ミルキィは風と一緒に自分を探す
白浜ましろ
序章
0-1.いまも昔も精霊は
森近くに位置する街の朝は、朝風に揺れる木々のさわめきに包まれることで始まる。
森に暮らす精霊は木々のさわめきで起き、人々の暮らす街へと遊びに行くのだ。
ぴょんこと跳ね駆けながら街へと繰り出して来た兎がひとり。
彼もまた兎の姿を借りた精霊であり、鼻をぴくぴくさせては行き先を探る。
両耳をぴんっと立て、暫くじっとしたかと思えば、本日の行き先を定めたらしい彼はぴょんこと跳ね上がった。
◇ ◆ ◇
ぴぴぴぴぴぴ――。
朝の静けさに包まれた部屋に電子音アラームが鳴り響く。
カーテンからは朝の柔らかな陽が差し込み、明かりのついていない部屋を薄ぼんやりと照らす。
ベッドで丸まる何かがもそもそと動き出し、にょっきりと手が伸びると、昨夜に寝落ちて放り投げたままのスマートフォンを探り始めた。
運良く枕元に転がっていたスマートフォンを無事に探り当て、もぞと顔を出した何かが。
「うっそっ! 目覚ましの設定時間間違えてんじゃんっ!」
ぺかぁ、とスマートフォンの画面の明かりに顔を照らされながら、叫び声を上げる。
勢いあまってがばりと身を起こしてしまったが、次の瞬間には脱力して再びベッドに沈んだ。
スプリングで軽く弾みながら、少女は恨めしそうにスマートフォンの画面を睨む。
いつもの起床時間よりも早い時刻が、ホーム画面には表示されている。
「……昨日寝落ちて変なとこ触ったなぁ、たぶん……」
昨夜うっかりと目覚ましアプリの設定を、いつもよりも早めに設定してしまったらしい。
視界に落ちてきた自身の栗色の髪を払い除け、眠たげにとろつく金の瞳を一度ぎゅっと瞑る。
そして、気合を入れて起き上がった。
「起きちゃったもんはしょうがないっ。なら、朝からルカんとこ行こっ」
そのままの勢いで立ち上がり、スマートフォンはベッドに放って窓辺に向かう。
朝の陽を受け留めるカーテンを開ければ、その陽は少女へと注ぐ。
柔らかなそれに金の瞳を細めながら、彼女は窓から覗ける家前の通りに視線を向けた。
彼女の部屋は二階に位置するため、通りを歩く人には気付かれにくい。
通りには丁度、この近辺に新聞配達に来たおじさんが居た。
自転車を漕いでは家前で止まり、手慣れた所作で郵便受けに新聞を投函していく。
聞くところによれば、原動付き自転車――所謂、原付で配達することもあると聞くが、この街では今どきめずらしく自動車の走行は禁止されているため、通行に自転車も多い。
昔より数は減ったらしいが、それでも乗合馬車は未だに健在という、少女の暮らす街は、文明の発展した現代社会において、少しばかり他と違う古めかしい街でもある。
「あ、うさちゃんみっけ」
と。ぼんやりと通りを眺めていた少女が、通りの端をぴょんこと歩く兎の姿をみつけた。
兎が新聞配達のおじさんの横切るも、当のおじさんは見向きもしない。というよりも、気付いてすらいない様子だ。
そんな兎が不意に立ち止まり、おじさんを振り返る。
すると、兎がそこで見事な後ろ回転ジャンピング技を華麗に決める。
誇らしげに息をつき、おじさんをもう一度振り返る。
どこか胸を張っているように見えるのは少女の錯覚だろうか。
だが、悲しいかな。投函を終えたおじさんは、ついぞ兎に気付くことはなく自転車に跨がり行ってしまった。
けれども、兎はそれで構わなかったらしく、満足げにおじさんの背を見送ると再び通りを歩き始める。
おそらくその兎を唯一見ていただろう少女だけが、くすくすと小さく笑っていた。
「あれが他の人には視えないなんてね。精霊って見ていて面白いのに」
*
「あれ、今日なにかあったっけ?」
ダイニングに少女が顔を出せば、母親が不思議そうな顔をしてキッチンから顔を出した。
「なんもないよ。アラーム間違えて早く起きちゃっただけ」
「あっそう」
少女はダイニングテーブルに座り、スマートフォンで呟き系SNSを開けば、朝の
「それならミルキィ。玄関先に“精霊さんのお礼”置いてきて」
その声に顔を上げると、母親の顎がくいっと動いて、キッチンカウンターに置かれていた平皿に気付く。
平皿には旬の果物が盛り付けられていた。
スマートフォンの画面を消してダイニングテーブルに置いた彼女は、ほぉーい、と軽く返事をしながら立ち上がる。
「そういえば、今日の朝は兎の精霊視たよ」
「へぇ。じゃあ今日のお礼を持っていくのは、その精霊さんかもしれないね」
