お姉ちゃんって呼んで

 日下部くさかべさんから遠い親戚だと知らされた夜。

 俺は母さんに日下部さんから聞いた話を伝えた。


「なんだかよー。今さらって感じだよなー。会うってだけなら良いんだけどよぉ……」


 母さんは面倒臭いとばかりに頭をボリボリと音を立てて掻く。

 三人掛けのソファーで片あぐらする母さん。今の服装も下は小さいショーツに上はノーブラのキャミソールという姿。


「んー……そうだ」


 何かを思い出して立ち上がると二階に上がって寝室へと入った。

 十分ほど経つと母さんがリビングに降りてくる。

 手に持っているのは写真を収めたアルバムだろう。

 ソファーに座るとテーブルの上にアルバムを広げた。


「私はさ。物心がついた最初の記憶は病院からだったんだ──」


 母さんは北町にある教会に併設された児童養護施設で育った。

 物心がついたのは事故で入院した病院で母さんは助かったけど、その事故で両親……俺の母方の祖父母は亡くなった。


「このアルバムのこの人たちが私の両親なんだとよ。これがパパ、これがママっていうのは分かるんだが、不思議なものでね」


 俺にとっての父さんと同じか。俺の記憶の中では病院のベッドの上で酸素マスクをして寝ていることがほとんどだった父さん。

 遊んでもらったとか良いお父さんだったという覚えはあるけど、父さんとの記憶はほとんどない。

 写真で見る俺の祖父母のうち祖母と母さんはとてもよく似ていた。胸以外は。

 背が高くて手足は長い。


「私の両親はそれなりの資産家で割りと有名だったらしいんだけどさー。資産家や起業家の中には生前、万が一のために遺書を事前に用意することがあるみたいで、私の両親も生前にしたためた遺言を遺していたんだ」


 とは言え、その後に続いて聞いた話では母さんは最初はちんぷんかんぷんでなーんにも分からなかった。

 あとから、銀行口座に残った預金から弁護士に対する代理人費用を支払っていたとか、その預金の大半で相続税を納めたとか、マンションや別荘、家財の扱い、経営していた会社等々について知ったのだとか。


