0-2.迷子の精霊


 母の用意してくれた、娘がいつも迷惑をかけてごめんね弁当をトートバッグに入れたミルキィは、玄関にて靴を履いていた。

 そんな彼女の背に、呼び止める声がかけられる。


「あ、ミル。ちょっと待って」


「んー、なに? 娘がいつも迷惑をかけてごめんね弁当なら持ったよ」


 靴の踵に指をかけ、足を靴の中へ落とす。


「ああ、そうそう。それなんだけど、今度からは、娘が迷惑かけに行きますごめんさい弁当にしようかなって」


 もう片方も履こうと、同じように靴の踵に指をかけたところで、ミルキィの金の瞳が瞬く。

 彼女が振り返れば、廊下に立つ母がため息を落としたところだった。

 ホント、あんたは。と諦めたような声が聞こえる。

 けれども、ミルキィが気になったのは別のところだった。


「それ、あんまり意味変わんなくない?」


 娘の言を受け、きょとりと瞳を瞬かせた母は納得したように頷く。

 だが。


「それもそうか……――って、違うっ! ミルを呼んだのは、こんなしょうもない会話のためじゃなくてっ!」


 はっとして叫ぶ母に、ミルキィは首を傾げた。




   *




 母に伴われた先は路地だった。

 ミルキィの暮らす住宅地区は、通りに沿って民家が立ち並び、民家との間には、人が二人通れるくらいの路地が通っている。

 母が指し示したのは、ミルキィ家の横を通る路地の、その端に積み上げられた鉢。

 ご近所さんが積み上げたのだろう鉢は、使われなくなってから久しいらしく、埃や泥で汚れていた。

 この時点でミルキィの眼にはしかとそれが視えており、彼女は母が何を言おうとしているのかを察する。


「ここからね、きゅーんって必死そうな声がしたから、気になって見に来たんだけど、お母さんには見えないんだよね」


 母がミルキィを振り返った。


「それで思ったわけ。もしかして、見えないんじゃなくて、視えないからかなって。で、ミルを呼んだわけなんだけど、何か視える?」


 ミルキィは母の顔をちらりと見やると、困ったように娘と同じ金の瞳を瞬かせ、そしてまた視線を戻す。

 その瞳は困惑で揺れ、視線をそこへと向けたまま、ミルキィはぎこちなく頷いた。


「……毛玉がもがいてんのが視える」


「毛玉……?」


 不思議そうに首を傾げる母の横で、ミルキィも多分に困惑をはらませて呟く。


「犬みたいな毛玉に見えるけど、たぶんあれ、精霊だと思う」


 あれ、と評されたそれは、積み上げられた鉢に頭からすっぽりとはまったであろう、尾を生やした青白磁色の毛玉。

 それが後ろ足をばたつかせていた。

 きゅんきゅんと漏れ聴こえる声は、必死にもがいて助けを求める声か。

 だが、その声もいつの間にか、きゅーん、から、ひーん、と情けない声に変わっていた。




 天幕通り。その名の通りに天幕が幾つも張られて並ぶ通りだ。

 天幕内には敷物が敷かれ、簡易テーブルとクッションも用意されており、食べ物の持ち込みも可能な休息を目的とした通り。

 別通りに立ち並ぶ露店――通称、露店通り――から買った食べ物を持ち込む人の姿も多い。

 起源はもうわからないが、昔から続くこの街特有の天幕通りは、ちょっとした観光名所にもなっているらしい。

 露店でソフトクリームを買ったミルキィは、そんな天幕通りを歩いていた。

 あの子が食べやすいようにと、ソフトクリームはコーンではなくカップタイプの方にしてもらった。

 幾つかの天幕を通り過ぎ、やがて目的の天幕前で足を止めた。

 天幕内に人が居ることを告げる赤布が風になびき、赤布に装飾された鈴がちりんちりんと音を奏でる。

 天幕内からはソフトクリームの匂いを嗅ぎつけたのか、きゅんきゅんと鳴く声が漏れる。

 それに小さく笑いながら、ミルキィは垂れ幕を押し上げて天幕内へと入っていく。


「お待たせ、プリュちゃん」


 ミルキィが天幕内へと入ってすぐ、彼女の足元で毛玉が駆け回る。

 思わず苦笑した。


「お行儀よくする」


 元気な青磁色をした毛玉は、その一言に大人しく天幕内に置かれた小さなテーブルの前に付くと、尻を落として座った。

 だが、きらきらと期待に満ちた碧の瞳がミルキィを見上げる。


「ぷりゅ、しずかになった!」


「そうだね、お行儀よくなった」


 くすりと小さく笑い、ミルキィはテーブルにカップを置く。

 毛玉はぱあと顔を輝かせると、そろりと舌で舐めとる。

 露天のソフトクリームの甘さがお気に召したらしく、頬を染めて尾を勢いよく振った。


「これ、おいしい!」


 そのままかぶりつくのかと思いきや、ミルキィの予想に反して、ちろちろと舌で少しずつ食べ始める姿は、どこか育ちの良さも感じさせる。

 へぇ。元気なだけの毛玉ではないのか。

