めてのお客様。と言うことで気負いも緊張もあったけど、見知っている依莉愛というのもあったし、それに何よりも、依莉愛に──というよりお客様に喜んでもらえて良かった。
「あ、和音くん!待って」
会計をするためにレジに立ったら、聖愛さんが駆け付ける。
「お、お姉ちゃん?」
カウンター越しの依莉愛が財布を手に取ってお金を出そうとしていた。
「今日は、良いよ。アタシのおごりだ」
「ヤ、ウチが今日はお金を払いたいの。だって和音の一番最初の客はウチが良い。だからお金もウチが和音に払うの」
「そうか。そういうことなら仕方ないな」
「ん。次、奢ってくれるなら甘えるけどさ」
「ハハハッ!次、奢ってやるかはアタシの気分次第だな」
聖愛さんはそう言って仕事に戻っていく。
気を取り直して──。
「では、会計を進めても?」
「ん。良いよ」
依莉愛からお金を受け取ってお釣りをトレーに置こうとしたら、依莉愛が手を差し伸べて俺の手を両手で包み込み「ありがとう」と笑顔を向けながら釣り銭を受け取った。
この日はこれで帰って行った依莉愛だけど、これからは月に二回もここに来るのだとか。
それでその日は俺が専任になるからお客様を取れない。つまり、予約枠として埋まった状態である。
とはいえ、俺は学生で時間が不定だから俺を指名で予約を取ることはできないけれど、依莉愛に関してはモデルとヘアメイクみたいな感じになるのかな。俺には良くわからんけど。
依莉愛とのこの付き合いが俺の仕事を大きく変化させたのはそう遠くない未来の話だった。
◆
そしてしばらく───。
大学に入学して初めての連休。
俺は美容室の定休日を利用してサークル活動……新歓コンパに参加していた。
それぞれに自己紹介をして先輩たちにかまわれている。
その中に
日下部さんは陽織さんの妹ということでいろんな先輩がたに構われていて、ひなっちは俺の傍でぽつんと座っている。
サークルは全員で十八名。うち、俺を含めて六名が男子だ。
「和音くん、久し振りだね」
陽毬さんに何故か気に入られて、初めて会った昨年の連休から一ヶ月から二ヶ月に一度くらいの頻度で会っていた。
けど、大学受験や美容師の試験勉強などがあってクリスマス後に一度会ってからはずっとスマホでのやり取りで顔を見ていない。
つまり、今年になってからは今日は最初。本当に久し振りだ。
「本当に久し振りですね。クリスマスの後以来でしたよね」
「そうよ。忙しかったもんね。改めて合格おめでとう。ちゃんとサークルにも入ってくれて、私、嬉しいよ」
「こちらこそ、ありがとうございます」
陽毬さんと会話をしていると、今度は陽織さんが口を開く。
「陽毬先輩が和音クンと知り合いだったなんてビックリしました」
「偶然よね。去年、仕事中に知り合ったんだよ」
陽毬さんと俺は陽織さんに見知った経緯を説明した。
「和音くんと知り合って一年になるんだね」
陽毬さんの言う通り、知り合ってから今日でちょうど一年だ。
陽毬さんは暇なのかマメなのか良くわからないけど、こまめに連絡をくれるし何かと面倒を見たがるところがあるのか、俺を良く連れ出しては手をかけてくれる。
年上で大人の女性なのに、俺みたいなヤツを気にかけてくれていた。
「そうですね。あれからお世話になりっぱなしで恐縮です」
「良いんだよ。私がシたくてシてるんだから」
と言った感じで陽毬さんとのやり取りが進む。
陽毬さんはどこか気安くて話していると気が楽だったりする。そんなだからか、陽毬さんからの誘いを断ったことはない。
それから同じ一年生の男子や先輩とも話をした。
「今年は男子が二人だけか。去年は六人くらい来たんだが」
男子たちは男子たちで固まって喋る。
俺も彼女たちと話の区切りがついたところで男子たちのグループに呼ばれた。
「皆、女目当てだからな。お前らもだろ?」
「ボクはちょっと気になる先輩が居たので……」
「なー、お前は俺と同じだな。あそこにいる陽毬先輩が目当てだったんだけど、ガードが固かったんだよ。そこの新入生が随分と親しかったみたいだけどな」
「陽毬さんですか?」
「ひまりさん?だって?俺なんて「陽毬先輩」って呼んだだけで「河原先輩でしょ!」って言い直させられるのに」
「そうなんだよなー。去年の新入生は陽織目当てだけど、陽織も男子には塩対応。キミは陽織と親しげだったけど知り合い?」
「陽織さんとは遠戚で母共々親しくさせて頂いてるんです」
「親戚だったのか。だったら親しいのは納得」
「ボク、陽織先輩が気になってて……」
「あー、やめとけやめとけ。ライバル多いし、男には目もくれないぞ」
それから彼女が居る居ないだの猥談だったりとガヤガヤとして時間を過ごした。
大学生活は高校生活と違って人との関わりが強いけど淡白なところがある。
イジメに遭って過ごした俺は深く人と付き合うことをどこか苦手にしている部分があって馴染めないけれど、高校よりずっと居心地は良かった。
ただ、大学ではひなっちとほぼ同じ講義を隣り合った席で受けてるし、昼はひなっちの他に、陽織さんと最近は「愛紗って呼んで欲んで」と言う日下部さん、それと日野山さんのメンバーで昼や空き時間を過ごしている。
特に陽織さんは女性の友人が多いのか何人かの先輩を付き添っていて賑やかな昼食を取ることが多い。
そうしている内に、夏季休暇を迎える頃には「ハーレムクソ野郎の紫雲和音」と男子学生たちの間で呼ばれ始めていた。
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