1-12.月夜の邂逅


 発光魔法が発動した瞬、男は瞬時に背を向けやり過ごし、精霊を捕えた陣を引っ掴んで駆け出した。

 夜の森は走りにくく、その途中で何度も、地面から盛り上がった木の根に転びそうなった。

 はあはあ、と思ったよりも早い段階から息は上がり始める。

 その理由はわかっている。

 予め目眩ましにと仕掛けておいた陣。

 そこに込めた発光源となるためのオドを、男が保有するオドで陣に封したから。

 それだけで男のオドは底を尽きた。

 人並みにもないオド。あまりの少なさに自虐的な笑みを口の端にのせる。

 だから、男は精霊を欲した。

 そうすれば、もっと強さを得られるはず――。と。


「――待て、こらっ!」


 背後からの声に、びくりと肩を跳ねさせる。

 男は駆けながら肩越しに振り返り、ひくりと息を呑んだ。

 先程の腰に剣を提げた二人が追いかけて来ている。

 あの発光魔法では足止めにもならなかったのか。

 男のオド保有量は少ないかもしれないが、それでも光量はそれなりだったはずだ。

 暫くは目が眩んで動けなくするつもりだったのに。

 男は悔しげに唇を噛む。


「――ちっくしょおぉっ!!」


 叫び、やけくそになった男は、駆ける足に一層力を込めた。

 追いつかれてたまるか。

 そうして追い詰められた男が向かう先は――。




   *




 一人その場に残ったダンストンは、ようやく眩みが治ってきたところだった。


「……たくよぉ。おれぁ、フラッシュはきれぇなんだよ」


 発行魔法が発動した瞬間、反射的に目を閉じて腕で庇ったが、それでもなお、まぶた越しにダンストンの視界を焼いた。

 咄嗟に彼はサシェとグランに追えと一言命じ、二人の気配が側からすぐに消えるのを感じ取った。

 あの二人は視界を焼かれなかったのだろうか。

 一体、あの光量をどう防いだというのか。


「……若者わかもんすげぇ」


 思わず呟いたそれは、静まり返った夜の森によく響いた。

 この騒ぎで唄っていた虫たちがぴたりと唄をやめ、息を潜めているような緊張感が伝わってくる。

 他にも、先程まで在った気配が遠退いてしまったのを感ずる。

 おそらく、森に暮らす精霊達なのではないかとダンストンは思っている。

 精霊を視認する“眼”は持っていないが、森に暮らす気配を感じることは多い。

 けれども、その気配を今はこの周囲に感じられない。

 辺りを見回し、ダンストンは頭をかりかりと掻いた。


「あー……大事にしたくはねぇけど、支部長に報告せんわけにはいかねぇしなぁ」


 ほとほと困ったとばかりに嘆息を落とし、一変して険しい目つきであの男の消えた方を睨む。


「信頼なんざ、ちょっとしたきっかけで崩れるもんだ」


 あれはとんでもないことをやらかしてくれた。

 腰の剣柄に一度触れてから、ダンストンもサシェとグランを追いかけるべく駆け出した――瞬。

 ダンストンの横を風が過ぎた。思わず足を止める。

 びゅっとダンストンの耳元で鋭く鳴いた風は、それだけの速さで過ぎ去ったということだ。

 まるで軌跡かのように、幾ばくかの土煙と下草を舞い上げ、木々の枝葉を揺らしていった。

 ダンストンは呆然とした面持ちで、風が過ぎ去って行った方を見つめる。

 あちらはあの男が駆けて行った方角だ。

 なにか、それだけで意味があるような気がした。

 と。ふいに木々が揺れる。

 がさがさと枝葉の擦れ合うこの類いの音は、風などの自然現象ではなく、外因的要素の音だ。

 息を詰め、剣の柄に手を添える。

 この辺りはまだ魔の影響力は低いはずだが、だからといって魔物が皆無というわけでもない。

 警戒と緊張の入り混じった目で、音の出処を見やる――瞬、茂る枝葉から人影が飛び出した。

 ダンストンの身体に緊張が走る。


「バロン君速すぎ……」


 飛び出した人影がぽろりとこぼした声。

 月明かりが薄ぼんやりと人影を照らす。

 その照らし出された姿に、ダンストンは息を呑む。


「……――」


 気が抜けてしまったかのように、唇から吐息をもれた。

 その音を拾い上げたのだろうか。人影の頭から見える両の耳がぴんと立ち上がったかと思えば、そのまま音のした方へ傾く。

 人影が振り向いた。あかの瞳がダンストンをしかと見る。

 が、まるで興味がないかのように、すぐにその瞳は逸らされる。

