今度こそ一緒になれるわね

 連休最終日。サロンは休みだ。

 でも、朝早くから俺はフル稼働している。

 三日分の洗濯物だ。うちはまだ二人だから良いけれどこれが四人とか五人とか居たら大変だ。

 主婦って大変だなと、家のことをするたびに思う。


 俺のスマホの連絡先に二人の女性の名前が増えた。

 朝、依莉愛いりあが一番最初に俺にメッセージを送ってきたし、続いて依莉愛の姉の聖愛まりあ

 昨日、飛行機の中で連絡先を交換したフライトアテンダントの女性。陽毬ひまりさんと悠陽ゆうひさん。

 返信のたびに送り先を間違えていないかとか名前を打ち間違えていないかとか神経を使う。

 実弥みみさんと柚咲乃ゆさのからは連絡が来ていないから、昨日までの疲労で寝ているんだろうと推測。皆、マメだよな。


 昼前になって洗濯物や掃除が一段落したら、母さんが起きてきた。

 相変わらず小さいパンツにキャミソール姿でブラをつけていないから垂れた袋にささやかな突起が俺の目に映る。


「和音、おはよう。朝、起きられなかったー。体が痛えー……」


 筋肉痛だろう。スキーで燥ぎすぎだな。

 とは言え昨日は何も言ってなかったから昨日は痛くなかったんだろう。

 翌々日に筋肉痛とは……母さんも老化するんだな。


「何か食べる?」


 俺はキッチンに向かいながら母さんに訊く。頭をボリボリと搔き、ダイニングテーブルの椅子を引いて座った。

 今日は休みだし軽めにするか。とは言え、昨日帰ってきてから買い物に行っていないので冷蔵庫にたいしたものは入ってない。

 作ったとしてもパスタくらいか……。


「何もないだろ?あれば食べるけどさー」

「パスタ茹でるくらいかなー。味付けもバジルとかハーブ類になるけど」

「あー、それ、良いな」


 母さんの同意があったので、俺は鍋に水を注いで火にかけて塩を乾燥パスタを準備する。


「ご飯を食べ終わったくらいにひなっちが迎えに来て、でかけてくるけど何か買ってくるものある?」

「んー、何か適当に買ってきてくれればそれで良いぞ」


 母さんは筋肉痛でダルそうなので家から出ないだろう。


 それから、ご飯を食べ終え、洗い物を済ませるとダイニングテーブルに置いている俺のスマホが鳴った。


「陽那が家の前に着いたってよ」


 画面を見た母さんが憮然とした顔で言う。

 母さんはひなっちに苦手意識がある。というより、彼女の母親が苦手なのだが、どうもそれだけじゃないと俺は思い始めている。


「わかった。ありがと」


 俺はテーブルの上のスマホを手に取ってリビングを出て、自分の部屋からバッグを持って家から出た。

 門の向こうにはいつになくおしゃれをしているひなっちがいる。

 バケットハットに丈の長いキャミソールのワンピース、その中には薄手のロングスリーブシャツを着ていた。

 とても清楚に見える小綺麗な服装だ。


「アイちゃん、おはよう」


 門を出るとひなっちがにこやかな笑顔を向けてくれた。


白下しろしたさん、おはよう」


 一瞬、眉がぴくっと動いたが気にしないことにする。

 俺はバッグからおみやげが入った紙袋を取り出して、ひなっちに差し出した。


「これ、おみやげ」

「ありがとう」


 ひなっちがおずおずと受け取り、ひなっちもバッグから紙袋を取り出して「わたくしからもおみやげ。どうぞ」と俺に手渡す。


「開けても良いかしら?」

「どうぞ。俺も開けるよ」


 開けたらブレスレットだった。水色の小さな石を繋げた綺麗なブレスレット。

 俺があげたのもブレスレットだ。こちらは小石を繋げたものではなく民芸品の一つで白金プラチナっぽい金属製のものだ。

 ちなみに俺は聖愛さんにも依莉愛にも同じものを用意している。


「ふふふ。ありがとう。わたくしたちって似た者同士なのかも知れないわね」

「そうかもね。まさかブレスレットでかぶるとは思ってもなかったよ。でも、ありがとう」


 俺はひなっちにおみやげのお礼を伝えると受け取ったお菓子を家に置いてくることにしたので「こっちは家に置いてくるよ」と伝えるとひなっちも同じで「じゃあ私の方も家に寄ってからでも良いかしら」と返してきた。


