1-11.それは禁とならん


 夜も深くなった森に、下草を踏む音が三人分響く。

 子守唄の如く唄っていた虫たちが、彼らの気配を察して押し黙った。

 代わりに聴こえるのは風に揺れる木々のさわめき。

 そんな中で、一人が前方を歩く背に向けて眠たげな声を投げた。


「ダンストンさぁーん、そろそろ引き返さないんっすか?」


 頭の後ろに手を回して組み、ふわあと欠伸をもらしたグランは、夜空にぽっかりと浮かぶ月を見上げた。

 今夜は満月だったのか、と眠気を堪えながら薄ぼんやりと思う。

 欠伸で目尻に涙を溜めたグランの脇腹を、隣を歩くサシェが肘で軽く小突く。

 二人が腰に帯剣するそれらが、反動でかちゃりと音を立てた。


「グラン、まだ巡回中だ。気を抜くには早い」


「でもさぁ、もう夜もどっぷりだぜ? いつもならルートを引き返してるとこだろ?」


 ふわあ、と。またもや緊張感なく欠伸をもらすグランに、サシェは反射的咎めようと口を開きかけ――止めた。

 巡回中だと言うのに怠惰な態度なのはどうかと思うが、今宵の夜間巡回に違和感を抱いているのはサシェも同じだった。

 グランとサシェを先導するように前を歩くダンストンの背へと視線を投じる。


「……ダンストンさん、今夜はやけに奥まで森に踏み入れるのですね?」


 サシェもグランも、もう気付いている。

 いつもの巡回ルートを外れていることを。

 既に団員ですら滅多に踏み入れることのない、森の奥地にまで踏み入っている。

 サシェはダンストンの反応を待ちながらも、無意識下で腰の帯剣ベルトに通した剣の柄に触れた。


 彼らが身を置く魔法師団の所属は魔物対策部門。

 主に魔物や精霊に関する事柄を任された機関。

 そして、事柄に魔物管理というものがある。

 魔物は魔力マナが滞る地にて発生してしまう、墜ちた生き物のことを指す。

 生き物は体内に魔力オドを保有し、自然界には魔力マナが満ちている。

 オドとマナ。共に魔力であり、そして反する存在。それは時に毒となる。

 生き物が多量にマナを体内に取り込んでしまえば、やがて身体を侵され堕ちていく――その成れの果てが魔物だ。

 そして、その管理を任されているのが魔物対策部門であり、彼らの巡回業務に繋がる。

 彼らが所属するその支部では、管轄が精霊の森だ。

 精霊が動けば魔が動く。魔が動けば、その地に魔が溜まりにくくなり、マナ溜まりも発生しにくくなる。

 なのだが、魔が集まりやすい地でもある精霊の森には、魔が滞る箇所がどうしても出来てしまう。

 それが――森の奥地、と評させる場所。

 魔物多発地域として、人が足を踏み入れることは禁じられている。

 けれども、時折その奥地から、魔物が人の生活範囲に入り込むことがあるのだ。

 魔物が街中に現れることが無きようにと、魔法師団は常から森や街周辺を巡回する。

 その際に彼らには、魔物を斬り伏せるため、己を身を護るため、帯剣が許可される。


 ふうと息を吐き、サシェはダンストンの後ろ姿を見つめた。

 あれから反応らしい反応はない。

 隣ではグランが、もう何度目になるのかわからない欠伸をもらす。

 だが、その彼が途中で欠伸を噛み殺した。

 まとう空気が鋭くなり、サシェがちらりとグランへ視線を寄越すと、彼もまたサシェを見やって頷く。

 同時にダンストンへ視線を向けた。

 ダンストンは足を止め、肩越しにサシェとグランを振り返る。

 くいっと顎で前方を示す。その先に薄ぼんやりとだが、夜闇に浮かぶ光を確認した。

 目配せ。そして、三人は同時に地を蹴った。




   *




 陣に捕われた精霊は暫くの間はもがいていたが、気を失ったのか、己の運命を悟ったのか、やがて静かになった。

 しんっと静まり返った森。虫の声が途端に大きく聴こえ始める。

 ざわざわとざわつく森に、吹き抜ける風がねっとりと絡みつく錯覚がした。

 それに薄らとした気味悪さを感じた彼は、ぶるりと震えて腕をさする。


「……早く、こいつの真名を暴かなくちゃな」


 精霊を捕えた陣を掴もうと手を伸ばした――刹那。


「精霊の真名を暴くだって――?」


 背後から声がした。

 反射的にがばりと振り返り、声の出処はどこだと慌てて視線を走らせる。

 だが、いくら視線を走らせようと、声の主を視界に映すことが出来ない。


