0-3.人と精霊を繋ぐ場所
男が二人、ソファに腰掛け、ローテーブルを挟んで対面する形で座している。
「ん。美味いな、この茶」
すらりとした足を組み、優美な所作でティーカップを口に運んだ男が、白の髪を揺らしながら息をつく。
男が空色の瞳をティーカップに落とすと、透き通る茶の水面に映る己の顔が揺蕩った。
「そうであろう。これは我の気に入りの茶でな、今となっては老舗と呼ばれておる店の茶葉ではあるが、我は創業当時からの常連ゆえに、少しばかり融通していただいておる」
ふふんと少し自慢げに笑うのは、男の対面に座る男。
少しばかりしわの目立つ初老の男は、白の髪をきちりと整え、服もきっちりと着込み清潔感を漂わせる。
「今の世は便利な家電で溢れておるが、我の茶は淹れる際の温度も我自身の火によるものゆえ、美味いのも当然と言えよう」
「その上、茶の水は俺が精製したものだからな。口当たりもやわくまろやかで、自慢の水だ」
初老の男に応えるような形で、こちらの見目は青年な男が頷いた。
そんな彼らよりも若い男がまた、離れたところに配される作業机で頬杖を付いてティーカップを揺らす。
「そして俺は、祭事の際にしか用いられない精霊の水で淹れられたお茶を、違和感なく遠慮なく口にするようになってしまった自分に震えるね」
ははっと半笑いを浮かべる彼の、その蒼の瞳はどこか遠い目をしていた。
精霊の水――それは水の精霊が精製した水のことを指す。
空気中に含まれる水気から、塵や埃などの不純物を取り除いたものだ。
その純度の高い精霊が精製した水――精霊の水は、祭事の際にしか用いられない、ある種の神酒のように扱われる。
つまりは、祭事で供えられる水であり、そしてまた、精霊は時に祭事で敬われる側になることも多い。
そんな精霊の水で淹れられ茶を、彼は普段から口にしているということだ。
それはもう、違和感を抱かなくなるほど日常的に。
己の価値観の瓦解は、主に目の前で茶会を催すふたりの精霊が起因する。
「……ヒョオの淹れるお茶は前々から美味いとは思ってたけどさ、まさかそれが、スイレンさんの精製した水だとはねぇ。気付いた頃には、その美味しさが日常になって、違和感すら抱かなくなってるとか……」
ゆらゆらとティーカップを揺らしていると、まだ残る茶がちゃぷりと音を立てて数滴がソーサーに落ちた。
「ルカよ。茶器を雑に扱うなれば、もうお主には淹れぬよ」
初老の男の
「それは勘弁。ヒョオの淹れるお茶は美味いからね」
そう言うと、ルカはティーカップをソーサーに戻した。
茶の水面には淡金の髪を持つルカの顔が映る。
「全く。主にはもう少々、気品というものが備わって欲しいものよ」
初老の男、ヒョオは呆れの息を短くつくと、腕を組んでソファに深く沈んだ。
「そのあたり、ほんにパリスと似ておるな」
「……俺の前にヒョオと結んでたっていう?」
「うむ」
パリス。その名にルカは不快げに小さく眉をひそめた。
ふいっと目を逸らしたのは、少しだけ面白くなかったから。
精霊と結ぶということは、その精霊と繋がりを持つということだ。
魂と魂の繋がり。強い結びつき。
精霊は人の魂に惹かれ、気に入った魂と結ぶことがある。
波長が合ったからと結ぶ精霊もいれば、ヒョオのように何らかの己で決めたルールで結ぶ精霊もいる。
ルカがヒョオと結んだのは幼い頃であり、彼曰く、ようやっと廻ったかつての繋がりらしい。
ちなみにパリスとは、ルカのご先祖さんに当たる人物だった。
きちんと家系図にも記された名であり、そして、ルカの一族が代々継ぐお役目の初代でもある。
「――……俺はパリスじゃねぇし」
「む? 何か言ったかえ?」
「いんや、別に」
昔から燻る仄暗いそれに蓋をし、ルカはヒョオらを見やった。
「――てかさ、ここは爺さん達が茶飲みして、ほんわか雑談するとこじゃねぇんだけど」
「爺さんって、その中に俺も入ってるの?」
青年の男、スイレンは薄く笑ってルカを振り向く。
「……お、俺にとってはスイレンさんも爺さんだよ」
「こんな見目でも?」
と言い、スイレンが己の顔を示して見せた。
くっ、顔が整ってやがる。ルカが別の何かに歯噛みしていれば、呆れたようなため息がスイレンの向かいからもれる。
「精霊の歳に見目は関係ないではないか、スイレンよ」
「だが、俺はヒョオと違って見た目はまだ若い。その上、実際にお前の方が歳上だ」
「ほお?」
スイレンの空色の瞳に挑発的な色が滲む。
対してヒョオの
ばちっと火花が散りそうな様はもう、ほんわか雑談茶会の風景には見えなかった。