「そうだね。じゃあ、俺はお菓子を置いてくるから、その後にひなっちの家に行こう」


 俺はそう言って一旦家に入った。リビングに母さんが居たので「ひなっちからおみやげをもらったよ」とリビングのテーブルに置いてきた。

 ブレスレットは折角なのでつけて出た。

 ひなっちの家──旧戸田美容院に寄って、ひなっちの手荷物を置くと、近くのバス停から中町アーケード街に向かった。


 中町アーケード街は市で最も大きな商店街だった。

 郊外型のショッピングモールが出来てから寂れた印象は拭えないけれど、駅から近いこともあって幾分かは賑やかである。


 中町アーケード街入り口というバス停で俺とひなっちは降車した。

 バス停からアーケード街の屋根を見上げる。

 アーチ状の天井に中町アーケードの文字を象ったオブジェ。天井の切れ端から覗くのは、アーケード街のランドマークとされる高層マンションの中町コンフォート。地下一階から三階までは多数のテナントが入っているのでアーケード街の一角に隣接するこの高層マンション付近は特に多くの人が行き交っている。


「ここに誘ったのは良いけれど、わたくし、何も考えてなかったのよね」


 ただ、ブラブラ歩くつもりだったのかも知れないな。

 俺も何も考えていないし、ついでにここで晩ご飯とか必要なものが少し買えたら良いなと保冷機能付のエコバッグまで持って来ている。


「俺は後で食品の買い物がしたいくらいだけど、白下さんはどこか行きたいところとかあったんじゃないの?」

「私もアイちゃんと一緒よ。昨日沖縄から帰ってきたから今日明日の料理の材料を少し買ってから帰りたいわね」


 ひなっちは今の家に引っ越してから料理をしているらしい。


「白下さん、料理するの?」

「そうよ。お母様……というのも憚られるけれど、家で料理なんてしてなかったもの。私が中学生になってからは私が家の家事をしているのよ」

「苦労してたんだね」

「苦労……というのわからなくならない?それが当たり前になると苦労が楽しみになっていくのよ。アイちゃんだってそうでしょう?」


 ひなっちは今、父子家庭だ。三人目の子だった末弟が異父弟だとわかったことで父親が弁護士を介して裁判所に掛け合って親子関係を解消した。

 今は旧戸田美容院で建築事務所を営んでいてそこに父子三人で生活をしている。

 その家事をひなっちが一人でしているのだ。俺と違うのは俺の家は母さんが出来る限りしてくれる。

 一人で全部しているひなっちはスゴいと素直に思う。


「俺の家は母さんと半々で家事をしてるからさ。白下さんと比べるとそこまで負担じゃないんだよね。だからなんでもする白下さんはスゴいと思う」

「そうかしら……」


 そう言ってひなっちはふうっと息を軽く吐いた。

 意を決した感情を込めた目を俺に向けると「カフェに行きましょう」と言った。



 カフェで向かい合って座る。

 俺の目の前にはアイスコーヒー。ひなっちはグラスの縁にレモンを挟んだアイスティー。

 今日も外は暑い。


「こうしてアイちゃんと過ごすのは初詣以来ね」

「そうだね」

「初詣の時はごめんなさい。お屠蘇ですっかり酔ってしまって……」


 お屠蘇は薬草を本みりんと酒に浸けた薬酒だから、アルコールは残っているし酒に弱いと当然酔う。

 ひなっちは父娘揃って下戸であっという間に酔い潰れてしまうらしい。とはいえ、ひなっちは潰れるより前に絡んできてちょっとウザかった。


「それはもう気にしてないから大丈夫だよ」

「ありがとう。相変わらず優しいわね」


 ひなっちはグラスのストローを右手で摘み、カランと氷が転がるとストローの口を唇で啄んだ。