 祖父母と幼い母さんが三人で映っている写真はやはり幸せそうだった。

 髪の毛はどうやら祖父に似たのだろう。見るからに祖母に似なくて良かったと思えるほどの強い癖っ毛だ。

 どうもこれも家系なのだろう。日下部さんの髪の毛とちょっと似ている気がした。


「仕方ねーな。来週の火曜日で良いなら夕方、お前の学校が終わったら行くぞ」

「わかった。日下部さんにそう伝えておくね」

「ああ、頼んだ」


 俺は母さんの目の前で日下部さんにメッセージを送った。



 翌週。

 放課後に母さんが俺を迎えに来た。

 俺の隣には依莉愛いりあでも柚咲乃ゆさのでもない日下部さんがいる。


「はじめまして。紫雲さんのお母様。私は日下部愛紗あいしゃと申します。どうぞ、よろしくお願いいたします」

「お、おお……はじめまして。美希で良い。よろしく」


 母さんは父さんの遺品の車で来た。


「綺麗じゃなくて済まないけど、乗ってくれ」


 後部座席に日下部さんを乗せて、俺は助手席に座る。

 そして、向かった先は中町コンフォート。専用の地下駐車場に通してもらって停車すると、日下部さんの案内で最上階のエレベータホールで降りる。


「あれ?ここなのか……」

「紫雲さんのマンション。ウチが購入したんです。と言うより、お祖母様が購入して私達家族もご一緒させて頂いてるんです」

「そ、そうか……」

「美希さんが売りに出されていたとお祖母様から伺っていますので……あ、お祖母様が待っておりますのでどうぞ」


 日下部さんの案内でこのフロアにたった一つしか無い玄関ドアから入る。

 それから通されたのは客間。中央の長いローテーブルを挟んで三人掛けのソファーが左右に対となっており、奥には一人掛けのソファーが鎮座する。

 奥のソファーには高齢の女性、右側のソファーには奥から中年の女性、若い女性と座っていたが今は立って俺たちを出迎えた。


「ようこそ。おいでくださいました。はじめまして。私は鏑木かぶらぎもも子と申します」


 鏑木さんが頭を下げて挨拶をすると「足があまり良くないもので先に座らせてもらうわね」とそのままソファーに腰を下ろす。


「娘の日下部紗織さおりです」

「孫の日下部陽織ひおりです」


 右手の女性たちが奥から順に名乗った。

 それから母さんと俺が名を名乗り挨拶をすると左手のソファーに着座を促されて座る。

 全員が座ったことを確認した鏑木さんが母さんをジッと見据えて口を開いた。


「良く来てくださいました。それにしても依子よりこさんに良く似てらっしゃるわね」


 依子と言うのは俺の祖母、母さんの母親の名前らしい。

 良く似ていると言うのは顔のことだろう。

 それにしても、ここに居る女性はみな揃って唇の形状や色がそっくりだ。

 たらこ唇とまでは行かない特徴的な厚ぼったくて艷やかな唇。

 扇情的で色香が強く対面しているとそこに吸い寄せられる魅力的な唇だ。

 母さんは下品だと嫌うけど、その唇のおかげで表情の豊かさが増して、明るい印象を残す。

 性的な魅力だけじゃない素晴らしい造形なので、それを俺は大変好ましく思っていた。


「強いて言うなら、私たち皆様が同じ唇ですのね。写真で見た……遺影の母も同じ唇でした」


 各々が唇を見合ってガヤガヤする。女三人寄れば姦しいと言うけれど、ここには五人もいるのだから。

 それにしても男は俺一人。居た堪れない。


「最初に、本当は私が引き取って貴女を見てあげたかったのだけど、私の力が及ばなくて申し訳なく思っています」


 そう言って鏑木さんは深々と頭を下げた。

 同時に、日下部さんのお母さんの沙織さんも頭を下げる。

 それを遮って母さんは言った。


「そんな恐れ多いです。それに法的には6親等を超えたら親族ではありませんから仕方ありません。どうか頭をお上げください」

「そうであっても引き取ることが出来たかも知れないのよね。当時は存命だった旦那の反対もあったので引き取ることが叶いませんでした」

「それでも、私、その時はまだ物心がついたばかりで何が何だか全くわかりませんでしたから……」

「でも、あの時、私は貴女と……美希さんとお会いしていたから尚更……。本当に不憫でどうにかしたいと思っておりましたが……」


 引き取れたはずなのにそれが出来なかった罪悪感で言葉が詰まる鏑木さん。

 恐らく、鏑木さんの旦那さんが引き取る必要のない他人の面倒を見ることを良しとしなかったんだろう。

 莫大な財産を得たとは言えそれを運用することは母さんの両親の遺言があって不可能。となれば引き取ったってデメリットしかないのだから他人でしかない人からすれば疎ましい以外の何ものでもないのだ。

 それを母さんも分かっているから、そこに責任を追求することはしない。

 むしろ、気に留めなくても良いことだと思っているから逆に申し訳なく感じている。


「本当に大丈夫ですから。旦那も亡くなってしまったけど、自慢の息子もおりますし、天職にも出会えました。辛いことはたくさんありましたけど今はとても幸せですから……」

「そう言ってくださるなら私としても胸のつかえが下りるわ……」

「いいえ。こちらも、気にかけていただいて大変ありがたく思ってます」


 そう言って頭を下げた母さん。

 場は一旦落ち着くと、出された飲み物を口にして一呼吸置いた。

 俺と母さんを見ていた鏑木さんが「そう──」と言って話を振る。


「良かったら晩ご飯をご一緒にいかがかしら?用意は一応してあるのよ」


 特にこれと言って断る理由が無い母さんと俺。

 母さんが「わかりました。ではご一緒させていただきましょう」と答えた。


「そちらの息子さんもおいかがかしら?」

「はい。宜しければ母さんとご相伴に与ります」


 俺はそう答えた。



 閑話休題。


 晩ご飯をご馳走になることになった俺と母さんは日下部家のダイニングテーブルを日下部さん宅の四人の女性と共に囲っている。


「美希さんは東町で美容院を営んでるのよね?」


 俺の左隣りに座る母さんに、母さんの正面に座る鏑木さんが訊いた。


「ええ。東町で……。そうですね。それこそ、このマンションを売ったお金を元手にしたんです」

「あら、そうだったのね」


 母さんと鏑木さんが会話をしている中、俺をジッと見ているのは正面に座る紗織さん。


和音あいおん君だったからしら。本当にとてもお綺麗なお顔ね。とても美希さんに似てらっしゃるし」

「あ、ありがとうございます……」

「うふふ。お顔が赤いわ。とても可愛い♡」


 紗織さんは上品な笑顔を見せる。作り笑いって感じだけど。


「お母さん、揶揄からかいが過ぎてるわね。和音さん気になさらないでくれると嬉しいわ」


 俺の右隣に座る日下部さんが言った。

 彼女は左利きで寿司桶から鮨を箸で取る度に肘がトントンと当たる。


「愛紗とはクラスメイトなんだよね?」


 今度は日下部さんの姉の陽織さんがもぐもぐしながら訊いてきた。

 お、と思ったら右隣から「姉さん、だらしないわ。食べてから話して頂戴」と声が飛ぶ。


「そうですね。日下部さんとクラスメイトをさせてもらってます」


 そう答えると、陽織さんから──


「日下部さんってここに三人居るのよねぇ。誰のことか分からないと思わない?」


 と、ニヤニヤした顔で言われた。


「姉さん。和音さんはそういう子じゃないのよ」

「それじゃあ、私のことは陽織かお姉ちゃんって呼んで」


 右隣の日下部さんの表情は伺い知れないが、声色から困惑している様子。

 対して陽織さんは楽しそうに頬を上げ目を細めている。


「ところで、和音クンは進学かしら?」

「はい。そのつもりですけど」

「志望校はもう決まってるの?」


 陽織さんが俺の志望校を聞き出そうとしていると、右の日下部さんが俺の顔を見る。

 どうやら日下部さんも俺の志望校を気にしているらしい。

 俺は志望校を伝えた。


「なら、受かれば後輩ね。模試で良い結果は出てるのかな?」

「ええ。今のところA判定です」

「そう。今時期でA判定なら本番だと少し余裕ありそうね。夏のオープンキャンパスにはいらしゃるの?」

「はい。一応、行くつもりですよ」

「その日は私も学校に居るので、良かったら私に案内させてもらえないかな?」

「良いんですか?」

「ええ、もちろん」


 陽織さんにオープンキャンパスでの案内を約束すると、ニンマリと笑顔を浮かべる。

 そのままの表情で目線を日下部さんに向けて──


「愛紗もどう?」


 と訊く。


「和音さんも行くのなら、私も行かせてもらうわ」


 日下部さんも行くことにした。

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