2-5.デキルオンナ
器用に人を避けながら、ヴィヴィは露店通りを眺め歩く。
認識阻害を働かせているため、すれ違う人々は彼女の存在に気付かない。
だから、ヴィヴィの方から人を避ける。
「今回は随分と賑やかいですね。数十年ぶりとなると、人にとっては嬉しさがより増すのでしょうか」
後ろに一つ結びした白の髪を揺らしながら、ヴィヴィは徐々に通りの端へと流れていく。
さすがに人を避け続けるのも疲れた。
認識阻害は人の目から精霊を隠すものであって、存在を消すわけではない。
人を避けなければぶつかるし、ぶつかってしまえば、一気に人に認識されてしまう。
「それにしても、随分とした賑わいぶり。これなら、毎年の恒例行事にしてしまえば、それだけ精霊への信があつくなる……?」
スイレンを通じ、渡し役の彼へ人の側に進言してもらおうか。
精霊への信はその存在を保つのに欠かせないものだ。
ふうと一心地つくと、きゃいきゃいとはしゃぐ小さな声がヴィヴィの耳に届いた。
始めは行き交う人々の喧騒の一つかと思ったが、これはどうやら同胞のものらしかった。
大通りから分岐した小路。こちらは住宅地区へと続く道らしく、民家が立ち並ぶ。
その玄関先だった。バスケットに盛られた果物――精霊さんのお礼、と人々に呼ばれる、端的に言ってしまえば精霊への貢物が供えられていた。
それをリスの姿をした精霊達が囲み、しゃくしゃくと果物を懸命に頬張っている。
ヴィヴィが近寄って覗き込めば、バスケットに盛られた果物は瑞々しい旬の果物だった。
気配に敏い精霊が、びくと小さな身体を跳ねさせて勢いよく振り返る。
ぴっ、と悲鳴に近い声を上げ、それに気付いたもうひとりも振り返り、こちらも、ぴっ、と声を上げた。
おろおろしだすふたりに、ヴィヴィは苦笑をして首を振る。
「私は構いませんから、あなた達でお食べなさい」
ヴィヴィは穏やかな笑みを浮かべたが、王を差し置いてすべて平らげるのは精霊としての矜持が許さない――と思ったリスの精霊のひとりが、バスケットから果物を一つ取り上げ、ヴィヴィへと差し出した。
瑠璃の瞳が丸くなって瞬く。
いいのかと問えば、いいのだと頷かれ、ヴィヴィは瑠璃の瞳を嬉しそうに細めて果物を受け取った。
一口齧れば、しゃくり、と瑞々しい音がした。
「ありがとう」
ヴィヴィが一言礼を告げると、リスの精霊は頬を紅潮させ、ぺこりとお辞儀りひとつして、残りの果物の片付けを再開させる。
残りは全て自分たちで平らげるつもりらしい。
王として敬われているのかいないのか、どちらだろうか。
ヴィヴィは面白そうに小さく笑った。
しゃくしゃくと果物を咀嚼しながら、露店通りから外れた小路を歩く。
ここまで離れてくると、人通りもまばらになってくる。
「そういえば、彼女はそろそろこちらへ到着する頃かしら」
リスの精霊を見て思い出した。
ここから遠く離れた地にて、精霊樹の守り役を担っている、デキルオンナ、が口癖の精霊だ。
少し前にこちらへ赴くという風の報せをティアが受け取った。
それからそれなりの時間が経つが、今はどの辺りか。
――しゃく、と。
果物を齧る音がする。
ヴィヴィは果物を齧りながら、瑠璃の瞳を動かした。
瞳が向いた先、ゆらりと小さなもやが石畳の道から立ち上る。
「――これだけ多くの人が集まれば、もやも発生しやすいわね」
しゃく。もう一口、果物を齧った。
瑠璃の瞳が眇められる。
ゆらり、立ち上る不可視のもや。
このもやは誰もが視えるものではない。
だんっ、と。ヴィヴィが石畳を強く踏み鳴らす。
瞬間。きらきらと、もやが微かだが一瞬煌めいた。
そして、煌めきののち静かに散っていく。
触れることなく、もやを退けた。
「私なら街のもやを一気に退けることもできますが、それはさすがに干渉のしすぎですからね」
最後の一口となった果物を口に運ぶ。
しゃく、と咀嚼する音がした。
「本来はスイレンの役目なのですが、今は不在ですから私が」
なんとかしないと――口だけで呟いて、ヴィヴィは小さく口の端を持ち上げた。