「……こんなだから、楽しそうな職場だねって言われんだよ」
周囲から向けられる羨望はらむ視線。
誰もが恩恵にあやかれるなら、あやかりたりものらしい。
精霊を身近に感じながらも、遠くなった時代の流れゆえなのか。
ルカはこっそりと嘆息を落とし、ティーカップに残った茶を一気に呷る。
「ここって本来、人と精霊との繋がりを確かめる場のはずなんだけどなぁ……」
その渡し役――端的に言ってしまえば人側代表――を代々継ぐルカは、渡しの精霊と呼ばれるスイレンと、己と結ぶヒョオのふたりを見やり、机に突っ伏して項垂れた。
*
街を越え、森の上空を飛ぶ淡い黄の鳥は、木々の合間から建物が垣間見えてくると、そこへ向かって一気に降下していく。
「魔法師団って、こういうときに駆け込むとこだったんだね」
当事者ならぬ当時精霊になってから初めて、人の国にある機関の有り難さがわかった。
きっと自分ひとりでは途方に暮れていたところだろう。
人の領域で困ったら、まずはここに駆け込め。
それが精霊の間に広まった話だ。
彼自身、いつもは伝書精霊として訪れることが多い。
この機関と母との定期連絡に遣わされるのだ。
そのことについては、今はもう不満はない。
大精霊の名を冠する親を持った子の定めだと既に諦めている。
「ルカ、いるかな」
枝葉をくぐり、降り立つための姿勢に入った。
森がさわめく。
風が巻き起こり、歓迎するかのように彼の周りを過ぎていく。
地に足を付ける頃には、彼は淡い黄の鳥の姿から、少年の姿へと転じていた。
年の頃は中学生くらいであり、耳の出た淡い黄の短髪は、活動的な印象を与える。
地へと足を付けた少年は、そのまま建物の窓へと向けて足を踏み出した。
そんな彼へ風が音を届ける。
「なんか部屋、賑やかくない?」
いつもは暇を持て余したルカが惰眠を貪っているか、ヒョオの淹れた茶を二人で楽しんでいることが多いのだが、今日は誰かが訪れているらしい。
仕事中であったら出直すべきかもしれないなと考えながら、彼はレースカーテンが締まる窓に手を伸ばした。
*
「人に転じた際の見目は、精霊の精神に左右されるという。なれば、お主は歳に対し、精神が幼いということではないのかえ?」
「そういうヒョオは俺よりも歳は上だけど、そう大きくは離れていないのにその見目。となると、歳にしては精神が老いているってことじゃないのか?」
朱色と空色の瞳がかち合い、火花は相変わらずのばっちばちだ。
ヒョオもスイレンも足を組み、腕を組み、挑発的な笑みを浮かべて威圧状態。
ルカはもう辟易していた。
頬杖を付いていた腕は崩れ沈み、だらけきっている。
重く凝ったため息を盛大にこぼそうとした、刹那。
――こんこん。
窓を遠慮がちに叩く音がした。
ヒョオとスイレンは同時に押し黙り、ルカがすっと立ち上がる。
窓まで行ってレースカーテンを開ければ、そこに見えたのは淡い黄の頭。
琥珀色の瞳が室内を窺うように覗き込み、ヒョオとスイレンの姿を見つけると、力が抜けたような脱力した色を滲ませた。
「何かと思えばバロンじゃんか。どした?」
ルカが窓を開けて訊ねると、バロンと呼ばれた少年は小さく肩をすくめる。
「ルカ
ちらとバロンが部屋の中を見やる。
「ヒョオ爺とじいちゃんなら、べつに気使うこともなかったじゃん」
スイレンは立ち上がると窓まで移動し、窓枠に浅く腰掛けると、はあとため息を落とすバロンを見下ろした。
「バロンが来るとは俺聞きてないけど、父さんか母さんは」
「いんや、オレひとりで」
バロンの返答に空の瞳が眇められる。
「なぜ?」
「なぜって、母さんはシルフとしてあの場を長期不在には出来ないし、父さんはそもそも……」
バロンの瞳が泳ぐ。
ものすごく言い辛いといった様子に、ルカとヒョオは不思議そうに瞳を瞬かせた。
一方でスイレンはそれを察したらしく、項垂れるように額を抑えた。
「ああ、そうか。あれは転移が下手くそだったな」
「そう。んで、オレが連れて来ることになったんだけどさ――」
「……さ?」
嫌な予感を覚えつつもスイレンが続きを促す。
バロンはまたもや言い辛そうにし、やがておずおずと口を開いた。
「その、さ……プリュイも転移下手で、そんで……いなくなっちゃったんだよ」
「……そうか。予想はしてたけど、そっか。あいつのそれが、あっちにいってたか……そんなとこまで父親に似なくとも」
バロンとスイレンは、頭痛が痛いとばかりに頭を抱えた。
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