 コクリと可愛らしく喉を鳴らして紅茶を飲む。そして、紅茶で濡れて艷やかな上下の唇をゆっくり動かして俺に届く声で話す。


「ようやっと落ち着いて話せるわね」

「そうだね。今もだけどずっと外で会ってたもんな」

「ええ。だからどうしても話したくて、今日は無理を言ってお誘いさせてもらったの」

「そっか。白下さん、話をしたさそうにしていたもんね」

「そうよ。でも、最初に謝らせてください」


 ひなっちはそう言ってテーブルに額が付きそうになるほど頭を下げる。


わたくしがもっと毅然としていれば貴方を苦しめることはなかったのに、本当に自分の無力さをあの時思い知ったわ。貴方から離れることでしか貴方を守れないと思っていたけど、本当はそれが間違いだったってずっと悔やんでたの。本当に申し訳有りませんでした」

「いや、学校祭の時に謝ってくれてるし、そもそも俺は気にしてないから」


 俺はがっつりイジメられていたから、そんな俺に関わるのは自殺行為だって思ってた。

 だから、ひなっちが俺から離れていったのはある意味で助かった。心配事がそれで一つなくなったからだ。

 もし、あの時、ひなっちが俺の傍に居たとしても俺は俺からひなっちから離れていった。だから気にならなかった。


わたくしの気が済まないのよ。北女子を受けたのはアイちゃんからも私からも逃げたかった。それが間違いだったって直ぐに気が付いたんだけど、同じ高校を受けるのは憚られたから高校もそのまま女子校に通ったの。……とても後悔したわ。お母様の手前もあったとは言え、私は本当にアイちゃんに申し訳ないことをしたのよ。悔やんでも悔やみきれない……。だから私は強くなりたいってそう思った。それで自分に自信がついてくると、やっぱり、アイちゃんに申し訳ない想いが強くなって、ずっとずっと、謝りたい。救いたい。償いたいって思ったわ」

「ありがとう。でも……それと白下さんのお母さんに何の関係があったの?」

「前回、お話させていただいけれどお母様は逢坂おうさかに親しくて、私の異父弟の父親が逢坂の父親の弟なのよね──」


 ひなっちは自身の家庭環境を俺に語った。

 俺のイジメが始まった頃。ひなっちは逢坂はると婚約をさせられそうになっていたらしい。それで逢坂や実母から俺と仲良くすることに対してかなりの脅しがあった。ひなっちは迷惑をかけられないと考え、俺から離れることにした。

 それでも、逢坂とは結婚しないと常に父親と談判し続け、俺へのイジメやひなっち自身の婚約などの進展を嫌い、逢坂と同じ中学に行くくらいならと女子中への進学を選んだ。

 その後、俺はひなっちと会うことなかったけど、ひなっちは遠巻きに俺をずっと見ていたらしい。

 何故かそれを柚咲乃が知っているのだから女というものは鋭いと言うか何というか。


 ひなっちの母親の多香子たかこさんは、ひなっちの父親、とおるさんとの結婚前に、長く付き合っていた男性が居た。

 それが逢坂の父親の弟で、家の跡を継げずうだつが上がらない彼より大手に勤める高給取りで実家も地元の大手土建という透さんにアプローチをして見事に結婚までこぎつけたが、二人目の子の光輝こうきくんを産むと、元カレとの交際を再開。そして三人目の子の祐希ゆうきくんを妊娠出産したがそれが元カレという情夫との間に出来た子だった。

 透さんは祐希くんが自分に全く似ていないことから髪の毛を採取してDNA鑑定に出すと透さんにとっては実子でないことが分かり、多香子さんの身辺調査を興信所に依頼した。するとまあ出てくるわ出てくるわ、ということで自宅での動画や様々な証拠を集めて弁護士を通して離婚を申し出る。