王は力を有しすぎる。
ゆえに“外”への干渉は最小限に。
この形代だって、行使する力が強すぎれば、耐えきれずに壊れてしまう。
不便だと思われることもあるが、“外”への影響を考えればそれでいい。
「――彼女に任せてみますか」
いい事を思いついたとばかりに、ヴィヴィはふむと一つ頷いた。
「あの子の勉強とやらにもなりますしね」
◇ ◆ ◇
からんころん。趣あるドアベルを鳴らしながら店を出たミルキィとバロンは、並んで通りを歩く。
その横を、馬に引かれた乗合馬車が走って行く。
「よかったね、いい感じのバスケットあって。一緒にふかふかのブランケットも買えたし」
ほくほく顔のミルキィの腕には、バスケットが抱えられている。
その中に敷き詰められたブランケットは、触り心地の良さそうな生地だ。
「でなかったら、オレは今夜も鳥かごの中で寝ろってか? 冗談じゃねぇよ。精霊としてのプライドってのは、オレにだってあんだからな」
バロンがふんっと不機嫌に鼻を鳴らす。
「だから、それはごめんって。急だったし、バロン君が寝れそうなのが鳥かごしかなくって」
ミルキィは苦笑する。
「さすがに年頃の男の子と同じベッドっていうのはね……」
「だからって鳥かごはねぇだろ」
ふいっと、今度こそバロンはミルキィから顔を背けてしまい、ミルキィはただ、苦々しく笑うことしか出来なかった。
母に、家にしばらく精霊であるバロンが滞在すると話せば、あっさりと了承の答えが返ってきた。
そして、問題になったのがバロンの滞在事情である。
ミルキィの家はそこまで広いわけではないので、客人が泊まることもないミルキィ家では、客室なる部屋はないのだ。
そこで、昔飼っていた時のがあるから、これが丁度いいんじゃないのかと、事情を話したあとに母が物置部屋から持ってきたのが、
母もだが、ミルキィもそれでいいかと納得してしまった。
たぶん、それがいけなかったのだ。
考えが雑すぎた。母もミルキィも。
だからこうして雑貨屋に立ち寄り、バスケットとブランケットを新調した流れだ。
もちろん、選んだのはバロンだ。
「ね、今夜からはバスケットで寝ればいいからさ、機嫌なおしてよ」
「あ?」
きろりと睨む琥珀色の瞳に、ミルキィは身をすくめる。
「あ、いや、ごめん……。バスケットは綺麗に整えておくので、機嫌なおしてください」
バロンが腕を組み、ふっと短な息を吐いた。
それをミルキィは、おそるおそる見やる。
むすりと口はへの字になっているが、和らいだバロンの雰囲気に、許してもらったのだとミルキィは感じた。
途端、すくめさせていた身体が伸び、にへらと笑みが浮かぶ。
「じゃ、帰ろ」
足取りが軽くなったミルキィを横目に、バロンは嘆息を一つ落とした。
あからさまだなあと思いつつ、バロンもミルキィに並んだ。
そんな時だった――。
「――んだよっ! 先にぶつかってきたのはそっちだろっ!」
怒声が響き渡り、ミルキィとバロンは思わず足を止める。
それは周囲も同じで、通りを歩いていた人々も足を止めて振り返っていた。
「……何? 今の声」
ミルキィがバロンを振り返る。
彼は耳を傾け、風の音を拾っていた。
「あの通りを曲がった先だな。ケンカっぽい」
バロンの指さした先を見やり、ミルキィは駆け出した。野次馬ってしまうのは人の
あ、おいっ。バロンの声が追いかける。が、すぐに彼も諦め駆け出した。
立ち止まって様子を窺う人々の合間を走り抜け、通りを曲がる。
耳に届く喧騒が大きくなり、次第に野次馬っている人々が見えてくる。
その人々の隙間に身を突っ込もうとしたミルキィの足が、止まった。
追いかけて来たバロンも足を止め、訝しげにミルキィを見やった。
「どったの? 野次馬らないの?」
親指で、遠巻きに野次馬る人々を指し示す。
けれども、ミルキィの視線は足元に落とされている。
何かを凝視し、一歩後退った。
「……何? このゆらめくやつ……」
ミルキィが視線を落とす先で、石畳から立ち上るようにして揺らめくものがあった。