 そして、人影は地を蹴り上げると、軽々と跳躍し、夜の木々へと消えて行った。

 ダンストンは暫くの間、その場から動けなかった。

 彼の中で混乱が広がる。

 暗がりでよくは見えなかった。

 けれども、ぽとりとこぼれた声にも、薄ぼんやりと見た多少違った容姿にも、色は違えども己を振り返った瞳にも――見覚えがあり過ぎた。

 違うと断じるにしては、面影があり過ぎる。


「……ミルの、嬢ちゃん……?」


 頼りない声音で、ダンストンの唇がその名を紡いだ。




   *




「――っ、待て、グランっ!」


 グランの目の前に、サシェの手が現れた。

 その手にぶつかることなく駆ける足を止められたのは、グランの普段からの鍛錬の賜物か。


「んだよ、サシェっ! 早くしねぇとあいつを見失うっ!」


 前方を見据えるグランの眼差しは険しい。

 既に逃げる男の背は小さなっており、夜の森に紛れてしまうのも時間の問題だろう。

 苛立ちはらむ厳しい目付きでグランはサシェを睨んだ。


「なんのつもりだよっ」


「なんのつもりもなにも、周りをよく見てみなよ」


 だが、対するサシェは落ち着いた調子。

 グランとの付き合いは長いゆえに、彼のこういった態度も慣れたものだ。

 サシェが周囲を見渡し、目を細める。


「……風景が陽炎みたいにぶれる」


 グランは意味がわからないとばかりに一瞬眉をひそめるも、すぐにはっとして同じように周囲を見渡す。

 そして、息を呑んで男が逃げた方向を睨んだ。


「あいつ、奥地に逃げ込みやがったかっ……!」


 唸るように声をもらす。

 ちくしょうっ、と。苛立ちに任せてその場の地面を踏みつけたグランは、そのままぐりぐりと靴底を押し付けた。

 そんな彼を横目に見ながら、サシェは男が逃げ去った方角へ視線を投げる。

 これより先は、通称“奥地”と呼ばれる森の深部だ。

 そこは人が足を踏み入れぬ地。

 暗黙の了解の如く、この地に暮らす人々は古き時より知っていること。

 それは、立ち入りを禁止する柵も立て看板も必要ないほどに、当たり前の事実として横たわる。

 奥地は自然の摂理なのか、魔力マナが凝りやすい場所であり、いくら精霊が通って魔力マナを散らしてくれても、すぐに魔力マナが集まってしまう。

 そんな場所へ男は逃げ込んだのだ。

 ある意味では賢く、ある意味では愚か。


「そんなとこで遊んでないで戻るよ、グラン」


 身を翻したサシェは、土を蹴り上げては苛立ちを表現していたグランを振り返る。


「遊んでねーやいっ」


「はいはい、楽しそうだね。行くよ」


「だから、そんなんじゃないやいっ」


 ぶつぶつと文句を垂れながらも歩き出したグランを確認し、サシェも来た道を戻るべく歩き出す。

 やがてグランがサシェの隣に追い付くと、どちらが言うでもなく、二人の歩んでいた足は次第に駆ける足になっていく。


「……ダンストンさんとこに戻るんだよな?」


 少しだけ不満げだという表情でグランがサシェに尋ねる。

 サシェは前を据えたまま、ひとつ頷いた。


「そうだよ。追いかけるにしても準備が必要だ」


「……剣一つじゃ、無謀か」


「僕らみたいな魔法師騎士だけで乗り込むのは無謀さ。魔物に堕ちに行くようなものだよ。精霊と結んだ精霊魔法師にも同行してもらわないと、魔力マナを鎮められない」


 精霊は魔を鎮める存在。つまりは、魔力濃度を下げること。

 森の奥地では一時的な効果にしかならないが、人の活動出来る範囲が広がるのだ。

 それだけで出来ることが増える。


「僕らに今出来るのは、逸早く報告を上げて対策を練ること。――大事になる前にね」


「そーだな」


 サシェとグランは、速度を上げるべく駆ける足に力を入れた。

 隣人である精霊。その保たれてきた距離を脅かすことなど、あってはならないのだ。

 夜の森を駆ける二人とすれ違うように風が駆け抜けた。

 駆ける二人は突風だろうと気にすることはなく、それよりも、急ぐことに集中する。

 だから、木々がざわめいていても、風のせいだろう、と気に留めることはなかった。

 木々のざわめきが、駆け抜けた風を追いかけるようにして移動していても、彼らが気に留めることはなかった。

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