「うーん、どうだろ。技をキメて通りを真っ直ぐ歩いて行ったし」
平皿を手に持った少女――ミルキィは、ダイニングの出入り口に立ち、キッチンに立つ母親の背を見やる。
「じゃあお母さん、玄関に置いてくるね。あ、それと、ご飯食べたらそのままルカんとこに行ってくる」
ルカ、の言葉にぴくりと反応した母親が朝食の仕度の手を止め、ミルキィを振り返った。
その顔は、あんたはまた、とどこか呆れ顔だ。
「あんたはまたそうやって……。ルカ君の邪魔はしてない?」
「ルカっていうか、ヒョオさんにはウザがられてる気がしないでもないけど、邪魔はしてない。入り浸ってるだけ」
「それが邪魔してるってことじゃん。たくもぉ、いつも娘がすみませんってお詫びのお昼つくるから、ルカ君のところに行く時に一緒に持っていきな」
「お、やったね。お昼買わなくてすむじゃん。ラッキーっ」
と。ご機嫌になったミルキィが、鼻歌混じりに廊下に消えていく。
そんな娘を見送った母親は、ため息混じりに深く息をついた。
もはやあの娘には諦めている。
精霊が視えるという、現代において珍しい性質を持つ娘。
けれども、その親である彼女とその夫は、そんな性質は持ち合わせていない。
ご先祖さんが少々変わった存在と契ったと伝え聞くような、少し古い血筋の一族ではあるが、それも代を重ねる毎に薄まってきたと聞く。
だが、時たま娘のミルキィのように、珍しい性質が発現することがある――先祖返り、というらしい。
精霊を視る、というそれも、その発現してしまった一つである。
その他のことも含め、母親としては気がかりで仕方ない。
はあ、と。先程とは別の色をはらむ嘆息が母親からもれ出た。
ミルキィの持つ性質はこの現代において、生きづらい要因にしかなり得ない。
それは時として孤立を、孤独を招く。
そしてまた、人とは違った一面も持つ娘と、どう向き合ったらいいのか未だにわからない。
母親の胸中には、そんな仄暗いものが燻り続けている。
何かきっかけがあれば――と。
願いのような希望を抱くことしかできない。
臆病な母親だな、と彼女はずっと思っている。
「たまには早起きするのも、まあ悪くないかな」
うーんと身体を伸ばし、ふうと勢いよく息を吐き出す。
まだ街が完全に起きていない静かな朝は、街の近くにある森のさわめきがよく聞こえる。
通りを吹き抜ける柔い朝風が、ミルキィの栗色の髪を揺らす。
胸くらいの長さの髪を耳にかけ、ちらりと玄関脇に置いた平皿を見やる。
すると、そこには既に、平皿に盛り付けた果物を啄む小鳥の姿があった。
甘い、美味しいと言っているのか、小さな囀りまで聴こえる。
ミルキィがこっそりと気付かぬふりで眺めやるのは、その小鳥を驚かさないため。
現代において精霊の姿をその目に認める人は、もうそんなに居ないらしい。
だから精霊も、その目に自身の姿を認める人が居るということを忘れがちなんだ、とミルキィは知り合いの精霊に教えてもらったことがある。
だから、こっそり眺めるのだ。そしてまた、そのこっそり感が楽しい。
と。思わずその楽しさから、ミルキィはふふっと声をもらしてしまった。
瞬、果物を啄んでいて小鳥がびくりと跳ね上がった。
ぎぎぎとぜんまい仕掛けの玩具のように、ぎこちない動きをする小鳥はミルキィを仰ぎ見て――目が合った。
あ。とミルキィが息を落とした頃には、小鳥の精霊は一目散に逃げて行ったあとだった。
「あーあ……。大人しく家に入ってるべきだった……」
逃げ去った精霊を見送りながら、すまん、と手を合わせて小さく謝った。
通称、精霊さんのお礼。これは人々が気付かぬ範囲で、人々が気付かぬうちに護ってくれている精霊へ送る、人々からのお礼。すげなく言ってしまえば賄賂。
つまりは、果物や酒などをお礼と評して人々から精霊へ差し出すことにより、今の世の多くの人々が気付けなくなってしまった何かから、精霊は人々を護ってくれている。
これは、魔法が世に根付き始めた時代から続く世の流れ。
そんな
かつてはそれなりに多かった精霊を視る者も、今では珍しい性質と謂われるようにもなってしまった。
けれども、こうして今でも精霊は確かに人々の隣に居る。
それは現代に生きる人々でも知っていること。決して、忘れたことはない。
だから、今でも精霊は人々の隣に居てくれている。
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