不可視のそれ。景色がぶれて見えるようなそれは、何かのもやに見えた。
ミルキィが眉根を寄せる。
そこで驚きの声を発したのはバロンだった。
「ミル姉、これ視えんの?」
ミルキィが顔を上げる。
「見えるのって、視えるってこと? なにそれ、他の人には視えないように聞こえるんだけど」
「そう言ってる」
バロンが視線を落とす。
石畳から立ち上るもやは、変わらずゆうらりと揺らめいている。
「よっぽど力がないとこれは視えないよ。それが視えてるってことは、ミル姉の持ってる力が強いってこと」
バロンがミルキィを見やった。
彼らの目の前を、立ち上ってきたもやが過ぎていく。
「……でも、私こんなの初めて視たよ? バロン君の口ぶりだと、これってそんなに珍しいものでもないんだよね?」
これは、と。ミルキィは目の前を過ぎていくもやを指差した。
「――もしくは、ミル姉の持つ力が強まったか」
バロンが過ぎて行ったもやを目で追いかける。
「……オレの、せいか」
ぽつりと呟かれたそれは、人の耳ではうまく拾えず、ミルキィは首を傾げた。
何と言ったのか気になるが、バロンはもやを目で追ったまま。
ミルキィは諦めてもやを目で追う。
そのもやは遠巻きの人々の横を通り過ぎ、その注目を集めているだろう二人組へと流れていく。
ミルキィは背伸びをし、遠巻きの人々の間から覗き込む。
「え――」
金の瞳を見開いた。
「なに、あれ……?」
呆然とした呟き。バロンが隣で答えた。
「もやは人を惑わせて、生き物を絡める」
流れていったもやが、注目を集める二人組に絡む。
けれども、既にその二人からは、同じ気配を持ったもやが立ち上っていた。
流れたもやが絡まり、その度合いが増したのをミルキィは肌で感じた――刹那。
「先にぶつかっておいて、なんだよその態度はよぉおっ!」
怒鳴りを挙げ、片方が相手の胸ぐらを掴む。
喧騒が大きくなった。
同時に二人組から立ち上るもやが一際濃くなった――ように、ミルキィの眼には映る。
そして、その眼を凝らすと、もやが見覚えのあるものに感じて、ミルキィは思わずバロンを振り向いだ。
「あれ、
「
「でもそれって、それなりに厄介なやつじゃん……?」
「そー言われても、オレ散らし方知んねぇし」
肩をすくめるバロンに、彼は勉強中の身だったなとミルキィは思い出す。
「じゃあ、あの騒ぎどうすんの」
「オレ達に出来るのは、大人の精霊に知らせるだけだな」
そう言って、バロンは手を持ち上げた。
手の平の中で風が渦巻く。
「誰でもいい。力ある精霊に知らせて欲し――」
んだけど。とバロンが風に頼み事をする前に、手の平の中で渦巻いていた風がそのまま舞い上がり、バロンの前髪を掻き乱してから、からかうようにして空へと抜けて行った。
「……」
「バロン、君……?」
バロンが見えない何かを握り潰すように、持ち上げたままの手を握り込んだ。
反射的にミルキィの肩がびくりと跳ねる。
「……馬鹿にしやがって」
バロンの琥珀色の瞳が悔しげな色を宿した。
未熟なのは自覚している――というか、自覚したばかりで。
バロンは唇を小さく噛んだ。
ミルキィが気遣わしげな視線を向け、何か言わなきゃと口を開かけた時。
「――風も見極めようとしているのかもな」
背後から声がした。
ミルキィが振り返った先。女性の姿がそこにあった。
腰まで伸ばされた茶の髪を、肩でさらりと払った彼女はバロンを見る。
「頼まれてやってもいいと思わせる精霊か、と」
「……来てたんだ」
「精霊の春も近いからな。――さて、この場は私に任せてもらおう」
女性が今度はミルキィを見た。
ぴくりと身体を緊張させたミルキィは、何とかぎこちない動作で頷いた。
「……あ、はい……」
女性は口元に淡い笑み乗せ、また肩で髪を払った。
「大丈夫だ。私はデキルオンナだからな。あれくらいならば、ぱっと散らせられるよ」
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