 透さんが弁護士に離婚を依頼する直前。

 中学の卒業式の頃だ。

 それより以前から、ひなっちが家に居ると多香子さんの情夫が家に来ることが多々あった。どうも自宅の鍵を持たされていて鍵をかけても家に入れる彼はひなっちに手を出そうと多香子さんの不在を狙った。

 ひなっちは多香子さんから知り合いと聞いており、家に来たら上げて待たせておいてと言われているから家に入れるのだけど、いつしか彼はひなっちに性行為に応じろと迫り、ついには犯されそうになる。

 大声を出して何とか逃げ果せているものの、耐え切れなくて遅くまで家に帰らない日々が次第に増えた。


 戸田美容院が売り物件になっていたのを知ったのもこの頃だと言う。

 ひなっちが家に帰らずブラブラと歩いて見回っている時に気が付いた。

 俺の卒業式に来た時も、家に帰れないから中学校まで俺に会いに行ったということらしい。


 その後、自宅に設置したビデオカメラからひなっちがレイプされそうになっていたことを知った透さんがひなっちと光輝くんを保護してしばらくの間、三人でホテル生活を送ることになった。

 離婚の協議もこの頃に始まり、ひなっちの親権の扱いで多少揉めはしたものの、離婚の成立そのものは早く──。


「───それで、アイちゃんに会えるようになったのよね」


 一年生の時、東高の学校祭に行ったのがそうだったのだとか。けど、当時の俺はイジメにあっていたし学校行事とか居ても居なくても変わらないからサボって家の手伝いをしていたしね。

 ちなみに、透さん。ひなっちが犯されそうになっていた動画を証拠として被害届を弁護士に依頼して出したそうだけど受理されなかった。

 逢坂がまだ失脚していない頃だったので、その影響だ。


 ともあれ、ひなっちは北女子と言うそれなりにご身分のある家庭の令嬢たちが通う学校だ。

 中学の時はともかく高校では父子家庭ということでそれなりのハンデがあるのだろうとは思うが、それはひなっち自身の努力により、成績と言う結果で物を言わせていない。


「 ──ホテル暮らしも疲れてきちゃうから、お母様が家を出たのを確認して、わたくしと光輝は家に戻ったのよ」


 ただ、透さんは家に帰りたくないらしく、近付くだけで吐いてしまうから「お父様は仕事もあるし精神的な影響で自宅に近寄れないからホテル暮らしを続けたわ」とひなっちが言った。


「白下さんはいろいろと大変だったんだね。他人事みたいで申し訳ないけどさ。けど耐えて頑張ってきてるんだなって何となくわかったよ」


 いつの間にか、俺とひなっちのグラスは空になっている。

 飲み物を追加で注文した。


「他人事なのは仕方ないわ。私だって、アイちゃんのこと他人事みたいなところがあったんだから……むしろ私は助けなければいけなかったというのに……」


 イジメは助けたからって解決するものではない。助けた人間だって、力がなければ次のイジメの標的になり得る。

 だったら、最初から助けに来てもらわないほうが俺にとっては都合が良かった。

 俺は耐えるか逃げればそれで良いんだから。


「ところで話は変わるけれど、アイちゃんって進路はどうするの?」


 少しの沈黙のあと、ひなっちが気分を変えて訊いてきた。


「俺は大学受験だけど」

「志望はどこかしら?」


 ひなっちが志望校を訊いてきたので素直に答えると、ひなっちがニコリと笑みを見せる。


「私と同じ大学が志望なのね。なら、今度こそ一緒になれるわね」


 家から通えて一番偏差値が高いところというだけで選んでいる。

 学校のあとにサロンで働けたり家で家事をこなしたりできれば良い。

 きっとひなっちも同じ理由なんだろう。


「もうそろそろ出ないと時間的に不味いわね」


 時計を見たひなっちが言う。

 俺もスマホを取り出して時間を確認すると、確かに時間的に厳しい。

 随分と話し込んだものだ。


「お手洗いに行ってくるわね。ちゃんと待っててね」


 そう言ってひなっちが席を立ったので、俺はウェイターを呼んで会計を済ませた。

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