 木べらのスプーンで口へソフトクリームを運びながら、ミルキィはぼんやりと毛玉を観察する。

 獣の姿をしているということは、少なくとも中位以上の精霊ということだ。

 下位精霊は精霊としてはまだ未成熟ゆえに、獣の姿形すら保つことができない。

 上位となれば人の姿に転ずることも出来るが、目の前の毛玉は人の姿に転ずる様子がない。

 ソフトクリームを食すならば、人の姿の方が食しやすいだろうに。

 何口目かになるソフトクリームを口に運び、舌に広がる甘さに頬を緩める。


「ねえ、プリュちゃんって何ちゃん?」


「ぷりゅはプリュイちゃんだよ」


 毛玉――プリュイは、ぺろりと口周りを舐めて顔を上げた。

 食べる速度がゆっくりだからか、既に半分ほど食べ終えたミルキィと違い、プリュイのソフトクリームはあまり減っていない。

 それどころか、くるりと渦巻くソフトクリームの先は溶け始めており、くたりとへなってきていた。


「ぷりゅはあおっぽいけど、ちちうえははくろうのせーれーだよ」


 へへんっとどこか自慢げであり、その姿が微笑ましくてミルキィは顔を綻ばせた。


「てことは、プリュちゃんのお父さんって“白”を持った精霊なんだ。すごっ」


 精霊の“白”とは、上位精霊の中でもさらに強い力を持った精霊のことだ。

 精霊の間でも白の色を持つことは憧れの的であり、その色を目指して日々修行に励む精霊も多いと聞く。

 プリュイの父親は白狼らしいので、文字通りに白い狼の精霊ということなのだろう。

 ということは、彼女は犬でなく狼の精霊ということか。

 そのことに、自身の事情ゆえなのか、ミルキィは少しばかり親近感を覚えた。


「何個も質問ごめんね」


 じぃと溶けかけのソフトクリームを見つめるプリュイに、ミルキィは最後の問いをすることにする。

 これが本題と言ってもいい。


「プリュちゃんは迷子だったりする?」


 精霊としての位は中位だろうと予想しているが、彼女の言動からして、まだ親の庇護下にある齢に思えるのだ。

 ソフトクリームから視線を外したプリュイがミルキィを見やる。

 碧の瞳が瞬き、そして、にぱっと元気に笑った。


「うんっ! ぷりゅ、まいごだよ! てんいしようとしたら、しらないとこにてんいしちゃったの」


「……」


 ミルキィの金の瞳が瞬く。

 あまりに元気に肯定されたものだから、ミルキィは思わず呆気にとられてしまった。

 てんい、とは転移のことだろうか。

 精霊は転移術を扱うことができる。

 転移先の場所の座標だとかを割り出すとかなんとか、なんだか難しい話を知り合いの精霊から聞いたこともあるが、その精霊曰く、人が息をするのに近い感覚だと聞いた。

 それを失敗するとはどういう感覚なのか。

 ミルキィ自身、呼吸を失敗したことは、たぶん、ない。

 少なくとも――。


「……転移術に失敗した精霊はあまり会ったことないけど、それはよくあることなのかな」


「うん。ぷりゅも、ちちうえくらいしかあったことないや」


 どうやら、精霊間でも珍しいことらしい。

 ちちうえとおそろいだ、と喜んでいる迷子精霊に、さすがのミルキィも頭を抱えたくなった。

 ぽたり、と。溶けかけのソフトクリームが涙の如く垂れ落ちた。




   ◇   ◆   ◇




 風に乗り、淡い黄の色をした小鳥が街に舞い降りた。

 近場の屋根に降り、賑わう通りを琥珀色の瞳が見下ろす。


「たく……あいつ、何処行ったんだよ。転移術展開中に『ぷりゅもっ!』とか言って転移術発動さすなよ」


 はあぁぁと、重く長いため息を落とした小鳥は、もう一度飛び立つために前傾姿勢をとる。


「迷子を探すにはやっぱあそこか。風に訊いても、面白がってオレには教えてくれないし」


 母に対して素直なくせに、と胸中で悪態をつきながら、小鳥は両翼を広げて飛び立った。


「オレが母さんに怒られるんだからな」


 飛び立った小鳥を、風が下から吹き付けて押し上げる。

 一瞬バランスを崩し、うおっ、と小鳥から声がもれると、彼の耳元で風がひゅうと高く鳴いた。

 それはまるでからかっているようで、小鳥は思わず渋面になる。


「……舐められてやがる」


 ぐううと歯噛みし、気を取り直すために一度強く羽ばたいた。

 母からは、妹をよろしくね、と念を押されていたのに。

 その妹を見失うなど、母からの叱られ案件ではないか。

 それに何より、兄としても情けなさを覚える。

 頭の飾り羽根と尾羽根をなびかせながら、小鳥は街向こうに見える森を目指して羽ばたいた。



―――――――

次話から週一、一話更新となります。

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