「おいおい、何処探してんだよ」


 せせら笑いのような声がし、弾かれたように振り返る。

 声のした方はこちらだ。今度は間違いない。

 目を凝らす。瞬間、夜闇がうごめいた気がして、ひくりと身を強張らせた。


「……お前さん、うちの師団に属する奴だろ? そんなのが仮にも、情けなく悲鳴上げんなよなぁ」


 月明かりの下、木々の影から三人が姿を見せる。

 先程の声は真ん中に居る男だ。

 その半歩後ろに二人が控える。

 そのうちの一人が肩をすくめた。


「仕方ないのでは? ダンストンさん。彼の服装から、まだ見習い過程も終えていない団員のようですから」


「てかさ、見習い過程にも辿り着けてない下っ端じゃね?」


「グランっ!」


 肩をすくめて見せていた男が、反対側に立つ男へ鋭い声を飛ばす。

 が、当の男――グランは悪びれた様子もなく、明後日の方向を向いて口笛を吹く。


「だって、ホントのことじゃんか。サシェだってそう思うんだろ?」


 グランの問いに、肩をすくめた男――サシェは、一度口を開きかけるも、すぐにむぐと口をつぐんだ。

 ということはつまり、彼も同意見ということだろう。

 精霊を捕えた男は、悔しさに唇を噛み、手を握り込む。

 己が下っ端なのは自覚している。

 だから、手っ取り早く強さを得るにはこれが必要なのだ。

 ちらりと陣で捕えた精霊へ視線を向ける。

 そんな男の様子を見ていたダンストンが目を細めた。


「サシェ、グラン。そこまでだ」


 視線だけを肩越しに向けたダンストンの、その低い静止声に二人は黙って姿勢を正す。

 今向き合うべくは目の前の出来事だ。


「――さて、お前さん」


 ダンストンが一歩、男へと距離を詰める。

 月明かりが腰の剣の柄を鈍く弾く。

 ダンストンらは帯剣している。男に緊張が走った。

 それによく思い出せば、目の前のダンストンの顔は、下っ端の己でも遠目で見たことある顔だ。

 一班を任されている班長だ。

 ぎりと男は奥歯を噛み締めた。

 そんな奴らに己の気持ちなどわかるはずもない。


「精霊の真名を暴くのは禁じてだ。そんなことしてみろよ。一気に精霊からの信頼を失っちまう」


 また一歩、ダンストンが距離を詰める。

 それと同じ分だけ、男は後退った。

 逃げるには、隙を見つけるしかない。


「なあ、それ」


 ダンストンが視線だけで、男の隣に浮かぶ陣を示した。


「それで精霊を捕えたのか? それとも、これからか?」


「……いや、ダンストンさん」


 それまで静かに事の成り行きを見守っていたグランが口を開いた。

 その視線は鋭く、浮かぶ陣を見やる目元に険しさを宿す。


「あれ、たぶん対精霊用の結界魔法に、捕縛魔法を重ね合わせた陣っすよ。文字形式が古いから、ちょっと自信ねぇけど、間違いないっす」


「……それはつまり」


 サシェが思わず呟く。その顔は険しい。


「――つまりは、発動中ってことだな」


 グランの答えと同時に二人は剣の柄に手を添え、上体を落とす。


「なるほど、ねぇ。馬鹿げたことすんなよって忠告する前に、もう禁を破いちまってたってことかぁ……」


 月明かりに照らされながら、ダンストンが薄ら笑みを浮かべる。


「――お前、精霊の真名の意味は知ってんのか」


 冷たい眼差しが男を射抜く。

 ひっと引きつった声が喉奥で絡まった。

 怖い。男の胸中に頭をもたげ始めた負の感情。

 だが、それにがんじがらめにされる前に、男の欲望が勝った。


「……っ、それでも俺は……力が欲しいんだよっ……!」


 男が手を掲げる。

 サシェとグランが地を蹴った。

 が、それよりも男が魔法を発動させる方が速かった。

 男が指を鳴らすのを合図に、男を起点に陣が展開される。

 サシェらの足が一瞬警戒のために止まった。

 その隙に瞬く間に陣は完成してしまう。

 そして――。


「発光魔法――これ、予め仕込んでやがったな」


 悔しげなグランの声を飲み込むように、陣はありったけの光を放った。

 かっ、と夜の森を膨大な光量で照らし、驚いた大勢の光の粒達が一斉に森から飛び立った。

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